'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

好きな人の好きなタイプを気にするよりも

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 こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

ここ 2日間、要は人にどう思われてるか気になるって話を書きましたが、書いたものを見て改めて、私ってほんとくだらないことで悩んでるなーと思いました(笑)。

仲間の書いたものと比べても、悩みのレベルが低いというか(笑)。

 

と、いつもならここでへこむとこですが、まあ、これが私の守備範囲かなと気を取り直しました(笑)。

ハラスメントと騒ぎ立てるほどのことではないけれどモヤモヤすることとか、大したことじゃないからこそ人に言いにくい、でもやっぱり引っかかってスッキリしないっていうことって、結構多いんじゃないかなと思うんです。

私はそういうところを掬いたいっていう思いがあるんですよね。

私がそうだったから。

 

ちょっとしたモヤモヤって、案外ストレスになってるんです。

そしてその裏には、自己肯定感の低さとか、無価値感とか、自分の本質的な課題が潜んでたりね。

 

スタイルのために長めにしてる目にかかるうっとうしい前髪を上げたとき、すごくスッキリするみたいに(私は出かける予定のない時は前髪ちょんまげです)、慣れっこになっちゃって我慢できなくもない慢性的なモヤモヤと向き合って取り除いたら、こんなにスッキリして生きやすいものなのか!という世界を知ってほしいんですよね。

「知ってほしい」なんて、おこがましいことですが。

 

そして、相手にも悪気はないし、言うほどのことでもないとか、こんなことで悩むなんて恥ずかしいとか、そんなふうに自分を責めたり我慢したりしなくていいんだよ、と伝えたいのです。

人から見たらささいなことでも、自分が引っかかったら、引っかかってるって言っていいんです。それを知ってほしいんです。

 

そんな思いで、騒ぐほどでもないモヤモヤを、騒いで記事にしております。

考えてもしかたないとわかっていながらも、ぐるぐるモヤモヤしている人が、きっといると信じて。

まったく共感できない方は、今日もばかだなーと笑っといていただければ幸いです(笑)。

ということで、くだらないことでモヤモヤぐるぐるしてますが、それが私の守備範囲ということで、いつもお付き合いいただきありがとうございます。

 

さ、みんな、持ち場に戻ろう!

(笑)

 

 

さて、巷のネット情報には、モテるタイプはどうとか、独身男子にアンケートとかで、どんな女子が需要があるのかという情報があふれてますよね。

ほんとくだらないなー。

ってそんな情報があふれてると知ってるってことは、、、見てるんかい!

はい、見てました(笑笑)。

 

料理のできる人がいいとか、年下がいいとか 年上がいいとか、どんな趣味がモテるとか、とにかくいろいろありますよね。

そういう条件とか、好きなタイプに当てはまっていないとへこむということについて、今日は話してみようと思います。

 

 

好きなタイプとか必要な条件に、自分が当てはまっている場合はいいですよね。

でも、当てはまっていないと、がっくり。

脱落した気分になります。

 

しかも、 料理ができる的な、努力すれば何とかなることならまだしも、年上年下とかいうどうしようもない変えようのないものは、当てはまっていないと残念ですよね。

 

 

でもそういう条件って、イメージで言っていることが多いと思うんです。

あるいは過去に出会った人たちをサンプルにして思い浮かべて。

 

たとえば年下がいいって言っている人は、年齢自体が云々という以上に、「年下」というワードから、かわいらしい、守ってあげたい感じ、素直で頼られがいがあるというイメージを連想している。

年齢というより、そういう要素が好きということなんです。

それを年上年下で表現すると、「年下」になるという。

年上が好きっていう人は、包容力があるとか、自立していて尊敬できるとか、話し応えがあるとか。

そういうイメージで言っているなら、年齢関係なく、素直な人もいるし、かわいらしい人もいるし、自立している人もいる。

 

年齢自体より、「年下(年上)であると、どうだから好きなのか?」ということが重要なんですよね。

 

まあもちろん、若いけりゃ若い方が生物学的にもいいんだという人もいると思いますが、それも1つの事実なので否定しません(笑)。

私とはご縁がなかったということで(笑)。

↑怒ってるやん(笑)。

 

ということで、口で言ってるタイプとか条件とかは、そんなに気にしなくていいと思うんですよね。

〇〇がいいと思っていた人が、あなたという実在の人物に会ったら、条件なんて吹っ飛んで、イイ!って思うこともあると思うので。

 

条件からイメージしていた人と、実在の人はぜんぜん違います。

条件というのは、具体的な人がいないから、知らないから、言えることなんです。

だから、提示された条件に当てはまらないから私はダメだわとか、自分から諦める必要はないと思うんです。

 

それよりも、自分は条件に当てはまらない、相手の好きなタイプに当てはまってないからと、どうせ私なんて好きじゃないでしょ?と卑屈な態度をとってしまう方が、問題というか、もったいないことだと思うんです。

 

そうすると、相手は、自分は嫌われているのかな?という印象を持って、結局はいい関係が生まれない。

そして、ほら、やっぱり私なんてダメなんだ、という現実を強化してしまいます。

そういうのでいっぱい損してきた気がする(涙)。

 

相手の好きなタイプや条件を気にしすぎる時点で、他人軸ではあるのですが、好きな人がいるときなんかは、不安で、好かれたくて、特に他人軸になってしまいやすいですよね。それだけ真剣ですもんね。

でも、好きなタイプはそれとして、人は誰でもことばや条件に収まりきらない存在なんだ、そして私は私、という気持ちを持っていると、堂々としやすくなります。

自分が他人を見るときも同じね。 出会いの幅を広げてくれるんじゃないでしょうか。

 

よく知らないと、どうしてもわかりやすい条件でしか判断しようがないんですよね。

だから知ろうとしてみる、知ってもらうっていうのが大事なのかな。

 

ちなみに私は、どっちかっていうと年下の人の方が好きです。(聞いてない・笑)

しぶくてクールなイメージより、かわいらしいところもあり男らしいところもあり、みたいな爽やかな三枚目イメージの方が好きだから。

でも、佐々木蔵之介さんとか堤真一さんとか、桑田佳祐さんなら、年上だからとか関係ないです。

みなさん才能ある方ですが、でも茶目っ気もあって気さくで素敵です。

って何様目線!(笑)

 

 

ということで、結局は、その人自身だよね、自分が好きなタイプに当てはまるかどうかを気にするより、恐れずに近づいて、生身の相手を知ろう、自分を知ってもらおうというお話でした。

 

私のブログを読んでくださってる方に、恋愛話に興味ある方がいるのだろうか。というより、私に恋愛話を求めている人がいるのだろうか(笑)。