'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

「責任は俺が取る、好きなようにやってみい。」と自分に言ってやる。

「責任は俺が取る、好きなようにやってみい。」と自分に言ってやる。

 

 

 

進級YOーHO!

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

新年度ですね。

全国の進級できたみなさま、おめでとうございます。

できなかった人は、人生のモラトリアム楽しんで!

 

頭の、「進級YOーHO!」っていうフレーズ。

 

大阪のFM802というラジオ局のDJ・中島ヒロトさんが好きなのですが、

番組内でよく、

「新旧洋邦問わず、リクエストお待ちしてます」

と言うんですね。

 

いわずもがな、

「新しい/古い、洋楽/邦楽問わず、リクエストしてください」

という意味です。

 

その「新旧洋邦」を「進級YOーHO!」と勘違いしたリスナーの人がいて。

 

それはどういう時に使うんだ?

「オレ進級できるかな?大丈夫かな?」と心配してたけど、何とか進級できたとき

その喜びを、

「進級YOーHO!」(ラップ調・両手のフリ付き)

と言うのか?

そんなことば、一生のうちに数回しか使う機会ない。

 

ヒロトさんが小芝居しながら激しくつっこんでいたのがどうにもおもしろくて。

その勘違いしたリスナーさんの思考回路もおもしろい。

どうやったらそんなことになるわけ?最高。(笑)

 

もう何年も何年も前のことですが、おもしろすぎて、今日こそそのフレーズを使う日だと、あたためておりました。

満足。

 

 

と、どうでもいい前置きを長々いたしましたが。

 

転職してよかったのかどうか、という話を相も変わらず書いていた私ですが、またまたふと、時を戻して考えたんです。

 

 

そもそも私は、高校のとき、心理学という学問を知って、カウンセラーになりたいと思って、大学では心理学を専攻したんですね。

 

だけど、当時は、カウンセラーという仕事は、なかなか正社員は少ないよという話を聞いたりして、大学出てまで正社員になれないのはないなと思い、心理学と少し関連のある医療職に就いたんです。

 

そのときは、夢を諦めたー!とかいう喪失感も特になかったんですね。

いろいろとこまごまその理由はあるのですが、学んだことである程度満足したのもあったし。

 

そして何より、仕事を甘く見ていた。

甘く見ていたというよりは、正確には、

自分にとって、仕事に、心からおもしろい!と熱中できることが、こんなに大事だなんて、知らなかったということです。

条件さえそこそこよければ、何でもやれるだろうっていう感じで思っていました。

 

正社員になって、それなりの地位と稼ぎを打ち立てることが、1番大事なことでした。

と、こんなふうに、自分の中で、はっきりことばになるほど意識はしていなかったけど、結局そういうことだったのだと思います。

 

 

たしかにそこそこまではやれたし、今の医療の仕事にも好きな要素はあります。

でもやっぱり、心の勉強の方が、無限にやれる(笑)。

仕事のために勉強しなきゃ……じゃなく、勉強したい!もっと知りたい!っていう感じ。

 

 

そして逆に、今の医療の仕事の同僚の中にも、

私が心の勉強を、義務感からでなく、したい!もっと知りたい!と感じているのと同じように、

医療の仕事に対して、そのように感じて情熱を注いでいる人も当然いるわけです。

 

そういう人を見ていると、義務感や生活の糧のためだけに働いている自分はかなわないと思うようになりました。

 

いや、かなう必要もないし、自分が、仕事は生活のため、その仕事に最低限の研鑽を義務としてする、ということに納得できるなら、まったく問題ないことだと思います。

そんな人もたくさんいました。

 

だけど私は違った。

自分も、もっと情熱を注げるフィールドに行きたいと思うようになりました。

 

 

時を戻して考えれば、高校の時心理学を知って、それができる大学に行って、というところまでは、純粋に、「したいこと重視」で来ていたんです。

 

それがいざ、現実的に、「仕事」、「お金を稼ぐ」っていうところに来ると、条件を取ったんですよね。

 

 

今回の転職にまつわる一連のことは、条件より、したいことを取ったわけです。

 

昔の自分の選択基準に、戻ってきたわけです。

 

だから、これでよかったのかな、やっぱり。

 

 

たとえば、したいことがあったり、いい企画があるのに、親や会社が、

それはお金の面で無理!

予算的に無理!

と頭ごなしに一点張りだと、目先のお金のことしか考えない考え方を残念に思うし、やる気をなくしてしまうと思うんです。

 

そうじゃなくて、

「責任は俺が取る、好きなようにやってみい。」

とか言ってくれる上司だったら、どれだけのびのびがんばれるか。 

自分を信頼してくれている人がいるということも、すごく自信になります。

 

自分が条件重視のときは、前者のような対応を、

リスクを負うかもしれないけど、したいことをやってみようというときは、後者のような対応を、

自分に対してしているとも言えるわけですよ。

 

自分に、

「責任は俺が取る、好きなようにやってみい。」

って言ってあげたらいいのかな。

そしたら自信持って、はりきれるのかもしれない。

 

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私は、最初に就職するとき、深く考えず、条件を優先して仕事を選んだ。

それを経験した上で、やっぱり私はやりたいことを優先したいと思った。

それだけのこと。

 

どうも何でか悪いことをしてしまった気がしていたのです。

罪悪感。

後悔。

損をする。

だいぶ前の職場を辞めた不安もさみしさも薄れてきたのですが、あともう少しというところで、そんなことが最近のテーマでした。

 

だけど。

私は何も悪いことをしていないよね。

 

間違ったことをしたかもしれないし、要領悪かったかもしれないし、損をしたかもしれないけど、

「責任は俺が取る、好きなようにやってみい。」

って、自分に言ってあげたらいいよね。

 

 

 これでよかったのかな。

 

うん、また、これでよかったと1つ思えました。

 

 

 

 ▽責任は俺が取る。好きなようにやってみい。と自分に言ってあげる。

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