5月から新しい職場での仕事が始まって、ちょうど1か月ほど経った。
緊急事態宣言もあり、ゴールデンウィーク明けに勤務しだしたので、ほんとにちょうど1か月だ。
前の職場は、上司や先輩たちには、新人の頃からみてもらっていたという点で、何となく、全面的に甘えられていたような気がする。
いや、実際の言動的に、特別甘えていたわけではないと思うけれど。
何もできなかった最初から知ってもらっているということで、自分の気持ち的に、何となく親元にいる子どものような安心感があったのかもしれない。
そして、最初の方から一緒に働いていた、近い後輩たちとは、お互い異動したりして、最近はほとんど離れ離れになっていたけれど、私が辞めることを寂しがってくれていた。
「ありがとう。でも寂しいって言っても、実質、日常業務では今、ほとんど会うことないやん?」
「でもやっぱり、ここの組織にいてくれてるってだけで、安心感があります。」
そっかー。
そういうのもありなのか。
一緒にいなくても、何か直接してあげられていなくても。
そういう貢献の仕方も、ありだったのか。
毎年、新人を迎えいれて、教える側だった。
仕事の技術といった本質的なこと以外にも、ほんとに小さな、トイレはここ使ったらいいよ、とか、この書類はあの人に渡したらいいとか、ほんとにちょっとしたことも。
そして、ルールや慣習の背景にある歴史や、それを作った上の人たちの思いなど、表面上にはどこにも載っていないこと。
そういうことを、若い人たちに伝えて、上と下をつなぐ役割をしていた。
心もとなさそうな後輩たちが、できるだけほっとできるように、自分でも心がけていたように思う。
最近、大したことしてあげられてないなあと思っていたけど、それでも、ランドマーク的な存在にはなれていたのかもしれない。
あの人がここにいてくれる。
とりあえず、あの人に言ったら大丈夫。
活発に動いてはいないけれど、おなじみの目印を見ると安心するというような、ランドマーク的存在に。
古株で、待遇がいいからってずーっと居座ってるやつ、みたいに下の人たちから思われているんじゃないかという気もしていたけれど、辞めるときになって、そういうのもありだったんだなと知った。
やっぱり自己肯定感が・・・・・・(笑)
えーと私、何言ってるんやろ?(笑)
うまく説明できるようでできない(笑)。
今日はすんごい自分ほめてるやん。
いつもか(笑)。
転職にあたっては、待遇など、自分ではどうしようもないと思われることは、とても心配していた。
一方で、新しく人間関係を作ることにはあまり苦手意識がなかったので、前の職場の人たちと仕事仲間でなくなるのは寂しいけれど、転職先で人間関係を築いていくこと自体には、あまり不安はなかった。
「仲間」と呼びたくなるほどの人ができるかどうかはわからないので、寂しくは思っていたけれど。
実際、新しい職場の人間関係も良く、ざっくばらんに話せる人たちで、上司とも冗談を言い合えるくらいにはなっている。
仕事の内容自体は経験者だし、「即戦力が来た」と喜んでくれている。
でも、今の職場の慣習的なことは、まだまだ分からないことが多い。
新しく人間関係は築けても、新しいところでは、みんなのランドマークにはなれないかなあ。
古株には古株の良さもあるんだなあ。
「みんなのランドマークでいる」、それが私に適した役割だったのかもしれない。
新人の頃からいたからこそ、築き上げられたポジション。
新しい関係は築けても、もうあのポジションは手に入らないのかもしれない。
人間関係は心配していなかったから、逆に、そんな落とし穴があるとは思わなかったよ。
だけど今の職場の研修が始まった頃、妹に、「前の職場が恋しい、寂しい」と言っていたら、
「前の職場の文句、結構言ってたやん。」
と言われた。
「うそ?そんな言ってた??」
そうね、なかなか変化しようとしないこととか、言ってたね(笑)。
総合したら、すべてが好きだったのは本当だけど、これでいいのかのモヤモヤはあったな。
思っている以上に、思い出は美化されているのかもね(笑)。
後輩がスマホに送ってくれた、前の職場で撮った最終勤務日の記念撮影の写真を見ていたら、
「そっか、めんどくさいこともあったよな」と思い出した(笑)。
うーん、何が言いたいんやろう(笑)。
まあとにかく、大丈夫ってことだ(笑)。
特に学びのない、とても個人的な振り返りになってしまいましたね。
ごめんなさい。
いや、いつもか(笑)。
タイトルとも内容も、合っていないな。
でももう、疲れちゃった(笑)。
いつも読んでくださって、本当にありがとうございます。