昨日は新しい職場での勤務3日目。
本部での研修も昨日で終わり、今日からは配属先での勤務が始まる。
最初の2日の研修で、前の会社と同じ業界、同じ職種とはいえ、前の職場以上に、ビジネス的、経営的な視点を求められていることをひしひしと感じ、少し毛色が違う社風や、新しく覚えるシステム的なことに圧倒されていた。
前の空気感の方が、私には合っていたのかもしれないなあ。
あのままいれば、どうなっていたかな。
情熱はなくなってても、少なくとも温かかったよな。
大変そうなこと、いろいろしなあかんそうやなあ。
めんどくさそうやなあ。
さみしいなあ。
週末は、さみしさと疲労でぐったり帰宅した。
そんな気持ちを引きずりながら、土曜は昼過ぎまでゴロゴロしていたが、研修をあと1日終えて、配属先に行くことを考えると、少し楽しみな気もしていた。
配属先の直属の上司となる人は、面接で1度話しただけだが、あの人とは合いそう。
日曜にはちょっと元気が出て、なかなかしまえなかった冬の布団をしまって掃除したら、部屋も心もすっきりした。
そして月曜の昨日、土日の休息のおかげか、心の向きが明らかに変わっていた。
会社の毛色の違いに圧倒され、新しい、何だかややこしいことをたくさん求められそうで、及び腰になっていたのが、「せっかくだからモノにしよう」という気になっていた。
前の会社では、専門職としてのスキルが1番で、経営的なそれはあまり求められていなかった。
いや、求められていたし、それなりに取り組んではいたのだが、こうして新しい会社で研修を受けていると、今思えば上司を始めうちの部門全体が、その点においてはおままごと感があった、‘素人’寄りだったと思う。
いやいや、‘素人’だったのは、お金のことについては結局、うちの部門には裁量権があまりなかったからだ。権限がなく手出しができないなら、それについて学んでも考えても実際に活用できない。できていなくても会社に与える影響も少ない。だから経営・お金のことにおいては必然的に‘素人’になってしまっていたのだきっと。
私自身にはさらに、「経営」とか「ビジネス」という単語に、無機質な数字の羅列や、「謀りごと」のようなイメージがあった。
だから、感情的なものに興味があり、直球勝負が好きな私には、あまり興味が持てなかったのだが、ビジネスって、基本的には人と人との信頼やつながりで成り立っているんだな……
人と少しずつ関係を築いていくのは嫌いじゃない。
苦手と決めずにやってみたら、「できない」、「わからない」と恐れることでもない、案外楽しいのかもしれない。
そしてこれは、
これからの自分のライフワークにも
役立つかもしれない。
<私のこれから>
A. このままこの会社でやっていく
B. この会社で新しいノウハウを身につけて、いつか前の会社に戻らせてもらう
C. カウンセラー(+イラスト)をやっていく
D. A+C (前の会社は副業NGのため、とりあえず「B+C」はなし)
※オプションでA〜Dのいずれにも、予想を超えた展開あり。
「やらなければ」、「させられる」じゃなく、「モノにしてやる」気になると、たくさんの選択肢があるように思えてきた。
大丈夫だ。
私は今、不可抗力に翻弄されるんじゃなくて、「自分で選べる」という感覚を感じ始めている。
何がどう実になるかはまだわからないが、どうにかなっていきそう。
先が不安だった私が、「どうにかなっていきそう」と思えること自体がかなりの収穫。
正解なのかわからないまま前の会社を出たけれど、少なくとも、前の会社を1つ客観的に見ることができた、この短期間で視野は広がっている。これも1つ、成果だ。
怖かったけど踏み出してみてよかった。
怖いから踏み出せないけど、踏み出さないとずっと怖いままだった。
怖いことが1つ減った。
明日の気分はまたどうなるかわからないけれど(笑)、でももしまた下がることがあっても、どうせまた上がってくるだろうと予想がついてきている。
あ、私のスタイルはこんな感じです(笑)。
こうして少しずつ、挑戦の歩幅を大きくしていけそうな気がする。
ということで、ライフワークの追求は、私にとっては思い出話じゃなくリアルタイムなので、こうして私が人生をかけて検証して(笑)、記していこうと思う。
【ライフワークの追求 検証結果1】
→「挑戦が尊い」という空気にあおられて
挑戦する必要はまったくない。
→挑戦したら必ず期待した通りの成果が出るかはまだ不明。
→しかし、怖いけれどやってみたいことがある場合は、
怖いままでもやってみれば、おそらく何とかなっていきそうと
いうことは体感できる。
視野が広がる。経験が増える。
→そうすれば怖いものが1つ減る。
選択肢は増える。
→怖いものが減って選択肢が増えれば、自由に動きやすくなる。
→自由に動ける範囲が増えれば、生きやすくなる。
またそのうちにつづく