'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

親の器は、子が思うより大きいのかも。かわいそうでもないし、大丈夫。

親の器は、子が思うより大きいのかも。かわいそうでもないし、大丈夫。

 


閉・塞・感。

さすがに、デパートとか大型店舗が ずっと閉まってて、飲食店がいそいそ早々閉まっちゃうのには、さすがの私も閉塞感を感じてきました。


‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。


のっけから暗めなワードごめんなさい(^^;;

私はマイペースに生活するし大丈夫と思っていたけど、さすがに自粛生活、閉塞感を感じてきました。

そんな中でも、近所のモーニングに行った話を。 

 

2駅先のイタリアンのダイニングが、土日祝だけモーニングをしています。

 

2駅先と言っても、自転車で10分かかるかどうかの距離なのですが、私の住んでいるところは台地で、そのレストランまで緩やかな坂道が続きます。

じわじわくるやつ(笑)。

自転車がだんだんと減速していき、もう太ももがはちきれるー!というところで、ちょうど坂が終わります(笑)。

 

とまあ、多少太ももははち切れそうなのですが、ゆったりした店内、白い壁に映える深い茶色の木のテーブル、たくさんの観葉植物とコーヒーの匂いに包まれて、朝をゆっくり過ごすのが至福なので、ときどき行っています。

 

 

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1人でボーっとしたり、本を読んだり、書き物をしたりしているのですが、家族で来ている人も、もちろんいます。

 

先日の日曜の朝も、いました。

 

おそらくご両親と、年頃の娘さん。

 

席に着いても、娘さんはブスッとして、スマホを触っているのみ。

親御さんと目を合わせることもなく、もちろん会話はありません。

 

あー、あったなー。こういう時期。

自分の、その年頃のことを思い出しました。

 

 

私も、親が「モーニング行こか?」とか、「食べに行こか?」とか誘ってくれるのを、

「うざ。」

「そんなしょうもない行事に巻きこむなや。」 ←鬼か

とか思って、いやいや行っている時期がありました。

 

何が不服だったのか、あのときの自分をしばいてやりたいです(笑)。

反抗期だったんでしょうねえ。

 

親と出かけるのもいやだったし、どうせ話すこともないのに、いやいや行って同じテーブルを囲んで気まずい時間を過ごさせられるのもいやだし、そんなことで機嫌を取ろうとしてくる(←ひねくれ思考。自分が普段から機嫌悪いせいやろがい笑)こともイラッとするし、とにかく、だるそうな、うっとうしそうな顔をしていました。

エリカ様を地でいってましたよね。

 

でも、店員さんには罪はないから(親にだってねーよ)、店員さんに不機嫌にするのはかわいそうなので(親もかわいそうだよ)、店員さんには別人のように愛想よくする、そのすさまじい自分のギャップを親に見られるのもいやだったなあ(笑)。

 

今だったら、ごはん食べさせてくれるというなら、誰でもどこでもよろこんで行きます!(芸人さんの売れない時代のエピソードみたいだ笑)

まあ、誰でもどこでもはさすがに言い過ぎだけど、ひとり暮らしして、食費が浮くありがたさ(笑)、食事の準備の時間と労力を省けるありがたさ、自分以外の人が作ってくれたものをごちそうになれるありがたさは、身に沁みるようになりましたから。

 

 

だけどそんだけ親にイライラしてても、やっぱり罪悪感はあるんですよね。

親に悪いな、ひどいことしてるなっていう。

よろこばせようと思ってやっているだろうに、かわいそう、悲しいやろうなと。

だから、誘いを断ることまではさすがにできなくて、うっとうしがりながらも、一応行きはするんです(笑)。

それでもかわいげのある態度を取れないから、またイライラするんですけど。

 

 

でも今、大人になって、私に子どもはいないけど、もしたとえば甥っ子が反抗期を迎えて、

「おいオバハン!

1人で寂しいからっていちいちうち来んなや!

お前ここの家族ちゃうやろ!」

とか言ったとしても(未来の甥っ子のことばというか、今の私のエゴの声w)、

そこまでうろたえないように思います。

カチンと来たり悲しかったりはするかもしれないけど、本気では、うろたえないような気が。

 

本気で嫌われているとは思わないから。

自分も通ってきた道だし。

たとえ甥っ子が何と言おうと、どう思おうと、嫌われようと、生まれたときから自分がかわいがってきた甥っ子とのつながりは、信じられる。

甥っ子の幸せを願い続ける自分の気持ちを、信じているということかもしれません。

 

 

甥と叔母の関係性でもそう思うのだから、

そう思うと、親の器って、自分が思うより大きいのかもなと思います。

ずっと小さい頃から自分を見て、育ててきてくれた人だし、人生の先輩でもあるのだし。

子どもがどんな態度を取ろうと、こっちが心配するよりは、親は大丈夫だったのかも。

いや、親子だと逆にそうでもないのかな。

甥と叔母の距離感だからこそ、冷静でいられる部分もあるのかもしれないけれど。

 

少なくとも、親をかわいそう扱いする必要はなかったのかもしれない。

もっと安心して、甘えてよかったのかも。

 

 

ということで、モーニングで見かけたお嬢さん。

どんな悪い態度を見ても、私は引かないよ。

あるある、あるよね、そういうこと。

思う存分反抗したらいいよ。

お父さんお母さんは、それでもあなたのことを嫌いになんてならないし、あなたがまた親に感謝する日も、自然と来るよ。

 

 

と、親の器に思いをはせた日曜の朝でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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