'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

自分のなかなか変わらない困った思考グセを変えるには。親の口グセを振り返ってみる。

自分のなかなか変わらない困った思考グセを変えるには。親の口グセを振り返ってみる。

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

今日の夜は外食でした。

お店が早めに閉まるので、5時過ぎに入って。

早めに外食を済ますのもいいですね。

夜の時間をゆっくり過ごせる。

幸せだー。

 

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さて、昨日は、身近な人や自分が何か失敗したとき、

「もっとこうしたらよかったのに」

とつい言ってしまいそうになるというお話を書きました。

 

元は、妹との会話で気づいたことだったんですが、人に対してだけでなく、何か自分が失敗したと思ったときも、「もっとこうしたらよかった」と、自分を責めがちなクセがあるなと思ったんですよね。

 

で、この思考グセは、どこから来ているんだろうと考えると、父がそういう声かけをすることが多かった気がしたんです。

 

何か失敗したとき、といっても、受験だとか就職だとか、そういう重大なことでは、さすがにそんなことは言わないのですが、日常のささいなこと、たとえば、テーブルの上の物をひっくり返してしまったとか、何か物を失くしたとか、そういう日常のうっかりをしたとき、

 

「あー何をしてんねん!そんなとこ置いとくからや!」

 

みたいなことをよく言われた気がします。

 

父はまったく完璧な人間ではないし、せっかちで、いろんなところに頭や足の小指ををぶつけたりして、それこそ、「何してんの」と女3人(母と妹と私)に言われることも多かったのですが、清潔、戸締り・火の元管理などの防犯防災、車の運転などの安全管理、物の管理、時間の管理などにはきっちりしている方でした。

 

だから、そういう点では、父は先々を読んで効率的に判断して動くし、そうすることの後々のメリットを重視していたので、それができない・しない理由がわからないという感覚なのでしょうね。

なのでつい、「もっとこうしたらいいのに」と言ってしまうのだと思います。

 

しかも悪いことに、そういうときの父の声は大きめで、口調がきつい。

大きい声ときつい口調って、それだけで落ち着かなくて不快な感じするでしょう?

すごく責められてる感を感じるんですよね。

 

その言われ方が嫌いだったので、いつか父に、

「何でそんなきつい言い方するん?もっと優しく言ったらいいやん!」

と言ったことがあるんですね。

 

すると父は、

「何もきついことあれへん。普通の言い方や。」

と、ケロッとしていたんです。

 

なんと、責めているつもりも、きつく聞こえるという自覚もなかったんですね。

「あ、これ天然なんや」と思った記憶があります。

だから、あの人きついなあ、怖いなあと思う人がいても、こんな風に案外本人は悪気がないことも多いから、真に受けて自分を責めたりしなくても大丈夫です。

 

ちなみに母は割とおっとりした方なので、何か子どもが失敗したら、「ああ、かわいそうに。大変やったねえ。」と共感が先に来る感じでした。

 

だから、何か悪いことがあったことは、父には知られたくないと思っていましたね。

父に知られると、大ごとになる、失敗してダメージを受けているのに、さらに責められて傷口に塩を塗られる、というイメージがあったので。

 

 

これ関連で覚えているエピソードがあります。

私が小学1、2年のとき、朝からのどが痛いか何か不調があったけれど、学校に行ったら、帰って来て熱が出たということがあったんですね。

 

で、上の自分の部屋で寝ていたら、父が仕事から帰って来て、母が経緯を話したところ、

「何で学校行かせてん!」

と強い口調で言っているのが、階下から聞こえました。

 

別に、それ以上キレるとか、母に暴力を振るうとか言うわけでもなかったし、今となっては、父にとってはただの会話だったとわかるのですが、

「私のせいでお母さんが責められている」

「お母さんを怒らないでほしい」

と、大そう悲しかったのを覚えています。

 

その後、部屋に様子を見に来た母の顔を見ると、ツーッと涙が出てきてしまって、母も私も、父に言われたことについては何も言わなかったけれど、

「何であんたが泣くの。」

と悲しげな笑顔で頭を撫でてくれたことも、鮮明に覚えています。

 

あーすごく優しかったし、まじめだったし、深刻に考えていたんだなあ、子どもの私は。

 

 

父は、自分の言い方で、女3人の機嫌が悪くなったり言い返されたりすることで、徐々に学習していき、今では瞬間的にカッとなって、きつい口調で言うことも少なくなりました。

「あんまりやいやい言うたら嫌われるからやめとこ。」とか言っています。

学習能力があったことがせめてもの救いです(笑)。

 

 

ですが、私が、何か失敗をしたとき、

「もっとこうしたらよかった」

「私はまちがったことをした」

と、後悔して過去の自分を責めがちなのは、この父の言いグセの影響もありそうな気がします。

 

また、自分に何かネガティブなことがあると、

愛情からの心配ではあるものの、

父がその原因と思われるできごとや人物を責める

=大きな声を出す

=大ごとになってしまう

という感じがするので、

大ごとにしたくない、

そのために、自分は大丈夫でないといけない、

自分の身に起こった困りごとは親には言ってはいけないと、

弱みを見せられなくなったところもある気がします。

 

いつも大丈夫で、ひょうひょうとしていないといけない。

自分が悲しんだり辛そうだったりするところを親が見ると、親が悲しんだり怒ったりするから。

それを見るのが辛いから。

 

自分が責められているのでなくても、親が何かに怒ったり大きな声を出しているのを見るのも怖くて不快だったんですよね。

 

とまあ、自分の思考グセのルーツがわかると、

なあんだ、親の呪縛に囚われていただけの話か。

だったらもう、それはたった一つの真実ではないのだから、書き換えようと思えます。

 

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【今日のワーク】  ←唐突w

お父さん、お母さんなど、あなたを育ててくれた身近な大人の口グセは、何でしたか?

それを聞いてあなたは、どんな感情を感じていましたか?

そこに、あなたの思考グセの一端があるかもしれません。

もしそれが不快なものなら、それは手放し、あらためて自分にとって快適な思考グセを構築ましょ。

 

 

 

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