人目が気になるとき、不安に呑みこまれそうになったときに効くことば。「と、観測している自分がいるだけ。」
こちら大阪は、うららかな陽気の土曜日です。
いかがお過ごしでしょうか。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
4月のカウンセリング、募集中です(^▽^)
うららかな中、今日は受診日。
今日も3万ほど、気前よく払ってきてやりましたよ!パーンと、パーンとね!笑
何の話?という方はこちらをどうぞ。笑
さて、
お金がない から始まった私の気づきについて、
どこからどう書けば伝わりやすいだろうと考えているのですが、いろいろありすぎて難しい。
大きな気づきの1つに、
「人目とか他人の言動を気にしても意味ない」
と実感したことがあります。
今日はとりあえず、それを書こうと思います。
上記の記事にある、
「ある」を見つけるワークを続けているのですが、
本当に、「何を見るか」がめちゃくちゃ大事だと思い知ったんですね。
というのも、そのワークがじわじわ効いてきたのに加え、
あるとき、おすすめで上がってきたある動画に、ダメ押しされたんです。
その動画で、こんなお話を観たんです。
ジョージ・バークリーという哲学者があるとき、
「誰もいない森で木が倒れたら、音はするのか?」
という問いをしたらしいんですね。
どう思います?
いや、誰がいようがいまいが、
木が倒れたら、音するでしょ。
と思いましたか?
そのジョージさんは、
「誰もいない森では、音はしない」
と考えたんです。
音というのは、
物体が振動することで空気を振動させ、
その空気の振動が鼓膜を揺らし、
それが電気信号になって脳に伝わり、
音として認知されます。
ということは、
誰もいない森では、
揺らされるべき鼓膜がないから、
音はしない
ということなんですね。
え、なんか怖い。(なにが?)
音波の受容器である耳がそこにない、
すなわち
音を観測する人がいないなら、
音は鳴っていない
ということなんです。
有名な思考実験らしいので、
ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
私はこの話を聞いて、
ほんとに、自分が何を観測するかがすべてなんだな
とあらためて思ったんです。
この世に何があろうとなかろうと、
自分がそれをあると感じられたらあることになるし、
ないと感じたらないことになる。
観測者の意識がすべてを創っているんです。
聴覚のような、物理的に計測できる知覚でさえそうなんだから、
愛だとか悪意だとか、物理的に計測できないものなんて、ほんとにそう。
耳という感覚受容器がなければ、
音波が発生しても音が鳴っていないことになるのと同じで、
相手がどんなに愛をもって自分にやってくれた行為であっても、
受ける自分がその愛に気づいて受け取らなければ、
自分の世界では、その愛はなかったことになるし、
悪意を持って何かをしてくる人がいても、
その悪意に気づかなければ、
別にどうってことないできごとになる。
観測者次第で、世界は変わるんです。
数ヶ月前私は、
ある人に嫌われてるんじゃないか、
不快にさせてしまったんじゃないかと気にして、
ちょっと気分が落ちていたんですね。
それをカウンセラー仲間に言っても、
「考えすぎ」
「妄想劇場」
「何でも自分と結びつけて、よっぽど自分が好きなのね」
なんてな感じで、苦笑失笑の嵐だったんです。笑
いやいや、
その相手のことば尻とか、
微妙なニュアンスを直接見てないから、
みんなはわからないんだ。
たしかにあの人は、私を嫌がっていたんだ。
怒っていたんだ。
信じてくれよ!
と思っていたのですが、
1人だけおばけ見てしまった人みたい。笑
そういうのもぜーんぶ、
私がそう観測しただけ
のことなんですね。
このバークリーさんの理屈で言うと。
「私に怒っているAさんがいる」
と、観測した私がいるだけ
のことなんです。
ほんとにAさんが私に怒り狂っていようが、
私がそれを観測しなければ、
私の世界では、Aさんは私に怒っていないことになります。
だから、Aさんがほんとに怒っているかどうかは、問題ではないんですね。
その真偽を一生懸命考えても、答えはないんです。
Aさんがほんとに怒っていようがいまいが、
「Aさんが怒っている」と観測している私がいるだけ、
あるいは
「Aさんは怒っていない」と観測している私がいるだけ、
なんです。
こんなふうに、何を観測するかで、
世界線はガラッと変わってしまいます。
よく、
「この花を美しいと思えるのは、
あなたの心が美しいから。」
みたいなこと言いますが、
それはそういうことなんですね。
「美しい花だ」と観測する人がいるから、
美しい花は存在できるんです。
ということで、
物事の絶対的な正解を追い求めたり、
「あの人は私のことをこう思ってるに違いない」とか、
「こんなことしたら、嫌われるんじゃないか」とか気にするのは無意味なんです。
どこまでいっても自分の観測しかないんです。
「嫌われている」と観測すれば、嫌われているし、
「好かれている」と観測すれば、好かれているんです。
人は誰しも、自分の世界線でしか生きられないから。
自分の世界線でそうなら、それが絶対なんです。
どこまでいっても、自分の観測しかありません。
これを心理学的には、
自分の心の内が世界に映し出されるということで、
「投影」と言います。
心理学とかが好きな方は、
投影だとか、
世界は自分が創るとか、
人は見たいように見るとかよく聞かれると思うのですが、
ちょっと違う角度から聞くと
さらに腑に落ちるかなと思い、書いてみました。
とはいえ私も今でも一瞬、
「あ、私ダメなやつと思われたかも」と嫌な気分になったり、
人と比較して、うぐっとなったりすることもありますが、
「……と、観測している私がいるだけ。」
と付け加えています。
それだけで心落ち着くんだからすばらしい。笑
それ以上うじうじ考えるのを辞められるしね。
このジョージさんは、森の木の思考実験で、
誰もいない森ということは、
その木を見る人さえいないのだから、
木も存在していないことになる。
だから、物理的なものは一切存在していなくて、
意識がすべてを作っているんだと主張したそうですが、
さすがにそれは極端すぎ!と批判されたらしいです。笑
だけど自分の意識がかなーり重要なことはまちがいないですよね。
何を観測するかで、人生は、かなーーーり違ってくると思います。
不安がいかにもリアリティをもって感じられて、
それが絶対的なものに思えて、
怖れに呑みこまれそうになったときは、
「と、観測してる自分がいるだけ。」
とつぶやいてみてください。
スーッと心が落ち着いて、地に足がつきます(^^)
その動画とは、ナオキマンという方のものです。
8:12頃に森の木の話があります。
長いけど、ぜんぶ観てみてもおもしろいですよ(^^)え〜声です。
昔に私も、ちょっと似たようなこと書いたことあったんですけどね。
どこまでいってもどのみち主観しかないんだから、Youの好きなように感じちゃいなよ!
ジョージさんの実験の方がパンチありますね。笑
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