【ご相談】明らかに親の育て方が悪くて私が苦しんでいるのに、私の方が親を許すなんて理不尽じゃないですか?―「許す」より「知る」ことから始めてみる―
全国的に雨がすごいみたいですね。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
私の住む地域は、大雨ではありませんでしたが、昨日今日と雨の影響で涼しかったです。
大雨の地域の方はお気をつけください。
さて、「幸せになるために、人のせいにするのをやめましょう」、「被害者でいるのをやめましょう」なんてなことを、心理学界隈ではよく言われます。
たしかにそうなんだろうけど、明らかに相手が悪いのに、自分ばかりが我慢して、自分ばかり許すなんて、まじめに人に優しく一生懸命生きている自分ばかりが損している気になりますよね。
「許す」ということばに抵抗があるなら。
まずは、「理解する」から始めてみてはいかがでしょうか。
ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。
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どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)
【ご相談】母への愛と憎しみ
幸せになるためには人のせいにするのをやめましょう、被害者をやめましょうと心理学界隈では言われていると思います。
でも、私が不幸な人生を送る羽目になったのは母のせいなのに、なぜ私が許さないといけないのでしょうか?
母が子どもの時から愛してくれていたら、やることなすこと否定せず、受け入れてくれていたら、何もかも私のせい、私が悪いと非難し続けなければ、もっと自己肯定感が育ったはずです。
必ず自己肯定感が上がったとは限らないけど、今よりマシだったのではないでしょうか。
親から愛されて育った人が羨ましいです。
子どもの頃から否定され続けて、存在価値を見出せないまま成長し、生きにくくなったのは母のせいです。
それなのに、なぜ私が?
母のせい、というのをやめましょうと言われても…思考はわかっていても、感情が納得しません。
母には、子どもを不幸にした罪を背負って生きてほしいです。
ただ、恨み以上に母への愛があり、私の人生の中心であり、心の中心というか、大部分を占めているといっても過言ではないと思います。
母への恨みだけなら縁を切るとかできるかもしれませんが、愛があるので余計ややこしいです。
今までの事は許すことにして、優しくすることもできないし、愛と憎しみの板挟みで、この感情をどうしていいか分かりません。
りんさん
【いなこからの回答】
りんさん、このたびはココロノマルシェへご相談をお寄せくださりありがとうございます。
いなこと申します。よろしくお願いいたします。
さて、お母さんの育て方が悪かったのに、
反省すべきはお母さんの方なのに、
なぜ私が許さないといけないのか。
そうですよね、感情的にはそう感じるのはもっともだと思います。
でも冒頭にりんさんが書いておられるように、
>幸せになるためには人のせいにするのをやめましょう、被害者をやめましょう
というのがやはり、おすすめではあるのです。
お前もやっぱりそんなきれいごとを言うか!と思われたかもしれませんが、
ちょっと聞いてください。
私は車に乗るのですが、運転していると、時には、無理な追い越しや割り込みをしてくる車もあります。
そういう時、イラッとするんですね。
自分さえよければいい、みたいな品のない運転手に。
何より危険ですしね。
だけど、もしかしたらその運転手は、親が危篤で急いでいるのかもしれない。
急病の子どもを乗せているのかもしれない。
産気づいた奥さんを乗せているのかもしれない。
う〇こが漏れそうなのかもしれない。
事情は外からはわかりませんが、何かやむを得ない事情があるのかもしれないんですね。
ほんとにただの品のない運転手なだけの可能性も大いにありますけどね。怒
そう考えると、
「まあ何か事情があるんやろ。ほっとこ。」
と苛立ちが引いていきます。
>幸せになるためには人のせいにするのをやめましょう、被害者をやめましょう
というのは、これに似ているんじゃないかと私は思うんですね。
すっごく嫌なことしてくるやつだけど、
そんなことをするようになったのには、
何かやむを得ない事情があるのかもしれない。
その事情を知ったら、
「あーなるほどね、そういう経緯があったわけね」
と、自分の怒りが少し減ります。
事情が理解できれば、無理に怒りを抑えつけるのでなく、自然にスーッと引いていくんです。
で、結果、楽になるのは、幸せになるのは、自分なんですね。
そいつのことを考えて、イライラする時間が減るのですから。
そいつを理解するのは、
そいつに優しくあるためではなく、
自分が気分よくいるためです。
りんさん、「許す」ということばに抵抗があるなら、「理解する」でいいです。
お母さんに、りんさんのやることなすこと否定されてきたんですね。
それはおっしゃる通り、りんさんにダメージを与えたと思います。
ただ、お母さんが、そんなふうになったのは、なぜなのか。
お母さんの生い立ちは、どんなふうだったのか。
お母さんは、子どもの頃、愛されていると感じられていたのか。
お母さんが子育てをしているときは、どんな状況だったのか。
お母さんのキャパシティはどのくらいなのか。
その辺りを、あらためて知ってみてはどうでしょうか。
もしかしたら、お母さんもあまり愛を感じられず育ったのかもしれない。
子どものりんさんには見えていなかったけれど、子育て中の状況が、かなりシビアだったのかもしれない。
そもそも、キャパの小さい人で、子どもに優しさを表現する余裕ががんばっても持てない人だったのかもしれない。
そういうことがわかれば、もしかしたら、
「ああ、お母さんなりに必死だったんだな」
というくらいには思えるかもしれません。
もちろん、りんさんが辛かったこと、得られなかったものをそれでチャラにしろというつもりはありません。
しかし、お母さんへの理解が進むにつれて、
りんさんの怒りが、自然と少しずつ減っていく可能性はあります。
りんさんはおいくつなのかわかりませんが、
自分が大人になるにつれ、子どもの頃は完璧に見えていた親も、
普通の人間だったんだなあと気づきます。
私は独身ですが、母が私の今の年の時、計算すると、私はもう15歳でした(^^;
「四十にして惑わず」なんて言いますが、私は今も絶賛惑いまくりだし、
それを思うと、うちの母にも不満はありますが、よくやってくれていたなとも思います。
大人になったけれど、完璧ではない自分。
大人になったけれど、完璧ではなかったお母さん。
対等な大人同士として、お母さんのことをあらためて知ってみてください。
無理に許す必要なんてありません。
ですが、お母さんのことを知っていくうちに、お母さんへの見方が変わるかもしれない。
癒しとは、ものの見方が変わることです。
「自分を苦しめるようなことばかりしていたお母さん」から、
「あれがお母さんの精一杯の子育てだった」
「あんなんでも、お母さんなりに愛してくれていたようだ」
「お母さんも気の毒な生い立ちだったみたい」
「うまく愛を表現できずに、実はお母さんも苦しんでいたようだ」
ということが見えてきたりするかもしれません。
そのとき、りんさんの、お母さんに対する見方が変わり、癒しが起こります。
ただ、自分の中に湧いた、お母さんに対する怒りは、無理に抑えなくていいですよ。
それが湧いてくるうちは、怒っていてください。
遠慮せずに怒り、悲しみ、その気持ちに寄り添ってください。
りんさんが、りんさんの1番の味方でいてくださいね。
>母への恨みだけなら縁を切るとかできるかもしれませんが、愛があるので余計ややこしいです。
と書いていらっしゃいますが、それは当然のことです。
人はどうでもいい人に、そんなにエネルギーを注ぎ続けられないですから。
いくら執念深い私でも、危険運転の運転手のことを、さすがに1年を通して恨み続けることはできません。笑
大事で関心があるからこそ、長年憎みもするのです。
正か負か、ベクトルは違っても、
愛の大きさという絶対値は同じということです。
だから、お母さんを知ること、理解することも、
りんさんにはできるのではないかな。
お母さんを理解できれば、
お母さんへのこだわりも薄らいで、
りんさんはもっと自由になられると思います。
と、口で言うのは簡単ですが、実際には感情も絡んでなかなか手ごわいので、カウンセリングもぜひご利用くださいね。
お母さんへのこだわりから離れて、自由に生きましょう(^^)
ずっと応援しています(^▽^)
ご相談ありがとうございました!!!
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▽いなこの雰囲気はこんな感じです。
「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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