私は車に乗るとき、FM802(大阪のラジオ放送局)をよく聞くのですが、あるとき、ゲストのバンド(またうろ覚え)のメンバーの人が、こんなことを言っていました。
「僕は、ライブは好きなんですけど、その移動してる時間が嫌いなんですよね。新幹線に乗ってる時間とかが、だるくて嫌い。
でもそうやって移動してるところとかも全部映像に撮って、自分が80歳くらいのおじいちゃんになったときに見たら、すっごい泣けるだろうなあと思ったんですよ。」
この感覚、わかるなあと思ったんです。
みなさんも想像してみてください。
今のなんでもない日常を、長回しのノーカットでただひたすら撮影した映像を。
特にうれしかったことや、がんばったことや、辛かったことだけじゃありません。
本当にただの生活を、すべてだらだらと撮影するのです。
朝、スマホの目覚ましに起こされて、眠いなーと思いながら、スヌーズ3回目でやっと起きたところとか。
お弁当箱に昨日の残り物と冷凍食品を詰めているところ、
めざましテレビの時刻表示の1分1分と闘いながら、メイクしているところ、
駅まで、なるべく日陰に入りながら小走りで向かうところ、
会社に着いて、タイムカードを押すところ、
「今日忙しそうですね」と同僚と他愛ない話をしながら、制服に着替えているところ、
今日の段取りを考えながら、朝礼に出ているところ、
お昼休み、しいたけ占いと石井ゆかりさんを見比べながら、お弁当を食べているところ、
・・・・・・
こんな、なんでもないただただ普通のあなたの生活を、ひたすら撮った映像を、80歳、90歳になったあなたが見ます。
あなたはどんなことを感じると思いますか?
ああ、あほなことしてたなあ。
あんなことで悩んでたよなあ。
あんな人いたよなあ。
まだまだ若かったなあ。
これ好きだったなあ。
よくがんばってたよなあ。
かわいいなあ。
泣けた?泣けた??(期待キラキラ)
泣けない?
はぁーそうですかー(がっくし)。
まあ泣くまではいかなくてもね(笑)、きっと、おじいさん、おばあさんになったあなたは、今のあなたを、
「よくやってたよなあ」
と、いとおしく思うんじゃないかと思うんです。
渦中にいると、自分のことって、意外に見えていないんですよね。
人間はなんでも慣れてしまうので、幸せなことも、がんばっていることも、日常ではすべてが当たり前になって、気づけない。
自分のことは自分がわかっているようでいて、実は、良いことも悪いことも、なかなか客観的に見られないんです。
だから時々、今の自分を朝起きた時からすべて長回しで映像に撮って、おばあさんになった自分のつもりで見てみるんです。
今ではなく、過去として見る。
今の自分から離れて自分を見る。
そうですね、カメラの位置は少し引き気味がいいです。
ちょっと上から。
でも時々は、あなたの表情をアップにして。
まさしく俯瞰、です。
※俯瞰(ふかん/高い所から見下ろし眺めること(goo国語辞書))
俯瞰してみると、何でもない自分の毎日が、意外と幸せであることに気づいたり、ダメだと思っていた自分が、結構がんばっていることに気づけたりします。
そして今、少し前の生活をそんな風に見ている人は多いのではないでしょうか。
つい5か月ほど前までは、マスクもせずに、好きな人と好きな時に、好きなところへ行っていました。
それが今、できなくなった。
あの頃は平和だったなあ。
自由だったなあ。
楽しかったなあ。
でも5ヶ月前までは、そんな毎日を、ありがたく幸せだなんて思っていた人は少ないと思います。
今、あの日々は、過去になったのです。
一区切りしたのです。
だから今、何でもなかったあの日々を、少し離れたところから見ることができ、その価値に気づけているのです。
そしてきっとまた、今のことも、あれはあれで楽しかったな、よくやってたよなあと思う日がくるでしょう。
過去になる前に、今現在、今の幸せに、自分のすばらしさに気付けたら、今すぐに幸せになれます。
ちょっと疲れたら、毎日をつまらなく感じたら、あなたの今日を長回しの映像に撮って見てください。
きっと、幸せが、あなたのけなげさが、映し出されると思うなあ。
今日も応援していますね。
急にですます調(笑)。しっくりくる書き方を模索中(笑)。