こんにちは、カウンセラーいなこです。
また一段階肌寒くなった気がしますね。
1ヶ月で、着る服がガラッと変わりそうです。
昨日、うちは貧乏という話(笑)をしたので、その流れで今日は、お金、豊かさについて書こうと思います。
お金って、大事だしほしいものですよね。
減らしたくはない。
できるだけ手元にいっぱい置いておきたい。
だけど、お金自体には価値がないんです。
いや、なくはないか・
どないやねん。
お金って、それ自体を握りしめているだけでは意味をなしません。
福沢諭吉の肖像画として秀逸なので飾っておきたい、あの紙質が好き、といった場合を除いて。
お金は、なにか自分のほしいものと交換するからこそ、できるからこそ、価値があるんです。
もともと、そういうツールですもんね。
むかしむかし、きれいな水が潤沢に流れる川沿いの村に、米を作るのが得意な男がいた。
うちには米は潤沢にあるけれど、魚も食べたいなあ。
でも魚ってなかなか獲れない。
つかもうとしても勘がよくてすばしっこいし、にゅるっとしてすぐ逃げられる。
でも魚もほしいよなー。
一方その頃。
海辺の村に、魚を獲るのがうまい男がいた。
今日もまずまずの獲れ高。
でも、ガツっとお腹にたまる米もほしい。
でもあんな気長に何ヶ月もかけて米を作るって、性に合わないんだよなー。
おっと、魚も早く食べなきゃ、腐ってしまう。
そこで2人は出会った。
この米と、その魚、交換しよう。
これで、それぞれの食卓は少し豊かになった。
ある時、米を作るのが得意な男は、野菜も食べたくなった。
以下同文。
そんなことを繰り返しているうちに……
他の食材と交換するために、いちいち米を持ち運ぶのってたいへん。
重いし。
そうだ、もう現物をいちいち持ち運ばなくて済むように、貝殻を使って交換しよう、そうしよう。
この米、器に1杯分を、この貝殻3個ということにしよう。
その魚1匹は、貝殻何個分?
その野菜は?貝殻何個で交換してくれる?
これが、お金の始まりですよね。
三文ドラマで失礼しました(笑)。
お金を使うことに、
「減ってしまう」
「損する」
というイメージを持つ人は多いと思います。
だけど、お金を使うということは、本来は、
自分の食卓を色とりどりにする、彩りゆたかにする
ということなんです。
米だけだった食卓に、魚が乗り、野菜が乗り、お肉が乗っていくように。
お金を使うということはまた、自分の得意と他人の得意を分かち合うということ。
助け合うということ。
お金を払う方も、もらう方も、お互いに豊かになっているはずなんですよね。
お金を介するから、それが見えにくくなっているだけで。
だから、「お客様は神様」というのも、ちょっと違うかなと私は思っています。
売る側も、買う側も、お互いにありがたい存在で、いつも対等。
お互いに、
「ラッキー!」
「得した!」
「豊かになった!」
って思える交換であるはずなんですよね、本来は。
win-winの関係。
買い物をしたのに、ラッキー感がない、豊かになっている感じがしないとしたら、
「安いから」という理由で、大して欲しくないのに買っていませんか?
あるいは逆に、「高いから」という理由で、本当に欲しいものを諦めて、どこかイマイチなものを妥協して買っていませんか?
お金を使うとき、罪悪感がある、値段にためらってしまう時は、お金はもともと、物々交換を楽にするために生まれただけのものだということを思い出して、
これを買ったら、私の生活は彩りゆたかになるかな?
そういう観点で吟味してみてください。
ちょっと背伸びした金額でも、
「うん、彩りゆたかになる!」
とウキっとしたら買ってみたらいいし、
「うーん、そうでもないかな。」
と思ったら、どんなに安くても買わない。
とにもかくにもお金を貯めまくる、ということが重要なんじゃないんです。
それが「豊かである」ということではない。
お金を使って、うきっとできることが、暮らしが彩りゆたかになることが、豊かなんです。
お金に苦労した経験があると、ついつい手元に置いておきたくなるけど(^^;;