おはようございます、カウンセラーいなこです。
「見学者」になったことはありますか?体育の授業とかの。
あるいは、具合が悪くなって保健室で休んだり、風邪をひいて学校を休んだり。
あるいは、見学者とはちょっと違うけれど、給食が時間内に食べられなくて、机をみんながさげて、掃除が始まったほこりっぽい中で1人食べさせられたりとか。
そういう経験はありますか?
私はおかげさま身体はそこそこ丈夫で、あまり休んだことはありませんでしたが、まれに熱が出て休んだ時なんかは、いつもは学校にいるはずのド平日の真っ昼間に家にいると、なんだか悪いことをしているような気がしたり、世界に取り残されてひとりぼっちのような気分になったりしたものです。
長い人生、今思えば、ほんの少し学校を休んだくらい、大したことないのにね。
学校とか、会社とか、画一的に統制されている世界の中にいると、ほんの少しだけそこから外れただけで、とても悪いことをしている気がしたり、脱落した気がしたり、取り返しのつかないことをしてしまった気がするものです。
視野が、自分の生きる小さな世界に限定されてしまって、とても狭くなっているから。
成長して、見える世界が少し拡がると、あんなこと大したことないことだったと笑えるのですが。
そのときはそれがすべてで、必死なんです。
もし、あなたの周りの人が、あるいはあなた自身が、なにかのレールから少し外れてしまって不安に思っているのなら。
不登校だとか、会社に行けないとか、大半の人がやっていることをやれていないとか、やめてしまったとか。
今は大変なことになってしまったと思っているかもしれないけれど、そんなの、広い世界から見れば、長い人生から見れば、大したことないと、私は思います。
時間が経てば、視野が拡がれば、少し自分が成長すれば、自分も周りも、何であんなことに、あんなに必死だったんだろうって笑えるって。
なんであんなに先生は給食を完食させたかったんだろう(笑)。
みんなが掃除しているホコリっぽい中で食べることに何の意味があったんだろう(笑)。
なんで先生の言うことをバカ正直に聞いて、焦って、情けなくて、恥ずかしくなってまで食べていたんだろう(笑)。
ばかばかしい(笑)。
後になってみれば、すべてが「(笑)」です。
そんなに思いつめなくてもいいです。
少し離れれば、時間が経てば、広い世界に出れば、いつかは笑えることだから。
その程度の脱落では、あなたの価値にはなんの爪痕も残せない。
思いつめて辛くなっている人に届いて、少しでも楽になればいいなと思って書きました。
少し酔っていて。ごめんなさい(笑)。
朝からじゃないよ。昨日の晩だよ(笑)。