特別な苦悩はないように思うのに、なぜ私は生きづらいのか、思い当たるその原因を少しずつぼちぼちと探っていきたいと思います。
今日はその1つめ。
私の父は、以前書いたように、
「それはそれで、俺の人生やから。」 これでいい、これがいい。 - カウンセラー いなこ
7歳で父を亡くし、母(私の祖母)と、姉と、弟の家庭で育った。
貧しく、祖母も必死で仕事をしていて、寂しい少年時代を過ごしたようだ。
祖母は、女手一つで、3人の子どもを必死で働いて育てた。
割とちゃきちゃきテキパキしている方だと思う。
着るものやインテリアなどについて、特別おしゃれとか、芸術的なセンスがあるというわけではないが、こぎれいにしている人、不潔が嫌な人、すぐに片付けたがる人、時間を守る人、せっかちな人、周囲に気は遣える人、私の中ではそういうイメージの人だ。
父も叔母も、そういうところは似ている。
一方、私の母は、4人きょうだいの末っ子、上は兄3人。
末っ子かつ、たった1人の女の子。
姫ポジションだ。
祖父母は商売をしていて、比較的裕福に育ったようだ。
母の時代で、ピンクのランドセルを持っていたと言っていた気がする。
娘時代に、勉強学校に行っていたり、お茶もお花も日本舞踊も習っていた。
きょうだい全員、私立の大学に行っている(母は短大)。
祖父母はまじめに働いていたが、自営業のため年中忙しく、兄たちが遊びに連れて行ってくれたり、親代わりのような感じだったようだ。
「おじいちゃんは働き者だった」、「おじいちゃんとおばあちゃんはすごく仲よくて、一緒にお風呂に入っていた」など、母は自分の実家のことを恥ずかしげもなくよく褒める。何度も同じことを言う(苦笑)。
母の家系は、叔父たちも、割とおっとりしていてマイペースなタイプ。
ガツガツ感のある人はいない。
早期退職して兵庫の山に土地を買って別荘を建て、自分で暖炉を作ったりピザ窯を作ったりして、ほとんどそこで過ごし、絵を描いたりして楽しんでいる叔父、骨董品を扱う仕事をしている叔父など、ムードを大事にする穏やかな人が多い。
親戚が集まった時、両家の違いは明瞭だ。
父方の方は、従兄弟たちもガテン系の仕事をしている人が多い。
多いっていうか全員だな(笑)。
従姉妹の夫もそうだ。
私の父も、ブルーカラーの仕事。
何か趣味を極めるというタイプの人たちではなく、父方のいとこ家族が集まったときは、みんなお酒を飲んでアホなことを言って笑う。
男たちは、無駄に声が大きい(笑)。そして最終的に、酔い潰れて寝る。
男性陣は特に、花より団子の人たち。
そんな感じだ。
母方のいとこ家族で集まった時。
声量は控えめ。
話嫌いの人たちではなく、朗らかではあるが、我も我もと、ワーッとしゃべってガハハと笑うタイプではない。
父方の叔父は、「いなこー、こっちこんかー!」と大声で呼んでくるのが小さい頃怖かったが(笑)、母方の叔父たちは、「いなちゃんは学校でどんな勉強してるの?」と穏やかに会話する感じだった。
風流を愛する人たち。
2つの家族の集まりの雰囲気は対照的。
そんな2つの家系の、あいの子として生まれた私は、どちらの会の雰囲気も好きである。
おかげで私は、ガテン系な人、ハイソ系な人(母方がそんなにハイソサエティなわけではないのだけれど、父方と比べると、という意味で・笑)、どちらとも抵抗なく付き合えるのは、よかったなと思っている。
しかし。
ムードより効率を重視する実利主義で、せっかち、気配りする姑と、
ムードやセンスを大事にし、おっとりしていて、実家をとても褒める嫁。
合わない。
合うわけがない。
そう、うちの母と祖母、嫁姑関係は、悪かった。
祖母も好き、母ももちろん好き、だからこそその間で、微妙な空気をうかがってしまう自分がいた。
嫁姑問題、そしてそれ自体よりもっと根本的な問題、嫁姑問題の奥にある真の問題から派生した、私のいやぁな思い出を、まずは掘り下げていこうと思う。
その3へ続きます。