'それなりに'うまくいっている →を→ 'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」  そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 ©️カウンセラーいなこ

私の親は過干渉だったのかしらん。

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例えようのない哀しみや

ありのままを許してゆけたらいいのに

もう泣かせないよ

 

矢井田瞳「Life's Like A Love Song」

 

 

 

 

 

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

昨日は、上司に対するもやもやを書きました。

そして、「その上司と同じことを自分に対してしていた」という気付きを書きました。

 

でも、今朝、またまた気づいてしまったのです。

「自分に対してだけ」どころか、上司に対しても、きっれーーーいにそっっっくりそのまま同じことしてるやないかい!

ということに!!!

 

すなわち、「それぞれのいいところを認めて伸ばすべき」、「多様性を認めるべき」と言いながら、私自身が上司のあるがままを認めていなかったのです!!!

 

私は、上司を含め、人のいいところをできるだけ見いだそうとしているつもりだったので、「私はそんなことない」と気づけませんでしたが、「上司とはこうあるべき」、「部下に対してこう接するべき」という考えを押し付けて、私の思うあるべき型に当てはめようとしてもやもやしていたのです!!!

人のいいところをできるだけ見いだすべきという考え自体も、一見いいことのようですが、立っっっ派な押し付けでもあったのです!!!

 

 

こんな簡単な投影!!!

弟子仲間に例題として出したら、みんな1分で解いてくると思います(笑)。

弟子仲間でなくとも、読んでくださった方の中にも、「おめーだよ!」とつっこんでくださった方がいらっしゃることでしょう。

 

あー恥ずかしいっ!

もう北島康介ばりに

何も言えねえ。

 

 

もう昨日の記事を消してしまいたいくらい恥ずかしいですが、臥薪嘗胆として(?)、いや、成長の証として、残しておきます♡

 

何のことだかかわからないよという方は、昨日の記事をぜひお読みくださいませ(笑)。

 

 

 

ブログを休んでいる間に気づいたことの2つめが、昨日書いたことだったのですが、今日は、それとは別の話です。

 

お盆は、母方の実家近くにあるお墓にお参りに行きました。

母方の実家と言っても同じ大阪なので、車で30分程度のところです。

父方の先祖のお墓は鳥取で、私は長年行けていません。仏壇に手を合わせるのみです。久しぶりに行きたいなあ……。

 

 

これまでブログで、「親を助けたかった」とか、「愛されて育った」とか書いてきたので、これまで読んできてくださった方の中には、私がさぞ親孝行で、集まれば笑いの絶えない穏やかな会話をして、さぞすてきな家族なんだろうと思っていらっしゃる方がいるかもしれません。

 

まあ、根本的には、家族のことは好きだし大事ですが、それは根本であって、ディテールは、いろいろとイラッとすることもあります。

 

 

お墓参りの後、親と妹一家と叔父とで会食したのですが、たまに長時間一緒にいると、「もーなんでそうなるかな!」というポイントが多々あり、そういえば、一緒に暮らしているときは、親に対して「うっとうしいなー!」と思うことが多々あったことを思い出しました(笑)。

 

今、離れて暮らしているので、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とでも言いますか、細かいごちゃごちゃしたイライラは忘れて、根本の「愛されて育った」だけが残って、美化された幻想の両親だけが頭の中に残っているというか……実際近づくと、細かい不協和を思い出して、「あーやっぱり私はもう、この人たちとは一緒には暮らせない!」と思いますね。

まあ、道明寺財閥くらいの豪邸で、というなら話は別ですけど(笑)。

 

 

 

うちの両親は、勉強しろ的なことはあまり言わなかったのですが、父は、寂しく育ったというのがあるので、心配性なところがあり、安全などにはうるさかったです。

そしてせっかちできれい好き。

夜遅いとか、散らかっているとか、靴をそろえていないなど、こまごましたことは、割と口うるさく言われていました。

しかもせっかちなので、それを先々に言ってくるんです。

こっちは、今やろうと思ってたのに!となる。

そんなことでイラッとして、「わかってるわ!」と舌打ち交じりに返す私を、妹は怖がっていました(笑)。

 

 

そして母は、「してあげたい人」。世話焼きの部類に入るのでしょう。

今回の会食でも、ほっといたらいいやん、というくらいに父の世話を焼いている。

酒飲みあるあるですが、父はお酒を飲むとあまり食事を食べないので、母が飲んでばっかりじゃなくて食べないと体に悪いと心配して、「お父さん!お酒ばっかり飲んでやんと、食べなあかん。器貸して、入れたるから!」と、遠くの席から、上機嫌でしゃべっている父に言うわけです。

もう、大人やねんからほっといたらいいやん!と、その程度のことで必死になる母を見ていると、私はイラッとするのです。

父の文句はよく言うくせに、なんだかんだで甲斐甲斐しく世話してるんですよね。

結局興味津々なんです、父に(笑)。

 

 

そんな2人の会話は、こっちが聞いていると、とんちんかんだけれども、2人の間では一周回って通じています。

「とんちんかん」というワードが昭和感満載で自分でも笑えますが、この2人には、そのことばが一番似合うのです。

もう、この2人のことは、そっとしておこうと思います。2人で幸せに暮らしてください(笑)。

 

 

 

とまあ、両親同士のことはそれでいいんですけれども、そんなこんなを見ていると、実は私は割と過干渉に育てられたんじゃないかと思ったんです。

 

今さら!

 

進路とか大きなことにはあまりやいやい言われなかったので、そんな印象を持っていなかったのですが、生活上のこまごまは、いろいろやいやい言われていたかもしれないと。

100%有無を言わせず従わせるというようなやり方ではなかったのですが、親もよかれと思って言っているのだと思って、すべてははねのけられずに来たところは多々ある気がします。

 

 

 

 

1つ思い出すのが、20代半ばくらいのときのこと。

 

 

あるとき母が、成人式の着物を買った呉服屋さんからセールのハガキ来ているから、私と妹に、浴衣を買ってあげると言ったんですね。

 

妹はまだ大学生だったと思いますが、私と妹の予定が合わなかったので、1人ずつ母と一緒に呉服屋さんのセール会場に行きました。

 

 

大きな会場に、たくさんの浴衣が並べられていました。

 

 

私がいいと思ったのは、白地にパキッとした紺の花柄の、シンプルな浴衣。

 

しかし母は、「えー、そんなんやめときー!」と言いました。

「若いのに、もっと華やかなんにしたら?」

「そんなん安っぽい」

「生地もいいことないわ」

などと言っていたんじゃないかと思います。

 

 

そういう母がいいと勧めてきたのは、淡いグレーの地に、淡い桃色の花柄がにじんだように入っている浴衣。

 

 

母は、着付けができて、また、洋裁も好きで、口コミでオーダーメイドの服を作ってほしいと人から注文が入るような人です。

生地のことや縫製のことにも目が利くし、センスがいいのは確かではあるのです。

 

 

確かに、今の私だったら、母が選んだものの方がいいなと思います。

 

私が選んだ白地に紺のものは、本当に「浴衣」という名のごとく、日常的に着ていた昔の人が見たら、お風呂上がりのパジャマのような、昔からある感じの普段着っぽいものだったかもしれません。

生地もぺらっとしていたような。(これは母のことばで私の記憶がねじ曲がっているかもしれませんが)

 

年上の人間から見ると、20代の女の子だったら、もっと華やかなものを着たらかわいいのにと思うのもわかります。

 

 

それでも、そのときの私は、その、白地に紺の浴衣がよかったんですよね。

若さゆえに、シンプルなものが好きだったんでしょうか。

(年を取るほど、華やかなもの、鮮やかなものが好きになる傾向ってありませんか?若いころはヒョウ柄を着ていたのに、年を取るとヒョウの顔が描かれたものを着る、みたいな。あれ、大阪だけですか??いや、私はまだ着ていませんよ!!!)

 

 

私は白地に紺がいいと言うけれど、母は「えーーー、そんなんもひとつやってー」とまゆをハの字にした笑顔で引かない。

 

母は、子どもにも遠慮がちなところはあれど、自分が自信のある分野においては引かないのです。

まあ、目の利く者として、明らかにいまいちと思うものを身内が選ぼうとしていたら、どうしても止めたくなるのは当然と言えば当然かもしれません。

 

 

母は柔らかいようで引かない。

私は紺の浴衣が欲しいけれど、母がどうしても引かないし、スポンサーは母だし、よかれと思って言っているのだろうと思うと、突っぱねることもできない。

 

 

自分の思いと母との板挟みになって、どうしようもなく、イライラしていました。

 

 

呉服屋さんも、その不穏な様子を見て、「まあ、着はるのは本人さんやから……」と気を遣って母に言ってくれていましたが(笑)、結局私は母を振り切れず、母の気に入った桃色の花柄の浴衣を買ってもらいました。

 

 

 

私は、ずっと不機嫌でした。

涙を必死にこらえて。

 

その後、忘れもしない、本町のドアーズダイニングというおしゃれなお店でランチをしましたが、まったく楽しくない。

 

 

 

どうして私はこうなるのだろう。

 

 

せっかく浴衣を買ってもらえるという、うれしいおでかけのはずだったのに。

こんなに不機嫌で、母も悲しんでいるだろう。

でも、せっかくのチャンスに、欲しいものを買ってもらえなかったという気持ち。

押し付けられたという気持ち。

せっかく買ったもらったけれど、こんな浴衣、絶対着ないとすでに心に固く決めている自分。

せっかく買ってくれたのに、もったいないことをしているという申し訳ない気持ち。

でも、好きなものを買ってもらえなかったという気持ち。

 

楽しいはずのことが、どうしてこうなるのだろう。

 

 

きっと帰って、1人で泣いたと思います。

ものすごい怒りも抱えて。

 

 

そのことを妹に話す気力もなく、怒り、拗ねていたと思います。

その浴衣には一切目もくれないことで、母に抗議をするのが精一杯でした。

 

 

 

後日、今度は妹が、母と浴衣を買いに行きました。

 

そして、妹が買ってきたのは、私が欲しかった、白地に紺の浴衣だったのです。

 

 

 

私の怒りと悲しみは、いかほどだったのか。

 

きっとまた1人で怒りながら泣いたと思います。

覚えていませんが。

ただ、私自身がものすごく怒りを抱えていた、その奥にはものすごい悲しみがあった、そしてそれでも、不機嫌になって母を悲しませてしまっていることへの悲しみも、感じていたことはわかります。

 

 

私は、しばらく心を閉ざして、その件について妹にも母にも何も言いませんでした。

この浴衣は一生着ないと誓って。

なぜか、そうすることで、自分を痛めつけようとしていた気がします。

 

 

 

なぜ妹は白地に紺の浴衣を買ってもらえたのか。

母には聞いたことはないけれど、母は姉妹に差をつけることはしません。

ただ、私の態度を見て、自分の意見を押し通したことを反省したのでしょう。

そして妹が、たくさんある中からまさかの私と同じものが欲しいと言うのを聞いて、「これが若い子の好みなのか?」とでも驚いて観念したのかもしれません。

妹も、そこまで強く主張するタイプでもないので、私との買い物の反省から、母は強く反対せず、今度は妹の欲しがったものをそのまま買ったのかもしれません。

 

最近妹にこの件を話したら、大して覚えていませんでした。

だからきっと、思い出に残らないほど、そんなに反対されなかったのでしょう。

 

 

 

これは、特に強烈に怒り悲しんだ思い出ですが、こんなパタンはよくあったのです。

 

相手も悪気があって言っているんじゃない、確かに相手の言うことにも一理ある、断ったら相手がかわいそう、そんな風に先回りして考えて考えて、自分の思いをきちんと伝えずにひっこめることが、私のよくあるパタンだったのです。

 

 

 

母の話に戻ると、こういうのを過干渉というのかもしれません(笑)。

やっぱそうですか???(笑)

こういうところが、母の賢くないところというか(笑)。

あんまり人の文句を言うと、また投影の刑に処されるのでやめときますが(笑笑)。

 

すべて、子を思うがゆえというのは伝わるんです。

いや、むしろそう察してしまうからタチが悪いんですね。

子を思うがゆえであろうがなんであろうが、ぶっちぎりで自分の思いを貫けばよかったんです、私が。

 

 

そんな感じで、自分を押し殺していたら、自分の決定に自信持てなくなるよなあ、そりゃそうだよなあという気もします。

 

 

また何となく自分の生きづらさの原因が見えてきました。

でも、それをしんみりした感じで振り返るのにも飽きてきたし、飽きてきたということは、ちょっとずつ癒されてきたのかなとも思います。

 

 

 

とにかく、今を、できるだけおもしろおかしく生きよう。

今は、そんな風に思っています。

 

 

 

 

結局その浴衣は、1度も着ず。

実家の桐箪笥に眠っていると思います。

その浴衣を見たら、母は「私に悪いことをしたな」と悲しく思うんじゃないかと、思い出すと今でもやっぱり胸は痛みます。

 

 

今はあの浴衣を着たいと思うし、華やかと言っても上品な華やかさだったので、今の年でも着られるかな、いつかは着たいなと思っているのですが。

 

当面お祭りも花火大会もないでしょうし、着ていくところがなかなかないですねえ・・・