'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

敵は己にあり。人目が気になって、やりたいことができないときは。

敵は己にあり。人目が気になって、やりたいことができないときは。

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

空気の乾燥は、のどや肌にはよくないけれど、くせ毛にはありがたい。

雨が続いて髪型がボサボサになると、そのことを思い知らされますね。

 

 

とそんなことより久しぶりに動物園に行きたいです。

ネコ科の動物の肩関節の動きや背中の美しいしなりとか、草食動物のもごもごしている口元とか、何を考えているんだろうという顔つきとか、人工物じゃない模様の巧妙さとか、鳥の羽のほわほわ感とか。

いくらでも見ていられます。

見ていて飽きないので動物は好きです。

 

暖かくなったら行きたいな。

ただ、いくらおひとりさま行動に比較的抵抗のない私でも、動物園に1人で行くというのはさすがにちょっと・・・

かといってこの年で、一緒に動物園に行ってくれる友達も、思い浮かばないし。

言えば行ってくれる子がいるかもだけど。

 

 

ですが私には、絵という武器があります。

これ見よがしに大きな画板を持って動物園に行けば、たとえ1人でも、

「ああ、この人は絵を描きに来たのね。だから『ひとり動物園』なのね。」

と納得してもらえると思います。

 

私は、絵を描きに来たふりをして、堂々とおひとりさまで動物園を楽しむことができます。(笑)

 f:id:inainaco:20200903184609j:plain

 

 

類似の戦法は、以前にも使ったことがあります。

 

何年か前に、友人と安芸の宮島に行きました。

で、夕食後に、屋形船に乗って海に浮かぶ鳥居の下をくぐる予定にしていました。

ですが友人は、夕食のごちそうを食べ過ぎてお腹が痛くなったそうで、私に、「1人で行ってきてくれ」と言いました。

屋形船乗る気マンマンだった私は、1人で乗りに行きました。

 

旅館が送迎の車を出してくれたのですが、一緒に乗ったカップルがいい人たちで、1人の私に気を遣って話しかけてくれました(笑)。

 

乗り場に着くと、他の宿からも人が集まって来ていました。

さすがにカップルや家族連ればかりで、1人で乗りに来ている人なんて私以外にいません。

どうしても屋形船に乗りたかったので、迷わず友人を旅館に置いてきたのですが(おい)、やっぱりさすがに恥ずかしくなりました。

 

夜の屋形船に女が一人・・・

「あの人、1人で屋形船に乗りに来てる・・・

傷心旅行?

はっ!もしかして〇にに来た??この後〇ぬつもりでは!?」

と思われているに違いない。

 

 

そこで私は、自分に暗示をかけました。

「私は旅行誌のライター。

これは取材よ。

仕事なのよ。

仕事の取材だから、1人で屋形船に乗っているのよ。」

 

するとあら不思議。

恥ずかしさを忘れた私は、1人で屋形船を満喫することができました。

 

よかったですよ〜!

真っ暗な海に浮かぶ鳥居。

すごく厳かで神秘的で。

絶対おすすめです!

 

 

という感想は今日はどうでもいいんですが。

この、絵描きのフリしたり、ライターになりきったりする話ですが、

「動物園に1人で行く」

「夜の屋形船に1人で乗る」

という状況自体は何ら変わっていません。

 

ただ私自身が、

「これは絵を描くためだから、1人でも恥ずかしくないんだ」

「これは取材だから、1人でも恥ずかしくないんだ」

という大義名分(ウソだけど)を自分の中で掲げることで、羞恥心を鎮めただけです。

 

「動物園に1人で行く」

「夜の屋形船に1人で乗る」

という外側の状況は、何ら変わっていない。

私が心の内でどんな大義名分を掲げようと、周りの人はやっぱり、

「おや、あの人1人で動物園に来ているゾ」

「まあ、あの人1人で夜の屋形船に乗っているワ」

と思っているかもしれません。

 

なんせ人から見た自分の状況は、何1つ変わってないんだから。

 

それでも、自分の中で、「これはおかしくないことだ」という大義名分さえ見つけられたら、心は穏やかになるものだ、ということなんです。

 

 

かねがね私の父は、私たち子どもに、

「恥ずかしいときは自分が目ぇつぶっといたらええねん。

何にも見えへんから恥ずかしくない。」

とほざいてふざけていました。

いかに私がろくな家庭教育を受けていないかということがおわかりかと思いますが、上記の戦法は、悔しいですが結局父のこの教えに通じるところがあるのだと思わされます。

 

 

えー何が言いたいかというと、

結局、問題は外側の状況ではない。

外側の状況がどうであれ、周りの目がどうであれ、

自分の中にある、「自分をとがめる心」さえ何とかできたら、案外何でもやれるものだ。

ということです。

 

外の状況がどうだからとか、人がどう思うとか何か言ってくるとか、いろいろあるかもだけど、

結局は自分が、「これは大丈夫だ」と思えさえすれば、問題なんてなくなるということです。

 

 

敵は己にあり。

事件は会議室で起こってるんじゃない、己の中で起こってるんだ!

ということです。

 

 

人目が気になって、やりたいことができないというときは、適当な大義名分創り出して、最後は目ぇつぶって飛びこんじゃえ!

恥ずかしいとか思ってるのはアンタだけ!

自分さえ気にしなければ、何でもできる!!!

ということです。

 

 

にしても、デートで動物園に連れてってもらうとかいう発想がないのがね〜。

そういうとこやで。って話ですよね〜。

 

 

 

 

2月初旬にカウンセリング予約開始します!

よろしくお願いします(^▽^)

 

 

 

 

▽お問い合わせ、ご意見ご感想はコチラ