'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

私が、親のための人生を生きていた? ー和泉りょう香さんのセッションを受けてー

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私はいつだって自分のために、

自分で決めて生きてきた。

そうだよね?

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

ブログをいつもは前日の夜に仕上げてしまうのですが、夜型の極みの生活になってきていたので、これはしんどいと朝型人間になるべく(その兼ね合いで9時投稿に変更しました)、昨日は出勤前に書きました。

だけどやっぱり難しかったですねー(笑)。

時間ぎりぎりで、焦って震える手で書きました(笑笑)。伝えたいこともあまりちゃんと書けず……

まあ投稿時間を決めなくてもいいんだけどなあ……

 

ブログの質と自分の負担の折り合いがつくところをこれからも探っていこうと思うので、また投稿時間など微調整するかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

 

ちなみに、昨日朝の投稿時には間に合わなかった、お世話になったカウンセラーさんたちのリンクを貼ったりして整えたので、興味ある方は、再度昨日の記事をご覧いただけたらと思います。なんでかぐちゃぐちゃにしか貼れなかったですけど(^^;;

 

 

 

さて、昨日の続き、先日、和泉りょう香さんのセッションを受けた話です。

 

 

和泉りょう香さんのセッションを受けたのは、実際に受けた仲間2人が、「そんなに宣伝されてないけど、よかった!!!」と絶賛していたから。

今はモニター募集中で無料ということで、「無料のうちに受けた方がいい!」と言うので(関西人か!……はい。(笑))、お弟子さん制度の宿題が落ち着いたころに、焦って申し込んだ(笑)。

 

そう、今、先輩カウンセラーのみなさんが、モニター募集をたくさんしていたりして、ほんとはもっといろいろな人のカウンセリングや講座を受けたいのだけれど、本業とブログと宿題とに追われてなかなか受ける時間を作れない。

 

 

とりあえず、りょう香さんのセッションを、無事無料期間中に(笑)予約できた。

仲間絶賛の方だったので、どんなことになるのだろうと、とても楽しみにしていた。

 

 

 

しかし、その前の土曜日、根本裕幸師匠の「自己肯定感」の講座で、本業との折り合いのつけ方を学び(そんなテーマではなかったけれど、私が個人的に学んだこと)、次の日、岩橋隆盛さんのセッションで、カウンセリングは私の本当にやりたいことだ、ただ逃げに走ったのではなかった、と思えるようになり、かなり心が軽くなっていた。

この転職とこれからの挑戦について、だいぶ解決した気分になっていた。

 

そしてその次の火曜日が、和泉りょう香さんのセッション日だったのだが、仲間絶賛の方だから、どうせならもっと気分どん底のときに受けたかったなーと思っていた。

元気な心だと、相談することがなくてもったいないから(笑)。

 

 

 

りょう香さん当日。Zoomでのセッション。

りょう香さんは、写真を撮られるのも苦手とプロフィールに書いておられ、お互いに顔出しはなしのセッションだったので、お顔は拝見せず。

 

今だいぶ、気分が小康状態にはなってるんですけど、と、私がまず今回の転職について、これまでに感じてきた迷いや不安を話した。

 

今の仕事に熱中できておらず、見切りをつけて他の仕事に挑戦してみたいと10年以上勤めた会社をこの春退職したこと、

しかし前の職場は、人間関係もよく、管理職にもなっていて、待遇に不満はなかったこと、

それなのに辞めるなんて、もったいないし自分はバカなことをしているんじゃないかと辞める前も、今もまだ葛藤していること、

積み上げたものを捨てて、供給過剰と言われるカウンセラーのようないばらの道(笑)に走ってしまう、自分の不器用さや要領の悪さを責める気持ちがあること、

自分はもっと輝けるはず!と変に夢をみて、いわゆる「青い鳥」を探して失敗してしまったんじゃないか、だから罰が当たるのではないかという恐れがあること、

もし夢破れて結局今と同じ仕事をすることになるなら、前の職場の方がずっと良かったし、仕事に熱中なんてできなかったとしても、あの穏やかな日々が実は本当の幸せだったんじゃないかという気もすること、

 

さんざんこのブログでも書いてきたけれど(いつまで悩んでんねん・笑)、そのようなことを話した。

 

 

 

仲間が、りょう香さんのセッションを受けて泣いたと言っていたので、「うん……うん……それは辛かったですね……よくがんばられましたね……」と小さめのやさしい声で相槌を打ち、静かに寄り添って聞く感じのスタイルなのかなと想像していた。

お名前も「りょう香」さんだし。可憐な感じなのかな。

 

 

しかし、思っていたイメージとは違った。

きつくはないのだけれど、しっかりした声量ではっきりとした口調で、「ほう、ほう」、「なるほどなるほど」と、ひょうひょうとした、どこかユーモラスというか、コミカルな雰囲気で話される方だった。

 

ああ、私は泣かないだろうな、泣くっていう雰囲気ではない(笑)。

そんなことを思いながら、苦しかった気持ちもほとんどなくなってきているし、落ち着いて話した。

 

 

 

軽く一通り話して、りょう香さんから質問があった。ちゃんと順序は覚えていないけれど。

 

 

「『もったいない』っていうことばが、事前のアンケートにもよく出てくるんですけど?」

 

「ああそれは、前の職場をせっかく続けてきて、管理職にもなって、待遇も不満なくて、このままいけば、昇給も昇格もしていたかもしれないのに、それを手放すなんてもったいないということです。」と答えたような。

 

 

そして、大学は、カウンセラーを目指して心理学専攻だったけれど、正社員の職は当時少ないと教授陣も言っていたし、少し関連のある仕事として授業で紹介されていて、確実に就職のある医療職についたことなども話した。

興味以上に安定という条件で選んだ仕事だったから、興味に限界が来たのかもしれないと。

 

 

どうして安定を選んだか?そんな聞かれ方はしなかったと思うが、そんな話もした。

当時の私は、4年制大学まで出て、非常勤の仕事というのはあり得ないと思っていた。

でも、カウンセラーになりたくて、非常勤とかどうとかは置いといて、とりあえずその道に進んだ友達もいた。

今思えば、仕事になるかは気にせず、もっと純粋にやりたいことを選んでもよかったのかもしれない。

 

何で安定を選んだのか、突き詰めれば、お金の心配をしたくなかったというのがあると思うということを話した。

 

私とお金の観念については、ブログでも書こうと思ってまだ手が回っていないのだけれど、父は母子家庭で貧乏で育ち、祖母が働きづめで寂しい思いをしたということが、父的にはたぶんトラウマになっており、自分は高給取りではないけれど、自分の子どもには寂しい思いをさせたくないと、私の母には子どもは小さいうちは家にいてほしいと専業主婦を求めた。

 

それで、私は、「うちは貧乏」というイメージで育ち、お金を使うことに気を遣っていた。

別に借金取りに追われている訳でもなく、持ち家に住み(とても小さいけれど・笑)、明日のご飯に困るわけでもなかったのだけれど、お金を出してもらうのが申し訳ないという気持ちがあった。

 

だから、大人になったら、絶対いっぱい稼げるようになって、何の心配もせず好きなものを買いたいし、親にも楽をさせてあげたいという気持ちがあった。

 

 

 

そんな質疑応答を繰り返して、一通り現状を話した後、りょう香さんの分析結果のひとこと。

 

 

「私は、いなこさんは生まれ変わったんだと思います。

 

これまでは親のための人生。親を安心させるためにがんばってきた、それが悪いということではないですよ?

でも、いなこさんは、本来は、好奇心旺盛な人だと私は思います。

だから、これまでは親のために、安定した仕事について頑張ってきたけれど、今回の転職で生まれ変わって、これからは自分の人生を生きるんだと思います。」

 

 

 


 

泣いていた。

 

 

 

私は泣いていた。

 

 

 

そんなつもりはなかった、親のために生きようなんて。

親に、「安定した仕事につきなさい」、「親に楽させなさい」なんて言われたこともなかったし。

安定したいのは、自分が安心したいから。

 

 

カウンセリング界では、「何か生き辛いと思ったら、親のために生きていた」というのは、よくある結末。あるあるな結末。

 

でも私は違うと思っていた。

 

そういうのは、

「お母さんがいい人を見つけてあげるから、お母さんの選んだ人と結婚しなさい!!!お母さんの言うこと聞いてたらいいの!!!」とか、

「東大しか大学とは認めない!!!絶対に東大に入れ!!!」とか、

そういう風にわかりやすく命令されて強制されてきた人のことだと思っていた。


私はそういうのじゃない。

 

 

 

だけど私は泣いていた。

りょう香さんの解釈を聞いたとたんに、泣いていた。

 

 

 

私は、親に何か強制されたような覚えはない。

 

ただ、言われてみれば、強制されなくても、親を喜ばせたい、安心させたい、そういう思いは確かにあった。


 

父の不遇な育ちは、やはり私にはインパクトがあったのだ。

父は辛そうににそれを話すのではない。

話好きな人だから、思い出話として、「お父さんの小さいころはな、こんなんでこんなんでさみしかったんや。でもあんたら幸せや、学校帰ったらこうしてお母さんいてくれんねんから。」と、笑顔でよくそんな風に話していた。……それでも、そこに哀愁は感じ取っていた。

 「それはそれで、俺の人生やから。」 これでいい、これがいい。 - 'それなりに'うまくいっている →を→ 'おもいっきり'しあわせに

父は、自分の思う幸せを、自分の欲しかった幸せを、私と妹に与えようとしていたのだろう。

 

 

 

同じ子どもとして、そんなに寂しく、いろいろなことをあきらめて生活をしていた少年がいたことが、悲しかった。その子を、私のように、寂しくない生活に入れてあげたかった。

 

 

やっぱり、私は父を助けたかったのかもしれない。

 

 

 

そんなことが、今の今まで、私の仕事のことにまで影響を及ぼしているのか。

 

だけど、やっぱりそうなのかもしれない。

 

 

 

 

長くなったので、つづきます。

 

 

 

 

 

 

その時々で、必要な出会いをしているーカウンセリング遍歴を振り返るー

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必要なときに、必要な出会いはやってくる。



  

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

昨日は、瑛人さんの「香水」について書きました。

なんか変な歌だなあという違和感から病みつきになっていったという話でしたが、その後、You Tubeをいろいろと見ていたら、女性側の気持ちとして、同じメロディーでアンサーソングを歌っている方も何人かいました。

 

そんなのを聞いていると、昨日の午後くらいまでは、「なんか病みつきになるー」くらいだったのですが、だんだん、もう素直に好きという気持ちとは違うけど、あの楽しかったころの自分たちが愛おしいなあとか、自分がもう好きになることはないくせに、それでも相手にとって自分のことをどうでもいい存在になるのはいやだなあとか、そういう微妙な気持ちってあるよなあと、無性に切なくなってしまいました。

 

結局ダウンロードして聞いています。ほらね、違和感からどっぷりはまってる(笑)。

 

 

さて、カウンセラー修行真っ最中の私ですが、カウンセラーを目指そうと思ったのは、昨年長年勤めていた職場の退職を決め、新しい道を目指そうと思ったときに、不安になり、カウンセラー・根本裕幸氏を見つけたことから始まったのですが。

 

カウンセラーを目指すなら、自分もカウンセリングを受けてみる方がいいよというのもあり、また、退職・転職を自分でもまだ消化しきれておらず、不安やこれでよかったのかという迷いがあるというのもあり、いくつか根本一門の先輩のモニター募集なども利用させてもらい、受けてきました。(関係者でなくても受けられます!)

 

 

この転職・退職について、受けたカウンセリングを振り返ると、

 

(2019年8月30日) 上司に退職を願い出る

【2019年11月】 退職・転職についてとんでもなく不安になり、根本裕幸氏(現師匠) を見つけ、カウンセリングを受ける。

「転職はまあいいんじゃないかな、転換期ということで」という一言で、とりあえず安心する。

https://www.aikoingk.com/entry/2020/05/02/080000

その数日後、退職届を正式に提出。

【2020年2月】根本裕幸お弟子さん制度3期に参加を決める。

【2020年4月】お弟子さん制度開始。

(2020年4月31日)前職場退職、5月1日〜現職場

【2020年5月】パートナーシップカウンセラー・星乃せいさんのカウンセリングを受ける。https://www.aikoingk.com/entry/2020/05/08/080000

転職についてネガティブにとらえていたことの、違う側面を教えてもらう。

【2020年6月】数秘カウンセラー・戸田朱美さんの数秘術セッションを受ける。

あなたに笑顔を

前世から持っている性質は「子どものようなところで、好奇心旺盛、楽しいことしかできないタイプ」、それとは裏腹に今世の本質は「いろんなことが見える大人」、そして未来、今後の課題は、リーダーになること、前に出ることと聞く。

さらに、この1年は、「嵐のサイクル」だったと知る。そして次の1年は「変化」の1年と。「嵐」に心当たりがありすぎて怖くなる(笑)。

【2020年7月18日】根本師匠の「自己肯定感」の講座を受ける。

自分と他者のあいだに線を引くこと、したいことを「する」とまず決め、長いスパンでやり続けることを学び、楽になる。

【2020年7月19日】ライフワークカウンセラー・岩橋隆盛さんのセッションを受ける。ライフワークカウンセラー 岩橋隆盛のブログ

転職のきっかけがもし現状から逃げ出したいというネガティブなものだったとしても、その後の取り組み次第でいいように持っていける、今までしてきたことやこれからしたいことを聞くと、カウンセリングは本当にしたいことなのでは?と言われ、この道でよかったのかもしれないと思えるようになる。

 

 

とまあ、このような調子ですが、7月のこの自己肯定感のセミナー、岩橋さんのセッションあたりから、かなりこの転職・挑戦を肯定できるようになってきました。

 

 

昨年、最初に根本師匠のカウンセリングを受けたときは、まだまだ自分も混乱していて、この転職の不安や意味などを深く解決できる状態ではありませんでした。とりあえず話して、「いいんじゃない」という一言にすがるようにして、とりあえず安心したという感じ。

 

その後5月に星乃せいさんのカウンセリングを受けたときは、今回の転職について自分がネガティブにとらえていたことを、ポジティブな見方ができるということをたくさん教えてもらいました。それにより、自分はがんばってきたのだということは認められるようになりましたが、まだ、「理屈で」という状態で、心から安心はできていなかったと思います。

 

 

そして、戸田朱美さんの数秘セッション。この時はブログなどに慣れておらず、気力もなくブログに感想を書けなかったのですが(ごめんなさい)、去年1年が「嵐のサイクル」にいたということが、あまりにドンピシャすぎて怖くなりました(笑)。もう、迷って迷って不安で不安でめちゃくちゃでしたからね(笑)。嵐のサイクルのときは、いいことも悪いことも大きくなるらしく、この転職はいいことわるいことどっちだったのだろうと、そのときはわかりませんでした。

 

 

そしてつい最近の岩橋さんのセッションで、私は、どこか青い鳥を探して、自己肯定感の低さから、何かすごいものになりたいという思いで、恵まれた環境を捨て、転職してしまったんじゃないかという思いを、そうではないしそうだとしてもこれからよくしていけばいい、と言っていただき、この転職を思考だけでなく感情的にも肯定できるようになりました。

 

 

カウンセリングを複数受け、だんだんと、心の奥に迫っていくというか、私自身の変化にともない、カウンセリングの深度が深くなってきたというか、そのときそのときで必要な出会いだったと、今思うのです。

 

 

そして、先日、和泉りょう香さんのセッションを受けました。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

あなたのそのざらざらこそが、摩擦を生み人の心にひっかかり、たまらなく愛される。

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恥ずかしくて、すっごく言いにくいんだけど……

なにも言わずに、聞いてくれる……?

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

 

♪きみのどぉーるちぇあーんどがばーなぁ↗︎のその香水のせいだよーが頭の中でエンドレスリピートです。

 

 

車でFM802(大阪のラジオ放送局)を聞いていると、ときどき流れるこの曲。

 

世のみなさんときっと同じ(笑)、この♪ドールチェアーンドガバーナーの部分でひっかかって、何だこの歌は、と脳内リフレインです。

 

 

最初聞いたときは、何ていうか、「なんか……ダサい」っていう感じでした。(個人の感想です、ごめんなさーい!)

ダサいというか、違和感というか……

 

 

この素朴な、べたべたな歌い方とメロディと、’DOLCE & GABBANA’というおしゃれなというかギャルっぽい固有名詞とのミスマッチが、妙にひっかかったんですよね、たぶん。

 

 

少なくとも、「きれいな歌!」とか、「かっこいい!」とか、「沁みる、せつない」とか、「いい歌だなあ」という感じでひっかかったのではありませんでした、私はね。

 

でもとにかく、なんか変だけどひっかかる、気になる。結局流れてきたら耳を澄まして聞いてしまう。

 

 

 

こういうことって、歌に限らず、人でもあります。

 

非の打ちどころがない正統派の美人とか美男って、たしかに一般的に見たら美しいけれど、心にひっかからない、たしかに美しいけれど、意外と印象に残らない。

まあ、好みの問題もありますけど。

 

だけど、なんかちょっとだけ外してる、ちょっと変なところがある、ちょっと残念なところがある人の方が、なんか気になって印象に残って、結局好きになることってありませんか?

美人だけどちょっと歯が出てるとか、目立つところに大きなほくろがあるとか、ちょっと笑い方が変とか。

 

本人はもしかしたら1番気にしてるところかもしれないんですけど、そういうちょっと外したところが気になって、そのちょっと残念なところこそがその人だっていう目印になって、そこがあるから味があっていつの間にか好きになってしまう、みたいな。

 

 

非の打ちどころのない人は、つるつるな感じ。美しくつるつるで、摩擦係数ゼロだから、ひっかからない。

でもちょっと外したところ、残念なところがあると、そこにざらざらができて、摩擦が起こってひっかかる。そこで引き止められる。

そんな感じ。

 

もちろんざらざらがあると、好き嫌いは分かれるでしょうけどね。

でもそのざらざらにひっかかってくれた人は、かなり深く好きになってくれそうな気がします。

 

 

 

前の職場で、仲のいい後輩同士が結婚したんですけど、メンズの方に、女子の方がいないところで「何で好きになったん?」って聞いたら、「ちょっとダミ声じゃないですか、そこが特徴的で。」って言ったんですよ。

 

ダミ声って一般的には、女子にとってうれしくない特徴だけど、そういう、一般的には、ちょっと変なところ(失礼・笑)こそが、誰かの心にひっかかって愛されたりするんですよね。

 

 

 

だからそういう意味でも、全部見せろ、ありのままでいろって言われるんですよね。

 

「好きな人には好かれず、なんとも思ってない人には好かれる問題」は、そういうとこから来るんですよきっと。

なんとも思ってない人には、いっぱいのざらざらをそのままにしてるから。

摩擦がたくさん起こって、その人らしさがいっぱい相手の心にひっかかってるんです。

好きな人には、いいところを見せたくて、必死にサンドペーパーかけて、つるつるに磨きあげちゃって摩擦係数ゼロになっちゃって、心にひっかかりを作れてない。

 

 

 

あーでも、わかってても、自分のことになると、死んでも見せたくない恥ずかしすぎるところとかありますよねー、ありますよーあるある。

深呼吸しないと言えないこと(笑)。

 

 

 

ということで、先週のMステに瑛人さんが出演していて、この「香水」を歌っているのを聞いてしまってますます頭から離れなくなってしまいました。

歌詞をちゃんと聞くと、また男の人のうじうじした思いを素直に正直につづってて、結構いい歌。

なんか中毒性があるー。

もはや熱唱しています。

 

んで、ドルガバの香水の匂いってどんなだろ。

今度嗅ぎに行ってみよう。

 

 

なんか変、から、ドルガバの香水に興味持つまでになっちゃいましたよ。

 

 

 

 

あなたも、自分のちょっと残念なざらざらこそを、大事にしてください。

恥ずかしくてもそれをそっと差し出せば、それをたまらず愛してくれる人がいます。

 

 

 

 

聞いたことない方のために、貼っておきます。

ただし、脳内リフレインしだしても当方では一切の責任を負いかねます(笑)。

 

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

原点回帰。「そもそもの私の目的はなんだっけ?」に立ち返るとうまくいく。

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あれ、なんだかおかしい。

わたしは何のためにこれをするのだ?


 

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

昨日は仕事帰りに(仕事でした・哀)デパートへ、切れてしまった基礎化粧品を買いに寄りました。

 

 

スキンケアはもう長い間そこのを使っていて、会員証がLINEになっているので、新製品のお知らせなんかが、LINEメッセージで来るんです。

無印良品の会員証もそうですよね。

 

 

で、昨日の買い物の目的は、切れてしまった基礎化粧品だったのですが、何日か前に、そこのLINEメッセージで、腫れぼったいまぶたに効くというアイシャドウの宣伝が入ったんです。

 

 

ほら私って、人より多少まぶた腫れぼったい系の人じゃないですかあ?(知るか。見たことない。(笑))

 

なので、ちょっと気になっていたのです。

 

 

アイシャドウとか興味あるんですけど、昔から挑戦しても、なんかうまくいかないんです。

よけいに腫れぼったく見えたり、目が小さく見えたり、奥二重(なんですよ!こう見えて!(知らん。見たことない。(笑)))の部分に色を入れても、まぶたが覆いかぶさって結局見えなかったり、下まぶたににじんだり。

 

奥二重女性のみなさん、この現象わかってもらえます?(哀)

 

 

 

アイシャドウでグラデーションつけて、色っぽい目になっている人を見るとうらやましくて、ときどき思い立ったように、雑誌で見かけた新製品を買ってみたり、BAさんに見立ててもらったり、自分に合いそうな色(パーソナルカラーはサマーです(知らん。見たことない。(笑))を買ったりして挑戦するんですけど、やっぱり上記の理由でうまくいかなくて、

「あー、ムダ金使ったぜ、やっぱりナチュラルが1番」に落ち着くんですけど、しばらくしたらまたやってみたい波が来て、今度こそ!って思ってまたなんか買ってみてっていう。

そういうアイシャドウジプシー人生です(笑)。

 

 

そういうのを昔から繰り返しているんですけど、今回のその腫れぼったいまぶたに効くという謳い文句を見て、腫れぼったいまぶた対策とわざわざ明言しているのだから、今度こそ今度こそすてきな色っぽお目目になれるかもしれない!と思い、今度行くときに見てみようと、もう8割くらいは買うつもりの前のめりで楽しみにして行ったんです。

 

 

 

お店に着いたら、BAさん(Beauty Advisor:コスメカウンターの美容部員さん)が、「お伺いしましょうか?」といつも通り声をかけてくれました。

 

 

私はいつもの基礎化粧品名と、「あと、なんか腫れぼったいまぶたにいいっていうアイシャドウが新製品で出たみたいなんですけど……」と言いました。

文字に起こすと、我ながらなんかかわいい(笑)。腫れぼったいまぶたを治そうという必死感が(笑)。化粧品の商品名は、ハイカラ(笑)すぎて、覚えられない。覚えててもよくわからない横文字を言うのは恥ずかしい(笑)。

 

 

しかしそれを聞いたBAさんは、

「 ? アイシャドウの新製品は出てないですけど……」と。

 

 

え、この間おたくのLINEで宣伝メッセージが来たから言ってるんですけど?

とは言えず、

「あれ、なんか腫れぼったいまぶた用とか、くぼんだまぶた用とかっていうの見たんですけど……違うんかな?」

と言うと、「まぶたの腫れぼったさをカバーするアイカラーベースでしたら○○というのがありますけど」とBAさん。

 

 

○○という商品名を聞いて、それだ!と思いだした私は、「あーそうです!それですね!」

と言うと、

 

「○○は新商品ではないです、以前からあった商品です。」とBAさん。

 

 

 

既存の商品だったみたいです。

今あらためてLINEのそのメッセージを見たら、新製品とは書いておらず、

「マスクをする時間が多くて口元が見えないので、目元のメイクを印象的にしませんか?」

という内容で、既存のそのアイシャドウをあらためて紹介する特集でした。

 

 

 

まあそうかもしれんけどさー、そんなさー、「新商品ではないです!」ってわざわざお客にきっぱりはっきりくっきり訂正しなくてもよくない?

 

 

そっちが宣伝送ってきといてさー、お客はそんなダイレクトメール(LINEやけど)をなかなか一字一句正確に読まないもんやん?

DMちらっと見て、新商品かなとか思うやん?

 

 

とりあえず、会社がそういうDM送ったことを社員として把握してたら、

「ああ、さてはこの客、あのDM見て、新商品とまちごうとるな?」とだいたい想像つくやん?

 

 

まあでも?会社がDMを送ったことを把握していないのは仕方ないとしよう。

それはBAさん個人の問題ではないかもしれないし。社内の情報共有のシステムがよくないのかもしれないし。仕事にそこまで熱心になれないのかもしれないし、そこをそんなに責めるつもりはない。

 

 

でも、お客にそんなにきっぱりはっきりくっきり「それは新商品ではありません!」って正しい情報を説明しなくてもよくない?

新入社員の指導じゃないんやからさー。

 

 

(心の声:なんか知らんけどこの客は、既存の商品を新製品と勘違いしてる。まあでも、この商品に興味持ってるのは確かやから、そこは軽く流して、この商品について説明して買わせてやろう。)

「ああ、○○のことですかね?これは新商品ではないんですけどね、以前から出てたものになるですけど、どこかで見ていただいたんですかね?ありがとうございます。そうなんですよー、腫れぼったいまぶたをすごくすっきりきれいにカバーしてくれるんですよー」

 

とか言えば感じいいのにって思ったっていう話です(笑)。

 

 

 

このBAさんが、新製品かどうかについての正しさにすごくこだわっている気がしたから、この場合、その正しい情報はどっちでもいいのになーと思ったんです。

 

 

BAさんの最終的な目的は、お客に自社商品を売ることであって、お客にその商品がいつ発売のものかを正確に教えることではないでしょう?

お客が知りたがっていれば別ですけどね。

 

だからそこの訂正を、そんなにきっぱりする必要ないのになって思ったんです。

 

 

 

自分のそもそもの目的は何なのか?

自分の中で、それを明確にしておくと、コミュニケーションがうまくいきます。

 

 

たとえば、相手が間違ったことを言っているとしても、楽しく会話することが自分の目的であれば、いちいち水を差して「それは違うよ!」ときっぱり訂正しなくてもいいんです。

 

 

よく男性心理でも、「男性は否定されるのが嫌い」、「ほめられると弱い」とか言われます。

 

男性と仲良くすることが自分の目的なのであれば、多少男性が間違ったことを言っていても、しょうもない武勇伝を自慢げに話していても、「うんうん、すごいね、なるほど、さすが」と聞いてあげればいいということです。

その男性と仲良くすることで自分が幸せになるということが最終目的なのであれば、そこに、正しさに基づいた訂正はいらない。

 

正しい議論をするのが自分の目的の場合は、もちろん正しく訂正すればいいんですよ?

正しさを証明して論破して勝利をおさめるのが自分の最終目的の場合は、そうした方がいいんです。

裁判とかはそうですよね。

 

正しさを主張してはいけないという話ではなく、今の自分の真の目的は何なのか?を見失うと、なんか自分が思っていたようにいかなくなるよという話なんです。

 

 

あるいは、人にものを教えるとき、やたらと小難しい用語を多用して、まくしたてる人っているじゃないですか(笑)。

 

そういう人は、「相手に教えること」が目的ではなくて、実は「自分がいかに知っているかを知らしめること」が目的なんですよね。

俗に言う、「マウントとってくる」っていう感じ。

自分では気づいていないかもしれないけれど。

 

でも聞いている相手の目的が、単に「教えてほしい」っていうことだと、「あの人の説明わかりにくい。あの人なんかめんどくさい。話長い。」っていう印象になってしまいます。

 

 

まあ、ええんとちゃいます、それはそれでかわいらしくて(笑)。

要は自分に自信ないんでしょ?ういやつじゃ(笑)。

 

 

 

人と関わるときに、あまりにテクニックに走りすぎると楽しくないと私は思うのですが、ただ、「この場合の自分の本来の目的は何だっけ?」というところが明確になっていれば、自ずとスムースに、お互いにストレスなくコミュニケーションすることができます。

 

コミュニケーションに限らず、なんかうまくいかないなと思うときは、そもそも私の目的はなんだったっけ?というところに立ち返って考えると、自分がどうするのがベストかが見えてきます。

 

そもそも自分はどうしたいんだったっけ?

私はどうなるのが幸せなんだっけ?

ってね。

 

原点回帰、それが一番大事。

 

 

 

結局そのアイシャドウを見せてもらったんですけど(コロナがあるのでタッチアップはできない)、ラメが入っていたのでやめました。私、ラメが似合わなくて、マットな質感のものが好きなんです。

 

BAさんにその旨を伝えると、ラメが入っていないマットなアイシャドウはそこのブランドにはないらしく、他のどのブランドならありそうかっていうのをたくさん教えてくれました。

ただただ一本気ないい人だったのでした(笑)。

 

 

 

ちなみに私の名誉のために言っておくと(笑)、最初から最後まで、そのBAさんに腹は立っていませんよ?

 

多少感じ悪い言動に見えても、私ほど人の心理を知り尽くしていると(大きく出たなおい・笑)、その奥に悪気はないことはわかるので腹が立ちません。

その割には口悪い?

人間だもの。  ゐなこ  

(笑)。

 

意地や観念や不器用さや自信のなさはあっても、たいていの場合、人に悪気はないんです。

 

 

 

ただ、私の腫れぼったいまぶた問題はいまだ解決せず。

いい感じでいろっぽお目目にしたいなー。

最近転職やらなんやらで、おしゃれにこだわる気力がなかったけど、だんだん復活してきました。

 

 

 

 

【いつも読んでくださるみなさまにお知らせ】

いつもご愛読いただきありがとうございます(^▽^)

本ブログを、毎朝8時に更新していましたが、諸般の事情により、明日から朝9時の更新に変更させていただきます。

ご了承くださいませ。

ひきつづき、末永くご愛読いただきますようお願い申し上げますm( )m

 

 

 

 

 

いつかはすべてが、(笑)になるから。

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だからぜったい、大丈夫。


 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

 

「見学者」になったことはありますか?体育の授業とかの。

 

あるいは、具合が悪くなって保健室で休んだり、風邪をひいて学校を休んだり。

 

あるいは、見学者とはちょっと違うけれど、給食が時間内に食べられなくて、机をみんながさげて、掃除が始まったほこりっぽい中で1人食べさせられたりとか。

 

そういう経験はありますか?

 

 

 

私はおかげさま身体はそこそこ丈夫で、あまり休んだことはありませんでしたが、まれに熱が出て休んだ時なんかは、いつもは学校にいるはずのド平日の真っ昼間に家にいると、なんだか悪いことをしているような気がしたり、世界に取り残されてひとりぼっちのような気分になったりしたものです。

 

長い人生、今思えば、ほんの少し学校を休んだくらい、大したことないのにね。

 

 

 

学校とか、会社とか、画一的に統制されている世界の中にいると、ほんの少しだけそこから外れただけで、とても悪いことをしている気がしたり、脱落した気がしたり、取り返しのつかないことをしてしまった気がするものです。

 

視野が、自分の生きる小さな世界に限定されてしまって、とても狭くなっているから。

 

 

 

成長して、見える世界が少し拡がると、あんなこと大したことないことだったと笑えるのですが。

そのときはそれがすべてで、必死なんです。

 

 

 

もし、あなたの周りの人が、あるいはあなた自身が、なにかのレールから少し外れてしまって不安に思っているのなら。

 

不登校だとか、会社に行けないとか、大半の人がやっていることをやれていないとか、やめてしまったとか。

 

 

 

今は大変なことになってしまったと思っているかもしれないけれど、そんなの、広い世界から見れば、長い人生から見れば、大したことないと、私は思います。

 

時間が経てば、視野が拡がれば、少し自分が成長すれば、自分も周りも、何であんなことに、あんなに必死だったんだろうって笑えるって。

 

 

なんであんなに先生は給食を完食させたかったんだろう(笑)。

みんなが掃除しているホコリっぽい中で食べることに何の意味があったんだろう(笑)。

なんで先生の言うことをバカ正直に聞いて、焦って、情けなくて、恥ずかしくなってまで食べていたんだろう(笑)。

 

ばかばかしい(笑)。

 

 

 

後になってみれば、すべてが「(笑)」です。

 

 

 

そんなに思いつめなくてもいいです。

少し離れれば、時間が経てば、広い世界に出れば、いつかは笑えることだから。

 

その程度の脱落では、あなたの価値にはなんの爪痕も残せない。

 

 

思いつめて辛くなっている人に届いて、少しでも楽になればいいなと思って書きました。

 

 

少し酔っていて。ごめんなさい(笑)。

朝からじゃないよ。昨日の晩だよ(笑)。

 

 

 

 

 

「あなたが辞めてもなんとも思わない」と言われて喜んでいた私

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背負っているものをおろしたら、

こんなに飛べるんだ、って。

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

さて、昨日の続き、私は人と距離が近かったのかという話の続きで。

近いとどういうことが起こるかという一例を、私のエピソードを基にお伝えしたいと思います。

 

 

 

それは前の職場の退職を決めて、今の職場の採用面接を受けた後のこと。

採用面接は、前職場の在職中、退職の5ヶ月くらい前に受けました。

 

 

採用面接の1週間くらい後、後輩のYちゃんと伊勢旅行をしているときでした。

Yちゃんは、前の職場の同僚。といっても、もう数年前に、私より先にその職場を退職し、今は別の職場で活躍している後輩です。

同じ職場だったので、職場の人のことなどもよく知っています。

 

 

宿に着いて、夕食までの時間、部屋でゆっくりしていたときのこと。

 

採用面接の結果が、取り急ぎスマホのメールに入りました。

 

 

 

結果は採用。

今勤めてるとこだから。

 

 

 

採用で、めでたいことなのですが、その通知を見た私は、

 

「あーいやや……どうしよう、私ほんまにあそこ(前の職場)辞めるんや……いやや……中野科長(仮名。前の職場のトップの上司)とかに悪いことしてる気がする……!」

 

頭を抱えて、とっさにそう言っていました。

 

 

 

おいおい、自分からエントリーしといて、面接受けといて、採用もらったのに、そりゃないぜ!(笑)

不採用だったらもっと深刻に困るくせに。

 

 

 

実は履歴書を書くのも、面接を受けるのも、本当ーに気が重かったのです。

 

 

新しい挑戦をしようと、前の職場の退職を決めたものの、まだ気持ちは前の職場(まだそのときは在職中でした)にあって、政治的な理由でやむを得ず敵国に嫁いでゆく姫のような気持ち(どんなんや・笑)で、BGMはもちろん「ドナドナ」、「ここを辞めても魂は決して売りません!!!」という、帰属意識というかなんというか、心は当時の職場にまだまだしっかり根づいて忠誠を誓った状態でした。

そんなにイヤなら何で辞めたというご意見、ごもっとも(笑)。

 

 

 

楽しく旅していたのに、そのメールを見た私の表情と気持ちが一気にズドン!と落ちたのを理解したYちゃんは、力強い声でこう言いました。

 

「いなこさん!落ち着いてください!

いなこさんが辞めても、中野科長はなんとも思いません!」

 

 

 

Yちゃん、なかなかキツいでしょう?(笑)

 

 

 

でも、それを聞いた私は、

 

「あ、なんか今のめっちゃラク……(キラキラ)、もっと言って……!」

 

 

 

「いなこさんが辞めても、中野科長はなんとも思いません!!!」

 

 

 

 

「そっか、そうやんな?そうやんな!!!」

 

 

 

自分の所属のトップは、自分が辞めてもなんとも思わないと言われて喜ぶ人間がどこにいるだろうか(笑)。

 

普通はそんなの、たいへん悲しいお知らせです(笑)。

いや、実際にはちゃんと残念がられましたよ?ここにいたらいいって言ってもらいましたよ?(笑)

 

 

でも、その時の私には、「別にお前なんかいなくなっても何とも思わない」と思われていると思った方が、ラクだったんです。

 

 

 

私自身、表面上は、辞めることについて、別に私がいなくなっても誰がいなくなっても、組織は回っていくものだと思っていたし、たくさんの人の退職を見送ってきて、実際そういう経験をしてきました。

 

どんなに優秀な人、いい人がいなくなっても、組織というものはそれなりに回っていくものです。そうでなければ困るし、回すしかないですしね。

 

だから、自分がいなくなったらみんなが困るなんて思うのは傲慢なことだと思っているつもりだったのですが、やはり、心の奥では「ここを抜けるのは悪いこと」という罪悪感があったことに気づきました。

 

 

そしてこれは、新人の頃からからずっとお世話になっている上司や職場と、心の距離が近すぎた、いわゆる「癒着」ってやつだったのかもしれないなと、先日の、「会社と距離が近すぎる」という根本師匠のことばで思ったのです。

※癒着・・・相手と自分の境目がわからなくなること。癒着対象のことを自分のことのように感じてしまう。癒着している相手に対して罪悪感も感じやすい。

 

 

私は、癒着体質なのかもしれませんね。。。

この分析はまたおいおい。

 

 

だから、前の職場を辞めるのも痛すぎだし、「職場を捨てて悪いことしてる」みたいな、罪悪感が大きかったんだなあ。

自分の人生なのにね(笑)。

 

 

だから、「お前が辞めてもなんともない」っていうYちゃんのことばでラクになったんでしょうね(笑)。

 

 

相手がなんとも思ってないなら辞めていい、悲しんでるなら辞めてはいけないなんて、完全に他人軸やし、自分の気持ちと人生まったく置き去りやん!!!

 

 

はー、これに気づいただけで、ほんとラクになったー!!!

いまだにそこがまだ引っかかってたんですね。

心がすごく軽いです。

 

誰に悲しまれたって、残念がられたって、嫌がられたって、それはその人の気持ち、私とは別もの、自己と他者の間に線を引いて、私は私の好きなようにやっていいんやー!

 

 

当たり前だし、わかりきったことだけど、やっぱり実際そういう場面になると、よくわからなくなって揺さぶられて痛みを感じてたんです。

 

いろんな人の気持ちを勝手に背負ってきた気がします。

重い、そりゃ重いよ、だから動けなくなるんだ。

 

 

 

そんなこんなでやっと最近少しずつ、退職して新しいチャレンジを始めたことを、肯定できてきました。

 

 

 

ちなみにYちゃんの名誉のために言っておくと、Yちゃんは意地悪で「いなこさんが辞めても、中野科長は何とも思わない!」とか言うひどい後輩ではありません(笑)。

 

採用通知を見て一気に私のトーンがガタ落ちしたのを敏感に察知して、私の発言からそのときの私に必要なことばを、とっさに力強く言ってくれたんです。

きっとせっかくの伊勢旅行の残り半分が辛気臭くなるのがイヤだったんだろうな。

誰だってやだよ!ったくメンドクサイ女!(笑)

おかげでその後も楽しく伊勢を満喫して帰りました。 

 

 

Yちゃんはカウンセラーでもないし、癒着なんて概念も知らないはずだけど、ほんと私のツボをよく知ってる(笑)。

 

いつも、「いなこさんは絶対幸せになれる人なんです!もっと自信持ってください!!!」と励ましてくれる、ほんとに可愛い、でも頼りがいのある後輩です。

いつもいつもありがとう。

 

 

あー、すべてに感謝。

心が軽くなって、今、いろいろなことがいい解釈に裏返って来ています。

 

 

 

みなさんも、たとえどんなに好きな人でも、お世話になっている人でも、自分と自分以外の人の間には一線を引いた上で、大事にしてくださいね。

あなたが背負わなければいけないのは、自分の人生それのみです。

 

 

 

 

 

私は私、あなたはあなた。自己と他者のあいだにきっぱりと線を引く。

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わたしとあなたの間に線を引く。

だから仲良くいられるの。

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

先日のカウンセラー根本裕幸師匠の、自己肯定感セミナーに出たときに得た気づきのシェアを、一昨日に続きもう1つしたいと思います。

 

 

 

「自己肯定感を上げていく過程で、うまくいかないこと、難しいことは?」という問いに対し、私は、

「自分がありのままでいいと思おうとしても、仕事では、変わることや向上することを求められると、正論すぎて折り合いがつけられない」

ということを、質問しました。

 

自己肯定とは、そのままの自分、自分のダメなところも、否定して変えようとするのではなく、まずはそれが自分と受け入れるところから始まります。

心理学や自己啓発系の発信では、そういった内容はよく言われますよね。

 

ですが、実際の仕事の場面では、常に向上を求められがちですし、お金をもらっているし、「ダメなところは改善すべき、向上すべき」という教育を受けてきてそれを信じて疑わない人は、日本にはまだまだたくさんいます。

 

そこで、つまづくんですよねー。

やっぱり、ありのまま、ダメな私のままでは世間が許さないじゃん、っていう感じで。

 

 

 

根本師匠はそれを聞いて、

「あー、それねー、会社と距離が近すぎるんだねー」と即答でした(笑)。

 

 

そういうときは、「会社は会社」、「私は私」と線をしっかり引いた方がいいそうです。

 

「あなたはそういう考えなんですね、私は違います」と。

 

 

 

あー、なんとなくしっくりきました。

 

 

私、会社と距離が近すぎたんだなあ。

なんでも間に受けて、言われたことをその通り自動的に受け取って。

 

そこでいったん、聞いた意見を「自分で吟味する」ということをしていない。

 

いや、明らかにおかしな意見には反論しますよ、もちろん。

 

 

でも、「正論」には弱いです。

めっぽう弱い。

「正論」っていうのが、曲者なんですよねー。

 

 

正論らしきことを言われると、そうだよなー、そうしなきゃいけないよなー、もっと引き締めていかないとなーと、自分を律する方にグイッと振ってしまいます。

 

 

いや、世間の正論とか、そんなの関係なく、会社と、自分以外の人と、まずはきっちり線引きをすればよかったんですね。

 

 

「あなたはそういう考えなのね、でも私は違うの。」

 

それがまずスタートで、そこから、ではどう折り合いをつけましょう、とやればよかったんですね。

 

協議するでもいいし、しかたないからちょっとは合わせてあげる(笑)でもいいし、表面上適当にあしらうでもいいし、断固やらないでもいいし。

 

 

人から言われたことするにしても、「自分と人とは違う」というその線をきっぱり引いて吟味した上でそれをするのと、引かずに自分の思いと人の考えをごっちゃにしてそれをしようとするのとではぜんぜん違います。

 

ごっちゃにすると、自分もそう思わなきゃ、相手は正しい、自分がまちがっている、そういう自己否定になりやすいし、「申し訳ない」という罪悪感を抱きやすい。

 

 

 

人のことを自分のことのように感じられるって、やさしくて長所ととられることも多いけど、やっぱり自分と他者との線引きは大事です。

 

 

それを指摘されて、そうか!線を引けばいいのか!とスコーンと腑に落ちて、なんだか心がだいぶ軽くなりました。

 

 

 

そしてそういうときは、応援する側に回ればいいそうです。

 

「頑張るべき、向上すべき」という人と同じスタンスに立つのではなく(自分が本当にそうしたいなら、したらいいんですよ?)

 

「わー、頑張ってくださいねー、応援してますー」

っていう側に回ればいいそうです。

 

口には出せなくても、心でそう思っとけばいいんです(笑)。

 

 

 

 

うーん、私は人と距離が近かったのかも。

つまりこれは、ゆちゃk……

 

わーーーーー!

 

 

 

明日は、私は人との距離が近かったのかもということを、エピソードとともに振り返ろうと思います。

今さら気づいた?とか言わないで(笑)。