父が死んだら母は泣くのだろうか
お盆もすぎたけれどこのもわっと具合。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
絵の展覧会の締め切りに追われてせっせと描いていましたが、この日曜日に無事提出できましたー!
今までで一番納得いく作品が複数出せました。
あとは、果報は寝て待て。
▽8月のカウンセリング募集中です。1枠だから、きてね!
さて、カウンセラー修行を始めて、
同時に自分の人生の振り返りも始めて久しいですが、
私がファザコンらしいということはどうやら確定のようです。
でもファザコンと言っても、
「お父さん大好き!」とか、
父とべったりという感じでもなく、
むしろ一緒に暮らしているときは、
うっとうしがっていたくらいなんですけどね。
声は大きいし、口うるさいし、何でも勝手に捨てようとするし。
(几帳面で片付けたがり屋なので、ちょっと使ってなさそうだと人の物も隙あらば捨てようとします。怒怒怒)
一方で、母はおっとりしている人で、基本的にはやいやい言わないので、母の方が好きというか、一緒にいてストレスが少ないのは母の方でした。
ただ、根本的には、両親とも好きではありました。
悪い人ではないというのはわかっていたし。
まあ一緒に暮らしていると、どうしても摩擦はありますよね。
今は実家を出ているので、
そういう日々同じ家で暮らす摩擦やストレスを忘れて、「両親とも根本的には好き」
という気持ちだけが残ったという感じです。
で、私がファザコンとなった大きな原因の1つは、
うちの父の生い立ちが、私にはかわいそうに見えていたからだと思います。
7歳で父親を亡くし、3人の子どもを育てるために必死で働く祖母を助けようと、これまた必死で生きてきた父。
その途中ではさみしいことも、悲しいことも、あきらめたこともたくさんあっただろう。
そのストーリーが私の印象に残り、
「うちの父はかわいそう」
「あきらめずにもっと自分の人生に欲を持てばいいのに」
「こういう人こそ幸せにしてあげなければ」
という思いが強くて、そのために私は生きてきたようなところがあるようなんですね。
それが私のファザコンへの道だったんですね、おそらく。
でももう1つ、父に肩入れしたくなる理由に気づいたんです。
そんな生い立ちなので、父は、多くは望まず、ただ温かい家庭がほしいだけの人でした(と私の目には映っています)。
大した物欲や出世欲もなさそうですし。
だけどそれにも関わらず、私には、父が、母にあまり愛されていないように見えていたんです。
だから私は、「父をもっと幸せにしてあげなければ」と思ってきたんじゃないかと最近思うんです。
お母さん、もっとお父さんのいいところを見て!
お母さん、お父さんをもっとほめてあげてほしい。
お母さん、私たち子どもにするように、もっとお父さんにもやさしくしてあげて。
そんな思いがあったから、なお父が「かわいそうな人」に見えて、肩入れしたくなったのかもしれない。
そんな思いが、私をファザコン道へ後押しした気がします。
私の中で、父は母のことを素直にストレートにほめている印象がありました。
「K子の料理はおいしい」とか、
「家のことをしっかりやってくれている」とか、
「ちゃんとK子が教育してくれたから、子どもらはいい子に育った」とか。
相手が誰であれ、いいものはいい、悪いものは悪い、感謝は口で伝えるという父のストレートさ、公明正大なところを、私はどこか尊敬していたし、自分もそうありたいと思ってやってきた気がします。
一方で母が父のことをほめているのは、ほとんど聞いた記憶がありません。
文句は言えど、ほめるなんてことは、まあなかった気がします。
それどころか、父が前述のように母をほめても、「別に」みたいな顔をしていることが多かった気がします。
そこが不均衡というか、バランスの悪さを感じていたんですね、ずっと。
お父さんは素直にストレートにお母さんをほめて感謝しているのに、お母さんはほめないどころか、ほめられても喜びも見せない。
お父さんがかわいそう、もっとやさしくしてあげてほしいって。
ほら、月がてんびん座だから、バランス悪いと無意識にバランスとろうとしちゃうんですよね。
素直じゃない母に苛立ちを感じていました。
お父さんすぐカッとなるとか、短気だとか、センスないとか。
なんかそんなことよく言ってたなあ。
お母さんはお父さんが亡くなったら、泣くのだろうか?と本気で疑問に思ったこともあります。
でも、泣きますね。
そんなんでも、母は父のことが好きだった。
そんなことに最近気づきました。
好きだからこそ、文句も多かったんですよね、きっと。
好きだから、関心があるから、父に期待し、依存して、文句も多かったんですよね。
文句は多いけれど、いつも言い争いをしていたかというとそうでもなく、
夕食のときは晩酌しながら1時間は夫婦で毎日話していたし、
母は優柔不断なので、わからないことや決められないことは、必ず父に聞いていたし。
父も、母に聞かれたら、何でも「それはこうしたらいいやろ」とか答えていました。
うん、押入れの高い所の荷物を取るときなんかは必ず父に頼んでいたし、旅行に行けば腕組んでいたし、父の冗談にもよく大笑いしていたし、腋の毛は自分で剃りにくということで、腋毛は父に剃ってもらっていました。
「今日お父さんに腋剃ってもらうから一緒にお風呂入るねん」って言ってたな。
うちの両親は何だかんだで、そこそこ変態仲良かったのだと思います。
父は、母に、ことばでほめられることはなくても、そんなふうに、何だかんだで頼られたり笑われたりすることで満足し、よろこびや愛を感じていたのかもしれない。
そして母は、今思えば、かなり照れ屋なんですね。
特に、父に対しては。
父は母のことを「K子」と名前で呼んでいますが、母は「お父さん」と呼びます。
でもあるとき、「あれ?子どもが産まれる前は、お母さんはお父さんを何て呼んでいたんだろう?」と気づいて(長子の私が生まれたのは、結婚して2年後くらいです)、聞いてみたことがあるんです。
そしたら母は、「え?」と照れた笑いで、答えてくれませんでした。
母がことばでは父をほめたりしなくても、父は母の照れ屋で素直じゃないことも理解していたのかもしれない。
そのくらいの器は父にはあったのだろう。
そしてまた、母の言うように、父は短気ですぐカッとなるところもたしかにあります。
自分ではそんなつもりないらしいけど、声も大きいし、きつく聞こえやすい。
母には娘たちに対してより、言いやすいし、遠慮も少ないんだろうし。
母の言い分もわかります。
うん、これもすごくよくわかる。
一緒にいたらイラッとすることいっぱいありましたからね。笑
私は負けず嫌いで、家族の中で1番言い返すので、いなこは気強いと父に言われてました。
本当にあんな人とよくやってきたよ、お母さんは。
最近は2人とも年のせいかだいぶ丸くなったのもあるし、母の文句もだいぶとげが減ったし、父も学習して、物を言う前に言い方に気を付けられるようになりました。
まあ要は、どっちもどっちの2人ですよね(^^;
祖母が生きていた数年前、認知症で何度も同じことを聞く祖母に、つい強く言ってしまうと父が反省していたら、母が、「どうしても自分の親にはそうなってしまうねん」と父をフォローしているのを見て驚愕したことがあります。
え?うそやろ??お母さんが、お父さんをかばっている・・・・・・???と。
どんだけやねん。笑
どうしてこんな簡単なことに気づけなかったんだろう。
母は、父のことがちゃんと好きだ。
母は、口では文句言いながらも、ほんとは父のことを頼りにしている。
母はちょっとめんどくさいただの女だし、父は女心がわからず地雷を踏んで怒らせるただの男。
それだけのこと。
父が死んだら母は泣く。
だからあの2人は、ほっといても大丈夫。
私が心配する必要はない。
私は私の人生を。
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▽いなこの雰囲気はこんな感じです。
「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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