ピンチがどうしようもない自分の意地や照れを越えさせてくれる。そのために、ピンチはやってくる。
昨日、患者さんとソフトクリームの話になり、あー、久しぶりに食べたい食べたいお腹空いたと、頭がソフトクリームでいっぱいになったんですね。
で、仕事帰りにデパートに用があったので、帰りにさっと寄ったところ、人だかりが。
北海道のアンテナショップができていて、バターサンドとか、名産品がいろいろものが売っていたんです。
へーっと思って足を止めると、北海道ミルクソフトのコーナーが!
これはもう、食べるしかない!と、大人1人で、観光地でもないのにソフトクリーム片手に食べ歩きました。
引き寄せ成功\(^o^)/
ちっちゃ笑
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
9月のカウンセリング募集中です!
先日、同期の春香カウンセラーが、息子さんと、だんなさんに、「愛してる」と言ってみた話を書いていました。
はい、↑読みましたか?(笑)
学校に行きたくなさそうな息子さんに、
母としての思いを、まっすぐに伝えてみた話。
息子さんが、学校に行きたくないという、ある意味ピンチな状況というきっかけがあったから、母としての思いを伝えることができた、とも言えると思うのですが、そういう、ピンチだからこそ思いきって言えることってあるよなあと、昔の妹とのエピソードを思い出しました。
彼女の伝えたかった主題とは少しずれると思いますが、便乗して書いてみようと思います。
それは妹の大学受験前のこと。
妹が高校生で、私が大学生だったのかな。
受験前も受験前、1月、2月くらいのほんとに直前のことだったと思います。
その頃、ちょっとしたことで妹とけんかして、ずーっと口をきいていなかったんですね。
けんかといっても、原因を覚えていないくらいしょうもないことです。
おそらく私が妹に絡みすぎて、妹がキレて、そんなに怒ることないやんと私が拗ねて話さなくなった、みたいなことだと思います。
よくあるパターンだったから笑。
しょうもなー!ですけど、それで、1週間とかじゃなくて、何ヶ月も、もしかしたら数年、口をきいていなかったんです。
こじらせにこじらせて、意地を張って今さら話せない、みたいになってしまって。
そういう時期があったんです。
だからお互いの近況は、母親伝いにチラッと聞くか、雰囲気で察する、といった状態でした(笑)。
ちなみに親は、いろいろあるんだろうと、察しながらもとやかくは言ってこない感じでした。
で、ある日帰ったら、母が、
「あの子自転車盗られて落ちこんでやるねん。」
と言ってきました。
それを聞いただけで、私には妹の、ひどくボロボロになっている気持ちが手に取るようにわかる気がしました。
母は、妹が、自転車が盗られたことだけについて悲しんでいると思っているかもしれないけれど、もっと、いろんなことで、自分を責め、悲しみ、傷ついていると。
こういう被害に遭ったときって、
自分は被害者なのに、
なぜか自分を責めてしまったりするんですよね。
何でもっと防犯対策をしておかなかったんだろうということ以外にも、
自分がなじみを持っていた所有物を、突然奪われて消えてしまう悲しさ、
たくさんある駅の自転車から、なぜ自分のものが狙われたのだろうという、自分の不運さ、
しかも、よりによって受験直前のややこしいときに、心を乱されることが起こるみじめさ、
誰かの悪意が、自分に向けられているような怖さ、
親に、要るはずのなかったよけいな出費をさせてしまう申し訳なさなど。
特にうちの家は、裕福じゃないと思っていたから(笑)、まだ使えるはずの自転車を盗られて、1、2万とはいえ、親に予定外の出費をさせるというのも心苦しかったんですよね。
特に、まだ一銭も自分で稼いだことのない妹には。
心許なかったと思います。
今なら、親は、子どもがそんなことで心を痛める必要はないと思ってくれているし、自転車代くらいどうにでもなるとわかるのですが。
どんな気持ちで、いつもは自転車で帰る駅からの道を、とぼとぼと倍の時間をかけて、歩いて帰ってきたのだろう。
妹は、そんな山盛りの悲しみを1人で抱えて、ボロボロになっていると、姿を見なくても、わかる気がしました。
同じ家の、同じ子どもという立場だからわかる。
私にしか、わからないんじゃないかとさえ思ったんです。
私の心の投影ではあるのですが。
妹の気持ちを思うと、どうしようもなく胸が痛んで、どうにか楽にしてやりたいと思いました。
部屋に行くと、妹は、勉強机に広げた参考書やノートの上につっぷしていました。
私は、数年口をきいていなかったけど、耐えきれずに近寄って、
「自転車盗られたん?」
とぶっきらぼうに聞きました。
妹は頷いたか無反応だったから覚えていませんが、そこからはもう、私の気持ちがあふれて、泣きながら、なんとか聞き取れるように、必死で言いました。
両手で頭をそれぞれ両サイドにぎゅーっと撫でながら。
「気にしな。
自転車なんかいくらでもおねぎょ(←私のあだな笑)が買ったるから。
お父さんもお母さんもそんなんなんとも思ってないって。
それより妹が元気で笑ってたらそれでいいから。
安心して勉強だけしといたらいいねん。
気にしな。」
妹もボロボロ泣いていました。
しばらく2人で静かに泣いてから、私は部屋を出ました。
妹が、本当に私が思うようなことに心を痛めていたのかはわかりませんが、その後しばらくして、少し吹っ切れたのか、笑顔で「ありがとう」と言ってきました。
妹が元気になったのなら任務完了と、「うん」と塩返事をしました。
それから妹は、恩を感じたのか、再び私に懐いて話したそうでしたが、私はまだ、素直になれず、口をきかないごっこをしばらく続け、これとはまた別のきっかけで、普通に話すように戻ったと記憶しています。
どんだけ〜w
これも、妹が、ひどくボロボロになっているという非常事態だったから、口を数年もきいていないのに、思わず声をかけたんですよね。
意地とか恥ずかしいとか言ってる場合じゃなかったんです。
ピンチだからこそ、できたことです。
自分や大事な人が、ひどく大変な目に遭ったとき、
ごまかしようがないくらいに誰かと揉めたとき。
それはうれしいできごとではないけれど、
平時ではとても言えないことを伝えられるチャンスなのかもしれません。
ピンチが、どうしようもない自分の意地や照れを越えさせてくれる。
そのために、ピンチはやってくるのかもしれません。
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