'それなりに'うまくいっている →を→ 'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 ©️カウンセラーいなこ

いつもと違うものを意識的に取り入れて、違う自分を楽しむ。

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えらべる。

ゆらげる。

これだから女はやめられない。

 

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

たまっていた洗濯済みのハンカチに、まとめてアイロンをあてました。

 

仕事柄、アイロンをあてる必要のある服を着る機会が少なく、毎日アイロン台を広げるわけではなく、ハンカチも仕事の日はあまり使うことなく(使うとしたらハンドタオルの方が多い)、お出かけしたときにハンカチを使うくらいで、その1枚のためにアイロンを出すのがめんどうで、あてなきゃあてなきゃと思いながら、ハンカチがかなりの量たまったときに、まとめてあてています。

 

ハンカチためてまとめてアイロンをあてる言い訳を必死にしました。ずぼらでごめんなさーい(笑)。

 

 

 

ハンカチは、手ごろに買えて、いろいろなデザインがあって、でもお洋服と違って、顔映りとか自分に合うかとかあまり考えずに大胆な色遣いのものも持てるので、一時期いろいろ集めていました。

デパートに行くと、ハンカチ売り場も寄って、いろいろと眺めて、いいのがあれば買います。

 

おかげでハンカチの替えがたくさんあるので、アイロン待ちのものをたくさんためていてもいけるんですけどね(笑)。

 

 

たまりにたまったハンカチにアイロンをあてていて、いろいろな柄があるなーと思いました。

 

かわいい北欧柄のようなものから、きれいめなものまで。

 

 

北欧柄のようなおしゃれでかわいいテキスタイルのものも好きで、よく買っていたのですが、最近はきれいめが好きです。

 

 

 

もう何年も何年も前のことですが、テレビのバラエティ番組で、女性タレントさんが3、4人でトークをしている番組を観ていました。なんの番組だったかも覚えていませんが。

モデルさんとか、フリーの女子アナとか、人気お笑いタレントの人たちだったと思います。

 

それで、下着の話になって、みなさんおしゃれな方たちだったので、それぞれにこだわっているという話でした。

 

で、それぞれ具体的にどんなのを選んでいるかという話になったのですが、人気お笑いタレントの女性は、芸人としてはなりふり構わず笑いを追求してとても売れている方ですが、素のその方はおしゃれな人なので、やはり下着にはこだわっているとのことでした。

 

その方が持っているのは、かわいい柄のもの。

北欧柄、ではないですが、そういう、小物とかかわいいモチーフが描かれたおしゃれな下着でした。

 

 

 

しかしそれを聞いた他の女性タレントが、「たしかにかわいいけど、セクシーさはない」と言ったんです。

 

 

私はそのことばが、何年もたった今も印象に残っています。

 

 

 

私も、かわいい柄のものが好きでした。

下着も結構好きで、必要なくてもうろうろして、いいのがあればよく買っていましたが、かわいい柄でとデザインのものをよく買っていました。

 

イメージ的には、ウンナナクールとか、ツモリチサトといったブランドでしょうか。

 

 

でも女性タレントさんのそのことばが妙にひっかかって、「かわいいけど、セクシーさはない……たしかになあ、セクシーさをもっと追求してもいいのかもしれない」と思ったのです。

 

 

かわいい下着を集めているという女性芸人さんは、キャラもあって実際にはどうかわかりませんが、なかなか彼氏ができないというキャラでやっている人です。

 

そして、セクシーさがないと言ったタレントさんは、長い髪をかき上げるような、女っぷりたっぷりの方でした(誰かははっきり覚えていないけれど)。

 

どちらがいいというわけでもないけれど、きれい要素も取り入れたら、もっと幅が広がるなと思ったんです。私も、そのお笑いタレントさんも。(余計なお世話・笑い)

 

 

 

ああそっか、かわいい柄のものもおしゃれではあるけど、どちらかというと「女の子っぽい」の要素が強くて、「女っぽい」とはまた違うなと思った私は、選択肢の中に、「女っぽいもの、セクシーなもの」も意識的に入れるようになりました。

 

かわいらしい柄やモチーフのもの以外に、レース使いがきれいなもの、透け感の繊細な素材のもの,、光沢のあるシルクのような素材のものとか。

 

 

かわいいものがだめでセクシーなものがいいという話ではなくて、何でも自分が好きなものを選べばいいと思うんです。

 

かわいいものも、私はいいなと思ってときめいて選んでいましたしね。

 

 

 

ただ、好きなものを選んでいると、気づくと同じようなテイストのものばかりに偏っていることってありませんか?

ハンカチも下着もお洋服も。

 

 

なので、意図的にいつもの自分とは違うテイストを選んでみると、また楽しみが増えて楽しいです。

今日のテーマを決めて買い物してみるとか。

 

 

いつもと違う自分、少し背伸びした自分に出会えて楽しいですよ。

 

 

 

女性は、かわいいも、きれいも、かっこいいも、選択肢がたくさんあって、そのときの気分でいろいろ選べるのが楽しいですね。

 

黒のタートルネックしか着なかったスティージョブズが聞いたら、肩をすくめられそうです(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とことん徹底的に'快'を追求した方がいい理由

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全部望んでいいんだよ。

 

 




おはようございます、カウンセラーいなこです。


先月受けた根本裕幸師匠の、自己肯定感のセミナー、そのときに、こんな話がありました。
えー、またぁ?と言われても、今日も自己肯定感の話です。

 


旅行に行って楽しくて、「あー、このまま帰りたくないなー」とか、友だちとごはん行ってあれこれしゃべって「あーこの時間がずっと続けばいいのにー」とか思っている状態が、まさに自己肯定感が高い状態ですと。



私の自宅から2駅先の、イタリアンダイニングのお店が、土日祝だけモーニングをしてるんですね。

土日の朝、ときどきそこに行くんです。
私は普段朝はお米派で、パンは食べないんですが(和食好きだし、おみそ汁好きだし、パンだと10時くらいにお腹空いてしまう気がして・笑)、モーニングにいって、コーヒーのいい匂いとたまのパンはおいしくて、そのダイニングカフェは広々してて、白い壁と木の内装と緑が調和してて、そこでゆっくり朝を過ごしたら、すごく幸せな気分になるんです。

行くまではめんどくさくて、なかなか行けないんですけどね。
2駅先って言っても、自転車で10分あればいけるんですが、台地で坂が多くて。暑いなー、席あるかなーとか思ってなかなか腰が重いんですが。

行ってゆっくりしてると、あー、いいなあ、幸せだなあって思うんです。



昨日行ったんですけどね。
それでふと、その師匠の話を思い出したんです。

ああ、これがまさに、そういうことか。
自己肯定感高い状態ってこういうことかと。


たしかに、そうやってゆっくり満たされた時間を過ごした後は、さ、やることやるか、とか、明日から仕事がんばるか、っていう気になれるんですよね。


やるべきこといっぱいあるときは、カフェなんて行ってる時間ない(汗)って思うんですが、そんなときほど、行った方がいい気がします。
やらなきゃやらなきゃと気が焦るばっかりで、なかなかやる気になれないときとか。
どうせできずに時間が経っていくなら、いっそ場を変えて好きなことした方が、そのあと気分を切り替えて、結局効率的にやるべきことにも取り組めるんです。

そう、場を変えるってのもポイントですね。
そんな簡単なちょっとしたことで、気分って変わるから。



あれ、じゃあ、自己肯定感を上げるためにいろいろワークとか小難しく(笑)自分と向き合うとかしなくても、好きなことばっかしてたらいいってこと???

しかもそっちの方が手っ取り早いし。
楽しいし。


いやーだめだめ、自分と向き合わなきゃ!!!
じゃないとカウンセラーの仕事なくなっちゃう!!!


じゃなくて(笑)。



でもほんと、そういうことかもしれない。

もちろん自分と向き合うのも無理ない範囲で並行してやっていけばいいなあと思うけど、好きなことするっていうのも、手っ取り早くて、何より楽しいっていいよなあ。



私、自分が変わらなきゃ、認識を変えなきゃってことにこだわりすぎてた気がします。

不快な状況とか、不快なこと言う人とかがいても、自分以外のことはコントロールできない、変えられるのは自分だけ、だから自分の捉え方を変えなきゃどこに行っても同じ。

そう思って、自分を見つめる作業のみにこだわってました。


まあそうなんですけど。
他人は変えられないんですけど。

でも、不快を避けて、快を追求することは、悪いことではないよね?


自分が楽になれるものの捉え方を身につけていくこともしながら、同時に、不快な状況は徹底的に避けて、快を徹底的に追求してもいいよね?

だって快の真っ只中にいるときこそが、自己肯定感の高い状態なんだもの。


たしかに、好きなことしてるとき、楽しいなあっ思ってるとき、心地いいなあと感じる人といるときって、「自分はためだ、こんなんじゃためだ」とか思わない。

ってことはすなわち、自分を肯定できてるっていうこと。

 


そういう時間が増えれば増えるほど、自己肯定感が高い状態の時間が長くなるということ。

 


1日のうち、ほとんど好きなことしてたら、1日中ほとんど自己肯定感が高いということ。

来る日も来る日も好きなことしてたら、人生のほとんどが自己肯定感高い状態ってこと。


てことは、もう、その人は自己肯定感高い人ってことだよね???


どんなどぎついトラウマがあったとしても(笑)。

 


逆に、いやなこと我慢していやいやして、合わない人とずっといたら……

 

この逆のことが起こるのよ?

 

 

キャーーー!!!

 

恐怖!恐怖!恐怖!

 

どんな怪談より恐怖です!!!!!

 

好きなことをしろってそういう理由なのね!

 

 

すべては自分次第だから、自分の認識を変えるしかないというところに私はこだわりすぎて、自分の快を追求することにはまだまだ遠慮があった気がします。

 

あーそっか、これからは遠慮なく徹底的に、自分の快を追求するぞ!!!

 

好きなことして、好きな人といて、いやなことはできる限りやらない、なんか引っかかること言ってくる人は徹底的に避ける……

 

これでいいのだ。

これでいいのだ。

ボンボンバカボン、のパパって、やっぱり天才!

大事なことを自分の生き様で伝えられるなんて!!!

 

 

師匠講座の時間差攻撃。

 

 

もう、もう、私は遠慮なく快を追求します!

 

おしゃれして行きたいとこ行って買い物して旅行行って気の置けない友だちとか家族と会っていい人見つけて時間に追われずおいしいもの食べて好きな歌熱唱してときどき温泉行ってスーパー銭湯行ってかわいい女の子の絵描いてカウンセラーとして活躍して白い綺麗なおしゃれな緑のあるお家に住んでカフェでボーッとしてゆっくりお風呂入って好きな匂いのボディクリーム塗ってぐっすり寝て。

 

 

 

快を追求することは、逃げでも怠けでも甘えでもわがままでもなくて、むしろとことん徹底的にやるべきことだったんですよ。

 

 

 

 欲しいもののすべてを遠慮なく、思いっきり望んでいいんです。

  

 

 

 

 

 

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うちにある師匠の自己肯定感の本。

ちょっと前、妹が遊びに来たとき、「なにこの本!?『自己肯定感あげ方法』???」と言われ、「ええっ!?師匠の本の背表紙なんてそんなわかりやすいところにそんな大胆な誤植が!?!?」と私もドキッとしたのですが、帯がずり上がってきてただけでした。

笑いころげて、2人の間で「自己肯定感あげ方法」がしばらくベストセラー本になってました(笑)。



 
 

 

※注 得た情報は、幸せのために使いましょう。(ただのぐるぐる記事です)

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あわてないあわてない。

ひとやすみひとやすみ。

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

私が今参加しているカウンセラー根本裕幸お弟子さん制度の募集要項の条件の1つに、

「自分軸で考えて行動できる人」

という項目がありました。

 

カウンセラーを目指してやっていく道中、他の仲間と比較・競争が起こりやすい、そんな中、人は人、自分は自分と考えてやっていけないとしんどいですよ、というような趣旨で、その条件が挙げられていたように思います。

 

私はわりとマイペースだから大丈夫だと思う。カウンセラーのための努力は、好きなことだし楽しそうだし。

 

 

なーんて思っていたけど今、比較・競争にさいなまれています!!!

 

 

私は大丈夫。

なーんてね!

なーんてね!

(なーんてね!)×100

100(なーんてね!)

(なーんてね!)100

 

 

比較・競争といっても、あいつを蹴落としてやるぜ!とかそういう感じでもないのだけど、自分と他の仲間を比較して、「ああ、だめだな自分は……」とだめのベクトルが自分に向いて突き刺さってくるみたいな。

 

 

みんなブログを中心に、なにかしら発信しているのですが、私からしたら、私以外の人みんなは個性とかいいところがあるように見えます。

 

いいデザインで世界観ができあがっているなあとか、役立つ情報を発信できているなあとか、自分の生活、家庭とか身近なことからすばらしい気づきを引き寄せているなあとか、ストーリー性を持たせて書けているなあとか、カウンセリング以外にもできることがあってそれとカウンセリングを掛け合わせたサービスができるとか、情緒的な文章を書ける人とか、たまにしかアップしなくて文章を書くのが苦手ですとかいう人も、その実直で慣れない感じが、かえってけなげで一生懸命感が伝わってきて、がんばって踏ん張って一歩を踏み出している感じが応援したくなったりとか、……まあ人の長所となると、枚挙に暇がないわけです。

 

 

一方の私は、とりあえず発信てな感じで、ブログのデザインに凝れていない、内容も理屈っぽいかな、くどいかな、長いかな、こんなのおもしろいかな、役立つか?とか。

イラストも自分のトレードマークとして載せたくて載せてるけど、到底毎日の更新に耐えられるほどの数の納得いくイラストはなく、何年も前に描いたあまり納得のいっていないイラストを載せちゃってる。あー、この「とりあえず」感。これではいい世界観作れるわけないよなーとか。

 

あんまり言うと、せっかく読んでくださっている方に失礼なので、このくらいにしておきますが(笑)。

 

 

本当は、イラストにももっとこだわりたいし、デザインにこだわったブログとホームページを作りたいけれど、その技術がない、時間がない。時間作るには、本業の時間が長いしなー、でも生活のためにお金は必要やし今の私には本業も必要。でもカウンセラーとして成功するためには勉強したり売り出しのための活動にもっともっと時間割かなきゃいけないのに……あーでもそのためにもお金はいるしなー……あーぐるぐる!八方塞がり!

 

でもこれも、心理の世界では、できない理由を探しているってことになるんだろうなー…・・・・

自分が望んで「できない」状態を作り出しているらしいし。

 

あー結局、私の思考が、認知が悪いんかー。

この思考を変えなきゃ、一生幸せにはなれないやんー。

 

 

 

……ってあかん、幸せになるための心理学なのに、それを知ってかえって不幸せになってるやん!!!

 

 

いろんな情報総動員して、自分責めしてるー!!!

 

 

 

大学のときの授業で、精神科医かなんかの勉強をしている学生は、「自分は精神病なんじゃないか」と思うようになる(時期がある?)という話を聞きました。

いろんな心理的、精神的な病を知っていくと、「あれ、自分にもこんなとこあるよな・・・?」と疑い出すんでしょうね。

 

わかるわー。

っていうか、誰しも、あかんなあ、しんどいなあ、って思う時期あるしね。

 

 

それを聞いた時も、なるほどな、あるよなあって思って、卒業論文の1案に、「心理学の功罪」という何とも不遜なテーマをあげました(笑)。

心理学がああだこうだいうことで、かえって悩ませたり、問題を増やしている側面もある、みたいな。最終的には、心理学とどういうつきあいをするか、どういう活用をするかというところに着地して、心理学のすばらしさに帰結するつもりでしたけどね、もちろん(笑)。

 

ゼミの教授は、「これおもしろいんじゃない?」と言ってくれたのですが、私は他の、調査して統計にかける実験デザインのテーマを選びました。そういうエビデンスに基づいた論文の方がかっこいいと思ってたんですよねー、ほんともうツンツンでしたわ、若気の至り、かっこつけ。(今も、ですか?)

 

心理学に長く深く携わっている教授が、私があげた中で「心理学の功罪」というテーマが1番おもしろそうって言ったのは、今わかる気がします。

あれにしとけばよかったなー。

 

 

 

カウンセリングに限らず、ビジネスをやっていると、ほんとに自分軸って大事なんだろうなあと思います。

結果が出るまでは、まーあ不安だしね。今自分がどのくらいのとこにいるのか、わからない。

失敗もするでしょうし。渾身の一撃が、ダダスベリってこともあるんだろうなー。(なんでマイナスの想像ばっか・笑)

たまに、いいよっていう反応があったりすると、またがんばるか!っていう気になったりもするんだけど。

 

 

ただ、「趣味」ではなく、「ビジネス」としてやっているということにワクワクしているところはあります。

単に趣味ではなく、これが本当にお金を発生させる。お金が欲しいっていうことじゃなくて(まあ欲しいけど)、お金が発生するっていうことは、すなわち社会に出ていくということであって、そういうサービスを自分で創り出しているということが、なんかおもしろいやん!?という風には、思ってきています。

いろいろ試行錯誤して、だんだんコツがつかめたりおもしろくなっていくんだろうなあ。

今は手ごたえないし、しんどいとき。種まきだから、あわてないあわてない、一休み一休み。

あーっ、「一休み」って、まさに一休さんの名前だったのか!

 

 

 

最近、転職して新しい道に進みだしたことは、肯定できるようになってきたのだけど、今度は、いつこの生活から抜け出せるのだろう、先が見えない、もう1日も早くカウンセラーとしてやっていきたいということにフォーカスが強く当たりだしてきました。

あー、悩みたいだけなのか私は?

 

 

 

いやいや、まだ始まったとこ!!!

 

 

 

あれ、何が言いたかったんだろう。

とにかく、自分軸、これはいやでも鍛えられそうです。

そして、私は疲れています。

そういうことです。

 

 

みなさん、せっかく得た知識や情報は、自分の幸せのために使いましょうね。(おめーな)

 

 

 

 

 

あの人のあの言動は本音100%なのか・・・?いやあ違うね、違うよね、だって私が違うもん。

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人の本音なんてわからないよねー。そうよねー、だよねー。

てか私、自分の本音もよくわからないわ。そうよねー、だよねー。

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

あなたは、どのくらい人に本音で話していますか?

自分の思いをどのくらい、表情や行動にそのまま表していますか?

 

何%くらい?

 

 

何%?と聞かれても、相手との関係にもよるし、内容にもよるし、一概には言えないですよね。

 

 

いつもいつも100%、本音本心を伝えています。100%思っていることだけを行動に移しています!という人は少ないと思います。

 

 

そんなにおもしろくない冗談でも、笑ってあげるとか、

大して行きたくない誘いだけど、「行きたーい!」って返すとか、

めんどくさいなあと思いながらも、「いいよいいよ」と手伝ってあげるとか。

 

これらは、自分のちょっとネガティブな気持ちを隠して、角が立たないようにしているバージョンですが、反対もあります。

 

 

本当はほめられてすっごく嬉しいのに照れくさいから、別に大したことないですという顔をするとか、

善良な気持ち、やさしい気持ちがあるのに、恥ずかしくて悪い態度をとるとか、

本当は好きだけど、自分なんかが好きになったら迷惑かな、拒絶されるのではという緊張や恐れでそっけないふりをするとか。

 

こういう、ポジティブな気持ちなのに、いろいろな考えが邪魔して、素直にそのまま表せないっていうこともあるんですよね。

 

 

曖昧バージョンもあります。

別にいいも悪いもないけど、何て言っていいかわからなくて「うん……」と気のない返事をしたり。

 

 

 

正直で素直を売りにしている私でも(?)、そのままのこと表せてないなーということはあります。

このブログに書いている思いは、その時々で思ったことを書いているつもりですけどね。

普段の生活でも、できるだけ思ったことを率直に伝えようとはしています。

 

それでも常に100%ではないなあ。不可能だ。

 

 

 

人間は、社会的な動物だから、そういうものなんです。

100%本音で生きる(他者に対していつでも本音を100%表出する)ってできなくても、仕方ないというか、普通のことだと思います。

どんなに率直な人でも、照れとか、その場のルールとかで、多少の脚色を入れて表出することはあるでしょう。

そういうものです。

 

 

 

なのになのにそれなのに、です。

 

他人の反応については、意外と、それがその人の100%の本音であるかのように解釈していることが多かったりします。

 

 

すてきだなと感動したことを伝えたくてほめたけど、「別に」という反応が返ってきた。

「あー、ぜんぜん私のほめことば信じてない、私の感動伝わってない。受け取ってくれない」ってがっかりしたり。

 

「ああ私が話しかけたときだけ、反応いまいちだなあ、嫌われてるのかな」とか。

 

「なんてそっけない返事!ああ、この話はいやなんだな、怒ってるのかな」とか。

 

 

本当は、ほめられてめっっっちゃくちゃ嬉しいけど、真に受けたら恥ずかしいかな、かっこ悪いかな、とか考えて、「別に」的態度をとっているかもしれないんです。

 

本当は、あなたに興味があって好きで、緊張して恥ずかしいから、そっけない態度になっているかもしれないんです。

 

気のない返事をしたのは、何て答えていいかわからず、とりあえず曖昧に答えただけかもしれないんです。

 

 

 

そうやって、お互いにいろいろ考えたりして、すれ違っていくんですよね。

これがドラマや映画だったら、観ている第三者の私たちは、

「そうじゃないんだよぉー!!!なんでそうとるかなー!!!」と、2人のすれ違いにやきもきするところなんですけど。

 

自分のことになると、めっきりわからない(笑)。

 

 

たぶんいろんなところですれ違いまくっているんでしょうね。

それでも必要なご縁はつながると思っていないと、やってられないくらいに(笑)。

 

 

 

まあだからね、そんなに相手の反応を気にすることないよってことなんですよね。

いろんなこと感じて考えて、自分の中のいろんな検問を通り抜けて、最終的に出せるものだけを出しているんですよね、人の反応って。

 

これは人様に出していいのか?という検問をパスできなかったものたちもあるのです。

 

やっさしい気持ちが、「恥ずかしさ」の検問にひっかかってそぎ落とされたりね。

浮きたつ気持ちが、「冷静であれスマートであれ謙虚であれ」という検問にひっかかったりね。

 

 

 

逆に、ネガティブな本音をオブラートに包んで出してしまうバージョンのことを考えると、

「じゃあ、相手からいい反応が返ってきても、信じちゃいけないってこと?真に受けてよろこんじゃいけないってこと?」っていう疑問というか残念感が沸いてきた方もいるかもしれません。

 

 

それは、こういう解釈につなげることもできます。

 

本当は、そんなにおもしろくない冗談なのに笑ってくれたとしたら、

行きたくない誘いだけど「行きたーい」と答えてくれたのなら、

めんどくさいけど「いいよいいよ」と手伝ってくれたのなら、

それは「やさしさ」の検問にひっかかって、相手を傷つけないようにというやさしさを持たされたのかもしれません。

 

「口ではいいこと言っといて!本音じゃないのね!!!」と怒ったり悲しんだりすることもできるけど、「それはやさしさゆえなんだ」、とも解釈できるんです。

 

 

どっちにしろ、やさしさがいっぱいあるんです。

すべては、愛なんです。すべては、愛だ、アイーダアイーダ劇団四季なんです。(違)

 

 

 

また、「私がこんなにしんどいのに無理してやっていることを何で気づいてくれないの!?気にかけてくれないの!?」と相手にやさしさとか思いやりがないと腹を立てて嘆いているときも、相手に特別思いやりがないのではなくて、単に、「あなたがやっているのだから、あなたはやりたくてやっているんだろう」と解釈しているだけ、ということもあります。

 

あなたがいまいちな相手の反応を見て、「ああ、嫌なのね……」と判断しているように、相手も、頑張ってやっているあなたを見て、「ああ、頑張りたいんだな、やりたいんだな」と思っているだけ、ということもあります。

 

 

 

とまあ、何ごともどうとることもできる、なんだかヘリクツのように感じました?

そうです、ヘリクツです、いつものように理屈こいてます。

 

 

で、ついでにもうちょっと理屈こくと、相手の反応をどう解釈するかに、またアレが関わってくるんですよ。

心理界におけるもしもボックス、アレがあればすべてが叶うというアレです。

 

そう、みんなでせーの!

 

自θ肯※…

 

 

声が小さい!もう1回!!!

 

自己肯定感―!

 

 

ありがとうございます、そうです、そうなんです。

 

 

相手の本心を100%クリアに解釈するって難しいし、どうせ無理だし間違ってるとも言えますけど、自己肯定感の高さによって、どっち側に間違うか、が変わってきたりします。

いまいちな反応が返ってきたとき、自分を否定していると、「ああ、嫌われてる、いやがられた。やっぱり私はダメだわ」という解釈になりがちだけど、自分イケてるやん♪って思ってると、「は・はーん、さてはこいつ、照れとるな。」とニヤリと口角上げることもできるのです。

 

自分の見たい世界を見ているというのは、こういうことなんですね。

 

 

 

ちなみに(?)、これを読んで、「本音をあまり言えてない自分はだめだなー」とか、別のところを気にしだしたあなた、新たに悩みを作らないでください(笑)。

本音を言えてないってことは、あなたの表出ルートの途中には、「やさしさ」の検問が、関所が、いっぱいあるということです。

こんなこと言ったら相手に悪いかな、いやな気分になるかなっていう検問にいっぱいひっかかってオブラートを持たされてしまうんです。

 

または、「こんなこと言ってしまって嫌われたくない」という、自分を守るやさしさの検問もあります。

 

とりあえずやさしさだらけだから、そこを責めないで。

 

 

 

てことで、自分は100%本音を表出しているわけじゃないのに、他人はなぜか100%本音を表出しているものと思っているフシがある、そして本音なんてどうとでも解釈できるし、本音を出しても出さなくてもどちらでもいいし、とにかく何でもありですというお話でした。

何でもありなら書かなくてよかったのか…?

 

 

朝に書いて、今日は出勤もないのでタイムリミットもなく、9時に間に合わなかった、ははー、ごめんなさーい(笑)。

 

 

 

 

 

たしかに盛者は必衰。だけど人生はつづくよどこまでも。

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私の人生ではいつだって私が主役よ。


 

 

 

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

朝からいなこの知的なところが見えてしまったかもしれません。

 

言わずと知れた、平家物語の冒頭ですが、仏教の価値観を表すものだそうです。

 

 

栄えた者もいつかは衰える。

そういうものだよ、すべては無常なんだよ、だから調子いい時も調子に乗ってたらいけないよ。

 

そういう、戒めの意味でもとらえている方は多いのではないでしょうか。

仏教の真の教えがそういうことかは知りません。(おい・笑)

 

 

私がこれを知ったとき(やっぱり教科書だったのかなあ?)、そうか、なんだか悲しいことだなと思った記憶があります。

 

 

たしかに、どんなに人気の俳優だってアイドルだって、ピークがあって、第一線を退く時が来る。

自分が1番輝いていた、華やかな舞台から降りる時が来る。

後から来た人が、その舞台に上がる時が来る。

 

 

あーその感覚、自分では味わいたくないなあ、なるべくそうなりたくないなあ。

できることなら、最後まで栄華を極めたままで、ずっと「盛者」でいたいなあ。

 

 

 

でもね、「盛者」が「衰者」になったとしても、その後も、人生は続くんですよね。

平家物語では、滅ぼされちゃったかもしれませんけど。

 

 

全盛を極めたアイドルが、もうトップアイドルではなくなったとしても、まだその人の人生は続いています。

 

いままでいた舞台では、「盛者」じゃなくなっても、その人の人生という舞台には、ずっと立ち続けてるんですよね。

 

 

だから、盛者必衰かもしれないけれど、それは、「ある1つの舞台で見れば」、ということだと思うんです。

 

 

今まで見てくれていた人の舞台は降りるかもしれないけれど、自分の人生の舞台はそれでもずっと続いていて、また違う舞台に立つ。

 

今までの舞台を見てくれていた人からは、「盛者」が「衰者」になったように見えるかもしれないけれど、舞台を変えてまた違う形の「盛者」になることはできると思うのです。

 

 

 

トップアイドルでなくても、こういう感覚を感じることは、きっと誰でもいつかはありますよね。

いわゆる世代交代的な。

 

 

職場で、自分は新進気鋭のルーキーでもてはやされていたのに、いつの間にか珍しい存在ではなくなり、後輩が台頭してきた。花形の仕事を後輩がするようになってきたとか。

 

お肌の衰えを感じて、若い子には負けるわ(森高。あの人は全然負けてないけど・笑)と感じるとか。

 

スポーツで、レギュラーメンバーじゃなくなったとか。

 

 

そういう、これまでの「盛者」だった感覚から降りるとき、一抹の、どころか五抹くらいの寂しさを感じるけれども、また違う舞台に立つと考えると、それはそれで楽しくなってくるんですよね。

これまでとはまた違った楽しさ。

 

 

トッププレイヤーを降りて、今度は後進育成に励むとか。

若さを追求したおしゃれから、上質な大人のおしゃれを研究するとか。

気軽に違う分野に手を出してみるとか。

 

 

今までと同じ「盛者」ではなくても、ずっと形を変えて栄えることはできるんです。

 

こう書くと、栄えることだけがいいこと、みたいに思われるかもしれませんが、そういうことではなくて。

 

昔あった輝きを失っちゃった、と思っても、まだまだ違った形で楽しめますよ、という話です。

 

 

 

だから、なにかを失っちゃったなあ……と悲しくなったとき、寂しくなったとき、「人生終わった」とか、「人生詰んだ」とか思いつめる必要はなくて、ああ、舞台が変わったんだな、と切り替えて、新しい楽しみを見つけてください。

 

いろんな舞台を経験することで、ますますあなたの深みは増し、魅力増し増しになっていきます。

 

 

 

妙齢の女が自分の慰みに書いた記事だと笑っているそこのあなた、思う存分笑うがいいわ、私の方がもーっと笑ってるわよ!!!オーッホッホッホッホッ!!!!!(←謎の負けずぎらい)

 

 

 

 

 

その枕詞って、いります?

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それなりに、ねえ。


 

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

 

またもや出勤前に書くチャレンジをして焦っています。できたてほやほやのほや記事です(ってアップできるのだろうか)。

 

 

 

さて、キャッチコピーをブログタイトルにして、2週間ほど経ちました。

私が暫定的に決めたキャッチコピーは、

 

「‘それなりに’うまくいっている →を→ ‘おもいっきり’しあわせに」

 

です。

 

 

カウンセラーとしての紹介文は、

 

「『それなりに恵まれているほうだと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、‘それなりってなんだろう?』

そんなあなたに‘おもいっきり’のしあわせを」

 

としました。

 

 

 

自問自答も含め、幸せ?とか、楽しい?という問いかけに対し、なぜか、「まあ、それなりに」みたいな枕詞をつけてしまう自分がいたんですよね。

 

際立って不幸ではないしなあ。でも幸せ!!!って言いきれない。

 

わざわざ、「それなりに」をつけるところに、「じゃないんです」っていう、奥の方からの主張を感じる。

 

 

まあ人生そういうものかなとも思ったりしていたんですけど、でもシンプルに、「幸せです」って答えられる人もいるんですよね。

 

 

あるいは、これだけ恵まれているんだから、感謝し「なくちゃいけない」、罰が当たる、みたいな恐れとか。

 

自分はこの程度かなっていう、ある意味のあきらめとか。

 

 

謙遜で、ねたまれないように、恥ずかしいから、つけているっていう人もいるでしょうね。

 

 

でも、「それなりに」っていう枕詞いらないなー。

 

どちらにしろ、シンプルな答えっていいなと思うんです。

 

 

ほんとに感謝してたら、同じ状況でも、「それなりに」はやっぱりつかない。

 

 

だから、その「それなりに」を、「おもいっきり」に変えられたらいいなと思ったんです。私が悩んできたのはそのへんかなあと。

 

 

それなりにも幸せじゃないと感じていた時期ももちろんありますよ(笑)。人生波があるからね。

 

 

で、「おもいっきりしあわせ」というと、何かすごいものになるとか、社会的に成功するとか、大金持ちになるとか、ハイスペック彼氏と結婚するとか、そんな風な印象を与えるかもしれないけれど、そういうことではないんです。

もちろんそうなってもいいですよ!

なりたいわ!(笑)

 

 

「おもいっきり」しあわせって、よどみなく答えられるようになったらいいなということです。

 

たとえば、同じ、毎日会社と家の往復だとしても、

 

「あーだる。何のために生きてるんやろ……でもまあそこそこの生活できてるしな。そんなに苦でもないしな。」っているところから、

 

「なんか楽しいな。今日はあの人とあんなこと話そかな。帰ったらあれしよう。」

っていう風に、状況が変わらなくても、楽しいやん、幸せやん!って「自分が」心から言いきれるようになればいいと思うんです。

 

それがもう、まぎれもなく何よりの幸せっていうことなんですよね。

 

 

そんな風に言いきれて、自分の人生を自分で生きている、という実感を持てるようになるために、関わりたいなと思っています。

 

 

あっでも、それなりどころか、全然幸せじゃない、めちゃくちゃ不幸です、っていう方も、もちろん相談してください!(笑)

 

 

「それなり」とか、「まあ」とか、「まずまず」とか、「どっちかっていうと」とか、「そこそこ」とか、何か枕詞(正しくはただの副詞か・笑)をつけてしまうなら。

シンプルに答えられなくしているのはなぜなのか、どの部分なのか、見続けてると、あなたの本音がでてくるかもしれません。

あんさんの頭に乗せたはるそれ、取っ払わはったらスッキリするんとちゃいますか〜(悪魔のささやき(笑))。

 

 

あーもうタイムリミット!

バイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

遠く彼方とつながる ー和泉りょう香さんのセッションを受けてー

 

 

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遠くの彼方から、それでよかったんだよという声

つながる

 

 

 

 

おはようございます、カウンセラーいなこです。

 

和泉りょう香さんのセッションを受けた話、続きです。

www.aikoingk.com

 

 

 

 

「いなこさんは、今回の転職で生まれ変わったのだと思う」と言われた途端、私は泣いていた。

 

これまでは親のための人生、これからは自分のための人生。

 

これまでは親を安心させるために、安定を望んで生きてきた。

だけど私は本来、好奇心旺盛な人間。

この転職を機に、これからは、自分の好奇心に従って、自分の人生を生きていく、生き直しをしていく……

 

 

 

 

どうして途端にぽろぽろ涙が出たのか。

 

 

 

そうだったら、どんなにいいかという思い。

せっかく積み上げてきたものを壊して、よくわからない道に来てしまった。

ここへ来て、血迷って、ぐちゃぐちゃになった人生。

この1年は、本当にしんどかった。

 

でももし、これが、生まれ変わりだったのだとしたら。

 

出産は、お母さんも苦しくてたいへんだけど、赤ちゃんも苦しいと聞く。

 

私も、生まれ変わりの出産だったから、こんなにしんどかったのか。

 

もしこれが、本当に生まれ変わりの儀式だったのだとしたら、この1年あんなに苦しかったことも、理解できる。

本来の私の好奇心が抑えきれなくなって、親のための人生はもうこのくらいでいいだろうと、1度死んで、生まれ変わろうとしたのなら、こんなにぐちゃぐちゃな1年だったことも、無駄ではなかったと納得できる、報われる。

 

 

 

今まで、親を安心させよう、喜ばせようとがんばってきたのかもしれない自分に、「おつかれ」、という気持ち。

 

子どもはみな、親を助けたくて、親を選んで生まれてくると言うけれど、私が人の形にもなっていないときに、このささやかに生きている2人を助けようと決めた、そんな遠い遠いあるかどうかもよくわからない記憶と、つながったような気持ち。

 

いやそんなの、自分に浸って酔って、そんな気になっているだけかもしれないけれど。

それでもなんだか、遠く彼方の、時空を超えた自分と、つながったような気がして泣いていた。

 

 

 

 

そして、りょう香さんがくれた、「あなたは好奇心旺盛」という発見のプレゼント。

 

私は慎重な方で、自分でも、好奇心旺盛というイメージはなかった。

 

でも、そうかな……そうかもしれない。

慎重で怖がりだけど、これ!と思った人には会いに行っていたし、学生時代や社会人になっても、他の人がだるがっている行事や研修について、私も同じようにだるいふりをしたこともあったけれど、本当は全然だるくなかった(笑)、楽しみだった。

何かをやるとき、他のみんながいろいろ調べたり、先人に聞いてからやろうとしていても、私はまずどんなものか、自分で、自分の力でやってみたかった。

 

 

あなたは好奇心旺盛なのだという解釈が、前の職場を飛び出したことを肯定してくれた。

前の職場に残っている仲間たちが、バカな夢を見ず、あの職場で今も安泰に過ごしていることと比べて、私はどうしてそれを捨ててしまったの?変な夢をみて飛び出して、結局何者にもなれない、損をしている人生、そんな風に責めていたけれど、私が好奇心旺盛なのだとしたら。

 

そうか、私は他のみんなとは違ったのだ。

安定を捨ててでも、やりたいことをやってみる、思いっきり自分のしたいことに熱中してみる、私はそれをしたかったのだ。

安定を選んだ人は、安定の方に興味があっただけ。

でも私は、自分の好奇心に従ったのなら、私が選んだ道は、私にとっては正しかったのだ。

そうだ、辞めるのを決めるまでは、このままでは消化試合のような人生になるのではということの方が、人生の時間がもったいなく、怖く思っていた。

 

 

ああ、だから、あんなに苦しんでまで、私は新しい道に出ようとしたのだ、出たのだ。

血迷って、間違って、ただ自己否定から青い鳥を求めて飛び出したのじゃなくて。

 

本当の自分が、出たがっていたのだ。

 

 

 

 

いろんなことがつながった気がした。

 

親を助けたくて生まれてきた、親のための人生を終えて、これからは自分のために生きようとした、それが今回の転職の正体だったのかもしれないということ。

1度死んで、生まれ変わったから、こんなに痛かったのだということ。

それでも、本来の好奇心に従って、魂の底からの望みに従って生きてみたかったから、怖くて痛くても進んできたのだということ。

わざわざ周りの人とは違うややこしい道を選んだのは、私が好奇心旺盛だからということ。だから周りの人と違ってもよかったのだということ。

 

 

 

そしてもう1つつながったことがあった。

 

戸田朱美さんにみてもらった数秘術

あなたに笑顔を

 

本来持っているものは、子どものような好奇心、楽しいことしかできないような性質。

しかし今世で身につけた本質は、いろいろなことが見える大人。

そしてそれらの次にやってくる課題、まだ発揮できていないけれど今の課題をクリアしたら挑戦することは、リーダーになること、前に出ること。

 

私は、子どものような好奇心を抱えながらも、今世ではいろんなことを見て考えて、周りの、親のいいように振る舞い、そしてそれも卒業する時が来たのかもしれない。

そしてその後は、自分を生きて、自分が前に出ていく。

 

りょう香さんのいっていることと、朱美さんの数秘の結果が、何となくつながった。

 

また、この1年は数秘的には、「嵐のサイクル」だったということ。

1年とは元旦ではなく、誕生日で区切るらしいが、実は私の生まれ月は今月だった。

去年の8月に退職を決めて、そこから今まで……ちょうどこの1年が、「嵐のサイクル」だったのだ。

 

そして次の1年は。「変化のサイクル」。

もう7月になったのに、この嵐はいつ終わるんだ?いつ切り替わるんだ?と不安だったけれど、今月受けた根本師匠の講座と岩橋さんのセッション、そして和泉りょう香さんのセッションで、ひと段落した気がしている。

そして、自分が「変化」していきそうな気がしている。

 

 

 

 

りょう香さんは、「これから自分の人生を生きるために生まれ変わった生まれたて、まだ赤ちゃんです、でもただの赤ちゃんじゃなくて、前世の記憶を持った赤ちゃんみたいなものです。」と言った。

 

りょう香さんが「赤ちゃん」とわざわざ言ったのは、自分のために生きようと生まれ変わったものの、まだその世界では赤ちゃんなので、すぐにうまくは自分のために生きられないだろうけど、少しずつ少しずつ、自分のための人生を生きたらいいんだよ、というメッセージだと思った。

 

そうか、まだまだ赤ちゃんだから、すぐにはすべて変われなくても、ちょっとずつ自分のために生きていけばいい。

 

 

「やってみたかったカウンセリングを、思いっきりやればいいんです」と、りょう香さんは言った。

 

そうだ、安定より、熱中できることを、自分を生かしたことを思いっきりやってみたいと思ったのだから、そっちを選んだのだから、思いっきりやってみよう。

 

できるのかどうかもわからないカウンセラーという仕事に挑戦することに対して、どこか「いばらの道」のように感じていたが、セッションを終えると、少しずつ自分でログハウスを建てていくようなイメージに変わっていた。

手作りで、1つ1つ、自分好みに作っていく感じ。

時間はかかるし、多少不格好なところもあるけれど、それも悪くない。作っていく過程自体も醍醐味なのだから。

 

それで、露出を多くするため、自分を売っていくために、した方がいいのだろうなあと思いながらもめんどくさくて、そんなことしても何の効果があるのだろうと思えてなかなかできなかったツイッターも始めることができた。

そういうわけで、ツイッター始めました☆フォローお願いいたします♡

(ここへきて宣伝・笑) 

@aiko_ingk                 https://twitter.com/aiko_ingk

 

 

 

 

とにかくできることから、1つずつやっていこう、カウンセラーとしてやっていくこと、自分のやりたいことを、思いっきりやってみよう。

 

私はそれを選んだのだから、その通りになっているのだ。

 

これは順調な私の道だ。

 

 

りょう香さんは、「当然のことですけど?まぎれもなく私はそう思いましたけど何かおかしいですか?」と言わんばかりの力強い温かさで、自分も気づいていなかった自分の側面を教えてくれる。

お人柄は、とても現実的で堅実な印象なのだけれど、なんだか今回私は、自分が生まれてきた意味とか、そんな遠く不思議なものまで感じさせてもらった。

 

 

 

 

そして。

やっぱりカウンセリングっていいと思えた。

 

自分が目指している職業の、お客になってみるのもいい。

やっぱり、このサービスには価値があると思えるし、自分もこんな風になりたいと、夢やアイデアをもらえる。

自分も、自信を持ってカウンセリングという商品を広められると思った。

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

今度は、一段階進んで、りょう香さんの、カウンセリングではなくコーチングも受けてみたいな。

izumiryoka.com