'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

Q.みんなが自分に正直に生きると、世界はめちゃくちゃになるのでは? A.ならねーよ。 ―いなこ的 自分軸考―

 Q.みんなが自分に正直に生きると、世界はめちゃくちゃになるのでは? A.ならねーよ。 ―いなこ的 自分軸考―

 

 

カレイの煮つけを食べた後、パソコンを触っていると、なにか魚臭い。

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

クンクンして位置を特定すると、どうやら気づかぬ間に袖口が煮汁に浸ったようです。

こういう食べ物のにおいって、食べているときはいいにおいなのに、食べ終わって服についたりすると、とたんに不快なにおいになりますね。

部屋着のフリース、洗濯しよう。

 

 

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さて、昨日はお悩み相談で、

「どんな選択をしても、

自分のために主体的にその選択をしたと思えると、

同じことをしていても心持ちがまったく変わりますよ」

ということをお話しました。

お金のために好きではない仕事を我慢してするか、したい仕事のためにお金を我慢するか。ーライフワークがまだお金にならない期間の生活のしかたー 

 

 

昨日のご相談は、

お金のために好きではない仕事をするか、

お金のことは多少我慢して、興味のある仕事に就くか

という内容だったのですが、

 

「どんな選択をしても、

自分のために主体的にその選択をしたと思えると、

同じことをしていても心持ちがまったく変わりますよ」

というのは、

すべての選択、行為に当てはまります。

 

 

たとえば、心のことを勉強していると、

「自分の心に正直になりましょう」とか、

「自分軸で行動しましょう」

といったことをよく目にすると思います。

 

こう聞くと、心の勉強にたどり着くようなまじめで素直な方は、

「そうか!

いつも自分に正直に。

自分を偽ってはいけない。

いつも本心を言わなければいけない。」

と解釈しがちです。

 

 

だけどそれももしかしたら、少し早合点かもしれません。

 

 

まず、自分の心の中では、自分を偽らない方がいいです。

これは、その通り。

 

「本当はやりたくないけど、そんなこと思っちゃいけないよな……」

「あの人嫌いだけど、嫌いなんて思っちゃだめだ」

というふうに、

自分の中に湧いてくる自然な感情を否定したり、掻き消したり、責めたりする必要はありません。

 

「やりたくないよね」、「嫌いだよね」と、

そう思うことを自分に許し、

堂々と認めてしまっていいんです。

 

「いいんです」というのは、

そうした方がラクだし、

感情が昇華されていきますよということです。

 

 

ですが、実際に行動として、

「やりたくないことをやらない」

「嫌いな人に嫌いな態度を取る」

というのは、

必ずしも、

自分の心に正直になることや、

自分軸で行動することには、必須ではない

と私は考えています。

 

「必須ではない」だから、もちろんそうしてもいいです!

 

 

だけどたとえば、

やりたくないことだけど、これをやらなきゃ自分が困るのも事実だ

ということがあるとします。

 

昨日のご相談のように、

「好きな仕事じゃないけれど、それをしないと生活が苦しい」

といったことも、いい例ですね。

 

他にも、これをしとかないと、周りの人からすごく非難を浴びることとか。

 

 

こういうとき、

「いや、私はやりたくないことは絶対やらないんだ!

自分軸で生きるって決めたんだから!」

と完遂するのももちろんいいのですが、

 

「いやあ、やりたくないけど、これはやっとかないと後々困るからやっとくか。」

「これやらないと、うるさく言われてモメてめんどうなことになるのは嫌だしな、やっとくか。」

というのも、それはそれで自分軸な選択になり得るんですね。

 

これはこれで、

「困ったことになることから自分を守った」

「周りから責められないよう自分を守った」

ということだから。

 

 

また、

「嫌いな人がいるけれど、それをあからさまに示されたら、相手はきっと辛いよなあ。

そういうことするの、私は好きじゃないなあ。

当たり障りなく付き合っとこう。」

という選択をするのもまた、自分軸からの選択になり得ます。

 

「相手が辛く思うであろう態度を、私は取りたくない」

という自分の思いを大事にできたわけだから。

 

もちろん、それで相手が実際に辛くなるかは相手の問題です。

愛想笑いの方が傷つくよという人もあるかもしれないし、

どんな態度を取られても、何とも思わないという人もいるかもしれません。

 

だから、実際相手がどう感じるかまでは、背負わなくてもいいんだけど、

「私が、相手の気持ちに配慮した行動をしたい」

という気持ちは、自分の気持ちであり、

その気持ちに沿った選択をするのは、自分の問題です。

 

 

心の勉強にたどり着くような方はどうしても、

人の心の機微に敏感で、

つい人を優先してばかりで、

自分のことは後回しという方が多いので、

 

心のことの発信側も、

「もっと自分の好きなことしよう!」

というメッセージが多くなるのですが、

どんな行動であれ、

「自分が自分のために、選んでしている」

と思うなら、それでいいんですね。

 

 

問題、というか、しんどいのは、

「これしか選べない」

「いつもこうしなければいけない」

という思いで、一択で、それを嫌々選んでいるとき。

 

いつも相手に配慮した態度を取らなければいけないとか、

いつもニコニコしていなければいけないとか、

嫌いな人とも絶対に仲良くしなければいけないとかいうように、

ルールに縛られて、それ‘しか’選べないときです。

 

ルールの下には、

「それを守らなければ、愛されない」

という怖れが潜んでいます。

 

その怖れから身を守るために、そのルールを守るしかなくなるんですね。

 

この一択で、仕方なく行動しているのが、しんどいんです。

昨日のご相談でお話した、「犠牲」ですね。

 

これを、辞めようよ、ということなんです。

 

 

一方、

相手に配慮した態度を取るとか、

嫌いな人とも角が立たないよう、そこそこに付き合うとかも、

 

「私は、争うより当たり障りなく付き合う方が好きなんだ」とか、

「私は、相手の気持ちに配慮できる自分が好きなんだ」とか、

「私がそうしたい」という動機で、

自分が好きで選んでいるなら、

それは自分軸なんです。

 

これは、自分が好んでする、自分のための選択。

愛からの選択。

そして、「自分はこうしたいから」という動機だから、

一択ではなく選べます。

 

「こうしないと愛されない」

という怖れから選んでいるわけではないから、

そうしたくないときは、そうしないという選択肢があります。

 

 

わかりますかね?この微っ妙―な違い。

 

 

「自分軸で行動する」というのは、

自分が好きで、主体的に、選んでいるという感覚を持てることだと思うんですよね。

 

「あの人のせいで、嫌々これをさせられている」

「状況的に、こうするしかない」

というのではなくて、

「自分はこっちがいいから、自分でこれを選んでいるんだ」

という感覚。

 

 

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「自分に正直に生きましょう」

「好きなことをしましょう」と聞くと、

そんなことをみんながしだしたら、わがまま放題で、世界はめちゃくちゃになるのでは?

と心配する人がいますが、

 

ならねーよ。笑

 

 

みんなの本当にしたいことが、世界をめちゃくちゃにすることなのかい?笑

 

「好きなことをする」と聞くと、

イコール「わがまま放題」というイメージが浮かんで、

世の中が犯罪だらけの戦争だらけのめちゃくちゃになってしまうんじゃないかという新たな怖れに取りつかれる人がいるのですが(笑)、

 

自分軸で、人に配慮したい、大事にしたいという人も必ずいるし、

本当の意味で、自分に正直に、好きなことをしている人は、

愛に満たされているので、むやみに人を攻撃することはありません。

 

怖れがあるから、攻撃に走るのであって。

ただ、人の心から怖れをまったくのゼロにするのは難しいので、世界にルールは必要だし、争いはそうそうなくならないとは思います。

怖れって多かれ少なかれ誰の心にもあるものだし、その怖れをちょっとずつ癒して、どれだけの愛に気づけるかが、この世に生まれた人の生涯をかけたおたのしみゲームみたいなものだから。

もちろん私の心にも、まだまだたんまりとあります。

(たんまりとあるんかい。)

 

 

で、最後にお伝えしたいことは、

今は時代の流れ的にも、

「自分に正直に生きよう」

という考えがメジャーになって来ています。

 

それはその通りだと私も思うのですが、

なんでもかんでも思ったことを正直に口に出さないといけない、行動しなければいけないといった意味ではなくて、

時によって、

自分を守るためや、

相手への思いやりで、

「本心を言わない」

「本心とは違う行動をする」

という選択もありだよ

ということです。

あ、「嘘も方便」ということわざの本意は、そういうことかと。

 

そこで、「いつ何時も自分の本心を言わないといけない」

というルールを作ると、

それはもはや自分軸ではなく、

自己啓発軸、心理学軸だからね。笑

 

 

心の勉強にたどり着くようなまじめで素直な人は、

「ああ、正直な気持ちを言えなかった。

私はまだ自分を偽っている。

だめだなあ。」

とまたそこで、自分を責めてしまいそうなので(笑)。

 

「私は、怖いから今は言いたくない」

「私は、相手に配慮して行動したい」と思うなら、

そうしたらいいし、そんな自分を責めなくてもいいんだよ〜(^^)

 

 

「『本心を言うとめんどうなことになるのは嫌だから、言いたくない』

という自分を守るための選択を、私がしたくてしたんだ。」と、

自分のために、自分軸で、自分がしたい選択をしたと思えるならそれでいいんです。

 

それはまた、

慎重さ、

器用さ、

人に配慮できるやさしさや聡明さ、

おおらかさといった、

自分の魅力を受け取るということでもあります。

 

 

そういう意味では、本当にみんな、自分のしたいことをしてるんだよねー。

それを「自分が選んだ」と自覚しているかどうかの違いで。

 

 

そして、自分が好きで選んでこうしているんだという意識が持ててきたら、

誰かのせいで、嫌々何かをやらされているという被害者的意識は薄らぎ、

「もうこれは選びたくないな」

「もっともっと自分のよろこびになる選択をするぞ」

と、より本心に沿った行動を選択できやすくなってきます。

 

 

自分軸の微っ妙―な違いの話、おわかりいただけたでしょうか……?

本心を言うのがダメとか、

本心を言わないのがいいとか、そういう話でもないからね!

要は自分が選ぶなら何を選んでもいいし、

選んだことについて、責める必要ははないからねということです。

 

わかった・わからぬ等、異論反論オブジェクションお待ちしてます(^▽^)

 

 

 

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