気づいていないだけで実は、いっぱい持ってるし、幸せだし、目一杯生きてる
生搾りすだちチューハイを飲み干したい。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
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先週末は、妹と甥っ子が泊まりに来ました。
何をすると言うわけでもないのだけど、楽しい予定。
夕方に来て、夕飯を一緒に外食して、帰ってお風呂に入って寝て。
翌朝は、大阪城公園に散歩に行きました。
途中のパン屋さんでパンを買い、公園で朝ごはん。
こんなに暑いと、1人ではなかなか散歩に行こうという気になれないので、充実した朝を過ごせました。
公園は木も多くて木陰ができるし、コンクリートでなく土の地面も多いので、日陰は案外涼しかったです。
朝ご飯の後も散歩して近隣のお店をぶらぶらし、ランチして帰ってきて、まったり過ごしたのですが。
2人が帰る時間になると、どうしようもなくさみしい。
そう、楽しい予定はいいんだけど、終わったときのさみしさが、苦手です。
楽しければ楽しいほど。
昔から、文化祭の最終日とか、さみしかったなー。
しかも、人のお家に行くより、人が自分の家に来た後の方がさみしいです。
人のお家から帰ってきた後は、さみしいものの、自分の家に帰ってきてホッとする気持ちもあるけれど、
自分のうちから人が帰っていったら、さっきまでここにいたのに今はいない……っていう静けさが、すごくさみしくさせます。
うーん、人生って何なんだろう。
と、考えてしまう。笑
どんなに楽しいことも、いつか終わるし。
楽しければ楽しいほど、終わったときさみしかったりするし。
楽しいことが大きすぎても、その後のさみしさも大きくなるなら、何が幸せなんだろう。
楽しかったり、さみしくなったりを、延々繰り返すのが人生なら、ちょっとしんどいなあ。
永遠に穏やかに生きたいのに……。
だけど、どこまでいっても諸行は無常だし、人の感情は、波打つものなんですね。
それは、辛いこともいつかは終わるということで、そういう意味では希望でもあるけれど。
何の波も立たないというのは、生きていないということだし。
生きている身には、永遠の凪はない。
で、いきつくところは結局、「今」しかない。
今、何を感じるか。
ただ、経験する。
今を生きる。
それしかないんですよね。
いろいろ感じ入りやすいと、疲れやすいけど。
それは、目一杯、生を楽しんでるってことなんですよね。
そして、さみしさを感じられるということは、失ってさみしくなるものを、ちゃんと「持っている」といるということ。
持っているからこそ、さみしさを感じられる。
さみしさを感じたくなければ、よろこびも感じられなくなるということなんです。
幸せを知っているからこその、さみしさ、悲しみ。
なんだ、私やっぱり持ってるやん。
幸せいっぱい知ってるやん。
私たちって、気づいていないだけで実は、いっぱい持ってるし、幸せだし、目一杯生きてるってことなんです。
というつぶやきでした。
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