甘えるだけで、喜びになることができたのになあ。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
今日は身を縮こまらせずに過ごせる暖かい日でした。
昨日、祖母が亡くなりました。
数年前から、実家近くの施設にお世話になっていたのですが、
数日前に、施設の方から、
ずっと眠ったままなので、そろそろ覚悟を決めた方がいい
というご連絡をいただいていました。
昨日、血圧が下がってきていると母から連絡があったので、
お願い間に合ってー!と車を走らせましたが、10分ほど間に合いませんでした。
施設の玄関に着いたら、ちょうど父が出てきて、
「今死んだ。必要なもん家に取りに行ってくるわ。」と。
父の糸のような目(笑)に、ちょっと涙が浮かんでいました。
病気でもなく、
だんだんと眠るように亡くなって、
家族は心の準備もできたし、
97歳という年で、十分、老衰と言っていい亡くなり方だったので、
もちろんさみしいけれど、家族も大往生だったと納得しています。
子どもの頃の、祖母との1番の思い出は、
奈良の長寿村に、妹と私を連れていってくれたこと。
長寿村ってどこよ(笑)。
スーパー銭湯みたいなところです。
今はもうないみたい。
関西の方なら、奈良なら(←ナラナラ言い過ぎ・笑)、「奈良健康ラ〜ンド♪」のCMの方が聞き覚えありますよね(笑)。
子どもの頃の、
デパートに行ったりだとかの普段のお出かけといえば、
「母と妹と私」というのが最小単位でした。
旅行とか初詣とか家族行事には、
そこに父が加わる感じです。
だから、母抜きで、「祖母と私と妹だけ」というシチュエーションが、めずらしかった。
最初で最後だったと思います。
どこに行くにも、いつも母がいて、
母が、その他の大人との間のワンクッションになってくれていたから、
母のいない状態で祖母と出かけるのは、
子どもの私には少し緊張することでした。
その、長寿村に行ったのは、小学校1、2年生くらいだったんじゃないかなあ。
いや幼稚園?
ともかく、妹は4歳下で頼りにならないし(笑)、
私が、まず祖母に対応せねばという気負いがあった気がします。
2歳ころまで私は祖母と同居していたのですが、
覚えていなくて、
その頃も、祖母と月1回くらいは会っていたのに、
子どもの私は人見知りで、
祖母にも子どもらしく屈託なく甘える感じではありませんでした。
長寿村(←言えば言うほど何かおもしろい・笑)には、いろんなお風呂の他に、プールもありました。
祖母も私も平泳ぎで泳いだ気がします。
裸でみんなが泳いでいる情景に、子ども心にシュールな印象を持ったのを覚えています(笑)。
その後、
そこの食堂で、ごはんを食べさせてもらい、
売店で、人形を買ってもらった気がするんです。
たぶん、祖母が、
「何か買うたろ」とか「いなこちゃん、好きなん選び」とか言ってくれたんだと思います。
私は、何の日でもないのに、おもちゃを買ってもらうなんて、思ってもいなかったし、
ましてや自分からねだるとか、しなかったはず。
「買ってあげる」と言われても、積極的に選ばなかったと思います。
買ってもらうという発想がないし、
突然言われても、その中に、欲しいものがなかった気がする。
遠慮もしていたでしょう。
祖母は、孫を存分にかわいがってやるつもりで連れてきてくれているので、
「これにしとくか?」と、
最終的には祖母主導で決めた気がするんです。
ほとんど薄らいでいる記憶ですが。
そして、大した盛り上がりもなく(笑)、帰ってきたんじゃないかと。
そのことを思い出すと、
お出かけに連れて行ってもらえることをもっと飛び上がって喜んだり、
食べたいものを食い気味に選んだり、
おもちゃをねだったり、
もっともっと子どもらしく、思いっきり祖母に甘えられていたら、
どんなに祖母を喜ばせてあげられていただろうと、切なくなります。
祖母は、孫を喜ばせてやろうと、せっかく私たちを連れて行ってくれたのに、
おとなしくて、
大したリアクションもなく、
何とも甘やかせ甲斐のない子どもだったなあと。
私なりに、
緊張していたし、
祖母とはいえ、50歳以上離れた人と何を話していいのかわからなかったんだと思うし、
その年ですでに、気を遣って、受け取ることが苦手だったんだとは思うのですが。
今なら上下何歳差の人とでも、楽しく話す自信があるんだけどなあ(笑)。
もっともっと、
子どもらしくいっぱい甘えて笑って喜んで、
おばあちゃん冥利につきる思いをさせてあげたかった。
甘えるだけで、祖母の喜びになることができたのになあ。
そんなこと思いもしなかった。
それを思うと切ないです。
大人になってからは、祖母とも楽しく話せるようになりましたけどね。
でも小さい子特有のかわいらしさとは、また違いますよネ。
しかし、こうして人が亡くなると、時代が一つ終わった感じがします。
別に祖母は、一時代を築いた人でも何でもないのですが(笑)。
コロナが終息した後のこれからの時代を、祖母は知ることはないんだなあと思うと、
もう、違う時代の人になっていくんだなあと、さみしいし、不思議な感じがします。
もちろん、私だって、コロナ後の時代を、どれだけ生きられるかなんてわからないんですけど。
前回の続きをと思ったのですが、今日はただの日記を長々とごめんなさい。
また次回に書きますね。
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