おはようございます、カウンセラーいなこです。
幼児の雨がっぱ姿はなんて愛くるしいのでしょう。
リアルてるてる坊主を見つけると、見入ってしまう梅雨どきです。
私にも、来月末で4歳になる幼児、おいがいます。
独身貴族あるあるですけど、おい・めいがかわいくて仕方ないという。
私もそのクチです。
貴族ではないが。
なかなかしゃべらず、少し心配しましたが、2歳の誕生日あたりに、「いないいない……」と振ると、「ばあー!」と言い出したのを皮切りに、そこからは、一語文とか段階をすっ飛ばしていっきに話すようになりました。
(あの、初めてしゃべるときのきっかけってなんなんでしょうね(笑)。それよりもっと前からことばの理解はできてたはずだし、「まだしゃべったことはないけど、しゃべろうと思えばしゃべれる」っていう時期はあったはず。「さて、そろそろ自分もしゃべりましょか」って思ったときのきっかけとか心境を幼児に聞いてみたい(笑)。)
一応医療人なので、発達も習っていますが、本当に発達って教科書通りではないです。
いや、生きものがそもそももう教科書に収まりきらない存在ですよね。
電車が好きすぎて、今では、路線の色を言うと地下鉄名を答えられます。義弟も妹も、休みの日は踏切に連れていかされています。はやぶさとこまち(トミカ製)の連結を何回も見せられます。
とにかくかわいいので、私は、捕まえてかぶりついて食べています。
「やめてー!」とあばれるおい。
ますます絶対やめないおば。
「全部食べてん」と私が言うと、
「全部食べたらあおくんいなくなっちゃうよ?」とおい。
「あかーーーん!!!
あおちゃんいなくならんといてな(T△T)
絶対おってなー(TT)」
おばの完敗です。
こんなに小さくて、首も腕も柔らかいけど細っこいおいを触っていると、どこか、とてもはかないもののように感じることがあります。
なにかあれば、すぐにつぶれてしまいそうな。
なにか心配になるような。
考えてはいけないようなこと、考えることさえ怖いことが、ふと頭に浮かんで心配になることがあるのです。
だから、おいの
「いなくなっちゃうよ?」
ということばが、なんだか切実にも聞こえたんです。
こんなに小さな存在で、ともすればなにかの拍子に簡単になくなってしまいそうにも感じられるけれど、存在感は莫大で、生まれたからにはどんなに小さくても確実に大きな命であって。
これから無事に大人になるまでに、まだまだいろいろなことがるあだろう。
心配しようとしたら、いくらでも心配の種はあってきりがない。
ずっと安全な場所に閉じこめておくこともできない。
結局は、この子を信じていることしかないのだ。
そんなことを考えていると、自分がここまで生きてきたことも、すごいことなんだなあと思います。
さまざまな物理的、精神的リスクをかいくぐってここまできたのだから。
25年間ほんとうにおつかれさま(ウソ)。
そうだよ、生きてるだけでおつかれさん。
すごいよ、あなたも私も十分特別な存在だ。
今ここにいる、ああ、今日もとてもいいねえ。