'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

あなたがどんなにやさしい人でも、「あの人」にだけは、ひどい扱いをしているかもしれない。

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こんばんは、カウンセラーいなこです。

 

 

すっかり毎日更新、定時更新ではなくなってしまいました(^^;;

おかげさまで、だいぶストレスなく過ごせています。

いや、ブログを書くこと自体がストレスというわけではなく、

毎日!

上質のものを!(気持ち、ね)

定時に!

投稿しなくては!!!

という自分で勝手に作ったルールが、「全か無か」を作り出して、おもしろくなくさせていたのだと感じています。

 

そういうルールをいつの間にか自分の中で作ったことによって、そのルールから外れたらすべて「失敗」となってしまうので、「あー1日途切れた」、「あー時間に追われていまいちな内容」、となると、一気におもしろくなくなっちゃうんですね。

根がまじめなもんで。

ほんとですよ!!!(笑)

まあ、いらぬ完璧主義ということかなあ。

 

 

でも毎日定時更新でなくても別にいいと思えたら、たとえ今日は記事が完成せず投稿できなくても、すきま時間に少し書き足せただけで、「失敗」から一転して、「ちょっと進んだな」、「今日もできたな」と「成功」に転じます。

毎日定時更新だったときは、少し書き足しただけなんて「失敗」だったのに。

 

気分雲泥の差!

 

ということで、私にはこっちの方が合っていそうです。

自分が気分よくやれたら、他のことする気力もアイデアも沸いてきますし。

 

 

本当に、ゆるーくやること、それによって、自分に「無駄に失敗させない」ことは、思っていた以上に大切で、モチベーションを保つのに効果的です。

にしても、さぼりすぎましたね(^^;;

 

 

 

さて、私が最近もやもやしていたことには、ブログのこと以外に、上司に対するものがありました。

 

現在の職場の直属の上司です。

 

上司が、部下に対してほめることが少なく、あまり認められていない、信頼されていない感じがするなあ、ということです。

 

私に対してだけではなく、誰に対しても、全般的に、です。

密接に関連する職種ではあるものの、厳密に言うと私はその上司と職種は違うし、経験年数も私の方が長いため遠慮されているのか、私に直接専門的なことについて指導することはないのですが、他の人への対応を見ていても、もやっとしてしまいます。

 

 

何か仕事をしたことを報告しても、「はい」くらいの返事。

それぞれ自分の仕事をしているのだし、別に上司のためにやっているわけではないけれど、でもそれでも、「ありがとう」の一言でもあれば、みんなもっとやる気出るのになあ。

 

専門職なので、知識や技術を高めるための勉強会も割とあるのですが、そのときも、改善すべき点はいろいろと口をついて出てくるものの、がんばりを認めたり、良かった点についての言及は、少ない。

 

 

また、朝礼でのこと。

リモートで、本部と、複数ある施設が毎朝いっせいに朝礼をしています。

ある日の朝礼で、うちの施設の先月の売り上げがよかったけれども、何か工夫されたことはありますか?と上司が司会者に聞かれたんです。

 

そのときの上司の答えが、茶化したように、「えー、特にないです」と。

 

いやいやいや!

各自のがんばりもあるし、もちろん上司だってがんばっていたことも大いにあるだろうし、ここはそれをちゃんと言えばいいのに!

ここでうちの施設が具体的に工夫したことを言えば、ここのみんなも誇らしく思えるし、職員のこともみんなの前で労えば、みんなまたがんばろうと思えるのに!

もったいない!!!

 

これについては、事務の上司の方に後々、注意されていました。

上司は、自分は当然のことをしているのみと思っているから、特別なことはしていないと思ってしまうと。

でもそこは管理職として客観的に見て、ああいう場できちんと言えるようにしとかないといけないよということを言われていました。

 

上司も、無価値感が強い方なのだろうな、自分は大したことないという風に思ってしまっているのかもしれない、と思いました。

 

 

そして極めつけは、ミーティングで今期の目標を話しているとき。

「地域にいいサービスを提供できるよう、質の向上を図っていきたい、それぞれが専門職として向上すること。具体的には、みんなが○○さんくらいになること。」

と言ったんです。

「○○さん」とは、特に勉強していて、知識も技術も高いスタッフの名前です。

 

うわー、さすがにそれはあかんわ……

個人の名前出して、「みんながあの人みたいにならなければいけない」って。

他の人は否定された感しか残ってないやろうなあ……。

ほら、みんな死んだ魚の目になってるやん(いなこヴィジョン)。シーンやん。

これはしんどい。

みんなそれぞれいいところがあるし、それを生かして、それぞれを伸ばすようアシストすればいいのに。

 

上司の仕事なんて結局、部下を生かしていかにやる気になれるかアシストすることに尽きるんじゃないん?(さすがにこれだけではないと思います(笑)。でも私はこういう点を重視する管理職でした。)

みんなを信じて気持ちよく仕事できるような関わりをしてあげたらいいのに……。

 

 

 

ただ、いじわるでしているんじゃないことはわかるんです。

上司として、顧客にいいサービスが提供できるよう、常に向上していってもらいたいし、

ほめてしまって、これでいいやと満足してもらったら困る、もっと上を目指していってもらわないと困る、という心配や責任感から、ほめることはあまりせず、できていないところ、改善点ばかりをいくつも挙げているんだろうというのはわかるんです。

 

基本的に、高圧的でもなく、冗談もたくさん言ったりもする人なんですが、なんだか部下たちを信頼して任している感じがしないというか、だんだんと、一緒にいると息が詰まるような気がしていました。

「甘やかすと悪い方へ行ってしまう」という考えの下、部下たちを信頼できなくて、コントロールしようとしている、という印象を受けてしまう。器が小さいというか。

 

 

まあそんなことを思う私も、結局、上司のいいところを見られていないということなのかな……投影?

いやでも、私は上司についても他の人についても、できるだけいいところを見いだそうとしているぞ、と腑に落ちないもやもやを抱えていました。

 

 

 

話は変わって(変わるんかい)、私は、スマホのお気に入り画面に、行ってみたいお店や作ってみたいレシピ、元気づけられた読み物などを保存しているのですが、それを整理していたら、あるブログ記事の関連記事に、「上司が認めてくれない」というお悩み相談がありました。

何気なく読んでみると、「あなたが認めてもらわないといけないのは、上司に、ではなくあなた自身に、です。」といったような回答が書かれていて、「まあ、そういう回答になるだろうな、心理学的にも。」と、特に真新しい発見もなかったのですが、ふと、「あ……」と思ったのです。

 

 

私とそのお悩み相談と状況は同じではなかったのですが、私は、自分が、自分自身に、その上司が部下にしている(と私が感じている)ような扱いをしていることに気づいたのです!

 

 

 

 

◀◀Replay

 

 

何か仕事をしたことを報告しても、「はい」くらいの返事。

それぞれ自分の仕事をしているのだし、別に上司のためにやっているわけではないけれど、でもそれでも、「ありがとう」の一言でもあれば、みんなもっとやる気出るのになあ。

 ⇒自分が何かして、自分に「ありがとう」は言わないまでも、「よくやった」くらい思えば、やる気出るのに!

 

 

専門職なので、知識や技術を高めるための勉強会も割とあるのですが、そのときも、改善すべき点はいろいろと口をついて出てくるものの、がんばりを認めたり、良かった点についての言及は、少ない。

 ⇒何か自分でしたとき、改善点は多々出てくるものの、がんばりを認めたり、良かった点についての言及……少ない少ない!

 

 

また、朝礼でのこと。

リモートで、本部と、複数ある施設が毎朝いっせいに朝礼をしています。

ある日の朝礼で、うちの施設が先月の売り上げがよかったけれども、何か工夫されたことはありますか?と上司が司会者に聞かれたんです。

 

そのときの上司の答えが、茶化したように、「えー、特にないです」と。

 

いやいやいや!

各自のがんばりもあるし、もちろん上司だってがんばっていたことも大いにあるだろうし、ここはそれをちゃんと言えばいいのに!

ここでうちの施設が具体的に工夫したことを言えば、ここのみんなも誇らしく思えるし、職員のこともみんなの前で労えば、みんなまたがんばろうと思えるのに!

もったいない!!!

 

これについては、事務の上司の方に後々、注意されていました。

上司は、自分は当然のことをしているのみと思っているから、特別なことはしていないと思ってしまうと。

でもそこは管理職として客観的に見て、ああいう場できちんと言えるようにしとかないといけないよということを言われていました。

 ⇒人にほめられても、「別に」的な受け答えしてるーーー!「別にこんなくらい、大したことないし」って、なんやったら、何でか拗ねた気持ちになってることあるー!「ありがとうございます、こんなとこがんばったんですー!」ってせっかくやから素直にかわいくアピールしたっていいやん!自分がやってきたことを客観的に見たらわかるやん!

 

 

そして極めつけは、ミーティングで今期の目標を話しているとき。

「地域にいいサービスを提供できるよう、質の向上を図っていきたい、それぞれが専門職として向上すること。具体的には、みんなが○○さんくらいになること。」

と言ったんです。

「○○さん」とは、特に勉強していて、知識も技術も高いスタッフの名前です。

 

うわー、さすがにそれはあかんわ……

個人の名前出して、「みんながあの人みたいにならなければいけない」って。

他の人は否定された感しか残ってないやろうなあ……。

ほら、みんな死んだ魚の目になってるやん(いなこヴィジョン)。シーンやん。

これはしんどい。

みんなそれぞれいいところがあるし、それを生かして、それぞれを伸ばすようアシストすればいいのに。

 ⇒他の人と……比べてるーーー!!!あの人はこんなところがいい、他の人はこんなところがいい、そういうことができるない自分は、まだまだやな、イマイチやなって、比べてるーーー!!!私には私のいいところがあるはずなのに!それを生かして伸ばしてやればいいのに!これはしんどい!!!

 

 

上司の仕事なんて結局、部下を生かしていかにやる気になれるかアシストすることに尽きるんじゃないん?(さすがにこれだけではないと思います(笑)。でも私はこういう点を重視する管理職でした。)

みんなを信じて気持ちよく仕事できるような関わりをしてあげたらいいのに……。

 ⇒いかに自分を気分良くして、やる気にさせてあげるか、パフォーマンス上がるような関わりを、自分にしてあげたらいいやん!!!

 

 

 

私は、こういう点については大事にしているし、周りの人のいいところを見い出して、そこを生かそうとしているし、投影ではない!と思っていたけれど、少なくともただ一人、自分にだけは、こういう扱いをし続けていたんですよね。

 

何十年も。

 

 

恐ろしいーーー(T△T)

 

そりゃ自分を信頼できなくなるし、死んだ魚の目にもなります。(基本はキラキラ目です。)

 

 

人に対してできていても、自分にはできていないというのは、やっぱり、本質を理解できていないというか、フェイクな気がするんですよね。

すべては1つだから。

他者にも自分にも矛盾なくできるようになれたら、本当の意味で、「多様性をみとめている」、「ありのままを受け入れている」と言える気がするんです。

まあ、完璧に、というのは難しいでしょうけど。

人にはできても、自分にはまったくできていないと、どこかで苦しくなってしまうと思います。

 

 

 

あーこんなの、弟子仲間にケーススタディとして出したら、全員満点取るような簡単な問題ですよ!(笑)

それでも自分のことになると、こんなに気づかないものなんですねえ。

笑ろとけ笑ろとけ(笑)。

 

 

 

これに気づいて、いかに自分が自分に厳しく、自分を信頼せずに来たかということを、またあらためて実感しました。

 

これでもまだだめ、これでもまだ安心できない、もっと上を、と自分を認められず、常に満足することなくきたのですね。

 

 

上司がいじわるでしているのではないということが、より一層わかりました(笑)。

ドンマイ、一緒に無価値感、補っていきましょ!(笑)

 

さんざん好きに言いましたが、根は悪い人じゃないんで、私もできる範囲で、上司をサポートしていこうと思います。(笑)。

 

 

 

人にはとてもやさしく理解ある人「でも」、というか、そういう人「ほど」、自分には真逆の扱いをしてしまっているかもしれません。

自分には思っている以上に以上に、厳しかったりするんです。

しかもなかなか気づけない。

心の中の自分だけのやりとりだから、「そんなひどいことやめなよ!」と注意してくれる人もいない。

注意してくれるとしたら、カウンセラーくらい

 

そういう人は、「あの嫌なやつ、ひどいやつのような振る舞いを、自分は人にしていないか?」と省みるのではなく、「あの嫌なやつ、ひどいやつのような振る舞いを、自分が自分自身にしていないか?」をチェックしてみるといいと思います。

 

 

というお話でした。