'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】優しくされたり褒められたりすると、戸惑ってしまいます。

【ご相談】優しくされたり褒められたりすると、戸惑ってしまいます。

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

引き続きお寒うございます。

今日は午前中に1つ用事があったのですが、その後は何もなかったので、おやつにアップルパイを買って、もう今日は家から1歩も出ないと決めて、あたたかくして、自分のしたいことをしています。

ある意味最高のぜいたくです。

 

 

さて、うれしいはずのほめことばなのに、なぜか笑ってありがとうと言えないということ、ありますよね。

それは、あなたのそのほめことばに、私は同意しませんと言っていること、すなわち、私は私の価値を認めていませんということです。

ほめことばを認めたらどうなっちゃいそうですか?

お世辞を真に受けてよろこんだら、まぬけな感じがしますか?

もしもたとえお世辞だったとしても、それはあなたをよろこばせたくてしたことじゃないでしょうか。

ということで、オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにお寄せいただいたご相談にお答えしました!

元のご相談文はコチラ

 

 

【ご相談】優しくされたり褒められたりすると、戸惑ってしまいます。 

優しくされた時に、なんて反応したらいいのかわからなくて戸惑ってしまいます。

普段クラスメイトなどから「ありがとう」や「ありすちゃんよかったよ〜!面白かったよ〜!」などと褒められたりした時に、戸惑ってしまい最終的に声が低く怖くなってしまったり、うまく声が発せなくなってしまい、相手の子が苦笑いで終わってしまいます、。

いつもその直後から「もっと笑顔で言えたのに」「声のトーンあげればよかった」「目見て話膨らませられたのに」 と反省するのですが、次同じタイミングが来てもやっぱり戸惑ってしまいます。

自然に「ありがと〜」って言えたり、面白く返事ができる子が本当にすごいなと思います。 私もそんな風にして、相手のことも仲良くなりたいし、いい関係を作りたいです。

アドバイスをよろしくお願いします!

ありすさん

 

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 【いなこからの回答】

ありすさん、はじめまして。

いなこと申します。

ご相談をお寄せいただいて、3ヶ月近く経とうとしていますが、気になるご相談だったので、今さらながらお答えさせてください。

よろしくお願いします。

 

ありすさんのご相談が気になったというのは、私も、ほめことばを受け入れるのが苦手、自分のいいところを見つけるのが苦手、だからです。

 

>優しくされた時に、なんて反応したらいいのかわからなくて戸惑ってしまいます。 普段クラスメイトなどから「ありがとう」や「ありすちゃんよかったよ〜!面白かったよ〜!」などと褒められたりした時に、戸惑ってしまい最終的に声が低く怖くなってしまったり、うまく声が発せなくなってしまい、

 

状況が目に浮かぶようです。

私も、今でこそ、ほめてもらったら、口では「うれしいー!ありがとうー!」とは言えるようになりましたが、言ってもらったことばを、自分の中にどれだけ浸透させられているかというと、あまりできていない気がします。

甘いことばを、けっして自分に沁みこませないように。

できるだけ咀嚼しないように。

すーっと受け流す。

 

「感動した!」というニュアンスで興奮気味に伝えてくれたり、会うたび何度も何度も行ってもらったりすることで、やっと浸透するかなというくらい。

 

ほめられたとき、ありすさんは、どうして戸惑ってしまうと思いますか?

そのとき、どんなことを思っていますか?

 

 私がほめことばをどうしてすーっと受け流すのか、そのとき私の中で流れている館内放送は、こうです。

 

♪ピンポンパンポーン

ただ今のことばを、真に受けられないようご注意願います。

この程度のほめことばは、お世辞となっております。

他の人にもお伝えされていらっしゃいます。

世の中には、もっとすごい方がたくさんいらっしゃいます。

お世辞を真に受け、恥ずかしい思いをなさることないよう、繰り返しお願い申し上げます。

♪ピンポンパンポーン

 

その放送内容を忠実に守り私は、できるだけほめことばを自分の中に入れないように、すーっと受け流します。

 

こんなのはお世辞だ。

私に限ったことではない、誰でも言われていることだろう。

もっとすごい人がいるのに。

お世辞を真に受けてよろこんだら恥ずかしい。

 

ほめられても戸惑ってしまう、ということは、「あなたの言うことに、私は同意しません」という表明です。

要は、自分の価値を認めていないと言うことなんですよね。

「お世辞を言っている」人じゃなくて、自分が、認めていないんです。

 

ほめられてうれしくないはずはありません。

それなのに、こんなにしてまで認めないなんて、不思議です。

 

 

そして、ほめことばを受け取らないということには、さらなる弊害もあるんですよね。

 

>いつもその直後から「もっと笑顔で言えたのに」「声のトーンあげればよかった」「目見て話膨らませられたのに」 と反省するのですが、

 

そう、せっかくほめてくれたのに受け取れない、かわいげのない自分。

相手の好意に応えられなかった自分に、どこか罪びとのような気持ちを抱き、責めてしまいます。

「こんなかわいげのない自分、愛し甲斐のない自分は、愛されないだろう」

そうしてますます、相手の好意を素直に受け取れないドツボにはまっていくのです。

あなおそろしや。

 

もういやですよね。私もいい加減、疲れてきました(笑)。

 

どうしてほめられると戸惑ってしまうのか、よろこんで受け取れないのか、その大元には、

「自分には価値がない」

という思いこみがあるのかもしれません。

 

では、なぜそう思うに至ったかというと、いろいろ考えられるのですが、

ほめことばとを受け取れない、という心境とは裏腹に、ありすさん、むしろこれまでたくさんがんばって、たくさんほめられてきたのではないでしょうか。

 

元々がんばり屋で、人によろこびを与えたくて、基準を高く設けて、もっと、もっと、と、努力してこられたのではないでしょうか。

そしたらほめられて、ほめられ慣れすぎて、基本、できてほめられて当たり前、もっと人があっと驚くほどの成果を出さなければ意味がないと、ほめことばに麻痺してしまったのかもしれません。

 

成果を出してほめられる、ということを繰り返しているうちに、いつの間にか、

「成果を出すからほめられるんだ、何もしない自分には価値がない」

という考えが、さらに強化されてしまったのかもしれません。

 

いや実際、そう勘違いしますよね!

学校でも社会でも、「できたらほめる」というのは普通です。

それはまちがっていない。

成果を出すことはすごいし、ありがたいことだから、ほめられるし、感謝もされます。

 

だけど同時に、その裏を返して、こんなメッセージまで受け取ってしまっていませんか?

 

「成果を出さなければ価値がない」

 

成果を出した者は偉い。価値がある。すばらしい。

それ以外のモンはクズじゃぃ!何の見込みもない、生きてる価値もない、おととい来やがりさらさんかい!

 

・・・言ってない言ってない(^^;;

本当は、そんなことは言っていないんです。

 

よくほめられるから、ますます自分に自信がつくかというと、逆に、ほめられるのが当たり前になって、「ほめられない」というだけで、そんなふうに責められている気がするようになることがあります。

 

口に出してわざわざほめなくとも、ベース、いるだけで人に価値はあるものなんですよ。

いつからか、勘違いしちゃったんですね。ほめられることなんてまずなくて、「ほんましゃーないやっちゃなー。(標準語:本当に仕方のない人ですね)」とか言われながらも、愛されている人っているでしょう?

 

 

と、少し話がそれましたが、ありすさん、いかがでしょう?

そんな傾向はありませんか?

 

 

で肝心の、

>自然に「ありがと〜」って言えたり、面白く返事ができる子が本当にすごいなと思います。 私もそんな風にして、相手のことも仲良くなりたいし、いい関係を作りたいです。

というご相談へのお答えですが、だったら、自然に「ありがと〜」って言ったり、面白く返事をしたらどうでしょう?

おい。おい中のおい。

 

何かお金がかかるわけでも、特殊な資格が必要なわけでもないのに、「自然に『ありがとう』と言う」という、たったそれだけのことができない心のうちの一例は、簡単にお伝えしました。

ありすさんにパシッとはまったかはわからないけど。

 

もう、無理にでもやってみる、無理にでも笑顔でありがとうって、受け取ってみるしかないのかなあと思うんです。

 

最初は、

>声が低く怖くなってしまったり、うまく声が発せなくなってしま

っても、いいじゃないですか。

それでいい。

そこから少しずつ、始めればいいです。

 

何もしていないときの自分の価値も、ありすさんが認められるようになるのが1番だと思いますが、それを待たずとも、自分以外の人がほめてくれたことを、とりあえずはありがたく味わわせてもらうんです。

 

ありすさんは、まだまだこんなもんでは自分を認められないかもしれない。

でも、少なくともほめてくれたその人の、言語中枢と舌と唇を動かす程度には、ありすさんの魅力は発せられたのです。

 

 

それでも笑顔で受け取れない というときのための脳内1問1答を記しておきます。

 

こんなのはお世辞だ。

→お世辞上等。

 

私に限ったことではない、誰でも言われていることだろう。

→他の人が言われていたとしても、私は私で言われたの。それでいいじゃない。

 

もっとすごい人がいるのに。

→もっとすごい人って誰?じゃあ一体、どのレベルまで行けばほめていいの?

 

お世辞を真に受けてよろこんだら恥ずかしい。

→いやあのね、お世辞って、そもそも、相手をよろこばせたくて言うもんじゃない?

 もしもお世辞だったとしても、相手は、あなたをよろこばせたくて言ったんじゃない?

 「よろこばせたい」その気持ちだけでも感謝して受け取ったらいいんじゃない?

 

こう言われると、少しは自然に「ありがとう」って言えそうかな?

もしもたとえお世辞だったとしても、それを真に受けてよろこんでいても恥ずかしくはない、なんて素直な人なんだって、むしろかわいいと思います。

おまけに言えば、ほめられてぎこちなくなるありすさんのことも、かわいいと思っている人はきっといますよ。

 

 

私も、今年こそは、恥ずかしくてもざわついても、本気で受け取ることをしようと思うんです。

個人的なことをごちゃまぜにして申し訳ありませんが、その決意表明も兼ねて、お答えしました(笑)。

 

ずっと応援しています(^▽^)

ありがとうございました!!!

 

 

 

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よろしくお願いします!

 

 

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