'それなりに'うまくいっている →を→ 'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 ©️カウンセラーいなこ

がんばることは悪いこと?自己啓発のあるあるな罠

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やってみて初めて自分のちょうどいいバランスがつかめてくる。その過程に偏りがあるから、マイ・ベストバランスがつかめる。やはりプロセスは完璧らしい。

 

 

5月から新しい職場での勤務が始まり、研修も一通り終えて、今週から少しずつ現場に出だしている。

 

職種は変わらないので、転職先でも、経験者で即戦力としてみなされているが、システム的なこと、動き方、規則などはその職場職場で異なるため、それらの研修を受けていた。

 

以前の職場と比べると、今回の職場の方が歴史は浅いので、新しく設立された分、IT化(笑)は進んでいる。

デジタル的なことはややこしいという苦手意識もあり、新しいことばかりで、前と比べるし、めんどくさい感満載で、研修期間中、大した激務でもないのに疲れていた。

 

ああ、何で今さらこんな苦労してるんやろう。

前のところにいた方がよっぽど楽に稼げてたよな。

やっぱり失敗だったかな。

 

そんな気持ちが渦巻いて、さらに疲労を増幅させていた。

 

 

しかし、現場に出だして、気持ちに変化があった。

 

 

顧客に実際に会うと、

「この人のために何かしたい」

「私が担当になったら、あれをしてこれをして……」

そんな気持ちが沸いてきた。

 

 

そういえば転職を考え始めた1年前からは、ほとんど自分のことしか考えていなかった気がする。

 

自分が、いかに、リスク少なく、労力少なく、損失なく、できれば時間的にも経済的にもより豊かに、自己実現できるか、やりたいことをやれるのか。

ここにいる方がそれをできるのか、環境を変えた方がいいのか。

 

そんなことを必死に考えて考えて考えても確証はなく、不安で怖くて、でもこのままはいやで、苦しんでいた気がする。

 

 

だから、新しい仕事が始まると、1つ1つを前と比較して、「これだったら前の方がよかったかも」、「戻りたいな」と一喜一憂していた。

決めたのだから、とりあえずここでやってみようという気概がなかった。

できるだけ損失なく楽に切り抜ける……

腰が据わっていなかった。

及び腰だった。

 

 

だけど久しぶりに現場に出て、ああ、今の私にできることがある、私を待っている人がいると思えた。

 

腰が据わる感覚があった。

 

スイッチが切り替わった気がした。

「守り」のスイッチから「攻め」のスイッチへ。

 

自分がノーリスクでうまくいくかどうかばかりにとらわれていたから、しんどかったのかもしれない。

それだけが目的なら、新しい挑戦なんてしない方がよかったという結論になるかもしれない。

 

でも喜んでくれる人がいるなら、自分を必要としている人がいるなら。

私は、少しのめんどうや苦労を乗り越えられる、この仕事、やれるなと思った。

 

 

思えばこの1年、どころか、この職業を続けることに迷いだしたこの数年間はほとんど、自分がうまくいくことだけを考えていた。

昨今の、「好きなことをしよう」、「自分を第一にしよう」という世の空気の高まりにも影響を受け、今まで私は無理しすぎていたのかも、もっと楽に、好きに生きた方がいいのかもという思いが強くなっていた。

そのために、この状態を変えなければ、好きなことをしよう、がんばらないで、自分第一で……と自分の幸せだけを考えて考えて、結果的に、不安になって、何だか不幸になっていた。

 

自分の幸せだけを考えて、結果不幸になる。

なんというパラドックス

キョーン!(キャーの最上級)

 

 

少し、偏りすぎていたのかもしれない。

いや、その本質を理解できていなかったのかもしれない。

 

 

たしかに、自分が第一で、自分が楽しんでいないと、自分が満たされていないと何をするのもしんどい。

しかし、自分が楽しんで満たされる要件の中に、「人の役に立つこと」も入っているのではないか。

 

現に今、私は、人のためにできることがあると思えることで、力が沸いてくるような気がしている。

めんどうも多少の苦労も受け止めて、「よし、やったるでー!」という気になってきている。

 

 

自分が大事で第一だけど、その上で、人と関わり、喜ばせることができたら。

結局、「自分のため」だけでは、乗り越える気になれなかっためんどうや苦労を、「人の幸せのため」という要素が加わることで、乗り越える力が沸いてきている。

先への不安も薄れている。

 

情熱大陸」に出てくるような人は、大変なことをしているように見えるけれど、本人はきっと、犠牲でいやいやがんばっているんじゃないんだろうなあ。

その先に喜ぶ人、実現したい世界があるから、大変なこともやれる。

自分のためだけでなく、世のため人のためという原動力。

そしてそれが結局自分の喜びにもなる。

すばらしき循環。

 

 

そうだなあ、その要素を忘れていたかもしれない。

たぶんこれは、自己啓発あるある(笑)。

行き詰まったがんばり屋が、「自分ファースト」の世界を知って導入しようとすると、

「本質的な自分第一」と、「わがまま・自分勝手」の違いがわからない。

「犠牲的ながんばり」と、「前向きながんばり」を混同して、頑張ること自体がよくないことに思えてしまう。

自分の望みと、周囲の要望との折り合いのつけ方が、バランスがわからなくなる。

 

 人を喜ばせることが自分の真の喜びなら、そのためにがんばってもいいし、いやならお断りしてもいいし、好きなことでも疲れたときは休んだっていい。

 

 

「周りのためにと無理しすぎていたかもしれない」の世界から、

「自分が第一、自分の楽しみが第一」の世界へ。

極端から極端に振って、今、私は中庸に戻ってこられたのかもしれない。

 

 

 いいバランスをつかめそうな気がしている。