自分の負けを認められず、かといって自分の価値も認められない私
こんにちは、カウンセラーいなこです。
転職して苦悩したこの4年とちょっとの集大成のようなことが起こり、体調を少し崩していました。
気づきを得て、今はおかげさまで元気です(^^)
またお話しできる時が来たら書きますね。
おおげさな。
それはそうと先日、高校時代の友人2人と、ひっさしぶりにごはんに行って話しました。
大学生くらいまでは会っていたのですが、だんだん疎遠になって年賀状だけの付き合いになっていたのが、ひょんなきっかけで会うことになりました。
ちゃんと会って話すのは20年近くぶりなのですが、見た目はそんなに変わっていなくて、話し出すと意外と久しぶり感もなく、近況や他愛ないことを長時間話していました。
私たちが行っていた高校は、学区内でトップの進学校だったんですね。
大阪にはかつて「学区」がありました。
府立高校は、住んでいる地域ごとに学区が区切られ、自分の学区内の高校が受験できるといったシステムでした。
なので、卒業後は四年生大学に行くのは当たり前で、
中にはほんとに優秀な子もたくさんいて、誰がどこの大学に行って医者になったとか、弁護士になったとか、メガバンクに入ったとか、そんな話になったんです。
私はそういうのを考えると、未だにちょっと「ウッ」ってなるんですよね。
自分はそんな同級生に比べて・・・・・・って、悔しくて、惨めな気分になる。
だから彼女もきっとそうだと思って、
「そういうの聞いたら、それに比べて自分は……とか悲しくなれへん?」
って聞いたんですよね。
そしたら友人は、
「なれへん。
あの高校行って、すごい子いっぱいいて、自分は大したことなかったんやなって思うけど(って言っても彼女も公立の大学出てるんですけどね。失礼だよな、私の質問がそもそも。笑)、でも毎日がんばってるもん。
苦手な法律のこととかやって、一生懸命がんばってる。」
彼女は今の職場で事務職をしているのですが、特殊な業界で、その業界に関する法律を勉強していかなきゃいけないそうです。
てっきり彼女も、華々しい同級生の活躍を聞いて、私と同じように、「ウッ」となっているかと思いきや、
とても自然体でそんな答えが返ってきたので、強がって虚勢を張っているでもなく、心からそう思っているんだなあと感じられたんですね。
だから彼女のことばはスッと私の中に入ってきました。
そっかあ、それでいいのかあ。
うん、私も毎日がんばってるよな。
それでいいのかあって。
この彼女のことばっていうのは、ほんとにすばらしくて。
前半の、
「あの高校行って、すごい子いっぱいいて、自分は大したことなかったんやなって思うけど」
っていうところで、まず自分の"負け"を認めている。
でも後半の、
「でも毎日がんばってるもん。
苦手な法律のこととかやって、一生懸命がんばってる。」
の部分で、それでも、自分は今目の前のことに向き合って、自分にできることを精一杯やっている、そんな自分はよくやっていると認めている。
誰かの何かと比べて"負け"ているところもあることは認めて、
それでも、勝ち負けとは関係なく、自分に価値はあるとも認めている。
ちゃんと自己受容できてるんですね。
なんと成熟していることか。
あなたこんなに素晴らしい子だったの?と、今さら宝物を見つけた気分になりました。
何様よ
これは四十路になっても私ができなかったこと。
自分の負けを認められず、かといって自分の価値も認められず、そのためにいろいろと苦しんできたんです、今思えば。
気づいてしまえばバカバカしく、子どもじみたことなんですけどね。
それが難しかった。
「負けを認められない」のと「自分の価値を認められない」のは、一見矛盾するように見えますが、実はこれは当然の、表裏一体なことなんです。
基本自分に価値がないと思っているから、負けを認めると、いよいよ価値がなくなるので痛すぎて認められないんですね。
彼女のことばがスッと入ってきたのは、いろいろ苦しんだり癒したりしてきた今だから、というのもあると思います。
ちゃんとその時々の段階で、必要なメッセージを届けてくれらメッセンジャーが現れるんですね。
長年患っていた壮大な中二病を終わらせる時が、ついにやってきたようです。
続きをもう少し書きたいので、ぜひ次回の記事も読みにきてくださいね!
エスニック料理が食べたいという私のリクエストで、タイ料理になったんだけど、、うーん、エスニックも幅が広いなあ。
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「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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