こんにちは、カウンセラーいなこです。
「35歳を超えて結婚するのは、東大に入るより難しい。」
そんなデータがあると聞いたことがあります。
35歳以上の人が結婚する確率が、東大の合格率より低いとか、そういうことなんでしょうね。
はあ。
35歳以上で未婚で結婚したい同士のみなさん、厳しい現実ですよね〜。
って話じゃなくて。
いやいやいやいや、東大をなめてもらっちゃあいけないよ!
って話でもなくて。
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今日は、35歳以上で未婚で結婚したい同士のみなさんの期待を一身に背負って、大学時代、たくさんの心理調査・実験をして、統計にかけまくっていた(ほんまかいな)私いなこが、このデータにひとこと物申したいと思います。
こてんぱんに論破してやんよ!
誰も期待しちゃいねーよ(笑)。
割合とか確率とかのデータって、どういう手続きで、どんなサンプルからデータを取ったか、そしてそのデータをどう処理したかがすごく大事なんです。
この「35歳以上の……」の例を取れば、
単に35歳以上の男女を対象に調査したのか、
35歳以上で、「結婚したい」と思っている男女のみを対象にして調査したのか、
それだけでも解釈がだいぶ違ってきます。
もし、結婚の希望の有無を問わず、すべての男女を対象にして調査したのなら、
「結婚したくない」という男女や事実婚の男女も含まれていることになります。
ということは、当然、結婚率は下がりますよね。
だって、年齢うんぬんの前に、元々「結婚したくない」と思ってしない人が含まれてるんだもん。
「結婚したい」と思っている男女のみを対象に調査したら、35歳以上で結婚した人の割合はもっと上がるかもしれません。
それで上がるのなら、「『結婚したい』と思っている人は、35歳以上でも結構結婚している」、という結果になるかもしれないのです。
こんな感じで、世の中にあふれるデータって、その質はいろいろなんです。
調査対象はどんな人なのか、
何人の人に調査したのか、
世代や地域、
調査方法、
調査時期、
取った生データの統計処理法、
などによって、いくらでも印象を操作できるんです。
調査人数が少なければ少ないほど、個人の特徴が出すぎて、一般的な世の中に当てはまらなくなります。
極端に言えば、「納豆は好きですか?」という調査を、2人の人にして、2人とも嫌いと答えたら、「納豆を好きな人は0%」という結果になってしまいます。
調査する人数が大きいほど、個人による偏りは相殺されていきます。
調査の方法がたとえば、インターネットでのアンケートであれば、その結果は、「ネットが使える世代で、そういうのに協力してくれるマメな人によるデータ」ということになります。
ネットを使わない層の人の意見は反映されていないということを頭に置いておかねばいけません。
調査の方法が、匿名で答えられるものならある程度正直に答えるかもしれないけれど、名前や顔がわかるような状況で答えたアンケートなら、本音を引き出せていない可能性があります。
調査の時期によっても結果は変わってきます。
たとえば、経済的なこととか価値観とかは、コロナ前か後で、回答がかなり変わってくるでしょう。
そして集めたデータ、それを適切に処理しているか。
「〇〇な人は××な人より△パーセント多い」という結果が出たとして、その「△パーセント」は、はたして意味のある差なのか、ただの誤差の範囲なのかは、正しく統計にかけないとわかりません。
だから、「〇〇な人は△%」とかいう情報に一喜一憂する前に、そのデータはどういう手続きで出てきたのかを、自分で確かめる必要があるんです。
ちゃんとした論文になっているデータなら、どういう手続きでその結果を出したか、きちんと書かれています。
そこを見て初めて、そのデータの信頼性、妥当性が自分で判断できる。
だから、世の中に出回っているデータとは、そこそこのお付き合いでいいんじゃない?ということ。
特に、そういうデータに振り回されて不安になってしまう人。
そういう人は、そんな情報、捨ててしまいましょう。
捨てるっていうか、仕入れない方がいい。
1度聞いてしまったことを頭から消すのは大変だから。
特に心揺さぶられる情報は、忘れたくても忘れられない(笑)。
データを活かしていろいろ戦略を練るのが好きという人はいいと思います。
適切な手続きで取られたデータは、それを使いこなせる人にはたいへん有用なものです。
でも、自分の役に立つどころか、むしろ不安をあおられるようなデータを信じて不安にさいなまれているのは、使いもしない重い道具を、鞄に入れて引きずってるのと同じ。
使いもしないものを身を削って運んで、要らぬ苦労をしているんです。
そんな苦痛にしかならないお荷物、捨ててしまいましょう。
たとえそのデータが正しいものだとしても、です。
自分のパフォーマンスを上げるどころか、下げてしまうものなんて、ない方がマシでしょう?
だいたい、データを気にしすぎている時って、自信がないとき。
たとえば受験でも、「倍率が高い」とか騒ぎすぎているときは、そもそも自分が合格圏内にいないことが多いと思います。
合格する人は、倍率が高かろうが、自分が合格圏内にいればいいだけのこととわかっているので、そこまで倍率情報に踊らされません。
そんなことに心とらわれるより、今、自分のすべきことを粛々としています。
いくら世間的に達成する確率が低いことでも、自分が達成してしまえば、それはもう自分にとっては達成率100%です。
っていうのは少々乱暴すぎる理論かもしれませんが(笑)、データを活用しつつも、最後は自分ができることしかできないんです。
自分の経験が、最も確かなエビデンス。
だって実際に経験してるからね(笑)。
まあ、データ自体には何の罪もないんですけど、それをセンセーショナルに操作して、人をむやみに焦らせよう、不安をあおろうとするやり方は、私は嫌いなんです。
自分に集中。
いつもいつでも、結局それに尽きるんです。