こんにちは、カウンセラーいなこです。
これまでこのブログで、「ふわふわスピリチュアル」なんていうことばを何度か書きました。
私の造語です。スピリチュアルの中でも、「大丈夫ですよ」、「あなたは光の存在です」、みたいに、特にやさしく語りかけてくれるものを指しています。
スピリチュアルを揶揄しているかのようですが、そういうわけではありません。
便宜上、自分の中で分類しているだけ、そして少しおもしろおかしく言っているだけです。
いや、揶揄しているとしたら、「ふわふわスピリチュアル」に寄りかかっていた過去の自分自身かなあ……
私自身、スピリチュアルな考え方は嫌いではありません。
よくよく考えると、ビッグバンとかこの地球の存在自体が不思議ではあるし、今の人間が解明しきれないだけで、スピリチュアル界で言われていることと、科学には矛盾がないのではないだろうかとも思っています。
ただ私が割と現実的なので、すべては信じきれていないですが。
そうだったら楽しいなあ……と半分夢をみる感じでそういう読み物を読んだりしています。
でも、楽しむというより、寄りかかってしまっているときがあったんですよね。
いや、幸運が訪れるという怪しい壺を買ったとかではありませんよ。
たとえば、引き寄せの法則とか、スピリチュアルなことに初めて触れたときって、「え?いい気分になるだけで夢が叶うの??」とか、衝撃を受けませんでしたか?
引き寄せの法則を例にとりましたが、スピリチュアル初心者にありがちな罠なんですよね。
ただただ何もせずに、不安な気持ちいっぱいでとにかく奇跡を願うという(笑)。
あれ、ぜんぜん叶う気しない・・・
ちょっとかじっただけの人には、そういう誤解が生じやすい。
本当に極めている人は、本質を理解しているからそういうことにはならないと思うのですが、私は、やさしく語りかけてくれているスピリチュアルなブログなんかを見て、奇跡を願うだけになっていた時がありました(不安満載でまったくいい気分じゃない・笑)。
眠いのは次元上昇のサイン?私眠い、眠いわ!ついに次元上昇するのかも……!(だいたいいつも眠いやん)
この夢をみるということは、もうすぐ幸運が訪れる兆しなのかも……!(何かの夢を見たら、「○○の夢␣スピリチュアル」と都度スピリチュアル的な夢の意味を検索していた)
流れに身をゆだねるのか……何もせずに待っていれば、私の本来の場所へ連れて行ってくれるはず……!だから何もがんばってはいけない!(ただただ何もせずに救いを待つ)
だけどたまに、引き寄せの法則を広めている人でも、「何もせずに待っているだけではいけません。行動が一番大きなエネルギーです。」とか書いていたりして、「え?結局普通にがんばらなあかんの!?がんばった方がいいのかがんばらない方がいいのかどっちなん??」と混乱したりするのです。
いや、そうなんですけどね。
本質を理解していないと、こうなるんですよねー(笑)。
表面上の字面だけの理解だと、スピリチュアルはヤケドするんですよね(笑)。
なんていうか、そういうことじゃないんだなー(笑)。
でもある時、「あれ、私、神やら宇宙やらハイヤーセルフやらに救ってもらうのを待ってるだけで、何もしてないやん!現実逃避してるだけやん!」と気づいて、「普通に行動しよ」って思ったんです。
一周回って帰ってきた。
そのときに、ちょうどバランスがいいなと感じてたどり着いたのが、カウンセラー・根本師匠のブログです。
流れに身をゆだねるということの本来の意味、行動した方がいいのか悪いのか結局どっちなのかが、一周回って今は、だいぶわかってきました。
でも、辛いとき、不安な時は、「あなたは守られていますよ」、「大丈夫ですよ」、「辛いできごとは好転反応です」というようなことばにすがりたくなるんですよね。
辛いとき、ふわふわスピリチュアルは特に好きでした。
そんな時期に、戦略的なコーチングとかはしんどい。
ここで話が少しそれますが、私は、今の本業は医療職ですが、医療や介護の世界の入り口で習う、「障害受容の過程」というものがあります。
「障害」ということは、「治らない」ということです。
ご本人にとっては自分のアイデンティティを揺るがす一大事で、大きなショックを受けて当然のことです。
なかなかすぐには受け入れられない。
だから、病気やけがをして、障害が残ってしまったとき、それをどうして受け入れていくかの過程を医療人側も知っておき、その方の今の状態によってどのように関わるのかを考えることが必要です。
その障害受容の過程を簡単に紹介すると、
【ショック期】発生直後に衝撃を受ける、自分のこととして実感しにくい。
【否認期】治らないということを否定する。きっと回復すると期待する。
【混乱期】回復が難しいと悟り、「なぜ自分が」など怒りを感じたり、悲しみ、抑うつなどの混乱が起きる。
【解決への努力期】障害を受け入れ始め、前向きに努力しようとする。
【適応期】障害を受容し、自己の価値は変わらないと適応する。
とこんな感じです。
もちろん実際は、こんな教科書通りに感じにスムースに行かず、各期を行ったり来たりしながら、少しずつ受容されていくのですが、これを、たとえば、「突然フラれちゃった」という失恋に当てはめるとイメージしやすいかもしれません。
最初は「フラれたなんて、え?え?何かの冗談だよね???」と、ただただ衝撃、
これは何かのまちがい、きっと戻ってくると信じる、
どうやら本当にフラれて、あの人は戻ってこないのだとわかり始めて、怒り、悲しみ、うつっぽくなる、
フラれたことを少しずつ受け入れ始め、乱れていた生活を取り戻そう、彼以外の楽しみを探そうとしだす、
これも自分に必要な経験だった、いい時間だったと受け入れ、自分の中で下がっていた自己価値も取り戻す、
といった具合に。
と盛大に話がずれましたが、この、ショック期から混乱期の間は、やさしくしてほしいよねということです。
そんな時期に、「悲しんでばかりいないで、もっと他にもいい人がいるんだから外に目を向けなさい!」とか、「恋愛以外にも楽しいことがいっぱいあるでしょ?」とか言われても、なかなか切り替えられないと思います。
恋愛以外でも、仕事での失敗とか、身近な人との別離とか、ショックなこと何でも。
で、私は、そういう時期に、ふわふわスピリチュアルを好んでいたんだなと思います。
そこで、思う存分悲しんで、やさしいことばに守られてどっぷりつかることができたから、「ん?私何もしてないやん。何か行動しよ。」と自然と切り替えられたんだと思います。
それを経たから、自立的な提案もしている、根本師匠のブログに出会って、そっちの方に興味が移ったのでしょう。
だから、ふわふわスピリチュアルに偏っていた頃の私は、その本質を理解はしていなかったけれど、それでもその時それが必要で、癒されていたんだなあと思うのです。
そこにどっぷりつかったからこそ、救いを求めるだけに飽きて、自然とまた自分で歩き出せるようになったのです。
ふわふわスピリチュアルの解説とか、障害受容の過程とか、あちこち話が飛びましたが、言いたいことは、辛いことからの回復は、「回復した/していない」の単純な二択ではなくて、段階があるということ。
だから、いきなり立ち直れないのは当たり前だし、めちゃくちゃショックな時に、無理にポジティブな考えを投入してもそう思えないのは当然です。
悲しい時期は、悲しいままでいい。それをどっぷり味わい尽くせば、次の段階に移れる。
むしろ、今まだ悲しみのステージにいるのに、「いつまでも悲しんでいてはいけない、強くならなくちゃ、明るく前向きにしなければ」なんて中途半端に悲しみを封印してしまうと、いつまでも悲しみのステージの卒業証書はもらえないのです。
悲しみのステージを卒業するためには、思いっっきり悲しむこと。
それが卒業のための唯一の課題です。
各ステージの長さは、できごとの大きさ、元々の性格や経験、周りにいる人の協力などによって人それぞれ。回復までの早さは、人と比べられるものではありません。
長くて不安になっても、いつかは終わると信じて、安心してそのステージをやりきってください。
カウンセリングの話に絡めるなら、悲しみのステージにいるときは、ガンガン系のコーチングはきっとしんどいです。それ自体がどれほどいいものでも。
まずはただ聞いてもらう、というのでも十分かもしれません。
元気になってきたら、具体的な提案をしてもらったり、これからどうしたいかを描くお手伝いをしてもらうのもいいと思います。
そこは、カウンセラーが、この方に今必要なのはこういうことかなと考えて、自然としてくれると思いますが、それぞれ得意不得意やキャラクターがあるので、ご自分で選ばれるときは、その人が発信されたものなどを見て、そのときの自分に合いそうだなあ、落ち着くなあ、話してみたいなあという人を選ぶのがいいと思います。
と、話があっちこっちとっ散らかりましたが、今のステージでやるべきことを、安心してやろうというお話でした。