'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

人生を片っ端から味わおう。

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 こんばんは、カウンセラーいなこです。

 

 

少なくとも10年くらい前は、お盆が過ぎたら朝晩は少しひやっとして夏の終わりを感じて淋しくなっていた気がしますが、ぜんぜんひやっとしないですね。ぜんぜん淋しくないです(笑)。

この2日くらいで、朝のうちはもわっと感が少―しだけましになったかなという気もしないでもないですが。

患者さんに「気のせいや」と言われました(笑)。

 

それでも車に乗っていると、少しずつ日が短くなっているのは感じます。

19時頃になると、ライトをつけないといけないくらいの暗さになってきています。

夏至からもう2ヶ月ですもんね。やっぱり確実に、季節は巡っています。

 

 

 

さて、昨日書いた、昔の通知票の話が、ブログ休み中に気づいたことの3つめでした。

もうブログも休みすぎたので、その間に起こったことを仰々しく書くのもタイミング違いな気がするので、気の向くままに書こうと思います。

 

 

通知票の隣に、文集もありました。

 

文集と言っても、作文を綴じたものではなく、プロフィールなどをおもしろおかしく書いたものです。

同世代の方はわかるかもしれませんが、卒業の時に友達同士で書き合った「サイン帳」みたいな。

 

「チャームポイント」とか、「○年後の自分」とか、「自分を○○にたとえると」とか、おもしろい質問をたくさん考えたフォーマットを作って、みんなが書いたものを見るのが好きで、私は、クラス替えのたびに企画していました。

 

フォーマットを作って、クラス全員に書いてもらって印刷して冊子にします。

全員に書いてもらうと、普段おとなしい子でも、意外な側面が見えたりしておもしろいのです。

好きな人がどんなことを書くのかが楽しみだったり(笑)。

先生にも書いてもらうと、先生のプライベートな側面が見えて、それもまたおもしろいのです。

 

高校の各クラスのときのものとクラブのもの、大学のゼミのときのもの。

 

自分の書いたものも含め、懐かしく見ていました。

 

 

 

大学のときのものは、私の文集企画集大成(笑)で、一番凝っていました。

 

先生も乗ってくださって、こまごまとおもしろく書いてくれていました。

 

大学のときのゼミの教授は、教授陣なのかでは若手で、当時40代半ばくらいでした。

先生の研究テーマは発達心理学で、中でも、中高年の発達、もっと言うと、職業と人のマッチングなどについて研究するキャリア発達が専門でした。

「発達」というと、子どものイメージがあると思うけれど、人は一生をかけて、大人になっても発達するのだということを、先生の授業で知りました。

当時は自分が若かったので、中高年の発達にはそんなに興味はなく、先生の研究テーマに興味があってぞのゼミを選んだのではなかったのですが(おい)、先生の、偏りのないフラットな人柄が好きで、その先生のゼミにしました。

(文集を見たら、先生はバランスに優れたてんびん座でした。やっぱり。)

 

 

先生は、ひょうひょうとした方でしたが、本当にフラットに、こだわりなくどの学生にも親身に指導してくれました。

 

 

私が通っていた大学は大阪ですが、先生自身は東京の方で、先生の世代としてはめずらしい、一人っ子だそうです。

お坊ちゃんだったのではないかなあと思います。ピアノも弾けるし(笑)。

白い巨塔の教授陣みたいに、「出世してやるぜ!」、「俺ってすごいだろ!」といったギラギラ感はなく(笑)、満たされて育った雰囲気のある方でした。

こだわりがなく、罪悪感もなさそうなので、だめな時ははっきり、「そんなのダメじゃん」と言いますが(笑)、罪悪感がないので、それが、責めたり人格を否定しているようなきつい感じにまったく聞こえないような人でした。

 

 

卒業論文が完成して発表会が終わったら、慰労パーティーと称して、ゼミ生を自宅に招いてくださるのが、先生のゼミの恒例行事でした。

先生が、水餃子を皮から作ってくださり、水餃子パーティーをするのです。

 

同じゼミ出身の人がこれを読んだら、すぐにわかると思います(笑)。

 

 

ご自宅にゼミ生みんなで手みやげを持ってお邪魔し、水餃子と、他にも奥様の作ってくださったお料理をいただき、当時まだ小学生だった先生そっくりの息子さんと、幼稚園児だった娘さんと一緒に遊んで、先生のような家庭を持ちたいなあとみんなで話したことを覚えています。

 

 

そんな先生を謝恩会で泣かそうと、「仰げば尊し」のCDを用意したりと、泣かせの演出をみんなでいろいろ仕込んでいたのですが、仕込みながらも、ひょうひょうとした先生のことだから、ニヤッと笑うだけで終わるだろうと予想していました。

 

そうしたら当日、先生は予想外に泣いたのです。

 

泣きだした先生を見て、みんないっせいに泣きました(笑)。

 

 

卒業してからも何度か同窓会をしたり、仕事での研究のことで相談をしに行ったこともあったりと、学問的なこと以外でも、何かあれば相談しにいこうと思う、心のよりどころとなる私の恩師の1人です。

 

 

 

とはいえ最近はもう5年以上お会いしておらず、年賀状だけのやりとりです。

 

いつもは、私が年賀状を送ったその後に、印刷した年賀状にひとこと手書きでメッセージを書いて返してくださるのですが、今年は違いました。

 

小正月を過ぎてからすべて手書きの、年賀はがきでもないはがきが届きました。

 

 

病気で入院しています、まさか自分が病院でお正月を迎えるとは思っていませんでした、といったことが書いてありました。

 

病名が、大きな病気でした。

今がどういう状態なのかはわかりませんが、誰が聞いても大病とわかる病名で、有名人にも、同じ病気で、治癒して復帰された方もいるし、亡くなられた方もいるというような病気です。

 

 

私は、気になりましたが、気軽にお見舞いに行ける病気でもないし、弱っているところを見られたくないかもしれない、気になるけれど、すぐに手紙でも書いて出したら、大病であることを強調してしまうだろうか、などといろいろと考えて、何もできずにいました。

 

何年経ってお会いしてもあまり変わらず、ひょうひょうとしてお元気なイメージだったので、ケロッと回復されるのではないかという気もしていたので。

 

 

 

文集を見て気になって、先生の名前を検索してみると、6月に亡くなられていました。

 

 

 

今でも、実感がわかないところもあるのですが。

 

ひょうひょうとした元気な先生のイメージと、死のイメージがまったく結びつかなくて。

 

 

 

現役の教授が亡くなられたのだから、本来なら、大学でもお別れの会があったりするのかもしれないけれど、コロナ流行の今では、現役学生さんたちも、お見送りもできなかったのだろうな。

 

同窓会報にも当然載っているだろうけれど、実家を出てから住所変更の手続きもしておらず、ほったらかしで届かなくなっており、知るのが遅くなってしまいました。

 

 

 

年賀状の時点で、病名を書いておられたのは、もしかしたらあまりいい状態じゃないから、伝えておこうということだったのかもしれない。

 

お見舞いは行けないにしても、手紙くらい、やはり出せばよかった。

感謝のことばを、たくさん伝えたかった。

 

 

まだ50代。今年のお誕生日でやっと還暦というところでした。

 

 

 

もう、相談も、近況報告も、同窓会に来てもらうこともできないのか。

 

 

今年の年賀状には、私が転職することを書いたので、最後に、「今年は転機の年ですね。がんばってください。」と書いてくださっていました。

 

先生の専門のキャリア発達、、あのときはそんなに興味がなかったのに、自分が20年近くたって、まさにそのことで悩みに悩んで転機が訪れるなんて、思ってもいなかった。

 

 

年賀状を書いた時点では、まだカウンセラー講座を受けることは決めていませんでしたが、また心理学に戻ってきたことを、先生にも話してみたかった。

 

 

 

実感があるようでないようで、ですが、ただ、やっぱり淋しいです。

 

あの頃、こんなに早くお別れが来るなんて、誰が思っただろう。

 

 

 

だんだんと、そういう年になってきたのだなあ、お世話になった方が亡くなったりする年に。

 

 

いや、自分だって、いつどうなるかはわからないのだ。

 

 

若ければ若いほど、病気のリスクは少ないが、それでも、明日が確約されている人間なんて、どこにもいないのだ。

 

 

そんなことを考えると、やはり私は、とりあえず無難に生活するためだけに時間をやり過ごすのではなく、したいと思ったことを、生きてできるうちに、できるだけして生きたいという思いを、確認し直しました。

 

人の生き死にに触れたことで、一時的に視野が広くなって、気が大きくなっているだけで、どうせまたすぐに、ビビリで目の前のことに一喜一憂する私に戻ると思いますが。

 

 

それでもどうせいつかは、私も死ぬのだから。

 

 

失敗するかもしれないし、損するかもしれないけれど、生きているうちに、したいことをできるだけ片っ端から味わいたいと思いました。

 

中年になっても未だに不器用な生き方をしている自分を、それでいい、私は自分の選んだ道をしっかり歩こうと、また思えました。

 

 

 

今私がしようとしていることを、先生に言ったらなんて言うかな。

「えー、なんで失敗するって思いこんでるの?もっと気楽にやればいいじゃん。」とか、そんなことをひょうひょうと言ってくれるかな。

それとも、「難しいと思うよー」かな。

わからない。

やっぱり、実際の先生のことばを聞いてみたかったなあ。