'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

思いあがりと絶望のあいだ

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目の前をあざやかに流れていくしあわせよ

 

 

 

 

何から、何て書いたらいいのか。

 

疲れて、いろんなことに悲観的になって、そんなことを昨日のブログにあげました。

 

 

こんな、誰の何の役にも立たない上に暗い内容、わざわざあげる必要ある?

自分の頭の整理なら、自分のノートだけですればいいことなのに。

カウンセラーを名乗ったブログでありながら、お役立ち情報1ミリもない。その上に不快誘うかも。

ブログ書くのに疲れてますとか、読んでくれる人に失礼だし。

有名人でもない私のブログを、読んでくれている人に。

 

 

そう思いながらも、とりあえず書いてあげました。

 

 

反応を見るのが怖いので見ない(笑)。

でも、午前の車での外回りの仕事を終え、はてなブログのお知らせメールから、コメントがついているのを知る。

木陰に車を停めて、さらにサンシェードで三方を遮光し、読ませてもらう。

日差しはきついけど、車は熱くなっていない。

外も涼しくて気持ちいい。

海風のせいかな。

仕事中だけど自由。外回り最高―!

 

 

 

4件もコメントがついていた。

このブログ上で、やりとりをしたことのあるみなさんと、弟子仲間。

朝にアップしたのに、みなさん素早く、午前のうちにコメントをくださっていた。

 

 

 

なんと言っていいか……

 

 

 

まず、みなさん、今日もブログを読んでくださったんだなということ。

ただただ、ありがとうございます。

 

 

そして、疲れたとただ吐き捨てているだけの私を励まそうと、さっそく声をかけてくださったこと。

何の得にもならないのに、時間と労力を使って。

みんな、やさしい。

 

 

あと、ブログ上だけでのおつきあいなのに、私の性質を感じ取ってくださっていること。

うれしい。

私の日々のブログ内容はともかく、そこから、私の人となりや、私が大切にしていることを感じ取ってもらえていることがすごくうれしい。

それだけで、とてもすごく報われる。

 

 

サンシェードで日差しと人目を遮断しているので、安心して泣く(笑)。

 

 

ただひたすらに、ありがとうございます。

 

 

 

そして、その日の師匠のブログも読んで、さらに泣く。

相談者さんの状況は、私が今問題にしていることとは全然違うけど、師匠の答えの内容に勝手に共鳴。

 

心の痛みはグングン右肩上がりに癒されていくのではなく、3歩進んで2歩下がる的な経過をたどるけど、それでもちょっとずつ進んでるから大丈夫だよ、的な話。

心の痛みは少しずつ、ちょっとずつだけど、着実に回復していく~痛みがぶり返した時はさらなる癒しのチャンス~ | 心理カウンセラー根本裕幸

 


私にも、当てはまっているのだろうか。

 

 



 

私だけ、いつまでも変わらない。

私だけ、いつまでも解決しない。

 

 

 

昨日書いたこの思いは前から、行き詰まると出てくることがある。

 

 

 

私は、まだカウンセラーの卵ではあるけれども、1人間としては、たくさんの人の相談を聞いてきた。

 

「話しやすい」、「聞き上手」、「わかってくれる」、「胸がスーッとする」、「安心できる」、「答えが一味違う」とか、そんなこといっぱい言ってもらってきた。職場の目上・目下の人から、患者さんから、友人から。

そうありたいと思っていたし、そういう自分が好きだったし。自分が無理なくできることでもあった。

 

 

気さくで、安心感があって、どんなに暗いことでもアホなことでも話せて、理解力があって、無私にそういうことがさりげなくできて、公明正大で。

そういう人でありたかった。

 

目の前の人が一番よくなるように。心から安心させたかった。

 

「私が関わったからには、絶対悪いようにはしない。」

そういうanego(懐)的思いで、周りの人と関わってきた。

 

 

だけど、誰よりも、気さくで、安心感があって、どんなに暗いことでもアホみたいなことでも話せて、理解力があって、無私にそういうことがさりげなくできて、公明正大でいようとしたら。

 

 

私以上に理解力があって、公明正大な人が、いない。

私が寄りかかれる人はいない。

 

 

私は、人の相談に乗ってばっかり。

そしてみんな幸せになっていって、私だけは、変わらない。

永遠に変わらない。

永久に不変。

永久に不変なまま死んでいく。

 

 

 

いや、目の前の人が本当にうまくいけばいいと思って、出し惜しみせず、いい方に行くように、安心させて、一番その人に合いそうなやり方を伝えてきた。自分なりに。

 

だから、いい方にいってほしいし、うまくいったらうれしい。

それがたとえ私のおかげとか何とか認識されなかったとしても、いいようにいったら、心でよっしゃと思っている。

そういう草の根運動で、ちょっとずつ世界がよくなっていけばいいって本気で思ってるとこがある。

それは私の本当の喜びだと思う。

 

 

でもじゃあ、私のことを、こんなに無私に、ベストな方法で導いてくれる人はいるのだろうか、いざ私が行き詰まったときは、誰が私にこんな風に救ってくれるのだろう。

 

 

 



いない。

 

 



 

私以上に理解力があって、公平無私な人は、いない。

 

私を助けられる人は、いない。

 

私は誰にも見つけてもらえない。

 

 

 



 

はいオーダー入りまーす。

つっこみどころ大量に入りましたー。

よろこんで!

 

 


 

私を助けられる人はいないって、そりゃねえぜ。

 

これまで、ぐるぐるぐるぐるしてるとき、いっぱいいっぱい時間使って相談に乗ってくれた人たちの時間返せ!!!

どんだけ世話なってきてるか!!!

 

いっぱい助けられてきたやろがい!

今回だって、会ったこともない人に、どんだけ励ましてもらっとんねん!!!

いっぱいいっぱい助けられてるし、ありがたいっていっぱい感謝もしてきたやん!!!

 

 

 

そう、「助けてもらう」というのも依存的だし、そもそも私が人を助けているというのも、おこがましい。

みんな自分の現実を生きているだけなのだから。

 

 

 

ただ、私は、気さくで、安心感があって、どんなに暗いことでもアホみたいなことでも話せて、理解力があって、無私にそういうことがさりげなくできて、公明正大な人でありたいと思っているけれど、自分以上にそうである人の登場を熱望していて、その人に全面的に寄りかかりたいと思ってる。

 

でも一方で、私以上にそうな人は、いないと思っている。

 

 

 

なんという思いあがり。

 

勝手に思いあがって、勝手に絶望してる。

 

 

 

わかってる。

周りの人の問題じゃない。

 

 

ほんとにいっぱい助けられてきた。

ほんとに感謝してる。

いっぱい大好きな人はいる。

昔からの友達も、最近出会ったばかりの弟子仲間でさえ、もうすでに、いっぱい助けてくれている。

それは、明らかに無私のもの。

 

 

でもそれでも、すべては寄りかかれないと思っているから、孤独を感じる。

 

 


そりゃそうだ。すべて寄りかかれないのは、それは誰でも。

あくまでも、誰だって、最後は自分でやるのだから。

誰でもすべては寄りかかれないのが当然なのに、すべて寄りかかりたいと思っているから、だから、悲しいのだ、たぶん。

寄りかからせてもらっても、まだまだもっと寄りかかりたいと思ってる。

手加減して寄りかかってる。

私の寄りかかりたい欲は、普通の人間の寄りかかられ許容量を超えてる。

 

 

 

つまり、依存したいということなのだろう。

 

 

 

やっぱり、子どもの頃、十分に甘えられなかったからということなのかなあ……。

 

 

あーなんかもう、話とっちらかってる。

結局なにが言いたいん?

そうそう、私だけ、いつまでも変わらないって話。

 

 

この春もさ、後輩男子の恋愛相談受けてさ、ちょっと年上の先輩好きになって気持ち伝えたけど、先輩は女の自分の方が年上なこと気にしてて、返事が保留になってるってさ。

私はその先輩女子のことも知ってて、彼女は性格的にも自分に自信ないほうやし、女が年上だとどうしても年のこと気にしてしまう、それは私もそうだから痛いほどわかる、だから、年齢のことは気にしてない、あなた自身を見てるってことをまっすぐ思うままに伝えてとにかく安心させろ、ストレートが結局一番って言ったら、うまくいった。

 

よかった、と思ったよ。

男子の恋愛相談聞いてたら、私より一回り以上年下の今どきのイケメンで、結構遊んできた人でも、こんなに純粋に女の人のこと想うんやって、うれしかったし。

年のことも乗り越えてさ。

 

でも。

なんで私のところには、いろいろ乗り越えて来てくれないんやろう。とも思った。




私はいつも助けるだけで。

私を助けられるほど深い洞察力のある人はいない。


 

 

 

損な役回りやなー。

いや、好きでやってるねんけどさ。

でもたまには助けられたいよなー。

いやだから、助けられてるねんけどもさ。。。

ただ、現実が一向に変わらない。

 

 

うん、現実は自分が作り出してる。

それも知ってる。

はいはい、変わらないのは、変わりたくないからですよね。

せっかく学んだこともこうして自分を責めるツールに……


だから、人がどうじゃなくて、自分の意識をなかなか変えられない私は、やっぱりきっと、一生変われないんじゃないか。

何かのできごとで、誰かとの出会いで、みんなどこかで切り替えて、変わっていってるのに。


私は、痛みはちょろちょろ積もっていくわりに、いつまでも現実に変化はない。

私は永久に不変。

このまま死んでいく。

 

 

 

あー後ろ向き(笑)。

拗ねてる。

ひねくれ坊主。ひねくれ坊子。

だから変わらん。


 

 

 

でも、師匠のブログは、それでも変わってるんだよ、と言ってくれているような気がして、泣いた。

 

 

ひさしぶりに、ひくひく泣いた。

ちょろ泣きは何度かあったけど。

 

 

 

泣いたらちょっとすっきりして、炭水化物がいっぱい食べたくなって、ローソンでツナマヨおにぎりとネギトロ寿司とバウムクーヘンと無糖のカフェラテ買って、職場に戻って涼しい顔して食べた。ほんとに冷房が涼しくて静かで最高だった。

そして泣いたからか、水泳の後みたいにちょっとけだるくなって眠くなった。

 

 

 

まだ根本的に解決してはないけど、みなさんの無私の愛で、泣かせてくれてありがとうございます。

なかなか変わらぬのは頑固者な私の問題であって、とりあえず昨日はみなさまの愛でカタルシスです。

おかげで7月の始まりがすてきになってうれしいです。

 

 

 

またただの吐き出しな上、昨日以上の暴言をお許しください。

ただひたすらに、ありがとうしかないです。

 

 

 

疲れは慢性的にあったけど、こんな風に気持ちくずすきっかけがあったのはわかってる。それを書くか……書きだすと、また長文の超大作になるやろうからなあ……一度着手したらやめられない。どうしよう。思案中。