'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】親に否定されてきたことをずっと引きずってしまうー親もただの人間だったことを知り、大人になるときー

【ご相談】親に否定されてきたことをずっと引きずってしまうー親もただの人間だったことを知り、大人になるときー

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

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親の言葉をいつまでも引きずる心理 | ココロノマルシェ

 

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【ご相談】親の言葉をいつまでも引きずる心理

こんにちは。5/8の根本先生のブログ「傷つくかどうかは自分が選択している」について、自分のことと関連させて少しご質問したくメールしました。

 

私はいわゆる毒親育ちで、過干渉な親の元に育ち、彼らの言葉に「傷ついてきました」

具体的には自己肯定感を否定するような、「お前はダメだ」「何も出来ない」などのオンパレードです。

これらの言葉をうけて、幼少期からずっと自分責めをしていました。

 

最近になり、考え方がかわり、そもそもそれを言ったのは親だから親の問題で、私は悪くない傷ついたし被害者だみたいなスタンスでいました。

同時に、あまり被害者というスタンスを強くもつのは好きではないのです。。

自分はかわいそうな人間と周りにアピールしているみたいなのが、罪悪感を感じるんです。

ただ被害者ポジションにいる恩恵をうけたいだけというか。

 

それで、根本さんのブログを読んで、ダイエットの例でもあるように、自分の中のネガティブな感情に、人からの言葉が接触したときに、すごく怒りや悲しみを感じて、脳内で「傷つけられた」と勝手に解釈をして、それを言った人物を責めたり怒りをだしたりするんだと解釈して、新たな発見がありました。

ということは、私がこの言葉をずーっと引きずっているのは、奥底にある「やっぱり自分はダメなんだ」という心理に反応してしまうからなのかなと。

 

一方で、「自分は良い人間だ」と思っていたら、それに反発するという意味で反応することはないのかな?とも思いました。

 

どちらにしても、自己肯定感が低いがゆえに反応したり、いつまでも「傷ついた」と言ってしまうのは事実かなと思っています。

 

自己肯定感があがれば、こういう言葉にもあまり敏感にならなくなるのでしょうか。

その境地に早くいきたくて、自分への謝罪会見の日々です笑 

お答えいただければとても助かります。どうぞよろしくお願いします。

あずきさん

 

 

【いなこからの回答】

あずきさん、こんにちは。

いなこと申します。

 

自己肯定感を上げて、人のことばに振り回されない境地に早くいきたいというあずきさんの、一生懸命前に進もうとされているお姿が、とてもかわいらしく感じました。

※「かわいい」って目上の者が目下の者に言うことばのようで失礼ともとれますが、好きすぎると最終的に私は目上の人でも男の人でも何でもかわいくなってしまうんです。私にとっては最高級のほめことばなのでお許しください。かわいいは最強なんです!byみくりって感じです。

 

>どちらにしても、自己肯定感が低いがゆえに反応したり、いつまでも「傷ついた」と言ってしまうのは事実かなと思っています。

>自己肯定感があがれば、こういう言葉にもあまり敏感にならなくなるのでしょうか。

とのことですが、それはおっしゃる通りだと思います。

 

たとえば、自分にはそのままで価値があるということを、「1+1=2」レベルで信じられていたら、否定してくる人がいても、「ありゃ、あの人はわからないんだね〜、私の魅力が」くらいに流せるということです。

 

もう根本師匠がしっかりこの記事で解説してくれていますし、あずきさんも、それを「なるほどな」と思ったから、ご相談をお寄せくださったんだと思います。

 

ということでその通りです。

で、終わりそうなのですが(笑)、今日は補足のつもりで書かせていただこうと思います。

 

 

自己肯定感が低いから、他人のことばに傷ついてしまう。

というのは、その通りなのですが、あずきさんは、子どもの頃から、親御さんが自分を否定するかことばを聞いてらこられたんですよね。

 

子どもにとっての親は、どんな親でも、偉大な存在です。

自分を産み、育ててくれる存在ですから。

 

子どもの頃は、親の養育や許可がなければ、何もできませんよね。

だから、どんな親であっても、子どもは親を見上げています。

そして無意識に、「完成された大人」というイメージを抱いています。

 

 

ですが、あずきさん。

あずきさんが今おいくつかはわかりませんが、大人になった今、あずきさんは自分のことをどれだけ「完成された大人」と感じられているでしょう。

 

いくつになっても、自分のことを「完成された大人」と言い切れる人はなかなかいないと思います。

 

あずきさんの親御さんが、あずきさんを授かったのは、もしかしたら今のあずきさんよりもう少し年上だったかもしれませんが、それでもやはり、親御さんも当時、360°完璧な人間であったわけではないと思います。

 

つまり、親も完璧ではないから、間違ったことをすることも、十分にあるということです。

 

ここまでは、あずきさんも、理解されていると思うのですが、もう1点、新たな視点を付け加えるとしたら、

親御さんに言われたことをずっと引きずっているのは、あずきさんが、

まだ親御さんを、「子ども」として見上げているから。

という点です。

 

親御さんに養育されていた子どもの頃のあずきさんは、親の庇護のもとでしか生きられなかった。

だけど今やもう、あずきさんも大人です。

親御さんと、対等な関係になったんです。

 

 

 

だから、親ではあるけれどもう、

「お母さんのああいうところはどうかと思うね。でもこういうところはいいとこだね。」と、

対等な大人として親御さんを見、付き合っていいんです。

いつまでも完璧な大人として見上げ、信じていなくてもいいんです。

 

すなわちこれは、自己肯定感の問題だけでなく、あずきさんが心理的に大人になるという機会でもあります。

 

もうあずきさんは、親のことを見上げなくていい。

親ではあるけれど、対等な大人同士だから、

「こういう悪いところが、子育てにも出ちゃったんだろうねえ」

と冷静に見ることもできるし、

「親も自己肯定感が低かったのかもなあ」とか、

あれでも親なりに、精一杯やってたのかもなあということも見えてくるかもしれません。

 

また大人は、何を信じるかを自由に選べます。

親の「こうしなさい」に従わなくていいんです。

 

この、「対等な大人同士」という視点は、親だけでなく、すべての人間関係に通ずる素敵な視点です。

 

たとえば上司は、社会的には上の立場の人ですが、人間としては対等です。

一人前の大人だけど、完璧ではないという点では自分と同じ存在。

だから間違ったことも言うし、できないこともある。

それが腑に落ちていると、上司の苦言に必要以上に落ち込むこともないし、上司のダメなところに失望して不満を溜め込むこともないし、「しかたないなー、んじゃまあこれは私の方が得意だから、いっちょやってやるか」という気にもなれます。

 

憧れの人も、すごく見える有名人も、心ときめくあの人も、みんなみんな完璧でない、同じ人間です。

あずきさんと何ら変わらない、対等な大人同士です。

 

もちろんあずきさんもそうなので、できないことがあっても自分を責めなくていいし、「しかたないなー、んじゃまあこれはあの人の方が得意そうだからいっちょお願いしてみるか」と頼ってもいいんです。

 

この視点があるだけで、とっても気楽に、自由になれます。

そう思うとなんだかわくわくしてきませんか(^^)

 

 

>同時に、あまり被害者というスタンスを強くもつのは好きではないのです。。

自分はかわいそうな人間と周りにアピールしているみたいなのが、罪悪感を感じるんです。

ただ被害者ポジションにいる恩恵をうけたいだけというか。

 

ということばからも、あずきさんは公明正大な方だなあと感じました。

リーダーに向いているタイプですよね。

 

でもだからこそ、注意していただきたいことがあります。

 

それは、

親御さんのことばをずっと引きずってきた自分を、けっして責めないこと。

 

たしかに、傷つくかどうかは、自分の心のうちによるものと言えます。

だけど、初期の刷り込みの力はやっぱり大きい。

 

ましてやまだ判断のできない子どもの頃に、自分の1番身近で1番影響力の大きい大人である、親という存在に言われてきたこと。

 

それは、長い間、鵜呑みにしてしまって傷ついてしまっても、仕方なかったのです。

 

親御さんをはねつけずに、自分を責めることで何とか収めてきたことは、責められるところではなく、むしろいたわられるべきところです。

とても素直でやさしい方なのでしょう。

 

だからご自分への謝罪会見はぜひ続けていただいて。

いやもう慰労会でいいかも。笑

仲良くしてネ。

 

ちなみに、

>最近になり、考え方がかわり、そもそもそれを言ったのは親だから親の問題で、私は悪くない傷ついたし被害者だみたいなスタンスでいました。

というのは、元の自分に戻るのに自然なプロセスです。

 

①親に否定されてきたことを鵜呑みにして傷つく

 ↓

②あれ、それ親の問題じゃない?ということに気づく

 ↓

③これまで受けてきた所業に怒ったり、自分がかわいそうで悲しくなったりする

 ↓

④ひとしきり感情を出し切ったら、

「親もあれでも精一杯だったんだなあ。」

「あんなんでも私は愛されていたんだなあ。」

ということが見えてくる。

 

というプロセスの、あずきさんは今、②③あたりを歩いているところと思われます。

だから、いったん被害者になって怒ったり恨んだりすることも大事なんです。

その段階をすっ飛ばして親を理解しようとしても、「エセ物分かりのいい人」になるだけで、よけいイヤな気分になって進みません。

 

 

長い間、自分を傷つけるようなことを信じてきたなんて、ほんとに損だよなあ、と思ったりもするかもしれませんが、それに気づいて再び得た自己肯定感というのは、より強固で盤石なものになります。

 

「再び得た」と書いたのは、生まれたてのときは、自己否定はしていなかったからです。

本来のあずきさんに戻るいうことです。

 

いったん失って、再び得た自己肯定感は、あずきさんの立派な強みになっていくので、安心してくださいね。

 

 

ちなみにちなみに、私は医療の仕事をしていて、高齢の方とお話しすることも多いのですが、90歳になっても、自分の子育てについて、「厳しくしすぎたかもしれない」とか「あのときあれをさせてあげればよかった」などとおっしゃっている方は多いです。

もうお子さんも還暦を迎えておられて、そのお子さんにお孫さんまでいらっしゃるのに。

親も迷いながら必死だし、生きている限り常に成長しているし、もっとああしてやればよかったなあと、後になって思うこともあるのでしょうね。

 

 

ということであずきさん。

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!!!

 

 

 

先週末も、大阪城公園朝ごはんしてきました。

先週は土日もお天気よかったのでうれしい。

 

 

と言っても曇天だっただけど、このくらいが涼しくてちょうどいい。

 

 

また焼きカレーパンとクロワッサン。試食にと天然酵母の食パンもいただきました。わーい。

米粉のあんぱんは、最近いただきもののどら焼きをずっと食べてたのでしばらくはいいや〜。

コーヒーは節約のため、最近は家から淹れていく。

 

 

雨上がりで土がしっとりしててちょうどいい。

 

 

今日は紙食べないぞー。

 

 

 

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