不倫話じゃありません。
釣ってしまっていたらごめんなさい(笑)。
ソフトボールに青春を賭けた女子高生の話でもありません。
それで釣られた人はいないか(笑)。
不倫経験こそないものの、私は何だかセカンドの女なのである。
イイ線いってるのに、トップには躍り出られない。
いつもいいとこまで行くのに、1番にはなれないのである。
小学校6年の運動会のとき。
50m走に出た。
ピストルがなって走り出したが、しばらく走っても誰も来ない。
「あれ?もしかして私、フライングした??」
不安になってスピードを緩めて後ろを振り返ったとき、抜かれた。
結果、2位。
いやいやいや、本来なら、まぎれもなく私が1位だったのだ!
帰ってから父に、「惜しかったな〜、もうちょっとで1等やったのに〜」と笑顔で言われた。
違う違う、そうじゃ、そうじゃなーい!!!
まぎれもなくヨユーで1位でいけたの!!!
今さら言ってもしゃーないな、自分の不徳の致すところと、誰にも言わなかった。
高校生のとき。
生物の授業で、シダ植物についてのレポート課題が出た。
勉強しない高校生だったが、工夫して何かを作るということは好きだったので、単に文章だけでなく、家の鉢植えの、胞子のうが葉の裏についているシダの葉っぱを貼って、提出した。
すると次の授業で先生に褒められ、前に呼ばれた。
先生は、「ほら、こんな風に……」と、私のレポートをめくってシダの葉が貼ってあるページを探してみんなに見せようとした。
が、見つからない。
先生は、病気の後遺症で手が不自由だったし、とぼけたキャラの先生だったので、「あれ?あれ?」と見つけられずじまいで、みんなは「もう〜、先生〜(笑)」みたいな感じで笑い、結局見つけられずじまいで終わった。
何で見つからない???
20ページもないぞ!
おい!上げといて落とすんじゃねーよ!!!
わざわざ前まで呼んどいて恥かかしてんじゃねーよ!!!(笑)
大学生のとき。
卒業前の休み期間中に、ゼミの先生からメールがあった。
「今日、教授会があり、いなこさんが次席で卒業することがわかりました。
学部4学科970人中2位、しかも1位と0.7点差という僅差です。
ご両親も喜ばれると思い、早速メールしました。」
え!?
私そんなとこいってたの!?
うれしい!
でも、2位……
しかも0.7点差……!
うれしいけど、次席……惜しすぎる・・・・・・
もいっちょいっちゃうよ!(笑)
前の会社にいるとき、学会発表をした。
といっても専門分野の学会じゃなく、いろんな職種が混在する、経営に関する学会で、難易度としてはそんなに高くない学会(何様・笑)。
うちの部署では、満足度調査として定期的に顧客にアンケートを取っていたのだが、取りっぱなしでせっかくのデータを誰も活かせていなかったので、ここは大学時代、調査して統計にかけて論文を書いて鍛えた腕を活かして、いっちょがんばってみますかと本格的に分析、考察した結果を発表した。
社内の事前発表会でも、これは本格的とほめられ、下馬評では私が受賞するだろうと言われていた。
そして学会発表当日。
いくつかのブロックに分かれての発表で、その中でそれぞれ1等を座長が決める。
他の発表を聞いても、私のが、1番本格的に調査、考察をして論理も明晰だな、と思ったが、座長の一存で他の人が受賞。
会社の他の人間も、「あれ?」という反応。
本当か嘘か、参加している会社が、各社1人ずつ賞を取るように忖度されていると後でちらっと聞いた。他のブロックで、うちの会社の他のスタッフが受賞していた。
あー、見る目ないやつの前でいくらいいもの発表しても無駄無駄(暴言・笑)。
これからは、相手を選んで、場を選んでからがんばろう。
だけど。
今となっては、これらはすべて、自分に、1番になってもいい、突き抜けてもいい、という許可ができていなかったために起こった結果なのかもしれないとも思うのだ。
1番になるのは難しいことだ、私には無理だ、そういう私の潜在意識が、そうさせたのかもしれないと……
小学校の運動会では、短距離走や水泳は好きだったものの、体育には総じて苦手意識があった。
だからまさか自分が1位になるとは思っていなかったのだ。
自分がトップに躍り出るなんて、フライングしてしまったとしか思えなかったのだ。
生物の先生の件は、不可抗力だけど、私の潜在意識が、先生にシダの葉っぱを見えなくさせたのか……(笑)
今だったら、「いやいや先生、よく探してくださいよ!(笑)」と突っ込んで自分で探すところだが、高校生の私は今以上につつましやかで、恥ずかしくて主張できなかった。
大学は、第一志望のところじゃなかったので、「こんな学校になじむまい」と入学してしばらく、私はひねくれていた。
とんでもないクソガキー!!!自分の責任なのに。
だから一生懸命勉強をするという気もなかったが、1回生の最初の試験を終えて友人たちと帰っているとき、1人が、「心理学のテストだけは自分の専攻やからがんばってんー♪」と言っているのを聞いて、目が覚めた。
そうだ、第一志望じゃないとはいえ、あんなにしたかった心理学の勉強ができるのだ。
今までの数学とか古典とかじゃなく、自分の好きな、直接仕事につながっていく勉強を思いっきりできるのだ。なんて楽しいことなのだ。
そこから意識が切り替わり、授業も熱心に聞いて書いて、次の試験からは、満点を狙う勢いで勉強するようになった。
あの最初の1回の試験のときからこの調子だったら、主席で卒業できていただろう。
自分が主席を狙えるなんて、思ってもいなかったから。
さっさと切り替えて、今自分にできることに取り組んでいたらよかった。
そして学会発表。
自分でも自信はあったものの、かといって賞を取るほどなのかはわからなかった。
ハードルの低い学会となめているくせに(ええかげんにせえよ・笑)、かといって、自分が学会で賞を取って1番になって、脚光を浴びるなんて、そんなすごいことは簡単には手に入らないような気がどこかでしていた。
したら案の定・・・・・・
いいとこまで行くのに、いいもの持ってると思うのに(笑)、なんで突き抜けられないのか、ぶっちぎれないのか、自分の力を信じられないのか。
私がこうなった原因の1つには、うすうす気づいている。
その過酷な生い立ちから、人生そんなに甘くない、そう簡単にはいかないというのがデフォルトになってしまい、「そうはイカのキン○マや」が口癖となってしまった父による刷り込みもあるだろう。
でももう、イヤなの。
セカンドなんてイヤなのーーーーーーッ!!!!!
勝ち負けにこだわっているのではない。
ただ、出せるはずのものを出せずに不完全燃焼の余韻の中を生きるのは、もういやなのだ。
もう、そういうのはいらない。
私は、自分が持っているものをすべて発揮したい。
それを使って、めぐりめぐって何らかの形で人を幸せにしたい。
前に出るんだ。
これからは。
そのための挑戦。
もう2番目はいらない。
そしてこれは、私のカウンセラー・ポリシーにも関わることだ。
何かを実現したいとき、能力以上に、「自分にはできる」という自分への信頼が何より大切なのではないか。
これは私のこれまでのくすぶり人生から痛感したことなのだ。
自分本来の輝きを放てそうで放てず、くすぶっている人。
私はそれを放ちたいのだ。
私だってできるはず……とほぞを噛んでいる場合ではない。
あなたの、私の光を放つのだ。
あなたの光を放つということは、自身がきらめくだけにとどまらない。
あなたが本来のきらめきを放てば、その光は、世界を照らすことにもなるのだ。
私がカウンセラーとしてしたいことは、そういうことだ。
あなたも私も、世に唯一の宝石である。
ましてやセカンドなんかであるはずがない。
その宝石のきらめきを、今こそ放とう。