'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

私は何のために生きているんだろう。

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私は何のために生きているんだろう。

 

生まれてきた意味を知りたい。

 

 

そんなことを思っていました。

つい最近まで。

 

 

何のために生まれてきたのだろう。

いつまで生きるかわからないけれど、人生80年として、それまでに襲いかかるあらゆるリスクをかいくぐって、生活費を稼ぎ続けて。

無事に生き抜けるのだろうか。

 

生き抜いたとして、働いて、生活のことをして、たまに少しだけ楽しんで、生き抜くために生きている、そんな人生って何なんだろう?

 

生まれてきた意味ある?

生きてる意味ある?

 

 

生きている限り、頑張らないといけないこと、病気や事故のリスク、自分が生きていけるだけのお金、できれば少し楽しめて贅沢できるだけのお金を稼ぎ続けること、それらをえんえんとこなし続けなければいけない。

 

そんなことを思うと、これからの人生の時間の長さに、圧倒される感じもしていました。

 

生きている限りずっと追い立てられて、生きていくハードルから解放されない。

 

 

 

そんなしんどいばっかりの人生なんておかしい。

もっと素晴らしい人生があるはず、何かわたしには使命があるはず、生まれてきた意味があるはず。

 

今回の転職には、そんな思いが原動力の一部になったところも否めません。

 

 

そして、今年の5月から、カウンセラー修行として参加した、カウンセラー根本裕幸お弟子さん講座。

カウンセラー修行と並行して、または一環として、自分と向き合うこともしてきました。

 

私は、多少自覚はあったものの、それでも自分が思っていた以上に、我慢をしてきたし、自分を否定してきたということに気づきました。

 

この4ヶ月ほどで、師匠の講座本体はもちろん、出される宿題、出会った仲間たちとのやりとり、先輩たちを始めとするカウンセリング、そんなものが積み重なって、一進一退しながらも、少しずつ少しずつ、自分が見えてきました。

 

そして、今まで感じていた、「これからの人生に圧倒される感じ」が、なくなってきていることに気づきました。

 

ほんのつい、最近のことです。

 

 

 

それは、自分はこのままでいい、今はどう見えても、必ずいい方へ向かっていっている、その流れを信じて、目の前のことをやっていればいい、そう思えるようになったからだと思います。

 

 

そして、そう思って周りを見れば、この世の中には、楽しいことがたくさんあった。

それに気づいたら、いっぱい幸せはあったんです。

膨大な時間やお金がなくても、今すぐに味わえるものがたくさん。

何も大きなことを成し遂げなくても、そういう小さな幸せを積み重ねれば、それは立派な幸せな人生である、そんなふうに思えるようになったことも、大きいと思います。

 

私の小さな幸せって、近場に旅行に行くとか、映画を観て非日常を楽しむとか、カフェでぼーっとするとか、お風呂に入ってベッドでホッとして本を読みながら寝落ちするとか。

その程度でいいんです。

 

 

以前は、何かを成し遂げなければ、だれの目にも見える立派な結果を出さなければ、すごい人にならなければ、、、、そんな思いが強かったのです(慢性的中二病)。

 

だから、何もこれといって成し遂げていないのに、ちょろっと楽しいことがあったって仕方ない、その程度で喜んでいても、人生が偉大でなければ何もならない、そんなことに満足してかまけていないで、もっと人生を改善しなくてはいけない、そんな風に思って、実は前からいっぱいあった楽しみに、気づけていなかった、味わい切れていなかったんだと思います。

 

 

だけど、目の前のささやかな幸せをたくさん見つけられるようになったら、人生には、たくさん楽しいことがある、やってみたいことがあるということに気付きました。

 

そしたら、私が生まれてきた意味は?私の使命は?なんていうことが、あまり気にならなくなっていたのです。

 

 

 

根本師匠は、人生に起こる苦も楽も、魂が味わいたくて楽しみたくて生まれてきたという意味で、この世に生まれてくることを、魂のアトラクションというような表現をしていますが、まさにそれに近いのではないかと思います。

 

 

アトラクションとはすなわち「楽しませるもの」といった意味合いですが、遊園地の乗り物などをアトラクションと言ったりします。

 

 

ディズニーランドに行くのに、意味を求めない、

「ためになるから」という理由でUSJに行かない。

 

何のために来たんだろう?じゃなくて、

ただただ、楽しみに来たということ。

ただ、楽しいから行く。

ただ、行きたいから行く。

それだけ。

 

 

それと同じで、ただ、楽しいから生きている。

生きて、経験すること自体が、おもしろい。

意味なんて、わざわざ考えない。

ただ、やってみたいことがいっぱいある。

 

そんな風に感覚が変わりました。

 

 

 

でもそれを、以前の私に言っても、絶っっ対、納得しないだろうなあ。

 

このままで満足しろってこと?

こんなの満足できない!

何も成し遂げていないし、何者にもなれていない。

私はもっとすごくなりたいの!

なれるはず!

このままで終わりたくないの!

私には使命があるはず!

生まれてきた意味があるはず!

 

そう抵抗したと思います(笑)。

 

 

いや、一周回って、生まれてきた意味はそれぞれにあるのかもしれません。

今でも、あってほしいのは、あってほしい。

その方が夢あるしね(笑)。

 

でも、意味がなくても、生きること自体に楽しみが増えると、そこにこだわらなくなる。

 

 

 

何かすごいものにならなきゃ!という焦りからがんばるんじゃなくて、このままではいけないという現状否定から変わろうとするんじゃなくて、今を楽しんだ上で、またおもしろいことに挑戦していく。

 

それは本当に心が楽で幸せなことだなあと思います。

 

 

 

こんな風に書くと、幸せなことばっかりで、あいつ、急に達観しよったなと思われるかもしれませんが、そうでもありません(笑)。

今日は、せっかく朝のバタバタした時間に洗濯物を干して出たのに、夕立に降られてイラッとしました。

帰って来たら止んだ後で、きれいな青空。

人の洗濯物濡らしといて、自分だけすっきりしてんじゃねーよ!(怒怒怒)(空に怒る・笑)

 

こういうのも、生きているからこそ味わえる経験。

アトラクションの一部なんですね。

 

 

なーんて思えるほどには悟っていませんが(怒怒怒)。

いろいろと不足も問題もありますしね。

ええ、ええ、アトラクションてんこ盛り(笑)。

 

それでも人生が、だいぶ気楽にはなった気がしています(笑)。

そう、前より気楽になった、とりあえずその程度で、先のことに圧倒される感じがなくなったということがうれしいだけです。

やっとベースが整った、さあ、これから攻めの人生が始まるぞ、と。

って大きく出てしまうのも、反動がきそうでまだ怖いくらいですけど(笑)。

 

 

 

今、何のために私は生まれてきたんだろうと不安や絶望の中にもいる人も、今の私くらいの安心感には、きっとたどりつけます。

何せこの私がたどり着けたんだから(笑)。

生まれてきた、という点では、あなたも私も他の人も一緒ですしね。

 

よかったら、ともに気長にやっていきましょう。