'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

【ご相談】ずっと「一人ぼっち」な気がしています。―良好な家族関係の中で育ったのに、自己肯定感が低いのはなぜ?―

【ご相談】ずっと「一人ぼっち」な気がしています。―良好な家族関係の中で育ったのに、自己肯定感が低いのはなぜ?―

 

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

4月のカウンセリング、募集中です(^▽^)

www.aikoingk.com

 

 

昨日の晩、iPhoneのタッチパネルが反応しなくなりまして。

サイドボタンはいけるけど、タッチパネルがうんともすんとも言わず。

 

再起動しようにもタッチパネルが触れないから、電源を落とせない。

 

一晩寝かせたら何事もなかったように戻っているかなと期待したけれど、

今朝起きてもぜんぜん反応しない。

 

おい!どないなってまんねんiPhone13mini!!!

11月に替えたばっかりでっせ!!!

 

パソコンが修理から戻ってきたと思ったら、1週間もたたないうちに今度はスマホが動かん。

これはもう、どう考えてもおかしい!!!

 

朝起きるためセットしているアラームの、スヌーズを停止できない。

サイドボタンを押すととりあえず音はいったん消せるけど、スヌーズの停止はタッチパネルでしかできないので、9分ごとにアラームが鳴る。(地獄)

 

で、この間、パソコンが壊れたときに検索していたら、

「家電が壊れるのは、自分のステージが変わった証拠。自分の波動が変わったから、それまでの古い持ち物の波動と合わなくなって壊れる。特にパソコンやスマホなど電子機器は波動の影響を受けやすい。」

という記事がいくつか出てきたんですね。

 

もうこれや、これしかない。

私の波動が上がったんや。

そうとしか思えん。

そう思わなやってられん。

とにかく仕事終わったらすぐに前パソコン修理してもらった親切な店に滑りこも。

と肚をくくり、約3時間、9分ごとに鳴るアラームとの攻防を繰り返し(地獄)、サイドボタン押しが手慣れてきた頃、たまたま長押しになったら、なぜかタッチパネルが復活したんですね。

 

なんで???

 

結局原因も解決法もよくわからなかったけど、幸せ100万倍になりました。

スマホが動くだけでまるもうけ。

波動上がったわ〜。(違)

 

 

さて、恵まれた家族関係の中で、両親にも愛されて育ったはずなのに、

どうして私はこんなに自己肯定感が低いのだろう?と思ったことはありませんか?

不思議な気がしますよね。

それは、両親を愛しすぎなためかもしれません。

なんだか自分を生きていないような気がして、一人ぼっちと感じるなら、

大好きな両親の「子ども」から、独立した「大人の女性」に脱皮するタイミングがついに来たのです。

 

ということで、本日は オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェにいただいたご相談にお答えします。

元のご相談文はこちら

 

オンラインカウンセリング無料相談 | ココロノマルシェでは、根本裕幸お弟子さん制度を修了したカウンセラーが、無料で相談にお答えします。

どなたでも何度でも匿名でご相談いただけますので、お気軽にご利用ください(^▽^)

 

 

 

【ご相談】ずっと「一人ぼっち」な気がしています。

自分の人生にはいつも「一人ぼっち」「孤独感」がつきまとっていて、それが憩いの場所だった趣味の場に顔を出していてとても辛いです。

そして、幼い息子にも自分が歩んで来た道(思考)に進んでしまいそうな片鱗が見え隠れしていて、とても焦っています…。

私は30代前半、パートで働きながら二人の息子(5歳、3歳)の母親をやっています。

(自己肯定感がとても低いという自覚があります。それと同時に完璧主義であるため、「自己肯定感が低いのにプライドが高い」というアンバランスさがあるなと思っています。)

主人や自分の家族、主人と実家との関係は、良好な方かと思っています。裕福ではないですが、お金関連もゆくる節約をしながら生活ができるくらいではあり、お金関連で悩んだことはこれまでありません。

両親は仲良し夫婦で、喧嘩をしていることは「二人とも機嫌が悪いな」と思ったことが数回あるかないかくらいです。

「○○(私)のお父さんとお母さん、すごく仲良いよね!あんな夫婦いないよ!」と言われないことがないくらい両親は仲が良いです。

私は三人兄弟の一番上で、弟が二人います。兄弟間も仲が良く、頻繁には連絡を取りませんが会えばペラペラ話す感じの仲です。

家族には恵まれているなと思っており、その部分に関しては悩みはないのですが、友人関連ではずっと悩みを抱えています…。

ずっと一人ぼっちだと思っていて、その孤独感がとてもつらく、自分の中に影を落としています。

どうにかしたくて自分から話し掛けたり、輪に入ったり、輪を作る方になったり。人見知りではないため、一人ぼっちをどうにかしようと行動してきたつもりです。

だけど、上手く馴染めなかったり、自分発信で輪を作れて広げられて、とても楽しかったのに1年~2年で繋がりがいつの間にか全部なくなっていたり。

しかも自分だけ、いつの間にかあぶれてポツンとしている形として。

保育園からほぼ持ち上がりだった小学校~中学校でも一人でいることは多くありました。

ですが、グループに所属していなかったり、ペアみたいな固定の友達がいなくても周りとは普通にその時々で話したり、読書や好きなアーティストがいたのでそこまで「自分はいつもあぶれる」という感覚はありませんでした。

ですが、高校で友達ができなかったんです。いじめられたり嫌われているわけではなく、クラスメートと話をすることは普通にしていて、お弁当もいろんなグループを日替わりで点々として食べたりしていました。

ですが、使ってもらっているのが申し訳なくて、ひとりで食べることも増えていきました。私が一緒にお弁当を食べている日といない日では、グループの人の顔が違って見えたからです。私がいると黙々と食べている感じで、会話も弾んでいたことがあったか記憶にないです…。

移動教室やペアを作る時間が本当に苦痛で、先生とやるのは嫌ではなかったのですが、「ひとり」が強調されるあの時間が本当に嫌でした。

辛過ぎて母に相談したところ、母はネットで「同じように悩んでいる人がいるから、○○だけじゃないよ」と寄り添ってくれたのですが、上手く友達を作れない自分を晒していることが恥ずかしく、申し訳なく思っていました…。そのため、それ以降はあまり高校の話はしなかったように思います。

ドラマや漫画のこと、音楽の話といった当たり障りない事を話題にしていた気がします。

部活でも居場所がないとずっと思っていて、周りのメンバーも自分のことで必死なように思いました。各々固定のペアを作って、それを離さない。みたいな。

そして私はそこからまたあぶれていて、部活が始まる前の体育館に入る前の時間が本当に嫌で嫌で、毎日逃げ出したいと思っていました。

ですが、一応部活推薦で高校に入ったので「逃げたらダメ」と思ってずっと頑張って立ち向かっていました。辛かったけど休まないで行っていました。

部活のメンバーで話を聞いてくれた子がいたのですが「考えすぎー!」と言われてしまい、それからは打ち明けるのをやめました。

途中で足を怪我したので部活をやめれば良かったのですが、マネージャーという形で残りました。三年間部活は辞めなかったのですがメンタルはボロボロで、三年生になってから引退までの数カ月は部活中に勝手に涙が出てくるようになっていました…。

でも誰もメンバーは声を掛けてくれなかったです。

顧問の先生(女)にも、恋愛事で悩んでいるのを表に出していると勘違いされていたらしく、「表に出すなら休めよなー」的なことを体育教官室に入る前に言っているのが聞こえてしまい、すごく悲しかったです。

大学では最初の一年半は友達ができて楽しく過ごしていました。ずっと続けば良いなと思うくらい楽しくて、気の合う友達もたくさんいて、嬉しかったことを覚えています。

ですが、2年経った頃にまたみんないなくなってしまい、3年生のときにはまた高校の時と同じ、グループを点在してひとりを誤魔化している毎日になっていました。

一緒に行動していた友達が他の子達と仲良くなり、一緒に居るのに私の方には背をずっと向けてお喋りを楽しんでいる…そんな状況がとても辛く、かなり悩んだ末にその子とは距離を取りました。

距離を取った後に「なんで?」と高圧的な感じで言われたので、メールでずっと抱えていた気持ちを打ち明けましたが返事はありませんでした。ですが、大学で顔を合わせても無視はされず、雑談はなんとなく出来てはいたので、元のように仲良くはなれなかったけれど気持ちは届いたのかな…と思っています。

この頃本当に辛く、心配はかけたくなかったのですが両親に友人関係が辛いことを話しました。一回目は寄り添ってくれたのですが、二回目は「またその話かい」みたいなリアクションだったので、それ以降は今も人間関係で何かあっても両親に話すことは早々ありません。

大学の頃は一人暮らしをしていたのですが、家にいる時の方がずっと心が穏やかだったように思います。

社会人になってからは、同僚は毎回クセのある人で大変ではあったのですが、カバーし合いながらなんとか仕事をこなしていました。

幸い先輩や上司には恵まれ、普通に過ごしていても「助かるよ」「頑張ってるね」「さすが!」と褒めてもらえることが多く、福祉関連の仕事だったので肉体的にキツイところはありましたが、仕事関連で人間関係に不満を抱くことはありませんでした。

飲み会になるとやっぱりあぶれるので、すごく苦手ですが…。

仕事関連は「仕事」と割り切っているので大丈夫だったのですが、趣味の場の人間関係はやっぱりうまく行かず。現在進行形で孤独と「自分はやっぱり一人ぼっちになる運命なんだ」と日々悲しみを募らせていて、とても寂しくて辛いです。

好きなアーティスト繋がりで何人かと仲良くなり、定期的に遊んだり、相談事を打ち明け合ったり、旅行に行ったり…と関係性は良かったと思います。

ですが、1~2年経ったことにパタリとみんなにそっぽを向かれてしまったように連絡がなくなり。SNSでも自分には反応が来ないのが辛くて、SNSは退会しました。

そんな折で自身の結婚式があったのですが、みんなが出席してくれはしたものの義理で出席してくれたんだろうな、申し訳ないな…と思い「おめでとう」の言葉も本当に言っているようには聞こえませんでした。

今では一人を除いて疎遠なのですが、他の元仲が良かったみんなとライブで顔を合わせるかも…と思うと胸がギュッとして苦しいです。私以外のみんなはまだ繋がっているようなので尚のこと…。

そして去年、ふとしたきっかけで小説を書くことが新しく趣味として生活に加わりました。もとから本を読むことが好きだったので、「自分で書く」というのは隠れた憧れでもあったからです。

SNSや投稿サイトで小説をアップすること、SNSを介して新しい繋がりができたとことはある意味目から鱗で、新しい刺激や環境はとてもキラキラしたものでした。

ですが、新しい趣味の場では今まで体験して来なかった執着される、マウントを取られる、陰口を言われているよとリークを受ける、嘘をつかれる、約束を破られる…などと言った嫌なことがあり、また(プロになるつもりは全くないですが)自分の作品も自分も求められていないと痛感する日々が悲しくて、辛いと思ってもいました。

小説を書くことは好きだったので、「これではいけない」と一度SNS環境をリセットしてリスタートしたのですが、結局他者の粗や自分にレッテルを貼る証拠を探したりしている日々に戻っている気がしていて、やっぱり自分は変われないんだなと絶望に近い諦めが身体を重くしています。

自分の居場所を少しでも自分で作れるよう、小説の書き方を勉強しても『自分にはセンスがない…』『自分は何をしても凡人でキラキラできない、誰からも求められない街人Aなんだ…』と落ち込むことの方が多いことも影響しているかもしれません…。

リセットした後も繋がってくれた人がいて、その繋がりは大切にしたいのに自分から壊してしまいそうな気がして怖く、前よりも話し掛けることに躊躇している自分がいます。どちらにせよ、離れてしまうまで時間の問題なのかもしれませんが…。

少し話は逸れますが、主人と出逢う前までは彼氏がいたことはありませんでした。

好きな人はいて、自分から告白することもありましたが、実ることは一度もありませんでした。

何回か紹介みたいな形や出会いがありそうな場所に足を運んだりしたのですが、一度デートまで出来ても二度目がない女でした。恋をする度に自分を嫌いになり、否定というレッテルをどんどん貼り付けていました。とても悲しくて辛かったです。

みんな普通に彼氏ができるのに、なんで自分はできないんだろう。そんなに魅力がないんだろうか…とずっと思っていたのを救ってくれたのが主人でした。

いつも大きな愛をくれる主人には今もとても感謝していますし、出会って、結婚して良かったなと思っています。

私のことを「太陽みたい」「目がキラキラしててキレイ」と言ってくれた人は初めてで、主人は今でも同じ言葉をかけてくれます。本当に有難いなと思っています。

保育園に通う二人の息子たちも優しくて、良い子で。主人と同じようなセリフや「大好き」と言って私を肯定してくれる、こんな劣等感の塊で出来損ないみたいな自分から生まれたとは思えないくらい、温かくて大切な存在です。

ですが、主人は自分が厳しく育てられたということもあってか、余裕がないときは高圧的な言い方(○○しろ。やめろ。など)で長男に厳しく声をかけるのです…。

(主人も長男です。ご両親とは比較的良好ですが、『良好になるように努力している』という感じがします。主人も頑張り屋さんで、同時にビックリするくらい自己肯定感が高く、運が良い人です。ですが、メンタルの弱さみたいなところの根っこは、寄り添ってはくれますが理解はできないという風に思っている印象があります。)

真面目で優しい長男は「わかってる」「ごめんなさい」と言いながらとても苦しそうで。

自分の言い分を言おうとすれば旦那が正論を被せ、聞いたとしても否定する言葉でねじ伏せるため、長男は何も言えないのです…。

主人が長男をコントロールしようとしている様子を見ていると、私は長男に自分を重ねてしまい、自分を見ているようで苦しくなってしまいます。

長男は保育園の出来事も、いつも嫌だったことを話します。私たちに吐き出せているうちは良いのかな…と思ってはいるのですが、同じネガティブなことをループして話すため、自分のことで精一杯なときは向き合ってあげることが出来ない事もあり、後から後悔することが多々あります。

つい先日の話です。

長男の自己肯定感が明らかに下がっていました(嫌な事を探す癖がついている、出来ないと主人に怒られるため我慢・委縮している、「わかったよ」を何度も口にしている)。

主人は正論を返してくる、疲れていて余裕がないから私の話を聞いてくれないだろう…と思ったら、いつ切り出すべきかわからず、辛そうな長男を見守ることしか出来ませんでした。

ですが、もう長男が限界なのが表情でわかり、主人がトイレに行った時に「○○はもう頑張ってるのにね。何回もダメダメ言われて嫌だったよね。お父さんも疲れているだけだけど、嫌な気持ちになるよね。お母さんもわかっていたのに、助けてあげるのが遅くなってごめんね」と声を掛けました、すると長男はボロボロと大泣きをして「お父さん嫌だよ。○○頑張ってるのに…」と辛かった気持ちを吐き出して「お母さんありがとう」と泣きながら溢したのを聞いて、私の目も潤んでしまいました。

もっと早く声を掛ければ良かったと思ったのと同時に、少し救われた気がしたのです。

主人にはあとからトゲのある言い方にならないよう、最近否定ていな言葉が多いこと、毎日頑張ってくれていることに感謝と心配をしていることを伝えました。

主人は何も言わなかったのですが、伝えれば受け止めてくれる人なので長男の気持ちが少しでも伝わってくれたら…と思っています。

自分の話がとても長くなってしまいましたが、長男はすごく頑張り屋さんです。ですが、私と同じくらい不器用で真面目で、自己肯定感がありません。加えて優等生タイプなので、保育園でも頼られる立場ではあるのですが「お友達とうまくやれない…」といつも悲しそうに話しています。自分で乗り越えるしかないため、見守ることしか出来ないとわかっていてもとても辛いです…。

主人の長男への接し方や自分を見ているような自己肯定感の低さを見ていると、長男が自分が歩んだ辛かった人生をなぞる未来ばかりが見えてしまい心配で堪りません…。

自分の自己肯定感も少しでもあげようと、先日からアプリを通して「いいこと貯金」として「良いことを見える化」して「良いことを探す、目を向ける」クセをつけることにしてみました。長男、次男、そして主人も交えて。

自分のできる範囲で長男と次男の自己肯定感を守ってあげられたら…と思っていますが、この方法で子供たちの気持ちは守れるでしょうか?

そして、私の人生に影を落としている「一人ぼっちになってしまう人生」から抜け出すにはどうしたらいいでしょうか。

今は新しい人間関係を築くことが怖く、作れないと諦めてもいるためママ友はひとりもいません。

母親教室でも自分だけあぶれている、仲が良い人が出来ないとひどく落ち込み、帰ってから主人の前で泣いてしまったこともありました。

子育てサロンでも、勇気を出して仲良くしたいなと思った方に話しかけて連絡先を交換したのですが、特にやり取りをすることなく自然消滅ばかり。

数少ない友人も、独身か子供がいない子ばかりなので話題を選んでしまうこともあり、話しをしていても気を使ってしまう・相手も使っているだろうなと思ってしまい、自分から距離を置いている感じです。

過去に、仲が良くなると大好きだった友達の粗がたくさん見えるようになり、直接ぶつけることはなくてもイライラすることが増える…ということが何度かありまして。。

友達が欲しいはずなのに距離が近付くと、心の内側では攻撃的になってしまう自分がわからず…。そんな自分が顔を出してしまい、誰かを傷つけることがあったら…と思うと怖いです。

過去に傷つけてしまった方もいて、その時々に謝罪はして和解はしていますが、申し訳なく思っています。

あと、仲良くなりたいと言ってくれた方がいても、その方は自分と考えやスタンスが合わないことが多く…。友達が欲しいと思っているくせに、選んでいるみたいな自分にも自己嫌悪しては反省会を一人で開くこともありました。

ふとしたきっかけで、自分はママ友は欲しくないとわかったので、そこに執着することはなくなりました。

マンガやドラマ、SNSでは「友達が多い方が人生キラキラ!」というのを浴びて、そうじゃないといけないと思い込んでいた節があることに気付いたからです。

私は「おひとりさま」で何かすることは嫌いではなく、むしろ好きで。一人で映画に行ったり、カフェで本を読んだりすることが好きで、落ち着く時間でもあります。

ただ集団の中で「独り」になることに恐怖に近い思いや劣等感、胸がギュッとして冷たくなることを覚えるのです…。

今はコロナで元々好きだったひとり時間を楽しめないため、小説を書くという新しい趣味もSNSの中の目が余計に気になってしまうのかなと自己分析してはいます。

SNSでしか繋がっていない友人もいるため削除は難しいのですが、開く頻度を減らしたり、ログアウトして心を切り離すようにしている最中です。

ですが、根っこの部分の「ずっと一人ぼっち」をどうにかしなければ、自分の人生はそこに囚われたままで苦しい。だけどどうしたら良いのか、もうわからない。

そんな時に根本裕幸さんの御本を偶然見かけ、手に取ったことをきっかけに、藁にもすがる思いでこちらにご相談致しました。

今この文章を打ちながら、

思い切って打ち明けたけれど誰も手を差し伸べてくれなかったらどうしよう。

頑張っていないことを答え合わせすることになったらどうしよう。

あなたも人に酷いことをしているんだから、当然のことが帰って来ているだけと言われたらどうしよう。

…と、正直なところブルブルと心が震えています。(今まで勇気を出して頼っても、握り返してくれた人はいなかったように思うからかもしれません。)

それに私にダメな部分がたくさんあるから、何処でも何度でもあぶれ、みんな私から離れて行くのだと思うので…。

本当はもっと頑張るべきなのかもしれません。ですが、すみません。頼らせて下さい。毎日が辛くて、身体がずっと疲れていて。少し休みたいです。

お忙しいところに支離滅裂な文章を送ってしまい(しかも長文で…)申し訳ないです。

今できる範囲のことをしながら、ご返信をお待ちしております。

よろしくお願い致します。

テオさん

 

 

【いなこからの回答】

テオさん、このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます。

 

とても感受性豊かで、

その感情と結びついた記憶をありありと語れる、

非常に女性性の豊かな方と感じました。

 

具体的なできごとをたくさん書いてくださっていて、

すべてに個別に触れていくのは難しいので、

私が気になった点を中心にお答えさせていただきますね。

 

テオさんが求めておられることに対しては

少し間接的な回答になるかもしれませんが、

自分と向き合っていただくきっかけになれば幸いです。

 

 

さて、ご相談文の中で私が気になったのは、

テオさんは、どこでどうして自己肯定感が低くなったのか?

という点です。

 

テオさんが感じてきた感情、

今感じておられる感情を拝読していると、

たしかにテオさんが自覚されているように、

自己肯定感が低い状態なのかもしれないと思いました。

 

だけどテオさんは、どうしてそんなに自己肯定感が低くなったのだろう?

 

自己肯定感が低くなるきっかけは、

人生の初期段階である幼少期の家族関係にあることが多いです。

お父さんやお母さんに否定されることが多くて、

自己否定グセがついちゃったとか。

 

だけどテオさんの場合、

家族関係が悪く、否定されて愛を感じられずに育ったかというと、

そうではない。

むしろ、ご両親ともごきょうだいともずっと仲がよく、

家族関係には恵まれていると自分でも思っている。

 

ご両親の夫婦仲も、お友だちにほめられるほどいい。

 

テオさんが、ご両親に悩みを話してみたこともあるくらいだから、

きっと大切に愛されてきたし、

テオさんもそう感じておられるんじゃないかと思うんです。

 

一見すると、自己肯定感は高くなりそうなんですよね。

だけど、低い。

 

 

もちろん自己肯定感の下がるきっかけは親子関係だけではなく、

他人との比較が激しくなる思春期の経験、

受験、

失恋、

社会人になってからの経験などいろいろあります。

だけどテオさんの場合、いじめや大失恋などとても大きなトラブルあったから、ということもなさそう。

 

 

で、やっぱり私は、ご家族との関係が気になったんですよね。

 

 

さてここからは、私の直感に賭けてお話しします。

なのでダダ滑りだったらごめんなさい(笑)。

 

 

テオさんは、ご両親が大好きではないですか?

大好きだし、感謝しているし、誇りにさえ思っているのではないでしょうか?

 

テオさんは、ご両親に愛されて育ったし、

ご両親の夫婦仲も、周りからほめられるほど仲がよい。

 

そんなすてきなご両親が大好きで、誇りで、

テオさんは、

そんなご両親の自慢の娘でありたい

と思って生きてこられたところはないでしょうか。

 

たくさん愛を注いでもらったし、

それに報いたい。

期待に応えたい。

両親にも、私を誇ってほしいい。

 

そんな思いが、

何をするときも、いつも頭の片隅にあったのではないでしょうか。

 

 

もしも思いあたるところがあるとすれば、

テオさんは、ご両親を愛するあまりに、

親軸で生きてこられたのかもしれません。

 

親とはいえ、自分とは別の人間です。

すなわち、親軸とは、他人軸の一種です。

 

ずーっと、他人軸で生きてきたから、

自分が置き去りになっていて、

今の苦しさにつながっているのかもしれないと私は感じたのです。

 

 

原点が親軸という名の他人軸だから、

親(他人)をよろこばせようという行動動機が身についてしまっているんですね。

 

他人がよろこぶか。

他人がどう思うか。

それが行動の原点になっているから、

他人がうれしそうにしていないと、

自分の価値がないように感じられる。

 

自分が好きかどうか、

したいかどうかより、

他人に評価されるかどうかで、その価値が決まる。

 

 

だけどそうやって、他人を気にしているとき、

自分の「好き」や「嫌い」、

「したい」や「したくない」は置き去りです。

 

自分の気持ちは置き去りになっているんです。

 

 

で、この状態を、

「自分とのつながりが切れている」

というんですね。

 

自分が何を感じているかがわかっていない状態。

 

 

「あーたそれ、自分とのつながりが切れてるわよ〜(デヴィスカルノ味)」なんて

失礼しちゃいますよね。

 

私もさんざん言われてきましたがな。(大笑い)

私は、これを言われるのは嫌いだったんです。

 

日々あれこれと感じて考えて、

ちょっとでも生きやすくなりたいと自分とも向き合って必死で生きているのに、

「自分とのつながりが切れてる」なんて。

 

まるで私が何もわかってないみたいじゃないか!

「あなたは自分を偽ってます」って言われてるみたい!

失敬な!!!

と見下されているような気分になっていました。

 

でも、見下していませんよ(笑)。

 

自分のほんとの気持ちって、

案外自分でもよくわかっていなかったりするということなんです。

 

 

そして、テオさんがおっしゃっている一人ぼっち感、孤独感というのは、

この、自分とのつながりが切れているときに感じるものなんですね。

 

実は孤独感は、誰といるとか何があるとかは、本質的には関係がないんです。

そんなこと言われてもすぐには理解しがたいと思うのですが。

 

 

自分の気持ちが、自分にさえわかってもらえていないとしたら。

 

自分とつながっていません。

自分とさえつながっていないのだから、

その気持ちは誰にも気づかれず、

ぽつんと一人ぼっちです。

 

自分とのつながりが切れているから孤独感を感じるというのは、

そういうイメージです。

 

 

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ということで、テオさんには、

 

ご両親が大好き

 ↓

そんなご両親の自慢の娘でありたい

 ↓

自分の気持ちより、ご両親をよろこばせること優先

他人に評価されること優先

 ↓

自分の気持ちが置き去り

 ↓

自分とのつながりが切れてしまう

 ↓

なんだかいつも一人ぼっちな気がする

 

ということが起こっているのかもしれません。

 

 

「いやいや、気がするんじゃなくて、

実際に物理的にも一人ぼっちなのよ!」

と反論したくなるかもしれませんが、

心の状態が一人ぼっちだと、現実も、そういうように見えるんですね。

 

サスペンスドラマのミスリードみたいなものです。

いかにもあやしく演出すれば、犯人に見えてくるんです。

あとで真犯人がわかったときには、その冤罪具合に、「なーんだ」と笑えてくるものなんです。

 

 

では、もしそうだとしたら、どうしたらいいのか。

 

ご両親の自慢の「娘」から、

1人の独立した「大人の女性」になる。

 

これが1つのキーワードです。

 

 

ご両親のよろこびそうなことをうかがってよろこばせるというのは、

実は子どもの愛し方なんですね。

 

大人の愛し方は、自分が真に幸せになり、その姿を見せること。

 

 

テオさんも、愛するお子さんがいらっしゃるからわかるかもしれません。

 

お子さんが、

 

自分の気持ちより、お母さんであるテオさんがよろこびそう(だとお子さんが一方的に想像している)ないい子になることを優先して、テオさんをよろこばせるための人生を送るより、

 

たとえテオさんの予想外な生き方であったとしても、自分の気持ちに素直に、生き生きと自由に生きている方が、

 

親としても幸せなのではないでしょうか。

 

 

「あーたそれ、子どもの愛し方よ〜(デヴィスカルノ味)」なんて言われると、

「あー、私は子どもの愛し方をしてたのか……

なんか恥ずかしい。」

と思われるかもしれません。

 

私もさんざん言われてきましたがな。(大笑い)

「子どもの愛し方してる」とか言われると、なんかすごく幼稚と言われてるようで、嫌だったんです、私は。

 

でも、そんなにもご両親を愛してきたことを恥じることはありません(^^)

 

テオさんがご両親に愛されてきたこと、

テオさんがご両親を愛してきたことは確かなことで、

すばらしいことだし、とても恵まれていることです。

 

そんなテオさんだからこそ今、

ご主人やお子さんたちのすばらしさがわかり、感謝ができ、愛し愛されることができるのです。

 

 

だけど今は、

その愛を、もっともっと自分にも向けて、自分をもっともっと愛するといいよ。

もうそろそろ、1人の個として、真に自分を生き生き自由に生きるタイミングがきたよ、

ということなんです。

 

 

友人関係のこと、

これまでの恋愛のこと、

お仕事のこと、

ご主人のこと、

子育てのことなど、

いろいろと書いてくださっていますが、

それらすべて、1つの核心につながると思います。

 

お子さまのことは、

今が大事なときだし、

未来のある子どものことだし、

何よりものすごく愛する存在だから、

特に気になっておられるのかなと思うのですが、

まずは自分です。

まずは自分。これはすべての大原則なんです。

 

テオさんが、生き生きと自由に自分を生きるようになると、

テオさんの目に映る息子さんも、変わってきます。

 

テオさんが、自分を生きることが、最優先課題。

 

 

カウンセリングをとてもおすすめするな〜。

 

根幹は、自己肯定感の話。

 

そこから派生する枝葉となるお話については、

大きなトラブルはなさそうなのに、いつも1、2年でフェイドアウトする友人関係はなぜ?

どうやってどんなふうにそうなるの?

具体的にどんなことから自分がいると雰囲気が変わると感じたの?

逆に自分は、お友達といるとき、どんな顔してた?どんな雰囲気出してた?

など、こまごまと聞いてみたいことはあります。

 

そこから、テオさんの巧みな「ミスリード」がみつかりそうなんですよね。

 

あれこれ混沌としている心のうちを気兼ねなく思いっきり話してみると、

スルスルとすべてが1本の線につながって見えてくるように思います。

 

そこから、生き生きと自由に生きる、テオさんの真の人生が始まります。

今まで寝ぼけてたのかしらってくらい、目が開くと思いますよ。

覚醒です(笑)。

 

ということでカウンセリングがすごくおすすめですが、

まあそれも、テオさんが向き合いたいと思ったタイミングでいいです。

自然とそんなタイミングが来ますよ(^_-)

 

 

さて、ここまでいなこの直感という名の独断と偏見で突っ走ってきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

もしかしたら、ちょっと何言ってるかわかんないです状態かもしれないけれど、

すごーく時間が経ってから、いろんなことがぴーんとつながることもあります。

 

心の層って、幾重にもなっていて、なかなかいきなりには深いところに触れないんです。

心ってほんとうにおもしろいんですよ。

 

なのでいつか今日のお話が、テオさんの心の深層にある愛に触れるといいな。

 

 

ずっと応援しています(^▽^)

ご相談ありがとうございました!

 

 

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