'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

心がしんどいとき。根本治療と対症療法の両方の視点を持つ。

f:id:inainaco:20200929122758j:plain

 

 

 こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

第2弾無料カウンセリング・モニター募集を始めて、ありがたいことにまたお申込みいただいております(^▽^)

第2弾募集は、残り1枠となりましたので(9月29日10:30現在)、ご興味ある方は、ぜひぜひご検討お願いいたします。

 

なお、9月29日10:30時点で、すでにお申込みくださっている方には、みなさんZoomアドレスの入った詳細メールをお送りしております。

万が一、「申し込んだのにまだ届いていない」という方がいらっしゃいましたら、お手数おかけしますが、申し込みフォームよりご連絡ください。

以前に1件だけ、お送りしたのに届いていないということがありました。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

さてさて、今日は、心がしんどいときの対処法について、お話ししたいと思います。

 

 

人の言うことがグッサリ刺さって傷つく人って、だいたい、自肯定感が低くなっちゃっていることが多いです。

はい、私です。

もうさんざん、しょうもないこと言ってチクチクしてくるやつへの文句(笑)を、このブログに書いてきましたからね(笑)。

 

でもそうやって、人のことばに傷つくということは、実は自分が一番そう思っちゃってるということなんです。

 

 

たとえば誰かが

「いい年して結婚してない人には、やっぱりなにかある。」

と言っているのを聞いて、

 

I子さんは

「ああ、やっぱり私は、なにかある、残念な人だと思われてるんだな。私はいい年して結婚もできない欠陥人間。女としての魅力ないんだな、売れ残りのかわいそうな人と思われてるんだな。みじめ。恥ずかしい。あーいっそもう、誰も私を責めることのない人里離れた山奥に移り住んで自給自足の暮らしを送りたい。」

と思ったとします。

 

そしてI子さんは、他の同世代独身女性たちも、そんなことを言われたら当然、自分と同じように、そのことばに憤り、傷つき、いたたまれなくなるものだろうと思っています。

 

だけど、違うんですよねー。

 

 

世の中には、I子さんと同世代で同じ状況でも、

 

「結婚なんか、別にどっちでもいいやん、自由やん。」

「今の生活楽しいし、私にはこっちの方が向いてる。」

「てか、結婚してても大してしあわせそうじゃない人もいっぱいいるやん。」

「そんなん言ってるけど、そいつなんぼのもんなん?ほんまに結婚してる人はみんな立派なん?」

「まだ結婚してないってことは、これから選び放題やん、希望しかない。」

「ふーん。」

 

で済ませる人がいるんです。

いるんですよ、奥さん!

 

 

つまり、ベースの考え方、観念、そして自己肯定感が違うんですよね。

I子さんは、自分はダメだ、価値がない、魅力がない、自信がない、と思っているから、それを刺激してくることばを全部うのみにして信じて、自分を責めてしまうんです。

 

 

逆に、この自分でいいわ、これがいいわ、よくやってるもん、好きだわ、って思えていれば、周りの人がどんなことを言おうと、それはそれ、人は人、私は私の精神で、

「ふーん。」

で済ませられるんです。

 

 

 

だから、周りの人どうこうより、自分の自己肯定感を見直すのが、根本的な問題解決になるよねということなんですが……

 

そうなんですがね。

そう言われて、一朝一夕に上がるものでもないんです、自己肯定感は。

 

今までの生い立ちとか、教育とか、もちろん生まれ持った性格とか、もういろんなものの積み重ねで今の自分があるわけですから。

 

「あなたの自己肯定感が低いのが問題です。それを上げればすべて解決します。」と言われたからって、「はい上げましたー!」とはなかなかならないんですよね。

 

 

でもやっぱり根本治療しないと、いつまでもチクチクすることが起こってくる。

でも時間はかかる。

がんばってもなかなか進まない。

なかなかしんどいのがなくならない……

 

 

 

そんなときはぜひ、根本治療と対症療法の両方の視点を持っていただけたらと思います。

 

 

たとえば、事故に遭ってけがをしたとします。

両手両足に打撲や骨折をして、1人で座ることもできません。

いつも痛そうなたとえで本当にごめんなさい。医療人なのでついそんなたとえばかり浮かんでしまいます。

 

必要な手術をして、炎症が引くのを待って、リハビリをして、じっくりと骨や筋肉が回復するのを待ちましょうね、焦らず気長に治していきましょうね。

これが根本治療とします。

 

でも、そうは言っても、治らないうちから、というかもう今日ただ今から、トイレにも行かなきゃいけないし、ご飯も食べなきゃいけない。

それを、どうする?

とりあえず、この包帯ぐるぐるであちこち痛い状態で、トイレはどうやって済ます?

尿器を使おうか?

それも難しいならおむつにする?

ポータブルトイレ(簡易の移動できるトイレ)を設置する?

介助できる人は家にいる?

そんなことを考えないといけません。

 

完治するまでも、生活していかないといけないのです。

完治するまでの時間も、その人の大事な人生の一部です。

できるだけ快適で、その人に合った生活をできるようにした方がいいのです。

 この、当面何とかするのが、対症療法。

 


 

これを、さっきのI子さんの話に当てはめてみると、

 

周りの人に言われることで傷ついてしまう、それは自分の自己肯定感が低いのが、原因です。

だから自己肯定感を上げていきましょう。

これが根本治療です。

 

でも、そんなにすぐは上がりません。

すぐに上がればもちろん、それでいいんですよ!

上がるまで、毎日辛いです。

じゃあ、とりあえず、引っかかることを言ってくる人からとりあえず離れよう、

イヤなことばが入ってこない環境に自分の身を置こう、

親身になってくれる友達にやさしくしてもらおう、話を聞いてもらおう、励ましてもらおう、

自分の好きなことをしてちょっとでも楽しい気分でいよう、……

これが対症療法、とりあえずの当面の対処法です。

 

 

根本治療をしながら、並行して、当面の対処もしていくのです。

 

 

 

私は、根本治療にしか意味がないと思っていました。

イヤな人を避けるのは、根本解決になっていない。

自分の自己肯定感を上げなきゃ、どこに行っても同じことだ。

だから、逃げていないで、辛いこともがんばって、どんな人とも向き合って、強くならなきゃ。

 

変なとこまじめでストイックでした(笑)。

 

 

違うんです、根本的に解決する前から、どんどん楽していいんです。

とりあえず、その場しのぎで楽になっていいんです!

 

 

むしろ、そこで、「これは根本解決ではない、辛いことも乗り越えねば!」と痛い状況にい続けると、ますます自己肯定感下がります。

 

けがしてるのに、トイレの行き方工夫せずに今まで通りのやり方で無理して行っていると、骨や筋に負担がかかり、炎症がよけいにひどくなります。

行けないからって治るまでトイレに行かなかったら(無理だけど)、毒素がたまって他の病気になります。

治るものも治らなくなります。

 回復をかえって遅らせるんです。


 

だから、根本治療は一生かけてじっくり少しずつするつもりで。

「あれ、ちょっとよくなったかな?」って、自分の変化を楽しみながらちょっとずつするつもりで。

 

対症療法でとりあえず今すぐ楽になってください。

それはズルでもなまけでもなんでもありません。

むしろ、対症療法、当面の対策が、根本治療を促進するんです。

当面の対策ができていると、不快が減るので、根本治療にも腰を据えて取り組む余裕が出てきます。

 

対症療法を、あなどるでない。

 

 

 

とりあえず、楽しいことしよー。

好きな人といよー。

楽になろー。

 

堂々と。

 

 

あ、ちなみに、カウンセリングは、根本治療にも対症療法にも使えるツールです(//▽//)

 

 

 

ということで、心がしんどいときも、根本治療と対症療法の両方の視点を持つといいと思いますというお話でした。