こんにちは、カウンセラーいなこです。
カウンセラー……はあ。モードになっていたのですが、先週末、カウンセラー講座があり、またちょっと持ち直しました。
月1回講座があるというのは、ちょうどいいタイミングです。
1人でブログとかやってると、だんだん考えが悪い方に行っちゃって膨らんでいく。
でも仲間と話すと、疲れてきている人が他にもいたりして、自分だけじゃないんだなと励まされる。
考えすぎだったなと偏りを修正できる。
今回は先輩にもいろいろお話をうかがえました。
仲間は大事ですね。
って前回のブログを読んでくださっている方は、今日の内容とのギャップに思わずつっこんでいるかもしれませんね。
前回やけに多幸的だったのに、この数日何があったんだ、揺り戻しが早すぎるだろうと。
まあ、そんなもんです(笑)。
でも基本的には不安はとても減ってますよ!これホント。
さて、講座では毎回、ケーススタディの宿題があります。
ありそうな架空の相談内容を各自分析してきてシェアし、最後に先生から解説をしてもらいます。
そこでは、悩みの構造だけでなく、その相談者さんの魅力・価値についても必ず考えるんですね。
頑張り屋さんだとか、家族思いの優しい人だとか、情熱的だとか。
魅力、価値の感じ方は人それぞれですし、正解も不正解もないので、みんなできるだけいろんな角度から挙げるんですけどね。
相談者さんが既婚者なら、その魅力の1つに、「優しい旦那さんと結婚できているから、そういう人と釣り合うくらい素敵な女性である」という魅力が挙がることもあります。
私もその点を挙げたりします。
でもそこで、人知れずざわっとしてしまうんですよね。
「てことは、結婚していない私は、素敵な異性と釣り合わない、女性としての魅力のない存在だと思われてるのか……」と、ざわっとちくっとしているんです。
みなさん、数学の「命題」って覚えてますか?
いきなりなんの話(笑)。
ある命題があるとします。
「ガーベラは植物である」
この命題は正しいので、「真」であると言います。
この命題の'逆'は、
「植物はガーベラである」
となります。
'逆'も成り立つ場合は、「逆もまた真なり」となりますが、植物すべてがガーベラではないので、この場合は成り立たず、「偽」であると言います。
さて、ここで1つの命題。
「結婚している女性は魅力的である」
そういう命題を聞いたとき、私の頭は、勝手に'逆'をはじき出して、さらに、「逆もまた真なり」とはじき出しているのです。
すなわち、「魅力的な女性は結婚している」。
そこで、ざわっとちくっとするんですね。
この瞬間、ああみんなは、「あいつ、残念なやつ」と思ってるのだろうなと。
一方で、自分が誰かをほめるとき、たとえば、「背高いね、スラッとしてかっこいいね」と誰かをほめたとして、そこに「背の低いやつはサイテー、かっこ悪すぎ、見てられへん、生きる価値なし」なんていう思いをこめてるかって言ったら、まったくそんなことはないんですよね。
そんなことみじんも考えてない。
ただ目の前の人の、目についたいいところを口に出してるだけなんです。
でももし、自分は背が低いと気にしている、自己肯定感の低い人が、その周りに居合わせたら、自分が否定されたように感じるかもしれないんですよね。
「結婚していない私は魅力的な女性ではない」という話に戻すと、「魅力的だ」という尺度自体がすでに主観的なので、この命題はもともと証明しようがないものなのですが、結局は、誰より自分が、そう思っているということなんですよね。
「私を魅力的と思いなさい!」と強制的に思わせることもできないし(惚れ薬的なものでできるならしたいよ・笑)、結婚とかそういう話は私の前でタブーにしてもらって、腫れ物扱いされるのもいや。
「結婚してなくても関係ないよ、あなたは魅力的な女性だよ」とか、無理に気を遣って言われても満たされない。
結局、他人がどう言っても、私は納得しないんです。
めんどくさー。
自分は魅力的な人間であると他人に思ってもらいたいんだけど、それは自分でしか解決できないんです。
ただ私は、結婚してるとかしてないとか、そういう条件関係なく、魅力も欠点もある、普通の人として見てほしいだけ。
……だから、そうやん。
そう思えばいいやん、自分で。
自分がそう思ってたら何の問題もなしやん。
ってとこに還ってくるんです、結局。
誰より自分が、結婚してるとかしてないとかの条件を気にして自分をジャッジしている。
だから、他人にもそうジャッジされているように感じる。
どこまでいっても自分なわけです。
どこまでいっても自分自分自分自分自分自分自分自分自分自分自分……
自分1日3000個。
餃子1日100万個。
食は万里を越える。
はあー。
いつも自分に還ってくるのがしんどいですよねー、心理学って。
たまには人のせいにしたい。社会のせいにしたい(笑)。
「事象Pは素晴らしい」と言っただけで、「素晴らしいものはPである」(逆)、「Pでないものは素晴らしくない」(これは'裏')なんて、ひとことも言ってないのに。
その、'逆'はほんとに真なの?
自分以外の誰かがほめられているとき、この、「逆もまた真なり」変換を自動的にやっちゃって、自分を否定してることってありませんか?
自分が自動的にやっちゃってるだけだから、それを手動で修正して、自分で変えることもできます。
それが、心理学のいいとこです。(どないやねん)
やってるあなたは、まずはその自動変換システムに気づいて、せっせと手動で修正修正。
地道に修正していきましょう。
仲間がいてくれれば、私もがんばれる(笑)。