終わりは始まり
またまた澪を飲んでごろっとしたら、うたたねしちゃってました。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
眞子さまがご結婚されましたね。
おめでとうございます。
ネットニュースか何かの、‘眞子さまが秋篠宮家を出るときに、佳子さまと抱き合って……’みたいなタイトルを見て、それだけでちょっと涙が出てしまいました。
妹が結婚する時のことを思い出して。
ずっと一緒に暮らしてきた姉妹、結婚はおめでたいけれど、さみしさもあるだろうなあ。
妹が結婚する2ヶ月ほど前に、家族旅行に行きました。
父の定年の慰労のために、妹とちょっとずつ家族旅行のお金を積み立てていたんですね。
で、父の嘱託もいよいよ終わるし、妹も結婚するしで、そのお金で長野に両親と妹と私で旅行に行ったんです。
旅行の帰り、妹と隣り合わせで新幹線に乗っていた私。
楽しかった旅行の帰り道って、祭りのあと感があって、ただでさえさみしい。
その上これが、最後のこの家族での旅行。
いろいろと「最後」感が強くて、妹におどけて、
「のにちゃん(←妹のあだ名)出ていったらさみしくなるね」
と甘えて冗談ぽく言おうとしたのに、言い始めたら急激に気持ちがこみあげてきて、後半は涙で声が詰まってしまいました。
妹もそれを聞いて、泣いていて、その後は、会話するでもなく、お互い顔を背けて、後ろの席に乗っている親にも他の乗客にもばれないように、新大阪に着くまで静かに泣いていました(笑)。
それ以上、結婚のことについては、語り合うこともなく。
本当に、不器用で、照れ屋な私たちです(笑)。
妹が好きな人と結婚するのはうれしいことだけど、これからは、お正月とかの家族の集まりに、よその男の人(義弟)がいつも来るのか。
なんか違和感あるなあ、気を遣うなあ。
今の家族のメンバーが崩れるのは、ちょっとさみしいなあ。
妹の結婚前は、そんなことを思っていました。
が、結婚してみれば、一瞬でなじみました。
心配していたような気遣いや違和感はまったくなく。
センチメンタルな気持ちも、すぐに消え去りました。
むしろ今では、男手が増えて助かるし心強いし、
父も、お酒の好きな息子ができてうれしそうだし(義弟が来るときは、冷蔵庫に入りきらないビールをクーラーボックスに冷やして準備してます笑)、
同世代の社会人として、私もいろいろ語り合えるし。
すぐに、「よその男の人」から、「家族」という感覚に変わりました。
義弟が、ありがたいことにすごくいい子だったというのもあるし、うちの家族と相性がよかったというのももちろんあるのだろうけれど、
人間って、結構環境の変化に慣れていくものなんだと思います。
どんなに始めは抵抗のあることであっても。
妹が家からいなくなる。
家族のメンバーが変わる。
そのことに、喪失感もさみしさもあったんです。
「終わってしまう」という感覚。
だけど必ず、終わりは始まりなんですね。
独身時代の終わりは、結婚生活の始まりだし、
結婚生活の終わりは、独身時代の始まり。
「終わり」は、失う、別れる、手放すなど、何かがなくなって損をしてしまう、悲しいようなイメージがありますが、
何かが終わったということは、必ず、何かが始まっているんです。
だからとにかく、何かが終わったときは、何かが始まっているから、大丈夫ということ。
終わるのは、たしかにさみしいけれど、さみしがっている今にも、もう何かが始まってるよ。
そのセンチメンタルな気持ちは嘘のように消え去って、今に笑える日も来る。
新しく始まったそれもまた、なかなかいいものだと、じきにあなたは気がつくよ。
だから、終わっても、大丈夫。
大丈夫だよ。
何が言いたいのかよくわからない記事になったけど(笑)、そういうことです。
11月のカウンセリングは、
10月31日(日) 20:00〜
受け付けいたします。
縁あるあなたとお話しできることを楽しみにしております(^▽^)
▽いなこの雰囲気はこんな感じです
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