おはようございます、カウンセラーいなこです。
考えたカウンセラーとしてのキャッチコピーですが、師匠からのフィードバックを待ってお披露目しようと思っていたのですが、そんなに完成されたものにこだわる必要もないかと思い直し、掲載してみました。
うーん、ブログタイトルをキャッチコピーにしたけれど、見にくいかな?
見慣れないからか長ったらしい気もするな。
しばらくコロコロ変わるかもしれませんがご了承ください(^^;)
今後も常にブラッシュアップしていくものですし、実際にカウンセリングの経験を積んでいくうちに、また考えが変わるかもしれないので、初期から見てくださっている方には継続して見届けていただくのもいいなと思い至りました。
ということで、今後とも末永くよろしくお願いいたします(^^)
さて、私には4つ離れた妹がいます。
私が、♪ちょんまげちょんまげちょんまげマ〜チと歌い出せば、
♪ござるでござるでござるでござる〜と応え、
私が何かを食べて「おいしいね」と言えば、
「あったまろ」と続き、(←わかる人いますか?笑)
♪ただいマンゴー チャッチャー と帰ってくれば、
♪おかえリンゴー チャッチャー と迎えてくれる(←完全オリジナル曲。スロウリーでエキゾチックなナンバーです(笑))、
ステキな相棒です。
私は「おねぎょ」と呼ばれていて、妹やおいには、自分でも自分のことを「おねぎょ」と言っています(笑)。
「おねえちゃん」と「姉御」が合体して変形していったのか、出典は記憶にございません(笑)。
妹とは、同じ家で同じ親に育てられているので、人やものの好み、笑いのツボなどが似ているし、親に対する愚痴も共感・共有できるし、気を遣わない存在なので、妹は結婚して大阪の別の市に住んでいますが、時々一緒に買い物に行ったり、家を行き来したりしています。
お姉ちゃんと妹と言うと、一般的には、妹が天真爛漫に自由奔放で、姉は妹の言うことをはいはいと聞いてあげるというイメージがあるかもしれませんが、うちはそうでもありませんでした。
妹は、天真爛漫というより、私と似ているので、ちょっとしたことを気にしやすい方ではあります。
そして私は、妹にあれこれ命令する女王、というより殿様のようでもありました(笑)。
私は両親に、「お姉ちゃんなんだから」というようなことを言われた覚えがありません。そこは差をつけないように意識していたんだと思います。
4歳離れているというのもあると思いますが、親が「お姉ちゃんだから」という理由では私に我慢させなかったこともあって、妹に嫉妬したりせずにかわいがることができたのだろうと思います(いや、召使いにしてるだろ・笑)。
ああでも、距離が近すぎて昔はケンカもしたなあ。ケンカっていうか、私の方が強すぎたかも(苦笑)。
以前、私の生きづらさの原因の1つを、主に母との関係にフィーチャーして書きましたが、
家族における、妹と私の位置づけにも、また1つその原因があったのかもしれないと、最近気づいたのです。
そのことを書いてみようと思います。
両親は私に「お姉ちゃんなんだから」と言って我慢させることはなかったと書きました。
常に何をするにも平等にしてくれていた気がするし、その点では、長子にありがちな、「妹ばかりかわいがられている、親は妹にばかり甘い」という不満はなく、両親からもらう愛情という点においては、私の気持ちは安定していました。
「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」というようなことも言われた覚えはないのですが、それでも4つ離れていると、子どもの4つは大きく、発達的にもかなり違うので、今思えば、私は自然と幼い妹のために、譲ったりしていたのかもしれません。
そして、両親も、「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」ということばこそ言わないけれど、結局、何となくのイメージで、私の方が頼りになるという目で私を見ていたり、「お姉ちゃんはしっかりしている」とほめていた気がします(これは間接的に「しっかりしなさい」と言っていうということか?笑)。
妹と私は、幼稚園から大学まですべて偶然同じなんです。
幼稚園は親が選ぶし、小中学校は地元の公立学校なので同じでもおかしくないですが、高校、大学は受験しています。
まあとにかく、学歴的には妹と私は同じなのですが、何かわからないことがあれば、親はたいてい私に聞くのです。
今はさすがに昔ほどそんな傾向は減った気がしますが、末っ子はいつまでも子どもに見えるみたいです。
私は、幼い妹のため、私をしっかりしているとほめる親のため、その期待に応えたかったのでしょうね。
少々のことでは動じない、多少の困難は涼しい顔してこなす、そんな自分になろうとしていました。
実際そんな風にできたことも多かったし、そういう自分が好きでもあったから、そんなに無理をしていたつもりはなかったのですが。
しかし、そんな「強くて優秀な姉」という称号の代わりに、親に弱音を吐くとか、親の前で泣くといったことを失ってしまったのです。
いや、親に怒られたときは泣いていましたけどね(笑)。怖いのと悔しいのと腹が立つので(笑)。
でも、学校や仕事で何か失敗したり落ち込んだり不安になったりしたことは、一切と言っていいほど言えなかったのです。
今回も、転職のことを母にやっとの思いで言ったときに、めずらしく久しぶりに泣いたくらいです。
(意外と母がどっしり構えていて、泣けて話せて安心できました。)
「どうせ親に言ってもどうにもならないし。心配させるだけだし。」という思いで、親には言えなかったんです。
しかし妹は違いました。
大学の課題がしんどいとか、仕事を辞めたいとか、母に話して泣いていたこともあったのです。
その後母が、「あの子、仕事辞めたいて泣いてやったわ」と私に言ってくるのです。
(母には家族のプライバシーという概念があまりありません(怒笑)。)
私が中学生、妹が小学生くらいのとき、家族4人で図書館に行ったときに、妹が痴漢に遭いました。下半身を露出して見せてきたそうです(怒怒怒怒怒)。
そのときも、妹は泣いて親に言っていました。
私は、すごい、と思いました。
痴漢が、じゃないですよ(笑)。
そのことを親に言えることに。
私も軽い痴漢の経験は何度かありますが、そういうことは親には一切言えませんでした。
私は何も悪くないのに、なぜか私が恥ずかしい気がして。
親も心配したり怒ると思うし、親に言うのも恥ずかしいし。
怖いし腹が立つけれど、言えずに自分でその気持ちを処理していました。
あー、我ながらかわいそうだ(涙)。
徐々に大人になるにつれて、目つきや雰囲気からおかしいと事前に(笑)わかるようになり、こっちから痴漢野郎(決めつけ・笑)に舌打ちしてやるようになりましたけどね(怒)。
幸か不幸か、そんなにたくましくなってしまったんです(涙)。
父親とは世の中のいろいろについて晩ごはん時に議論することがよくありました。
父も話し好きな方なので、ケンカではないのですが、子どもといろいろとディベートするのがコミュニケーションの1つで楽しかったのでしょう。
そういうとき、ヒートアップする父と私の議論に妹は参戦せず、ご飯を食べ終わって先に居間や自分の部屋に戻っていました。
(ちなみに母はそういうとき、ちょっと的外れな意見をときどき挟んでくる係です。天然なもので(笑)。)
私は、単に妹はその話に興味がないだけと思ってまったく気にしていませんでしたが、実は妹は、
「自分のことなんて誰も興味がないんだ、だから自分の好きに生きていこう」
と思っていたということを、最近話していて知りました。
それはまったくの妹のいじけた妄想というか、私から見ても、両親が妹のことも同じように気にかけて大事に思っているのは完全な事実なのですが、家の中では、内情は似たり寄ったりなのに、長女私の方が優秀という、リーダーのような、ヒーローのようなポジションになっていたのです。
何となく感じていた自分のそのヒーローポジションに、私は誇りを持っていましたが、それこそが自分を不自由にさせていたところもあるんだと、最近気づいたのです。
どうして生きづらいのだろう、虐待されたとか否定されたとか、そんな生い立ちもないのになんでだろうと、ずっと考えていたその原因の1つに、また気づいたのです。
ヒーローは、常にかっこよくいて涼しい顔でみんなを助けて安心させないといけないので、辛いことがあってもそれを見せずに1人で処理しないといけない、負けてはいけないので負けそうになるとぎこちなくなる、拗ねてしまう(結果1番かっこ悪い・笑)、常にぶっちぎりの断トツ1位でないといけないので少々の成果では満足できない(「すごーい!!!」と驚かれるほどのリアクションが返ってこないと達成感を得られないようなところが未だにあります)、自分が楽しいだけでは満足できず、世間に認められて成功しなければいけないみえみえのみえっぱり……
あー書いてるだけでしんど、、、これや、これがわたしの生きづらさの原因や。。。
常にトップを走り続けるヒーローポジションと引き換えに、自由を失ってしまったのです、きっと。
だいぶましになったものの、「できる」、「優秀」というようなワードには、未だに反応してしまいますね(恥)。
そのポイントにおいては特に、負けず嫌いが出てしまうんです(恥恥恥)。
強制されなくても、勝手に期待を背負ってこんな風になってしまうんですね……・・・ ・ ・
遠い目(笑)。
30歳を過ぎたあたりから、自分には生きづらさがあるんと明確に感じ始めて、「頑張ることは過ぎるとよくない、人にもっと頼っていいのだ」という考えを知ってからは、頼る側の人のかわいらしさにも気づき、だいぶ変わってきたのですが。
妹は、優秀であるというポジションを手放した代わりに(正直変わらないんですけどね、むしろ妹の方がよくやってるんじゃないかと思ったりします)、そんなに負けず嫌いでもないし、等身大の自分を受け入れている気がするし、成功しなければとかいうこだわりは薄いと思います。
自分の「好き」により忠実かもしれない。
ああ、そっちの方が正解だったかなあ。。。
もちろん、妹には妹の、苦悩はあるんですけどね。
ほんと、人生何がいいかわからないです(笑)。
ヘンにできてほめられても、ほめられるのがデフォルトになっちゃって生きづらくなっちゃうこともあるんです(笑)。
まあ、そんなにしてまで家族の期待に応えたいというくらい、家族が好きだったんだよな。
師匠は何ごとも、深層まで突き詰めれば「愛」にたどりつくと言っています。
私は、妹が、父が母がほんとに好きで、喜ばせたかったんだなあ。
それだけの愛情があったんだ。
うん、自己肯定的に見よう、愛の視点で自分を見よう。
こんなときは、「かっこ悪くてもいい」、「期待を裏切ってもいい」、「できないやつでもいい」、「負けてもいい」、「私の負けです」、……そんなことばでアファメーションをしたらいいのだろうか(笑)。
いやあ、これからはもっとアホでかわいげのある女になります。
間に合うかな?
間に合う間に合う。
笑ろとけ笑ろとけ(笑)。
結構順調な人生だったのになぜか生きづらいという方、もしかして、「何でもできるヒーローでいよう」、「自分は優秀でなければ、すごい結果を出さなければ」、「常にみんなを助けて安心させなければ」と思っている節はありませんか?
結構優秀だったのに、ほめられて愛されてきたのになぜ生きづらいの?という場合、もしかしたらそれこそが、あなたの自由を奪っていた(自分が望んでしてるんだけどね・笑)ということもあるやもしれません。
あーもう、自由に生きましょ、普段アホみたいでもやるときはやる、みたいなヒーローってかっこいいじゃないですか。アホの分量増し増しでいきましょ。
(あくまでもヒーローは手放したくないのね・笑)
まあ妹とはこんな話もできて、ある意味両親よりいろいろ話せて共感できるかわいい大事な存在です。
そしてこんな私の取り扱いを妹はよく心得ていて、私のことを「自己愛パーソちゃん」(自己愛パーソナリティの略・笑)と呼んでいます(笑)。
今では義弟も加わって、同世代の同じ社会人としていろいろ話せるのも楽しいねえ。
妹よ。
子どもは親を助けたくて親を選んで生まれてくるというけれど、君はどうしてこの親を選んだんだい?
おねぎょも何でこの親にしたんだろうねえ。
何にせよ、君がいてくれて本当によかった。