安心してしんどがっていれば大丈夫。すべてが必然で完璧なプロセスだから。
ここ2週くらいずっと神経が興奮気味です。
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
2か月ほど、カウンセリングもブログもゆるゆる休ませていただいたおかげで、気持ちが整理されて満ちてきたのですが、そうすると今度はあれもこれもしたいとワクワクしてきて、なかなか寝つけなかったり早く目覚めたりするんですよね。
特にお悩み相談を書くと、伝えたい気持ちが昂って興奮して目玉リンリンになってしまいます(笑)。
でもそうすると、日中は眠くてだるくて。
昨日もいっぱいやりたいことあったのに、なかなか動けずダラダラしていました。
さて、先日お答えしたお悩み相談で、「完璧な子育てができなくても、子どもさんにとってはそれも経験で、その子の糧になるから大丈夫だと思います」というお答えを書いていて思い出したことを、今日は書こうと思います。
私は医療の仕事をしているのですが、学生時代には、実習があります。
病院などの施設へ1人乗りこんでいって(笑)、1か月や2か月など、決められた日数、目指す職種の先生について、実際の患者さんを担当させていただいて勉強します。
これがもう、大変なんです。
同じ業界の人であれば、実習の苦労話は、どこの学校出身だろうとどこの施設に行っていようと盛り上がる話のネタで、毎日先生について、先生の仕事が終わったらフィードックを受け、家に帰ってから今日見せていただいた患者さんたちについてのレポートを書き、明日自分が患者さんに行うプランを立て、、と、本当に寝られないんですよね。
今思えばレポートも大したこと書いていないのに、我ながら何であんなに時間がかかったんだろうと思うのですが、見るポイントが自分の中でまだ定まっていないので、要点をまとめるにも時間がかかるんです。
今はカルテも、1日で見せていただいた人数分、ノー残業でちゃちゃっと書いているのに。
もう、毎日寝不足で、ひどいときは、めざましテレビが始まってから寝て、30分後に起きて行ったりしていました。
毎日寝不足のそんな状態で行くので、立って見学していても寝そうになります。
手に持ったボールペンを落としてしまった音で起きて、「ヤバっ!寝てたとこ患者さんと先生に見られたかな!?」とヒヤッとして(笑)。
お願いして見学させていただいている学生の分際で見学中に寝てしまうなんて、大変失礼なことですから。
そして、それだけ苦労して書いたレポートも、先生からのフィードバックではダメ出しの嵐だったりして。
この辺は、当たる先生のタイプにもよるのですが。
個人の性格にもよりますが、ベテランの年配の先生の方が、余裕があって、おおらかな傾向があります。
若手から中堅くらいで燃えてる先生は、経験年数が近いので競争心もあるでしょうし、とことんつっこんで完璧を求めてくる厳しさがあったりします。
私の最後の2か月の実習を担当していただいた先生は、燃えてる系の先生(笑)でした。
何をしても改善すべき点ばかり指摘されるし、今思えばパワハラ寄りだったなと思いますが、実習とはそういうものだというスタンスでしたので(今は時代の流れもあり、業界内でもこの点が問題にもなったので、かなり学生が守られるようになっています)、とにかくすべて修行と思ってついていくのみ、と割り切って耐えていました(笑)。
ただ、たしかによく勉強しておられる先生だったので、1番勉強になったし、この先生に教えていただいたことが、今の私の考え方や報告書の書き方の礎になっています。
だからってこの先生が好きかというと、そうでもありません。(おい)
とまあそんな状態で最後の実習をなんとかやっていたのですが、あるとき担当の患者さんを怒らせてしまいます。
実習生が患者さんを怒らせてしまうのは、これも結構あることだったりするのですが、何をしてもダメ出しの嵐を巻き起こす先生がじっと見ている前で、患者さんにあれこれするので、もう萎縮してしまって、空回りするんですよね。
その患者さんは、脳梗塞をされた方で、ことばが思うように話せないのと、大脳に損傷があるので、感情の抑制がききにくく、ちょっとした刺激で怒りやすかったり泣きやすくなっておられる方でした。
そんな状況で、私の空回りの的外れな行動が重なり、イライラさせたんでしょうね。
何が決定打だったかは忘れましたが、もう嫌だ!みたいな感じで怒らせてしまったんです。
基本、日々、先生からのダメ出しの嵐で自信を失っているのに、その上患者さんまで怒らせてしまって、自分をすごく責めたんですよね。
患者さんは、私の勉強に付き合って協力してくださっているのに。
実習ももう落ちるかもしれない、と。
今なら、これ以上続けると怒らせてしまうなという引き際も読み取れるので、怒らせること自体がほとんどありませんが、もし怒られたとしても、症状の加減やその方のパーソナリティなどもあるし、改善できる部分があれば改善し、でもすべてが自分のせいではなく、仕方ない部分は仕方ないと分けて考えて、動揺せずに対応できるのですが。
あの頃の私はある意味ピュアでまじめないい子だったなあ(笑)。
で、もうすごく自分を責めまくりながら家に着いた後、学校の先生に電話をかけました。
実習中は、各生徒が1人でそれぞれの実習先に通っていて、こういういろんなトラブルが起こりかねないので、学校の先生たちが交代で、24時間つながる緊急電話を持ってくれていたんです。
何かあればいつでもかけてきなさいと。
そんな電話、私は使うことはないと思っていたのですが、患者さんや実習先に迷惑をかけてしまったということを迅速に正直に報告せねばというまじめな気持ちもあり、ついに緊急電話に電話しました。
そこで、こんなことがあって患者さんを怒らせてしまったと話しながら、布団につっぷして大号泣しました。
どのくらいの大号泣かというと、元兵庫県議の方の号泣会見くらいの号泣です。
他にもっといい例えなかったんかい。笑
成人してから、あんな風に「うわぁーーー!」と人前で泣いたのは、後にも先にもこのときだけです。
親の前でもないわ。
今となってはほんとに笑えますが(笑)。
何を言ったかも覚えていないのですが、「私のせいでみんなに迷惑かけてしまった」みたいなことを言ったんでしょうね。
そしたらその電話に出てくれた先生は、はっきりした強い口調で、
「どんな出会いでも、その時々で、出会いやねん!
その患者さんにとっても、いなこさんとの出会いは、1つの必要な出会いやねん!」
みたいなこと言いました。
締めるところは締める知的な感じだけれど、落ち着いた静かな声で話す、やさしい穏やかな女性の先生だったのですが、そのときはいつになく大きな声と強い口調で、はっきりとそう言いました。
まあこっちが大興奮で号泣会見繰り広げてますからね、大きな声じゃないと対抗できなかったのかも(笑)。
先生のことばは、わかるようなわからないようなでしたが、先生は私を責めるでもなく、週末はゆっくり休むよう言ってくださいました。
実習先では、学生として勉強させていただいている立場であることをわきまえるようにと常々指導されていたので、もっと厳しいことを言われると思っていた私は、すごく安心してありがたく思って、眠れたのを覚えています。
結局その患者さんは、引き続き最後まで担当させていただけることになり、実習も合格できました。
1週間延長になったけど(笑)。
だけど、その先生のことばの意味が、ずっと、わかるようでいまいちつかめずにいたんですね。
学生だった私にとっては、学びという意味で必然の出会いだったとしても、あの患者さんには、私と出会うことに、何の必然性があったのだろう。
何の意味があったのだろう。
患者さんからしたら、どうせ出会うなら、学生なんかじゃなく、ゴッドハンドみたいなすごい技術者がいいに決まってる・・・。
だけど、こうしてカウンセリングを学ぶようになって、
「すべては必然」
「起こることはすべて正しい」
「プロセスは完璧」
という考えを、ちょっとずつ信じられるようになってきた今、先生は、そういうことを言ってくれたのかなあと思ったりします。
学生だった私だけでなく、あの患者さんにも、私との出会いには、何らかの意味や気づきがあったのかなあと。
どんなときでも、どんな立場のどんな関係であっても、必ずお互いに影響を与え合い、受け渡ししているものがあるのかもしれない。
実際働き始めて、たくさんの患者さんと関わっていると、患者さんご自身も、病気やそれによる新たな出会いをきっかけに、これまでの生き方や、ご家族や周りの人との関係などを見つめなおされているなあと感じることはとても多いです。
私が怒らせてしまった患者さんに、私と出会ったことにどんな具体的な意味があったのかは、もうわかりませんが。
それにしても、学校のその先生は、カウンセラーでもなく、心理学の専門家でもないのに、どういう意味であのことばを私に言ってくださったのか、今度お会いしたら聞いてみたいです。
もちろん先生も、この職種の1プレイヤーとして長年やってこられて、また、教員もされてきたので、カウンセリングを学んでいなくても、この仕事を通して思うところはたくさんあられたのだと思いますが。
私の恩人の1人です。
と、長い思い出話になってしまいましたが、人生、ほんとにいろいろあって、時にはしんどい局面もありますが、それも何かしら必然で自分に必要なことであるなら、もっと安心してもいいのかもしれません。
いや、安心できなくても、安心できない今さえも、自分の人生に必要な、必然で完璧なプロセスなのかもしれません。
いや、しんどいものはしんどいんですけどね、そんなもの要らないし、嫌なんですけどね(笑)。
でもそれさえも、安心してしんどがっていれば大丈夫なのかもしれません。
「すべては必然」
「起こることはすべて正しい」
「プロセスは完璧」
これらのことばは、今の私を励まし勇気づけ、安心させてくれる、希望のことばです。
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