'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

心配より信頼を。心配は愛情からではあるけれども、否定のメッセージともとれる。

心配より信頼を。心配は愛情からではあるけれども、否定のメッセージともとれる。

 

 

 

 お酒飲んだ次の朝は、どうやったって喉カラッカラです。

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

昨日は8時に解散すべく、夕方早めに待ち合わせて、友人と食事に行きました。

 

ちょっとおしゃれして、出かけて、おいしいものゆっくり食べて、お酒飲んで、のんびり話して、こういうことが私には必要だなあとあらためて思いました。

 

何にも追われず過ごすっていうのが、この上なく幸せなんですね。

こういう時間が持てるなら、もう人生これでいいのかもとも思えてくる(笑)。

 

今厳しい状況にあるけど、そういう時間と空間を提供してくれる飲食店さんにも感謝です。

 

にしても、飲んだ日は大めに水分とるようにしてるのに、それでも朝起きたら喉カラッカラになってますね。

ぜんぜん無茶飲みしてないのに。

アルコール分解に要す水はとてつもないんだなあと感心。

何の感心。

 

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さて、男性には、「心配より信頼」なんてよく言われます。

 

男性は、苦境に立たされたとき、

「大丈夫?」と心配していたわられるより、

「あなたなら大丈夫!」と信頼される方がうれしいのだ、と。

 

 

これって、性別問わず、当てはまることがあるんじゃないかなあと考えておりました。

 

もちろんシチュエーションによっては、

「『あなたなら大丈夫!』ってのんきな!

もっと心配してよ!親身になってよ!助けてよ!」

ってこともあります。

 

だけど、

自分でもこわごわながら、それでも何かに挑戦してみようと決めたとき、

誰かの

「大丈夫?」

という心配は、時にその決意を揺るがしにかかります。

 

 

そういえば、うちの親は、心配が結構多かったのかもと思いましてね。

 

何か大変そうなことをするとき、

変わったことするとき、

私は大変そうなことも変わったことも、大してしてない方だと思うのですが

母は、はっきり反対こそしないものの、

隠しきれない心配顔(笑)で、

「大丈夫なん?」

と聞いてきていた気がします。

 

母は、はっきりきつくは反対はできないタチなんです。

だけどそれはもう、実質「反対」みたいなものですよね(笑)。

 

 

父は父で、帰りが遅いとか、事故とか、「身の危険」ということには心配症だったので、ちょっと危なそうなことには、やめとけと言う方でした。

 

でも結局、「いなこは言っても聞かない」と言われていましたが(笑)。

 

心配させるのが辛いし、こっちも余計に不安を煽られるから、ある程度すべてが落ち着いてから、事後報告が多かったなあ。

 

 

だからかなあ、私は、

新しい挑戦とか、

自分が決めたことに、自信を持ちにくいのかもしれない。

 

「やってみよう!」というワクワクより、

挑戦できたことをたたえるより、

 

「本当に大丈夫かな?

本当にこれでよかったかな?

まちがったことをしたんじゃないか?

悪いことをしたんじゃないか?

取り返しのつかない、大変なことになるんじゃないか?」

という心配や罪悪感が先に立ってしまう。

 

 

親のことばがけプラス、遺伝もあると思います。

心配しやすい性格の両親だから、遺伝的にも似るし、

そういう親だから、ことばがけもそうなるし。

相乗効果ですよね。

 

 

もちろんこれは、私が親にとって大事な存在であるからこそのことだとはわかっています。

だからこそ、その「心配」が、ある意味自分の足かせになっているなんて最近まで気づかなかった。

 

 

人に対して心配するというのは、

相手の身を案じて、

安全でいてほしい、

苦労させたくない、

辛い思いをさせたくない、

という愛情からのものでもあります。

 

だけど、場合によっては、

「あなたは大丈夫じゃない」

という否定のメッセージともとれます。

 

そして、心配していたことが実際に起こってしまったとき、

それを見ている自分が辛くなるから、そうならないようコントロールしたい、という気持ちの表れとも言えます。

ヤな言い方ですが。

 

 

相手を信頼する。

どんなことがあっても大丈夫。

この人の決断を信じる。

 

これって、言うは易しだけどやっぱり、

身近で大事な人にほど、心配はしてしまいがちです。

 

たとえばもし、甥っ子が大人になって、

「傭兵にオレはなる!」

とか言いだしたら、私はやっぱり心配して反対すると思う(笑)。

それがどんなに甥っ子の子どもの頃からの夢であったとしても。

 

 

傭兵志願ほど極端なことじゃなくても(笑)、

たとえば、

成功する確率の低そうな、「ミュージシャンになる」とか、

タコ殴りにされそうな、「ボクサーになりたい」とか、

万が一事故したら死亡事故となる確率が高そうな、「バイクに乗りたい」とか、

「一般的」ではない、中学を卒業したら高校行かずに働くとか、

経済的にも労力的にも大変そうな、シングルで子どもを産むとか、

 

そういうことを、身内が「したい!」と言い出したとき、

心配より信頼をとれるかって、なかなか難しいことではあると思います。

 

もちろん、それを聞いた人の経験や価値観によって、どんなことを心配するかは変わってくると思うのですが。

 

 

心配される方も、

心配してくれる人のその心配を、愛情として受け止めて、

「それでも私はやるの」

という自己信頼を試されるときでもあります。

 

心配をうっとうしがるのでもなく、

それに揺さぶられるのでもなく、

避けて事後報告するのでもなく。

 

心配する方もされる方も、自分の中にある恐れに向き合うとき。

 

 

いやあ、言うは易し、行うは難しだよ(笑)。

 

 

 

ただ最近、自分を信じられないと、ほんとに何もできないなと思っています。

 

「これでいいのか?」

「自分には無理なのでは?」

と、自分を疑いながらでは、本当に何をやるにも身に入らない。

 

結局、自分を疑った分だけ、成就もできないんです。

あなおそろしや。

 

 

私は、これからの人生後半戦では、できるだけ自分を信じてみようかなと思い始めています。

 

 

今まで、ちょっと自分をちっぽけに扱いすぎたのかもしれない。

 

自分を信じられずに、

心配ばかりして、

小さな枠にはめて生きてきたから、

'それなり感'が拭えなかったのかもしれない。

 

 

 

自信のないあなたへ。

後悔しているあなたへ。

 

あなたが決めたこと、したことを、心配するより信じてください。

誰が信じてくれなくても、あなただけはあなたを信じて、1番の味方でいると決めてください。

今は思うような結果が出ていなくても、まだ道の途中。

 

私も一緒に、自分を信頼することがんばります!

 

 

いきなり自分を信頼するって難しい……というときは、自分は信じるに値するという証拠を集めに、カウンセリングに来てくださいね(^^)

全力援護射撃させていただきます!!!

 

 

 

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