箸が転んでも自分責めっ!③お母さんのために我慢したのに、結局お母さんを悲しませてしまう自分。悲しい……
あさりのお味噌汁をしようと、一晩砂抜きのためにボウルに塩水を張って冷蔵庫に入れておいたら、管?みたいなのを出してあさりがのびのびしておる。
一晩あさりを飼ったようなものですね。
この後いけにえにされるとも知らず・・・
残酷か。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
しかし貝って、独特のうまみが出る。
お味噌汁ナンバーワンはあさりかも。
あさりちゃん、ありがとうございます。
さてさて、箸が転んでも自分責めっ!シリーズ(笑)の続きです。
何でここまでかわいげなく自分責めしちゃうんだろう。
心理学的には、目の前のできごとがあったからその感情を感じているのではなくて、
その感情を感じたくて感じている、その感情を感じることが目的だとか、幼少期に感じた感情をその後はひたすらループしているだとかいうふうに考えたりするんですね。
それに沿って考えると、
私は、
「自分責めをしたくてしている。」
そう考えられるんです。
辛い気持ちのときに、これを言われるのはしんどくもあるのですが、
あなたが悪いと責めるためにそんなことを言っているんじゃなくて、
どうしてそうなるのか、元をただして紐解きにいこうよ、ということです。
もういろいろ考えたりしていたし、どうやってその考えにたどり着いたのか、今となっては思い出せないのですが、
母親に対して、すごく我慢していたことがあったなあと思い出したんです。
いや、以前にも、何度か書いたことがあるんですけどね。
母が心配な顔するから、母がいやそうな顔するから、本当にしたいことを言えない。
そんなことがあったなあとは、以前から思い出してはいたのですが、改めて、ものすごく強いフラストレーションを感じていたことをリアルに思い出したんです。
私の中の、子どもの頃の母の思い出は、
雪の日に夢中で外で遊んで、手が冷えきって帰ってきたとき、洗面器にお湯を張って両手を温めてくれたこととか、
熱が出たとき、夜中でもいつでも起きて背中をさすってくれたこととか、
父に叱られて泣いている私を膝にのせて抱っこして撫でてくれたことや、
私のほっぺたをぷにぷにと触ってきたりとか、
「こりゃりゃ、ピーコちゃんたち、起きなさい」とおどけて朝起こしに来たりとか、
夏休みの朝には、私と妹と3人で近所の川の堤防を散歩して、帰ってきたらミックスジュースを作ってくれたりとか、
とにかく母は、私の中では、やさしさと安心の象徴だったんです。
だから、その影に隠れて、母の「圧力」みたいな思い出は、薄れていたんです。
だけどいやいや、その圧力が、今思う以上にものすごいフラストレーションだったわ、とリアルな感情を思い出して。
きつくは言えない人だけど、ある意味頑固なところもある。
自分がいいと信じていることを、子どもにさせたい。
子どもは自分の一番の味方。
自分が子どもの1番でありたい。
そんな思いがあったんだと思います。
だから、はっきり言わないけれど、自分がいいと思えないものを、私が選ぼうとすると、微妙な顔をする。
私は、そんな顔をする母を振り切れずに、自分の希望を押し殺して、仕方なく、母がうれしそうな顔をする方を選んでいたんですね。
もちろんそれは、私のことを思ってのことだから、私のことをすごく愛してくれているから、ということを感じていたからです。
たとえば、父方のいとこと仲良くするとあまりうれしそうな顔をしないとか、浴衣選ぶときとか。
この頃は、まだライトに書いてるなあ。
それがものすっごいフラストレーションだったって、そのときはリアルには思い出せなかったんですよね。
母が微妙な顔をしたって、そんなのほっといて、好きな方を選べばよかったのに、私にはどーーーうしてもそれができなかったんです。
でも、私はこれを選びたい!
という思いがあるのに。
絶対これがいい!と思っているのに。
私にとっては、千載一遇のチャンスかもしれないのに……!
それでも、選べない。
目の前にほしいものがあって、手を伸ばせば届くのに、手を伸ばす能力もあるのに、手を伸ばしたいのに、それでも、選べない。
お母さんが悲しそうな顔をするから。
どーうしても選べない。
もう、それはそれは、ものすごいフラストレーションでした。
できるのに、させてもらえない。
できない、最初からどうやったって手が届かないなら、諦めがつきます。
だけど、できるのに、できないんです。
お母さんも捨てられない、でもしたいことも捨てたくない。
その板挟みで、身が切られるよう。
「お母さんがいやな顔をするから」。
その理由を、母には言えません。
そんなことを言うと、母はやはり悲しむと思うから。
言えばよかったんです。
今思えば、そんなに親はヤワではないし、言って、ダダこねればよかったんです。
でも、幼い頃から空気を読んでいたんでしょうね。
言えないけれど、ものすごい悲しさは募ります。
好きなものを選べるのに、選べなかった。
しかも、その理由は、「お母さんを思いやって」のこととは、誰にも言えない。
ものすっっっごいフラストレーションです。
今思い出しても、歯を食いしばって心拍数上がりそう。
そんなフラストレーションを抱えているから、理由は言えないものの、半泣きの顔になります。
するとまた、母は困るんです。
私がまさかそんなに我慢しているとは思っていないから、
「どうしたん?
何でそんな顔するの?
何が気に入らんの?
言わなわかれへん。」
と。
母は、理由もわからず不機嫌な顔の私を見て、また悲しそうな顔をするんです。
「言わなわかれへん」って言ったって、お母さんが悲しむから言われへんねんやんか!!!
あんたのために我慢てるのに!!!
という怒りと、
こんな意味不明の不機嫌な顔をして、母を悲しませてしまう自分を、すごく不甲斐なく、申し訳なく、悲しく思うのでした。
あー、小さな子どもがこんな思いを1人で抱えているなんて、かわいそうすぎる。
もう、本当に、あの子を助けに行ってあげたい。
この、母を思うゆえの気持ちは、誰にも知られることなく、外から見たら、ただ単に私は、不機嫌な顔をして母を困らせる、やりにくい子として見えているという悲しさ。
すごくすごくすごく、ものすごいフラストレーションでした。
グーで自分の太ももを何度もたたきたくなるような。
私は、自分がそんなに悪いやつと思ってはないんですよ。
自己評価です。いいや、悪いやつだよという人はいるだろうが(笑)。
だけど、どこかで、私は、いい子なのに、やさしい子なのに、人にはわかってもらえない。
見いだしてもらえない。
という恐れがあるんです。
そして、誤解されていそうだなと思っても、それを解こうと努めない、そのままにしているようなところも。
それは、ここからきているのもあるんじゃないかなあと。
普段は楽しいことも多いのだけど、そういうお母さんのために我慢するフラストレーション場面がパターンとしてあって、それがもう自分のなかではある意味普通になっていました。
だから、これは異常なことという風に気が回らなかったし、それが今の自分にも影響しているなんて、ほんとに気づかなかったんです。
母の反応を気にして、自分の好きなものを選べなかったこともそうですが、
母のために我慢しているのに、それが伝わらず伝えられず、結局不機嫌になって、誤解されて、結局母を悲しませてしまうことに、ものすごい悲しみと、罪悪感を感じていたことがわかりました。
で、今、前の職場に対して、仕事を辞めたこと自体に対して、すごく罪悪感を感じている。
こんな、調子乗って、そんな根性もないのに、好きなことを思いっきりしたいという理由で、無謀な転職した自分を責めている。
これは、罪悪感がキーかもしれない、それを何とかできれば、今の苦しみから抜けられるかもしれないと思い、師匠の罪悪感の本を読もうと思ったんです。
続きは次回に。
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