'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】上手くなりたいのか。上手くなるための努力がしたいのか。

 

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

「上手くなりたい」のか、はたまた「上手くなるために努力したい」のか。

この2つは同じ願望のようでいて、似て非なるものです。

単なることば遊びのようですが、目標を掲げるとき、そこに注意されてみるといいかもしれません。

 

てことで、オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェに寄せられたご相談にお答えしました!

元のページはこちら

 

 

 

f:id:inainaco:20200602211212j:plain

 

 

 

【ご相談】能力を伸ばす努力ができない

初めまして。 私は絵を描くことが好きです。

2,3歳のときから絵を描き始めて、アニメの絵を勉強する専門学校ではクラスで2番目くらいには上手でした。少しだけなら絵の能力があるのですが、それを伸ばすための努力ができません。

今は週3日しか働いていないので、一日5時間くらい絵を練習したい、できれば8時間練習したいと思うのですが、1時間練習すると疲れてしまいます。 過去にまともに受験勉強をした経験もないので、堪えて頑張る根性を身につけていません。ましてや絵を描くという楽しいことなのに、私は投げ出してしまいます。 上手くなりたい気持ちはあるのに、それ相応の努力ができないのでここ五年間でほぼ絵が成長していません。

好きで上達したいことのために努力できるようになるにはどうすればいいでしょうか。

(りりさん)

 

 

 

【ご回答】

りりさん、はじめまして。

いなこと申します。

以後お見知りおきを。

 

ご相談ありがとうございます。

絵を描くことがお好きで、専門の学校も出られているとのこと。

 

「少しだけなら絵の能力がある」

とご自分で記述されるということは、

私が独自に導き出した、謙遜・照れ・自分への厳しさなどの割合を除いて真の値を算出する計算式(年末調整よりもずっと難解な計算式です)に当てはめると、

「めちゃくちゃうまい」

という解になります。

 

ということで、すごくお上手なのだとお察しします。

 

拙画をブログに恥ずかしげもなく掲載している私が、そんなりりさんに絵のことでとやかく言うのは、正直おこがましい感じがするのでお答えするのは控えようと思っていたのですが、絵描きとしてではなく、カウンセラーとして、お伝えできることをお伝えしてみようと思いました。

 

ということで、気になったことを1つずつ書き出してみますね。

 

 

1.上達がしたいですか?それとも努力がしたいですか?

りりさんがくださったご相談文の締めに、ずばり、

>好きで上達したいことのために努力できるようになるにはどうすればいいでしょうか

と書かれています。

ここで考えてみていただきたいのですが、りりさんは、

上達したいのでしょうか?

それとも

努力できるようになりたいのでしょうか?

 

>過去にまともに受験勉強をした経験もないので、堪えて頑張る根性を身につけていません。

>ましてや絵を描くという楽しいことなのに、私は投げ出してしまいます。

>上手くなりたい気持ちはあるのに、それ相応の努力ができないのでここ五年間でほぼ絵が成長していません。

とも書かれています。

 

りりさんは、ご自分のことをどこかで、

「努力のできないダメな人間」

と思われているふしはないでしょうか?

 

心理学的には、人は、その感情を感じたくて感じていると考えたりします。

その理屈でいくと、りりさんは、

「自分は努力できないダメな人間だ」と確認したいがゆえに、絵の上達のために努力できないことを持ち出している

ところはないか、ということなんです。

悩んでいるのにそんな風に言われると、なんだか腹立たしく思われると思うんですけどね(^^;;

ハハ、ほんとごめんなさい(^^;;

 

目標を立てるとき、

「○○するために努力したいと思います

という目標にしてしまうと、

「努力すること」が目標になってしまうので、努力しなければいけない現実ばかりがやってくる。

それより、「○○します」という目標にした方がいい、なんて言ったりします。

 

もし、りりさんが、「努力がしたい」のではなくて、「上達がしたい」ということであれば、努力にこだわらなくても、上達してしまえばいいと思うんです。

 

 

2.努力の方法にも、上達の方法にも、いろいろある

そして、努力するにしても、方法はいろいろあります。

「○時間絵を描き続けた」と、時間換算にすると、わかりやすく努力してる感が出ますが、長時間書き続けることだけが努力の方法ではありません。

 

私のばかばかしい思い出ですが、学生時代、テスト勉強しなきゃいけないとき、「遊びの予定を入れずに○時間は勉強するぞ」と思って時間を確保したものの、まったくやる気になれず、結局だらだらごろごろして、ぜんぜん進まなかったということがたくさんありました。(むしろそんな記憶しかない・笑)。

こんなことなら、思いきって遊びに行って、気分転換して、集中してスパッと1時間だけ勉強した方がよっぽどよかったなって、後から思うんですよね。

 

りりさんは、そんな私とは違うとは思いますが(笑)、時間をかけただけ成果が保証されるというものでもないと思うんです。

人間の集中力もそんなに続かないですしね。

人それぞれ合う方法は違いますし。

 

りりさんが、長時間の練習に向かないタイプなら、

時間単位で練習をするのではなく、テーマを決めて練習する、

たとえば、「今日は目を立体的に描けるようにやってみよう」というような練習法もいいかもしれません。

 

 

3.「好き」の概念に縛られていませんか?

りりさんは、

>ましてや絵を描くという楽しいことなのに、私は投げ出してしまいます。

と書かれていますが、

「好き」とは、いつでも楽しくて、四六時中そのことをやってしまうもの

というようなイメージをお持ちではないでしょうか?

 

ノンノンノン。

好きでも、飽きるときもあれば、今日はしたくないときもあるのが普通だと思います。

 

大好きな恋人がいても、ずーっと一緒にいるのはしんどかったり、他のこともしたかったりするのと同じです。

ハンバーグが大好きだからって、毎日三食ハンバーグしか食べないのではないのと同じです。

 

「ベースは好きだけど、飽きる時期やしたくない時期もある」

それでもう十分好きだということです。

 

どの道のプロの人でも、そんなものじゃないかなと思うし、むしろ好きでいるために、うまく気分転換をして、インスピレーションを受けるために、他のことも楽しまれている人も多いと思います。

絵であれば、描きたいなと思うシーンに出会うために、他の業界を知ったり、新しい経験をしたり、旅に出たりするのもいいですし、自分で描かなくても、他の作品に触れるのもいいと思います。

 

だから、好きなはずなのに、楽しいことのはずなのに、たくさん練習できないと自分を責める必要はまったくなくて、

むしろ、好きでいるために、適度な距離を保って、楽しくできる範囲でされてはどうか

と思います。

りりさんが好きなこと、したいことは、

「絵を長時間描いて努力すること」ではなく、

「絵を描くこと」ではないですか。

きっと。

 

 

4.最後に、絵の上達の仕方について。

最後に、ちょっとした豆知識くらいに読んでいただければと思うのですが、

運動は、練習量に比例して直線的に上達していくのではありません。

練習しているのになかなか上達しない時期を経て、

あるとき知識や体の感覚などが統合されて、グッと急激にうまくなる、

というS字のような曲線をたどって上達すると言われています。

 

やり方を頭で学んで、やってみるけれどなかなかできなくて、あるときパッとすべてがつながって、スムースにできるようになる。

知識や頭の中のイメージと身体の感覚が一致して、「つかめた!」ってなる感じ。

スポーツをされていた方は、そういう経験をされたことがあるのではないでしょうか。

 

 

f:id:inainaco:20201127194338j:plain

△スポーツの上達の仕方イメージ図

 

 

絵も、目で見て手を動かして描くという点では、運動の学習に似ていると言えます。

なので、練習しているのになかなか上手くならないという時期を経て、あるときすっと描きやすくなる、ということを繰り返して上達していくのではないかと思います。

 

だから、なかなかうまくならない時期もあるけれど、楽しく続けていたら、まちがいなく上達していくんじゃないかと。

なんせ私の計算式では、「めちゃくちゃうまい」って出てますからね。

ということで、何より絵を好きでいてくださいませ。

 

努力することと同じくらい、「ノッてる」っていうことも、上達するには大事かなあって思うんです。

 

 

以上、何かの足しになればうれしいです。

 

ご相談ありがとうございました!!!

 

 

 

 

かく言うわたくしも、今年に入ってからはカウンセラー活動に忙しく、数えるほどしか描けていません。

1年で10枚いってないな(^^;;

3、4年前に描いたものなどを引っ張り出して、ブログの挿絵として使っております。

主線が鉛筆のものは昔のものです(^^;;インクのは割と最近。

 

だけど不思議なもので、描いたときには、どこかパッとしないのはわかるけど、どこがどうおかしいのかわからなかったのが、今自分の昔の絵をこうして改めて見ていると、わかるようになっています。

見るだけでも学習が進んだりするんですね。

そんなパッとしないと思っているものを、恥ずかしげもなく全世界に配信している絵描きもおります(^^;;