心理学的に正しくあろうとしてしんどくなっていませんか?ほどよく心地よいところで置いておく。何事も遊びの部分が大事。
歩いているとき、飛んできたセミが頭に当たりました。
いいことあるかも。
どういう理屈?
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
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さて、心理学やカウンセリングを学んでいると、
ありとあらゆる言動は、心理学的に説明できるんだなあと感じます。
ありとあらゆる言動を心理学的に説明するのが心理学だから。当たり前っちゃあ当たり前(^^;;
これを読んでくださっている方の中にも、
心のことに興味があって、
お勉強されていろいろご存知の方も多いかもしれません。
で、なまじっか心理学の知識が増えると、
そこで、
「心理学的に正しい人」
になろうとしちゃったりするんですよね。
癒されていて
比較も競争もジャッジもせず
感情を感じて
直感に従って
自分軸で行動できて
サレンダー(プロセスを信頼して、ものごとをコントロールせず流れに身を任せること)できていて。
そうじゃないところを少しでも見つけると、
なんとかしなければ!となる。
あるいは、そうじゃなさそうな人を見つけると、
「あの人はまだ他人軸だ」
なんて分析して何とかしようとしたり。
これって結局、
心理学を使って、
正しさにこだわったり、
自分や人をジャッジしたり、
コントロールしているということなんですよね。
道具が変わっただけで。
何か悩みや生きづらさがあって、
心理学を勉強して、
これまで自分を生きづらくしていた
正しさや
ジャッジや
コントロールを手放そうとしたはずが、
今度は「心理学」に道具を持ち替えて、
心理学的に正しくあろう
心理学的に自他を裁こう
心理学を使ってコントロールしよう
としているということなんです。
これはうっかり陥りやすいあるある罠罠ですよね(^^;;
なにそれ
まじめで一生懸命なんですよね、何をするにも。
だけど何事も、「遊び」の部分って大事。
車や自転車のハンドルによくたとえられるけど、
遊びがないと、
急ハンドルになって、危ないんです。
何事も、
ギチギチ完璧に為さなくても、
遊びを持たせて、
ほどよく心地よいところで置いておけばいい。
どんな道具を使うにしても、
それができれば、ずいぶん楽に生きられるのかもしれません。
この「心理学的に正しくあろう」という段階を超えたときに、
心理学をまた1つ、自分に落とし込めることができる気がします。
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