先日は、オンラインで、カウンセラー根本裕幸師匠とのグループコンサルティングでした。
本来は、今年の4月から半年間、月2回のセミナーを受ける予定だったのですが、コロナ騒動により先行きが読みにくくなったため、師匠がこれからの心配事や疑問を解消する機会を臨時で設けてくださったのです。
同期の仲間を6人ずつのグループに分けて、今回はその6人と師匠で、ざっくばらんに質疑応答。
メンバーとはまだ実際に会ったことはないものの、少しずつ自己開示したり、事前課題のことなどですでに相談しあったりしている仲なので、パソコン越しとはいえ、何だかもう昔からの知り合いのような気がして、「ゲラ」と言われてきた私はにやにやが止まりません。
みんな、同じようなことを考えているんだなあという印象でしたが、特に1人のメンバーの、
「まだ自分としては何も取り組めていない、これから取り組まないといけないことがたくさんあって、何者でもないのに、カウンセラーとしてやっていけるのか?」
という質問が、私も1番気になっていたことでした。
カウンセラーとは、人様の相談に乗る仕事である。
人様の相談に乗るからには、ある程度、少なくとも何らかの分野においては、課題を乗り越えていなくてはいけない、成功していなくてはいけない、自分自身が癒されていなければいけない。
カウンセラーとはどこか、達観した仙人であるべきようなイメージがありました。
自分自身が何も達成していなくて、成功体験もないのに、人の相談を聞いて、「それはこうですよ、こうした方がいいですよ」なんて言うのは、説得力がなく、机上の空論感が否めない気がしていたのです。
私はというと、このグループメンバーの中で唯一の独身。婚活成功体験もなし。結婚歴なし、だから夫婦の危機も乗り越え経験もなし、子育て経験もなし、これといったライフワークをみつけられた訳でもない、壮絶な生い立ちもない。
そんな人が、婚活女子の相談に乗るとか、子育てのアドバイスするとか、ライフワークの見つけ方をレクチャーするとか、虐待の辛さを癒すとか、ちゃんちゃらおかしいでしょ。
勢いでこの講座に参加したものの、最近冷静になって考えると、
「うん?何で申し込んだ?私できることある?」という思いに至っていました。
この質問への師匠の返答は、
「何者かになろうとする必要はない。今から何者かになろうとするとしんどい。自分が何者であるかを知る方がいい。」
というものでした。
一字一句覚えていないので、私なりの解釈を書くと、
何かすごいものを身に着けて、すごい何者かになろうとするのではなく、もうすでにみんな何者かであるのだ。
何か偉大な功績をあげていなくても、これまで上手くいかずに悩んできたこと、それについていろいろ考えて調べてきたことなどがそれぞれにあるだろう。
それはその人の膨大な経験や情報、財産になっている。
今から何者かになろうとするんじゃなくて、自分はすでに何者かである。それを知っていく方がいい、
というようなことになると思います。
伝わるかなあ。
名言。
これは根本語録(いなこ編)のタイトル候補にエントリーです。
ありのままの自分を……って、こういうことなんだな。
自分には大したものがないと思っているから、何か知識や技術を身につけなきゃ、と思うけれど、すでにある自分というものを知って、それを生かしていく。
昔に比べると、そういう風に思えるようになっていたつもりでしたが、やはり新しい挑戦をしようとするとまだまだ、自分の足りないところを補強しなきゃ、できるようにならなきゃという思いに駆られがちだなあと思いました。
そして師匠は、
自分が何者であるかは、周りの人は結構知っているものだ、とも。
みんな自分は普通だと思いたがるけど、普通じゃないんだよねと。
はい……きっと私もこれといった特徴のない女だと思っているけれど、周りから見たら、なかなかに変な女なんでしょうね(笑)。
何者かになろうとするのではなく、何者であるかを知る。
他の人を見て、「あんな風にならなきゃ」と焦って、別の何かに変身しようとするんじゃなくて、
自分は何が好きで、
何が嫌いで、
どんなことに悩んで、
何に時間を費やしてきたのか、
財産を費やしてきたのか、
情熱をかけてきたのか。
自分の中では当たり前すぎて、意外と気づいていないこと。
そんなことを知っていくことが、自分を生かすことにつながっていくのかもしれない。
これは、カウンセラーを目指す人に限らず、友達みんなにもシェアしたい名言だなと思ったので、自分の備忘録もかねて記しておきます。
これから、グループメンバーや弟子仲間が互いに鏡となり、それぞれ自分を知っていくのかなあ。
いよいよ今週末に第1回の講座。
楽しみです。
みんなよろしくね。