'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

不快な感情との付き合い方

不快な感情との付き合い方

 

 

「悲しい」とか「さみしい」といった不快な感情を感じるのが辛すぎると人は、感情を感じないようにすることがあります。

心理学的にはそれを、「感情に蓋をする」と言ったり、「感情を切る」と言ったりします。

 

とても辛い状況なはずなのに、淡々とすべきことをこなしている人は、感情を切っている状態なのかもしれません。

 

’それなりに’うまくいっている→を→’おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

感情を切るのは、自分の心を守るための無意識の戦略ではあるのですが、不快な感情を感じないようにすると、「うれしい」とか「楽しい」といった、快の感情も感じられなくなります。

 

 

私はここが、いまいちわからなかったんですよね。

なんで悲しみを感じないようにしただけで、楽しさもうれしさも感じられなくなるの?

そんなのずるい! ←何が

 

 

でも、そういうことかと最近腑に落ちました。

 

鼻詰まりの時って、においがわからなくなりますよね。

風邪とかアレルギーとか、あるいは最近なら、コロナの症状で、嗅覚障害を経験した方もいらっしゃるかもしれません。

 

鼻が詰まっていると、くさいにおいも嗅がなくてすみます。

だけど、いいにおいも嗅げないんですよね。

 

くさいにおいで不快になることもないけれど、洗いたての洗濯物のにおいとか、焼きたてのパンのにおいとか、森の中の土や木のにおいとか、そういういいにおいも、嗅ぐことができなくなるんです。

 

「においを嗅ぐ」という機能が働いていないんだから当然ですよね。

 

 

「感情を切る」というのも、それと同じことかあと、ふと腑に落ちたんです。

 

不快な感情を感じないように、感情という機能のスイッチをオフにしているわけだから、他のすべての感情も感じなくなって当然ということなんですね。

 

ね?スッキリ理解できたでしょ?

っていうかわかってなかったの私だけかな?

こうして気づいてみると、当たり前すぎることですね。笑

 

においも、嗅いでみないと、不快なにおいか、快なにおいかはわかりません。

同じく感情も、感じてみなければ、それが不快なのか快なのかはわからないんですよね。

感じる前に、取捨選択はできないんです。

 

 

とはいえ、不快な感情に取り込まれているときは、本当に辛いものです。

 

悲しい、

さみしい、

苦しい、

不安、

悔しい、

いらいらする、

焦る、

腹が立つ……

 

 

 

 

一刻も早く、そこから抜け出したくなりますが、感情というのは、ナビなんですね。

自分が、どんなものが好きで、どんなことが合っているのか。

それを教えてくれるのが、感情なんです。

 

嗅覚が、危険を察知するためのセンサーであるように、感情もまた、人間が生きるために必要なものなんですね。

 

 

だから不快な感情を感じたときは、

私は、今の状況の何が嫌なんだろう?

では私は、どうしたいんだろう?

と、自分に問いかけてみてください。

 

すべての感情は、自分らしく生きるための味方であるという視点を持ってみてみると、辛い感情の中にいる時の心持ちも、変わってきますよ。

 

 

 

今日も大阪城公園に行ってきました。

でも、朝早くに目覚めてしまって、二度寝をしたらもう9時前……その時点でイラッとし、スタートがもううまくいかないと、その後もダラダラしてしまいます。

 

洗濯物を干したりとかいろいろしていたら、結局11時半くらいになって(何してた?)、「あーもう半日無駄にした!もういや!」とさらにイライラし、今さら行ってもなあ……と迷ったのですが、「朝ごはんと思うから、イライラするんだ。早めのお昼ごはんと思おう。そしたらお昼からは有意義に過ごせるはず」と思い直し、行ってきました。

 

パンを買ったり何だかんだしていたら、結局12時過ぎていて、お昼ごはんとしても早めでも何でもなくなっていました。(イライラ)

やっぱり朝より人は多めですね。

でもいつものベンチは空いていた。

よかったー。

 

今日はいつもと違うパン屋さんにしてみました。

チキンカツにタルタルソースときたら、選ばないわけにはいかないのです……!

クロワッサンは、いつものお店より重め。

焦げてる?今日は焦がしちゃいましたか!?

トータルで、いつものお店の方が好きかなあ。

 

トライアスロン大会が開催されていました。

トライアスロンって、、走る、自転車はできるけど、泳ぐってどこでするの??

まさかお堀で……?

 

と思ったら、ほんとにお堀で泳いではりました!

ギョギョギョ!

トライアスロンできることもすごいけど、そのためにお堀で泳げる情熱がすごい! ←ほめてます

私はお堀に顔をつける勇気はないけど、がんばってください!!!

 

まんまと不快感情に呑みこまれた人。

 

来週こそは、早朝に動き出すぞー。

 

 

 

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【ご相談】推しに嫉妬し、攻撃的な思考を向けてしまうーあなたは推しのようにたくさんの人を笑顔にできる人(ワークあります)ー

【ご相談】推しに嫉妬し、攻撃的な思考を向けてしまうーあなたは推しのようにたくさんの人を笑顔にできる人(ワークあります)ー

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

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推しに嫉妬し、攻撃的な思考を向けてしまう | ココロノマルシェ

 

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【ご相談】推しに嫉妬し、攻撃的な思考を向けてしまう

私には4年ほど前から応援している推しがいます。

好きで応援しているのに、推しの活躍や新たな仕事の情報を見ると、

素直に喜べず、応援できなくなってしまいました。

それどころか、「XXを任せてもらえるほどスキルや実力あるかな?」

「失敗に終わればいいのに…」など、相手を下げるような攻撃するような思いが

ふつふつと湧き上がってきます。

私がファンになった数年前はそれほどメディア露出が多くなかった(と個人的には感じている)のですが、ここ1、2年で活躍の場が増えてきた気がしています。

年々、レベルアップしている推しを見て「すごい!私も頑張ろう!」とは思えないのです。

好きなことを仕事にして、さらに結果も出している推しと、

自分の状況を比較して嫉妬してしまっているのかなと考えています。

というのも、今の仕事は自分の好きな分野/得意な分野での仕事ではありません。

なにか特別な業績を残してもいません。

「私は好きを仕事にできていないし、自分が満足する結果も出せていない!」という、

悔しさ、惨めさ、対抗心などが入り混じった感情があります。

私も好きを仕事にするために行動して、自分の納得がいく結果を出していくことで、

推しに対する感情も変わっていくでしょうか?

推しにこのような感情を抱くケースをあまり聞いたことがなかったので、

カウンセラーの方々のご意見、アドバイスをいただきたいです。

かりんさん

 

 

【いなこからの回答】

かりんさん、このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。

いなこと申します。

 

さて、推しに嫉妬してしまうというご相談ですが、私も同じようなことを、少し前に書いていました。

▽こっそり載せとく。笑

私も嫉妬しています。 

 

 

ということで、推しに嫉妬のような感情を抱くというケースをあまり聞いたことがなかったとのことですが、います。いますよ、ここに。笑

 

 

その亜型として、メジャーじゃない頃から応援していた人がだんだんと売れてくると、

「遠くに行ってしまったようで、うれしいけどさみしい」と感じる人や、

「昔の方がよかった、なんか今は好きじゃない」と離れていく人なんかもいると思います。

 

 

まあ誰を推そうが辞めようが自由ですし、元はせっかくの自由意思で自分の楽しみとして推し始めたはずですから、どんな"べき"も入れずに、気楽に楽しみたいですよね。

 

 

かりんさんのおっしゃる通り、推しに嫉妬してしまう理由の1つは、

>好きなことを仕事にして、さらに結果も出している推しと、

自分の状況を比較して嫉妬してしまっているのかなと考えています。

というところにあると思います。

 

>というのも、今の仕事は自分の好きな分野/得意な分野での仕事ではありません。

なにか特別な業績を残してもいません。

「私は好きを仕事にできていないし、自分が満足する結果も出せていない!」という、

悔しさ、惨めさ、対抗心などが入り混じった感情があります。

とのことなのですが、かりんさんはご自分に価値を見られていないのだと思います。

 

>私も好きを仕事にするために行動して、自分の納得がいく結果を出していくことで、

推しに対する感情も変わっていくでしょうか?

というのも、もちろん一理あるとは思います。

 

ただ、今の、自分に価値を見ていない自分で、納得のいく結果を出していこうとすると、その過程は、辛いものになる可能性大!です。

 

自分の納得がいく結果を出そうとがんばること自体は、何も悪くないんです。

 

ただ、そのスタートが、

「あんなことができたら楽しそうだからやってみたい!」と思って始めるのと、

「自分には価値がないから結果を出さなくては」というところから始めるのとは、

ずいぶん違うことなんですね。

 

 

人の行動の動機は、突き詰めていくと最終的には、愛からか、怖れからかに二分されます。

 

「楽しそうだからやってみたい!」は愛(ワクワク)、

「結果を出して価値のない自分を何とか補いたい」は怖れからのものですね。

 

何となく想像がつくかと思うのですが、愛からの行動は、過程も楽しいし、のびのびやれるし、アイデアも湧きやすい。

努力も努力と感じにくく、ただ好きだからやってしまうという感じで、結果的に結果も出やすい。←ややこしいな

 

しかし怖れからの行動は、「これができなければ、私には価値がないことになってしまう……!」と常に追い詰められた気持ちでやっているので、やることなすこと義務に感じられ、途中経過に一喜一憂して心が折れやすく、ひらめきも起こりにくい。

結果的に結果も出にくく、続きにくい、ということになりやすいです。

 

でもすごく頑張り屋な人は、それでもゴリ押しでやれちゃう人もいるんですけどね。

社会的には十分成功しているのに、あんまり幸せそうじゃないなあと感じる人は、怖れからゴリ押しで頑張っているのかもしれません。

 

 

ということで、かりんさんにまずお勧めしたいのは、

今のままのかりんさんの価値を見る、受け取ることです。

 

お仕事のことを書いてくださっていたので、お仕事のことでお聞きします。

特別な業績を残せていないとのことですが、かりんさんのお仕事で、助かっている人はこの世に1人もいないのでしょうか?

かりんさんは、たくさんの人を笑顔にする推しを、「すごいなあ」と見上げているのかもしれませんが、かりんさんのお仕事で、笑顔になっている人や喜んでいる人、生活できている人、ホッとしている人はいないのでしょうか。

 

そんなわけはないと思います。

 

お仕事である以上、必ず誰かの役に立っているはずです。

何の役にも立たないことは、仕事として成立しえないからです。

 

でも、私が求めているのはそんなちっさな規模のことじゃないとか、誰でもできる仕事だとか反論したくなるかもしれませんが、かりんさんのおかげで今日も暮らせている人は必ずいるんです。

 

まずはそれをちゃんと受け取ってください。

 

はい、ということで1つめのワーク。

【ワーク①】

かりんさんのやることで、誰がどう助かっているか、誰のどんな役に立っているかを1つ残らず書き出してください。

お仕事に限らなくてもいいですが、かりんさんの場合は、お仕事でひっかかっていることがあるようなので、まずはお仕事メインで書き出しましょうか。

 

「1つ残らず」というのは、たとえば、○○を製造しているから、それを使う人の役に立っているということだけじゃなく、

私が丁寧に電話を取りついであげていることで、部長が助かっているとか、

隣の会社の人に会釈することで、ホッコリさせているとか、そんなこともです。

お仕事での顧客、エンドユーザーさんはもちろん、同僚でも、会社の同じビルの人でも。

かりんさんは、どんな人の力になっているでしょうか。

 

できるだけ具体的に、細かくたくさん本気で絞り出して書き出してください。

 

 

自分が当たり前のこととして何気なくやっていることで、救われている人ってたくさんいるんです。

かりんさんも、逆の立場になると、そういう経験はないでしょうか?

 

私の近所のスーパーのレジにいる女性は、私がスマホ決済をしようとスマホを差し出すと、「お邪魔しますー」といって読み取り機をかざすんですね。

すべての対応が気持ちの良い方で、お名前も存じ上げないし、雑談をしたわけでもないから身の上も何も知らないけれど、こうして会っていない時も、私の記憶に残っています。あの人好きだなあと思い出しています。

そんなふうに、何か表彰をされるとか、お礼をもらうとかしていなくても、人の記憶に残り、心を温め、感謝されていることって実はたくさんあるんです。

 

かりんさんに救われている人も、必ずいるはずです。

それを意識して受け取ってみてください。

 

 

もしもこのワークで、「私が人の役に立っていることなんてない」と泣きたいような気持ちになってあまり出てこないなら、それは、かりんさんに価値がないのではなく、かりんさんが、「自分の価値を今は見たくない」ということだと思います。

 

過去に誰かを喜ばせたいのにできなかった、役に立たなかったと感じたことがあり、ずっと自分を責めているのかもしれません。

そういう場合は特にカウンセリングが効果的ですので、ぜひご利用ください。

 

 

 

そして、ワーク2つめです。

【ワーク②】

身の回りの人を喜ばせることを、意識的にどんどんやってみてください。

 

かりんさんの推しはきっと、たくさんの人を笑顔にしているんですよね。

そんな推しに嫉妬してしまうということは、かりんさんは、とても人を笑顔にしたい人、喜ばせたい人ではないでしょうか。

 

かりんさんの本当にほしいものは、

「特別な業績を上げる」ことよりも、

「自分の手で誰かを喜ばせる(=愛する)」ことなのではないかと思うんです。

 

もっともっと多くの人を喜ばせたいし、愛したいし、その力が自分にはあることをどこかで知っているけれど、それを発揮するフィールドが見つけられずに、うずうずしているのではないでしょうか。

とても情熱的な方なのだと思います。

 

なので試しに、周りの人を喜ばせることを意識的にしてみてください。

先ほどのワークにもあったように、今のままでも、すでにかりんさんはたくさんの人を喜ばせています。

だけど、当たり前のこととしてやっているので、それで人を喜ばせているなんてあまり感じられないんですね。

 

なので、意識的にやってみて、どんな気持ちがするかを感じてみる。

 

喜ばせるというのは、ものすごいサプライズをするとか、高いプレゼントをあげるとか、そんなことではありません。(もちろんそれも含みますし、したければそれもいいです)

 

エレベーターで乗り合わせた人に、「どうぞ〜」ってニッコリ笑いかけて降りる順番を譲ってあげるとか、

飲食店のお会計のときに、「◯◯がすごくおいしかったです、ごちそうさまでした」ってニッコリお礼を言うとか、

似合っているなと思う服装の同僚にそのことを伝えて褒めるとか。

 

細かいことですが、日常で、かりんさんが無理なくできることで、たくさん喜ばせてみてください。

ただし自分がしたくないことをしたり、自分の心に嘘をついていいと思えないものを無理にほめたりする必要はないですよ!

心に芽生えた小さな好意や厚意を、照れたり出し惜しみせずに意識して口に出し、いつもより豊かに表現するという感じでやってみてください。

 

それで相手が喜ぶかどうかはもちろんその人によりけりなのですが、人のために100%の好意でできたことの後には、清々しい満足感がやってきます。

 

その体感から、何かすごい存在にならなくても、自分の愛を思う存分発揮できるフィールドは、そこら中にある、今いるフィールドが、私の愛を発揮する場所なんだということが感じられると思います。

それが感じられたら、「何か特別な業績を上げなくては」という焦燥感も薄れ、今いるところから、地に足の着いたビジョンに向きやすくもなります。

 

 

で、このワークで、自分のしたことで、相手が喜んでくれたらうれしいということを改めて感じられると、

与えることは、受け取ること

受け取ることは、与えること

ということがわかります。

 

 

何かを与えた人は、相手が受け取ってくれたら、うれしいです。

この時、この与えた人は、相手から、よろこびを受け取っています。

 

そして受け取った人は、受け取ることで、相手によろこびを与えています。

 

与えることは受け取ること。

受け取ることは与えることなんですね。

 

両者の間には、与える/受け取るが、どちらも同時に起こっているのです。

 

 

 

 

ということは、かりんさんの推しも、ファンいてこその推しなんです。

自分のすることで、よろこんでくれるファンがいるから、推しのお仕事は成り立っているし、ファンをよろこばせることが、よろこびになっているんです。

 

 

あんなに活躍している人、私のような1ファンがつこうが離れようが同じ、と思うかもしれませんが、でもまぎれもなく、推しの活躍は、その1ファンから成り立っているんです。

 

人気稼業で活躍し続けている方ほど、その1ファンのありがたみをよくわかっておられると思います。

 

だから、かりんさんも、推しにたくさんのものを与えられているし、対等な人同士なんですよ。

 

 

はじめにも言いましたが、推し活は、自分の楽しみのためにやるもの。

何の「べき」にも縛られず、かりんさんの生活を豊かにするために、ぜひ楽しんでくださいね。

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!!!

 

 

 

生のパイナップルが好きです。

実家にいるときは母が買ってきて切ってくれていて、今でも実家に帰ると、切って持たせてくれたりするのだけど、自分では切るのがめんどくさそうで買ったことありませんでした。

でも最近旬みたいで毎週スーパーで売り出しているので、「自分では切れないというのは思いこみでは?やってみよう」とパインの誘惑に負けて買ってみました。

結果、自分でも切れました!  ←そりゃそうだろうよ

付いてたタグに、簡単な切り方も書いてあって。

このところ毎週買って毎朝食べています。

 

 

 

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【ご相談】親に否定されてきたことをずっと引きずってしまうー親もただの人間だったことを知り、大人になるときー

【ご相談】親に否定されてきたことをずっと引きずってしまうー親もただの人間だったことを知り、大人になるときー

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

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本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

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親の言葉をいつまでも引きずる心理 | ココロノマルシェ

 

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【ご相談】親の言葉をいつまでも引きずる心理

こんにちは。5/8の根本先生のブログ「傷つくかどうかは自分が選択している」について、自分のことと関連させて少しご質問したくメールしました。

 

私はいわゆる毒親育ちで、過干渉な親の元に育ち、彼らの言葉に「傷ついてきました」

具体的には自己肯定感を否定するような、「お前はダメだ」「何も出来ない」などのオンパレードです。

これらの言葉をうけて、幼少期からずっと自分責めをしていました。

 

最近になり、考え方がかわり、そもそもそれを言ったのは親だから親の問題で、私は悪くない傷ついたし被害者だみたいなスタンスでいました。

同時に、あまり被害者というスタンスを強くもつのは好きではないのです。。

自分はかわいそうな人間と周りにアピールしているみたいなのが、罪悪感を感じるんです。

ただ被害者ポジションにいる恩恵をうけたいだけというか。

 

それで、根本さんのブログを読んで、ダイエットの例でもあるように、自分の中のネガティブな感情に、人からの言葉が接触したときに、すごく怒りや悲しみを感じて、脳内で「傷つけられた」と勝手に解釈をして、それを言った人物を責めたり怒りをだしたりするんだと解釈して、新たな発見がありました。

ということは、私がこの言葉をずーっと引きずっているのは、奥底にある「やっぱり自分はダメなんだ」という心理に反応してしまうからなのかなと。

 

一方で、「自分は良い人間だ」と思っていたら、それに反発するという意味で反応することはないのかな?とも思いました。

 

どちらにしても、自己肯定感が低いがゆえに反応したり、いつまでも「傷ついた」と言ってしまうのは事実かなと思っています。

 

自己肯定感があがれば、こういう言葉にもあまり敏感にならなくなるのでしょうか。

その境地に早くいきたくて、自分への謝罪会見の日々です笑 

お答えいただければとても助かります。どうぞよろしくお願いします。

あずきさん

 

 

【いなこからの回答】

あずきさん、こんにちは。

いなこと申します。

 

自己肯定感を上げて、人のことばに振り回されない境地に早くいきたいというあずきさんの、一生懸命前に進もうとされているお姿が、とてもかわいらしく感じました。

※「かわいい」って目上の者が目下の者に言うことばのようで失礼ともとれますが、好きすぎると最終的に私は目上の人でも男の人でも何でもかわいくなってしまうんです。私にとっては最高級のほめことばなのでお許しください。かわいいは最強なんです!byみくりって感じです。

 

>どちらにしても、自己肯定感が低いがゆえに反応したり、いつまでも「傷ついた」と言ってしまうのは事実かなと思っています。

>自己肯定感があがれば、こういう言葉にもあまり敏感にならなくなるのでしょうか。

とのことですが、それはおっしゃる通りだと思います。

 

たとえば、自分にはそのままで価値があるということを、「1+1=2」レベルで信じられていたら、否定してくる人がいても、「ありゃ、あの人はわからないんだね〜、私の魅力が」くらいに流せるということです。

 

もう根本師匠がしっかりこの記事で解説してくれていますし、あずきさんも、それを「なるほどな」と思ったから、ご相談をお寄せくださったんだと思います。

 

ということでその通りです。

で、終わりそうなのですが(笑)、今日は補足のつもりで書かせていただこうと思います。

 

 

自己肯定感が低いから、他人のことばに傷ついてしまう。

というのは、その通りなのですが、あずきさんは、子どもの頃から、親御さんが自分を否定するかことばを聞いてらこられたんですよね。

 

子どもにとっての親は、どんな親でも、偉大な存在です。

自分を産み、育ててくれる存在ですから。

 

子どもの頃は、親の養育や許可がなければ、何もできませんよね。

だから、どんな親であっても、子どもは親を見上げています。

そして無意識に、「完成された大人」というイメージを抱いています。

 

 

ですが、あずきさん。

あずきさんが今おいくつかはわかりませんが、大人になった今、あずきさんは自分のことをどれだけ「完成された大人」と感じられているでしょう。

 

いくつになっても、自分のことを「完成された大人」と言い切れる人はなかなかいないと思います。

 

あずきさんの親御さんが、あずきさんを授かったのは、もしかしたら今のあずきさんよりもう少し年上だったかもしれませんが、それでもやはり、親御さんも当時、360°完璧な人間であったわけではないと思います。

 

つまり、親も完璧ではないから、間違ったことをすることも、十分にあるということです。

 

ここまでは、あずきさんも、理解されていると思うのですが、もう1点、新たな視点を付け加えるとしたら、

親御さんに言われたことをずっと引きずっているのは、あずきさんが、

まだ親御さんを、「子ども」として見上げているから。

という点です。

 

親御さんに養育されていた子どもの頃のあずきさんは、親の庇護のもとでしか生きられなかった。

だけど今やもう、あずきさんも大人です。

親御さんと、対等な関係になったんです。

 

 

 

だから、親ではあるけれどもう、

「お母さんのああいうところはどうかと思うね。でもこういうところはいいとこだね。」と、

対等な大人として親御さんを見、付き合っていいんです。

いつまでも完璧な大人として見上げ、信じていなくてもいいんです。

 

すなわちこれは、自己肯定感の問題だけでなく、あずきさんが心理的に大人になるという機会でもあります。

 

もうあずきさんは、親のことを見上げなくていい。

親ではあるけれど、対等な大人同士だから、

「こういう悪いところが、子育てにも出ちゃったんだろうねえ」

と冷静に見ることもできるし、

「親も自己肯定感が低かったのかもなあ」とか、

あれでも親なりに、精一杯やってたのかもなあということも見えてくるかもしれません。

 

また大人は、何を信じるかを自由に選べます。

親の「こうしなさい」に従わなくていいんです。

 

この、「対等な大人同士」という視点は、親だけでなく、すべての人間関係に通ずる素敵な視点です。

 

たとえば上司は、社会的には上の立場の人ですが、人間としては対等です。

一人前の大人だけど、完璧ではないという点では自分と同じ存在。

だから間違ったことも言うし、できないこともある。

それが腑に落ちていると、上司の苦言に必要以上に落ち込むこともないし、上司のダメなところに失望して不満を溜め込むこともないし、「しかたないなー、んじゃまあこれは私の方が得意だから、いっちょやってやるか」という気にもなれます。

 

憧れの人も、すごく見える有名人も、心ときめくあの人も、みんなみんな完璧でない、同じ人間です。

あずきさんと何ら変わらない、対等な大人同士です。

 

もちろんあずきさんもそうなので、できないことがあっても自分を責めなくていいし、「しかたないなー、んじゃまあこれはあの人の方が得意そうだからいっちょお願いしてみるか」と頼ってもいいんです。

 

この視点があるだけで、とっても気楽に、自由になれます。

そう思うとなんだかわくわくしてきませんか(^^)

 

 

>同時に、あまり被害者というスタンスを強くもつのは好きではないのです。。

自分はかわいそうな人間と周りにアピールしているみたいなのが、罪悪感を感じるんです。

ただ被害者ポジションにいる恩恵をうけたいだけというか。

 

ということばからも、あずきさんは公明正大な方だなあと感じました。

リーダーに向いているタイプですよね。

 

でもだからこそ、注意していただきたいことがあります。

 

それは、

親御さんのことばをずっと引きずってきた自分を、けっして責めないこと。

 

たしかに、傷つくかどうかは、自分の心のうちによるものと言えます。

だけど、初期の刷り込みの力はやっぱり大きい。

 

ましてやまだ判断のできない子どもの頃に、自分の1番身近で1番影響力の大きい大人である、親という存在に言われてきたこと。

 

それは、長い間、鵜呑みにしてしまって傷ついてしまっても、仕方なかったのです。

 

親御さんをはねつけずに、自分を責めることで何とか収めてきたことは、責められるところではなく、むしろいたわられるべきところです。

とても素直でやさしい方なのでしょう。

 

だからご自分への謝罪会見はぜひ続けていただいて。

いやもう慰労会でいいかも。笑

仲良くしてネ。

 

ちなみに、

>最近になり、考え方がかわり、そもそもそれを言ったのは親だから親の問題で、私は悪くない傷ついたし被害者だみたいなスタンスでいました。

というのは、元の自分に戻るのに自然なプロセスです。

 

①親に否定されてきたことを鵜呑みにして傷つく

 ↓

②あれ、それ親の問題じゃない?ということに気づく

 ↓

③これまで受けてきた所業に怒ったり、自分がかわいそうで悲しくなったりする

 ↓

④ひとしきり感情を出し切ったら、

「親もあれでも精一杯だったんだなあ。」

「あんなんでも私は愛されていたんだなあ。」

ということが見えてくる。

 

というプロセスの、あずきさんは今、②③あたりを歩いているところと思われます。

だから、いったん被害者になって怒ったり恨んだりすることも大事なんです。

その段階をすっ飛ばして親を理解しようとしても、「エセ物分かりのいい人」になるだけで、よけいイヤな気分になって進みません。

 

 

長い間、自分を傷つけるようなことを信じてきたなんて、ほんとに損だよなあ、と思ったりもするかもしれませんが、それに気づいて再び得た自己肯定感というのは、より強固で盤石なものになります。

 

「再び得た」と書いたのは、生まれたてのときは、自己否定はしていなかったからです。

本来のあずきさんに戻るいうことです。

 

いったん失って、再び得た自己肯定感は、あずきさんの立派な強みになっていくので、安心してくださいね。

 

 

ちなみにちなみに、私は医療の仕事をしていて、高齢の方とお話しすることも多いのですが、90歳になっても、自分の子育てについて、「厳しくしすぎたかもしれない」とか「あのときあれをさせてあげればよかった」などとおっしゃっている方は多いです。

もうお子さんも還暦を迎えておられて、そのお子さんにお孫さんまでいらっしゃるのに。

親も迷いながら必死だし、生きている限り常に成長しているし、もっとああしてやればよかったなあと、後になって思うこともあるのでしょうね。

 

 

ということであずきさん。

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!!!

 

 

 

先週末も、大阪城公園朝ごはんしてきました。

先週は土日もお天気よかったのでうれしい。

 

 

と言っても曇天だっただけど、このくらいが涼しくてちょうどいい。

 

 

また焼きカレーパンとクロワッサン。試食にと天然酵母の食パンもいただきました。わーい。

米粉のあんぱんは、最近いただきもののどら焼きをずっと食べてたのでしばらくはいいや〜。

コーヒーは節約のため、最近は家から淹れていく。

 

 

雨上がりで土がしっとりしててちょうどいい。

 

 

今日は紙食べないぞー。

 

 

 

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悲しみに打ちひしがれているあなたへ

悲しみに打ちひしがれているあなたへ

 

 

このタイトルから、この記事を読みに来てくださったあなたは、悲しみの真っ最中にいるのでしょうか。

少し長いし、脱線しまくるけれど、よければ読んでいってください。

 

’それなりに’うまくいっている→を→’おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

私もこの3年間、

悲しい

さみしい

不安

後悔

辛い……

そんな気持ちとずっと一緒にいました。

 

その理由は、前の職場を退職したこと。

 

前の職場を退職した経緯は、過去にたくさん書いていますが、簡単に言うと、このまま無難な繰り返しの毎日ではなく、新しいことに挑戦したいと思ってのことなんですけどね。

不満は全くなかったというと嘘になりますが、基本的には大好きで、どっぷりそこの人間として10年以上生きてきたので、退職すると決めるまでも、決めてから辞めるまでも、そして辞めてからも、ずっと迷いやさみしさ、後悔といった痛みがありました。

それでも、魔がさして(笑)、辞めちゃったんですよね。

 

ですが先日朝起きたときふと、

「私が、前の職場を辞めてあんなに悲しく苦しんだのは、前の職場が大好きだったから。

それだけあそこで愛情こめて一生懸命働いていたから。

それだけのこと。

それでいいやん。」

と思えました。

何か考えていたのではなく、目覚めてふと、急にそんなふうに思ったんです。

 

 

退職して3年経った今、それら一連のことを、かなり受け入れられてきたなと、最近やっと実感できるようになってきました。

 

それまでも、大波小波があり、「これでよかったんだ」、「やっぱりよくない」なんてことを繰り返してきましたが。

 

 

迷惑をかけないよう、早めに退職の旨を申し出ないとと、退職の半年以上前に、上司に伝えました。

 

そこからも、本当に辛かった。

 

私の退職が発表になる前に、お世話になった人たちに、自分の口から伝えて、これまでのお礼も言いたいのに、「退職」ということばを口に出すことさえ辛く怖く、悲しくしんどく、言い出せない。

今日こそは、と思うのに、どうしても切り出せない。

惜しまれても、驚かれても辛い気がして、その相手の反応に、こちらがダメージを受けてしまういそうで、本当に無理でした。

 

来年度の話が会議で出ても、「その頃、私はここの人間ではないんだな」と思うことが悲しい。

 

お別れにみんなが書いてくれた寄せ書きも、辛すぎて、まともに見れませんでした。

 

 

DREAMS COME TRUEの「涙とたたかってる」という歌に、

たった一言が まだ凶器になる

胸撃ち抜かれて 動けないでいる

という歌詞がありますが、まさにそんな感じでした。

 

これは失恋の歌で、失恋相手に対する歌ですが、「大切なものを失った」という点では通じるものがあります。

そして、何かしらを失って、悲しみに打ちひしがれているあなたとも、きっと。

 

 

私の辛さは、職場を辞めてからも、ずいぶんと長く続きました。

 

前の職場に続く、通勤していた道を通るのが辛い。

 

前の職場の人と連絡を取るのは、もちろん辛い。

私のいない職場の話を聞くのも、私の知らない新人さんの話を聞くのも無理でした。

またご飯に行こうと言われても、とてもじゃないけど無理でした。

だからコロナがちょうど1番恐れられていた時で、会食がダメになって、私にはとてもちょうどよかったんです。

 

「実は、今の職場より前の職場の方が、こんなところは良かった」といった話を人にするのも、もしその相手が、「えー!なんで辞めたんー!もったいないー!」なんていう反応をしたら。

その反応に「やっぱり……」と傷ついてしまいそうで、話せませんでした。

 

テレビやSNSで、まったく関係ない人の、転職関係の話を聞くのもしんどかった。

転職してやっぱり失敗だったという人の話を聞くのも辛いし、転職せず思いとどまってよかったとか、長年続けててよかったという話も辛くて。

 

辞めると言ってから、実際に辞めるまでの辛い期間に流行っていた曲も、聞くと、その時の心境を思い出して、切なくなる。

 

ちょっとでも笑って気分転換をしようと、料理をしながらポッドキャストで聞いていた、サンドウィッチマンさんの「東北魂」というラジオも、その時の必死にちょっとでも笑おうとしていた心境を思い出して辛いので、聞かなくなりました。

サンドウィッチマンさんに罪はないし、今でも好きですよ。笑

テレビでは結構見てます。

 

そして、前の職場の写真も、辛くて見られない。

まあそれは当然としても、驚くべきことに(笑)、職場とは関係のない、たとえば甥っ子と撮った写真でさえ、すべて見るのが辛かったんです。

スマホに入った写真の日付を見て、「あー、この頃の私は、まだあそこの一員だったんだなあ……この頃の私は、こんな未来を知らずに、幸せそうに笑ってるな……」とか、「この頃はちょうど迷ってた頃だな。この時に思いとどまっていれば……」などと考えて、切なくなってしまって。

 

そして朝起きるたび、「ああ、夢ではないのか……私は本当にあそこを辞めてしまったんだ……これは現実なのか……なんてことを私はしてしまったんだ……!」と不安で足元がおぼつかない気持ちになりました。

「戻りたい。すべて夢であったら……!」と何度願っても、けっして戻れず。

 

 

カウンセリングもたくさん受けましたし、自分の心の動きに耳を澄ましながら、浮いたり沈んだりを繰り返しながら、少しずつ進んできたのですが、やはりどうしても、何をやっても、絶望や混乱、悲しみ、後悔、さみしさに襲われる期間は、避けられませんでした。

 

 

少し話は変わりますが、病気の治療をされていた、ゆかさまのだんなさんのことは、以前に書いたことがあるのですが、

www.aikoingk.com

 

3月に亡くなられました。

 

もう彼女も公表していることなので、書かせてもらいますね。

 

 

だんなさんが亡くなられてからの、彼女のブログを読んでいると、嘘が1つもないというか、剥き出しの心という感じがして、身を切られるような思いがしていました。

 

同じにすると本当に申し訳ないレベルですが、私も大事な職場を失った(まあ自分から辞めたんですけどね笑)という、喪失体験をしたという点では、ゆかさまと通じるところがあるかもしれない。

そのせいか、私はまだ、誰を看取ったことも、一緒に住んでいたことのある人を亡くしたこともないのですが、ゆかさまの痛みがとてもリアルに感じられる気がしていました。

 

だからゆかさまが、行けないところがあるとか、話すのが辛いという気持ちが、とてもよくわかる気がします。

 

ましてや、1番身近なパートナーの存在に関わることだから、そんな、1ヶ月や2ヶ月で、どうこうなるものではなくて当然だと思います。

ameblo.jp

 

彼女も今、自分の心を守りながら、心の声を聞きなら、一生懸命、日々を暮らしているのではないかと思います。

 

 

 

このブログでは、辛い状況から少しでも早く抜け出せるように、ものごとの捉え方を変える心理学的なヒントをお伝えしています。

 

だけど、時に、人生には、それさえも手につかないような、ただただ圧倒的に悲しむ時間がやってくることがあります。

 

もちろん、その悲しみから、少しでも早く抜け出したいからこそ、心理学を学んだり、何かしようと、このブログを読んでくださっている方もいらっしゃると思うのですが、それでも、圧倒的にショックや悲しみが強い時は、それさえもできないことがある。

し、しなくていい。

 

ただ、閉じこもって、うずくまって、じっとしていてもいい。

自分を刺激する情報をすべて遮断して、丸まっているだけでいい。

 

そんな時期もあっていいんです。

 

 

 

 

 

すべての理屈を捨て去って、ただ、自分の、「辛い」、「悲しい」、「何も見たくないし言われたくもない」という声を、1番に優先していいんです。

 

私も、そんな時期を経ての、今だと思っています。

 

 

自分の感覚を何より信じて。

自分の感覚の上に、何も置かないで。

あなたが辛いなら辛い。

したくないならしたくない。

それでいい。

 

それも癒しの道の上です。

その悲しみは、愛の裏返しだったとふと思える日は来る。

 

 

そして、悲しみの中に入っていけるのは、強さなんです。

 

 

 

それにしても、この歌に出てくる男めっちゃうざい。

美和ちゃん、こんなやつは切ってよし! ←いや、ただの歌詞だってば。笑

 

 

 

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【ご相談】美男美女が苦手です―苦手は自分を自由にするカギ。苦手で終わらせるのはもったいない!―

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こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

▽元のご相談文はこちら

美男美女が苦手です | ココロノマルシェ

 

 

オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、心理カウンセラー根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。

どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)

 

 

【ご相談】美男美女が苦手です

見た目が美男(イケメン)、美女(美人、かわいい)の方が苦手です。

大変失礼ながら、見た目が普通の方は苦手を感じません。

仕事だけの表面的な関係でも、偶然私を接客することになってしまった店員さんや、道ですれ違っただけの全く知らない方でも私のような者が視界に入ってしまって申し訳ないと感じます。

同じ空間にいても相手に認識されていない場合(電車の中や、不特定多数がいて誰とも目が合っていない時など)は大丈夫です。

苦手意識を克服する方法はありますか?

りーさん

 

 

【いなこからの回答】

りーさん、こんにちは。

いなこと申します。

 

美男美女が苦手なんですね。

「大変失礼ながら」とクッションことばと気を使いながらの、「見た目が普通の方は苦手を感じません」に笑ってしまいました。笑

残念ながらきっと私のことは、ぜんぜん大丈夫なんだろうなあ。笑笑 ←虚

 

さて。

どう苦手なのかはあまり詳しくは書かれていないのですが、りーさんに限らず、何か特定の人やものが苦手、嫌い、不快、という方みなさんの参考になると思うので、今日はその掘り下げ方についてお答えしますね。

 

紙と筆記用具を用意していただき、ぜひ私と一緒に、自分の心を探究していきましょう(^▽^)

これぞオンラインカウンセリングだー!

 

 

まずは、美男美女のどんなところ、何が苦手と感じますか?

思いつくままに書き出してみてください。

ちゃんとしたことばになっていなくても結構ですし、出てきたことばたちの間に矛盾があってもOKです。

ここでは、いかに思いついたままに書けるかが1番重要です。

 

「美しくない人を見下していそうだから」とか、

「近寄りがたいから」とか

「冷たい感じがするから」とか、

「生まれつき見た目がいいだけで努力もせずにちやほやされてずるい」とか、

「一緒にいると気が引けるから」とか。

どんなことでもいいので、思いつく限り全部書き出してください。

 

 

次に、美男美女がどう苦手なのかのヒントになりそうなのが、

>私のような者が視界に入ってしまって申し訳ないと感じます。

という記述。

 

「私のような者」とはどんな者ですか?

「私のように◯◯な者が」の◯◯に思いついたまますべて書き出してください。

 

美男美女とiいうように、「美」についてこだわっておられるので、たとえば、

「私のような普通の顔の者が」とか

「私のような醜い者が」とか。

 

 

そして、どうして“そのようなりーさん“が、美男美女の視界に入ると、申し訳ないのでしょうか?

こちらも思いつくままに書き出してみてください。

 

申し訳ないというのは、相手に迷惑をかけたり、悲しませたり、困らせたときなどに出てくる感情ですね。

相手にどうしてしまうから、申し訳ないのか。

思いつくままに書き出してみてくださいね。

 

 

さて、すべて余すことなく書き出したら、さらに自分の心を探求していきます。

 

まず最初に書き出した、

美男美女のどんなところが苦手と感じるか?

について、検証していきます。

 

私が例として書いたものを使ってみましょう。

 

「美しくない人を見下していそうだから」

と書いたとします。

 

それはまず本当に真実なのか?

検証してみてください。

 

すべての美男美女は、美しくない人を見下しているでしょうか?

今まで出会った美男美女で、人の美醜によって態度を変えない人は本当にいなかったでしょうか?

そうじゃない例は、本当に1つもなかったでしょうか?

 

 

本当に?

 

 

 

・・・絶、対、に?

 

 

 

 

 

よく検証したら、これは絶対ではないなと思ったら、

それはこの世の真実ではなく、単なるりーさんの「考え」である

ということになります。

 

 

では次に検証してみてもらいたいことは、

その「考え」は、りーさんを幸せにするでしょうか?

その考えがあるとき、りーさんはどんなふうになりますか?

逆に、その考えがないと、りーさんはどうなるでしょう?

 

 

ここまでの検証を、書き出したすべてのものについてやってみてください。

 

 

りーさんを不快にしているのは、

この世の真実ではなく、

美男美女でもなく、

りーさんでもない。

りーさんの「考え」なんです。

 

 

りーさんは、よく検証する前に、自動的に「絶対そうだ」と思いこんでしまっている「考え」に、苦しめられているんです。

 

そんな自分を不快にさせる考えをわざわざずっと信じているなんて、おかしなことに思えますが、そこにはりーさんの痛みがあるのだと思います。

 

ひどい考えで真実でもないのに、真実と信じさせるようなインパクトある経験を、どこかでされたのではないでしょうか。

 

 

それに思い当たるところがあれば、そこを癒していきます。

そしてその時と今は違うこと、いつまでも不快な考えを握りしめていなくてもいいのかもしれないというふうに考えてみてください。

 

子どもの頃に、人の言うことを吟味もできずに、盲目的に信じてしまったのかもしれないし、

コンディションの悪い人が言った心ないことばをたまたま聞いて信じてしまったのかもしれないし、

それらを何でも信じやすい素直な子だったのかもしれない。

 

 

もし、絶対に真実か?と検証したときに、やっぱり「絶対そうだ!」と言いきれるなら、それでいいんですよ。

正解はない問答ですので、自分の気持ちに正直にいることが大事です。

 

ただ、実をいうと、「絶対」ということって、世の中にはほぼ?1つも?ないに等しいと思います。

それでも、自分にとって不快な考えを、「絶対」と言いきりたいときは、それだけ痛みが強いということなんですね。

すごくそのことで、傷ついてこられたんだと思います。

 

だから、無理をしなくていい。

ゆっくり癒していけばいいんです。

 

 

無理にその考えを手放そうとしなくてもいいし、それをすると、よけいに手放すことに執着して手放せなくなってしまいます。

 

それよりも、モヤッとすることや、心がサーっと暗くなるようなことがある度に、何度も以上の手順で、心の探求をしてみてください。

 

徐々に、自分が握りしめている「単なる考え」の存在に気づき、なんだかこんなもの握りしめているなんてバカバカしいなと自然に思えるようになっていったりします。

 

でもくれぐれも、“自然に思えるように”というのがポイントですからね!

無理に、考えを変えなくては!とする必要はありませんヨ。

 

自分では何をどうしていいやらという時は、カウンセリングもご利用くださいね。

 

 

苦手な人やものというのは、ベクトルがマイナスではあるものの、自分の心を揺さぶるという点では、好きな人やものと同じくらい、心のキーとなるものです。

そこには、自分を不自由な檻に縛りつけている足枷を解き放つヒントが、たくさん隠れています。

 

 

「あの人苦手だわ〜」で終わらせずに、ぜひ探求しないともったいない!

 

 

手順をまとめると、

①苦手な人やものが、なぜ苦手かを思いつくままに書き出す。

②それぞれについて、それは本当か?逆のことはないのか?検証してみる。

③その考えを信じ続けるデメリット、その考えを手放すメリットが、自分にとってあるかを検証してみる。

 

大事なことなのでもう一度言いますが、こうして検証してみるだけでいいんです。

その考えを無理に手放そうとしなくていいです。

ただ、自分を不快にさせているのは、

その苦手な人/ものではなく、

自分でもなく、

単なる自分の考えなのかもな〜

って気づくだけでいいんです。

気づくことが、大事なんです。

 

 

りーさんの詳しい考えはわからないので、全編私の例で進めましたが、ぜひやってみていただけたらうれしいです。

やってみてわからないことがあれば、どなたでも聞いてくださいね。

 

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!!!

 

 

 

 

最近休みの日の朝は、毎週のようにパンを買って大阪城公園へ行って食べています。

木や土の匂いを吸いこみながら、鳥の声や葉っぱのサヤサヤする音を聞いたりしながら、コーヒー飲んでパン食べて、ひたすらボーとするのが最高に気持ちいいんです。

どうしても足が向いてしまいます。

 

大阪城公園は、西は官庁街、東はビジネス街という都会の中のオアシスなのですが、こういう場所があるのは本当にありがたい。

人は多いけれど、それ以上に広いので、人の少ない静かなスペースが必ずあるんです。

大阪城公園なのに大阪城を写さないという嫌がらせ。笑

地元民はめずらしくないのでね、お城を見に来たわけではないのと、私のお気に入りスポットは、お城が見えないスポットで、見えるところまで移動する時間がこの時なかったので。また今度撮りますね。

 

私のお気に入りスポットは、葉っぱばっかりで景色とか一切見えないけれど(笑)、静かで木陰でとにかくいいんです。

なのに最近の大阪は、土日の度に雨予報で、イラッッッとしてました。怒怒怒

なんで私の週末の楽しみを邪魔するかねー!

でも1日中雨でもないから土日のどっちかはいけるし、曇りくらいの方が焼けなくていいんだけどね。

 

いつも途中の道にあるお気に入りのパン屋さんで、いろんなパンがあるのに、食べたいと思うのはいつも同じなんですよね。

米粉のあんぱんと、焼きカレーパンと、クロワッサン。

 

クロワッサンはどう頑張ってもくずくずこぼれてしまいます。

なるべくこぼさないように必死で食べてたら、え、私、紙食べた?

明らかに食いちぎった跡が……

 

おいしいと思って食べていた何層にも重なったクロワッサンの1層は、紙だったんですね……。

無事排泄されていることを祈ります。

 

 

ヤギ人間の正体。

 

 

 

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後悔が止まらないときに覚えておいてほしいこと

後悔が止まらないときに覚えておいてほしいこと

 

 

先日、後悔を止めるには、「もう戻れない、失敗したのであれば失敗したと認めること」と書きました。

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今日はその補足記事です。

ぜひ先日の記事と合わせてお読みください。

 

’それなりに’うまくいっている→を→’おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

もう、後悔については、私がここ数年すごく苦しんだ感情なので、何かにつけて記事にはしてきて、さんざん似たようなことを書いてきたのですが、もう一度大事なことなので、あらためて追記しておくと、

 

 

もう戻れない。

私は失敗した。

 

そう認めるとしても、1番大事なことは、

あのとき自分はベストを尽くした

ということを、わかっておくことです。

 

 

今、あなたが過去の自分の何かしらの選択について後悔しているとして、

その選択をする前、

「よーし、後悔してやるぞー!

間違った方を選んでやるぞー!

私の人生めちゃくちゃにしてやるぞー!」

と思って選択したでしょうか?

 

いろいろと考えた上で、そのときの自分が1番いいと思う選択をしたはずです。

 

考えずに選んだのなら、考えるほど重要だとは思っていなかったのだと思います。

 

もしくは、その選択がベストとまでは思えておらず、迷いながら選んだのだとしても、それを選んだということは、複数の選択肢の中で、その選択が、そのときの自分には、1番マシに思えたということです。

 

いずれにせよ、そのときの自分の知識と経験で、自分にできる、ベストを必ず尽くしていたはずなんです。

 

ということは、どう考えても、今の結果がベストなんです。

これ以上の未来はありえなかったんです。

 

 

後悔が止まらないのは、前回の記事に、

まだやり直せるんじゃないかとどこかで思っているから

と書きましたがそれは、

これ以上の未来があったのではないかと思っているから

とも言えます。

 

だからなお、口惜しいし、これ以上の未来を選べなかった自分を責めたくなる。

 

だけど、自分は常にベストを尽くしてきた。

それが理解できれば、これ以上の未来はなかったんだと納得できます。

 

これ以上の未来があったと思うと、すごく損した気分になりますもんね。笑

 

 

 

 

でも、これ以上の未来はなかった。

あなたは常にベストを尽くしてきたんです。

 

それがわかると、無駄に損したわけではないと、安心もできます。

 

 

失敗したと認めましょうと書きましたが、「失敗した」というのは、今、その経験をしたあなたが、判断していることですからね。

 

その経験をする前のあなたには、わかり得なかったことです。

 

だから今、何かしらを失って、後悔しているのだと思いますが、その経験という、得られたものもあるんです。

 

失ったものと得たもの、どちらが大きいかなんて、簡単に比べられるものではありません。

ましてや後悔に苦しんでいる今なら、失ったものの方が大きかったとしか思えないのもわかります。

 

だけど、今がベストで、今以上の未来はあり得なかったなら、あなたにとって何かしら必要な経験だったんです。

今はそうは思えないかもしれないし、そんなこと言われるのは酷かもしれませんが……。

 

 

とにかく、あなたは生まれてから常に常にベストを尽くしてきた。

だから何も責める必要はないし、安心してよろしい。

これだけは覚えておいてくださいね。

 

 

 

 

豆苗栽培第二弾。

どんどん伸びてくるけれど、豆苗を使いたい料理のタイミングが来ず焦りました。

せっかく栽培できたのに、早く収穫しないとダメになっちゃうんじゃないかと。

伸びすぎましたが、無事野菜炒めにできました。

 

長っがー!

ボーボーということばがよく似合う。笑

しっかり伸びてくれるけれど、やっぱり最初に買ったものよりは、ヒョロくなりますね。

 

 

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あなたの後悔が止まらない理由

あなたの後悔が止まらない理由

 

 

あの時ああしてれば……

どうしてこっちを選択してしまったんだ!

もうちょっと冷静になれたらよかったのに。

もう少し私が賢ければ……

 

後悔って本当に苦しいですよね。

早く抜け出したいですよね。

 

'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

そんな苦しい後悔、早くやめたいのに、やめられない理由。

 

それは、

まだやり直せると思っているから。

 

 

え、やり直せるなんて思ってないよ!

やり直せないことがわかってるからこそ、後悔してるのに!!!

 

そうですよね、そう思いますよね。

 

やり直せないから、苦しいんですよね。

 

でも、後悔してるとき、あなたが頭の中で考えていることは何でしょう?

 

あの時ああしてれば……

どうしてこっちを選択してしまったんだ!

もうちょっと冷静になれたらよかったのに。

もう少し私が賢ければ……

 

こんなことではないでしょうか?

 

 

「もう済んだこと」

「やり直すことはできない」

と思いながらも、

後悔しているとき、

あなたは頭の中で、

やり直すことを考えているのではないでしょうか。

 

何度もあの時のことを頭の中で反芻し、

自分が選ばなかった選択肢を選んだその先の

「そうじゃなかった世界線

で生きている自分を想像しているのではないでしょうか?

 

 

これは、

頭ではやり直せないとわかっているつもりだけど、

心はやり直したい、やり直せる、と思っている

とも言えます。

 

心がまだ、今の結果を受け入れられていないんですね。

 

 

私も、後悔がぐるぐるぐるぐる止まらなかったとき、

カウンセリングで、

「いっそ失敗なら失敗と認めた方がいい」

と言われたことがありました。

 

え?

失敗と認めてるから、今こんなに後悔してるんだけど?

私まちがったなーって思ってるから、後悔してるんだけど!?

 

と思いました。

 

 

でもそれは、こういう意味だったのかと、

最近わかってきたんです。

 

頭では、もう戻れないとわかっていても、

心の中では、

何度も何度もあの選択をした過去にタイムスリップをして、

あのバカな選択をなかったことにしたい、

やらかしてしまう前の何事もなかった自分に戻りたい、

何とかやり直せないか、

失敗を回避できないかと、

戻ってやり直すことを試みているんですね。

 

だから、考えても辛く苦しいばかりなのに、後悔をやめられないんです。

 

 

 

ということは、ぐるぐる後悔をやめるには、

もうやり直せないということを受け入れること。

失敗したと思う点があるなら、私は失敗したのだと、受け入れること。

 

 

頭ではわかっているつもりでも、

これを他人にはっきり言われると、

心は痛いかもしれません。

ごめんなさいよ(´-`)

 

戻れない。

やり直せない。

私は失敗した。

 

でもそれは、そこで人生が終わりということではないんです。

失敗したので残念でしたー、おしまいでーす

ということではないんです。

 

戻れない。

やり直せない。

私は失敗した。

それを受け入れたらやっと、

そこから始められるんです。

 

 

たしかに戻れないしやり直せない。

私は失敗した。

 

じゃあ、これからどうしよう?

そこから学んだことは?

失敗した、やってしまったのを認めた上で、謝ってみようか。

そこから学んだ私で、もう1度挑戦してみようか。

 

そこからやっと、今の現実の中で、

建設的なスタートができるんです。

 

 

ぐるぐる後悔が始まるたびに、

「あ、もう戻れないんだった。」

と思い出してください。

 

そしてそれは人生の終わりではなく、

そこから始まるということを、

思い出してください。

 

 

そう思うだけでも、心はずいぶん落ち着きます。

 

こんなことをいくら考えても、

どっちみち戻れないんだったと気づいたら、

辛い過去に自らあえて戻って、

頭の中で何度も何度も再現する苦しみから抜けられます。

 

 

……そうは言ってもねえ。

やっぱりなかなか心がそれを受け入れるのには、

時間がかかりますよね。

 

なんとかその苦しい時間を

ショートカットできるようお手伝いしたいなと、

この記事を書いているんですが。。

 

それでも、

あなたにとってそのことが大事であったぶんだけ、

痛みを癒すための時間は、

やっぱりある程度必要だと私は思うんですよ。

自分の経験からです。笑

 

 

ただ、そんな苦しい時間の中でも、

覚えておいてほしいことは、

その苦しい時間もまた、

ちゃんと、受け入れる準備の途上であるということ。

 

苦しい気持ちや痛みを感じながら、心は、

少しずつ現実を受け入れる準備をしているということ。

 

一生後悔し続けて生きていくわけではないということ。

 

いつかは必ず、その苦しい痛みからの

ギフトを受け取れるときが来るということ。

 

 

だから大丈夫。

大丈夫。

焦らなくて大丈夫。

 

あなたがまた、心から笑える日は、必ず来ます。

そしてそのときあなたは、

あの辛かった経験からのギフトを両手に抱えて、

ますます輝いているはずです。

 

そしたらもう、いつか失敗だと認めたことが、人生という大局では、

失敗ではなくなっていますよ。

 

 

苦しい今も、ちゃんと幸せへの道の上です。

だから、大丈夫なんです(^^)

 

 

▽補足記事。こちらも必ず合わせて読んでくださいネ!

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定食にとろろがついていると、絶対それを注文したくなるとろろ好きな私なので、長芋が安く売っていると買ってすりおろしてとろろにしてご飯にかけて食べるのですが、とろろをかけるとズルズルに滑って歯が当てられずに噛めずに、結局ごはん丸呑みみたいになりませんか?

 

 

 

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