悲しみに打ちひしがれているあなたへ
このタイトルから、この記事を読みに来てくださったあなたは、悲しみの真っ最中にいるのでしょうか。
少し長いし、脱線しまくるけれど、よければ読んでいってください。
’それなりに’うまくいっている→を→’おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
私もこの3年間、
悲しい
さみしい
不安
後悔
辛い……
そんな気持ちとずっと一緒にいました。
その理由は、前の職場を退職したこと。
前の職場を退職した経緯は、過去にたくさん書いていますが、簡単に言うと、このまま無難な繰り返しの毎日ではなく、新しいことに挑戦したいと思ってのことなんですけどね。
不満は全くなかったというと嘘になりますが、基本的には大好きで、どっぷりそこの人間として10年以上生きてきたので、退職すると決めるまでも、決めてから辞めるまでも、そして辞めてからも、ずっと迷いやさみしさ、後悔といった痛みがありました。
それでも、魔がさして(笑)、辞めちゃったんですよね。
ですが先日朝起きたときふと、
「私が、前の職場を辞めてあんなに悲しく苦しんだのは、前の職場が大好きだったから。
それだけあそこで愛情こめて一生懸命働いていたから。
それだけのこと。
それでいいやん。」
と思えました。
何か考えていたのではなく、目覚めてふと、急にそんなふうに思ったんです。
退職して3年経った今、それら一連のことを、かなり受け入れられてきたなと、最近やっと実感できるようになってきました。
それまでも、大波小波があり、「これでよかったんだ」、「やっぱりよくない」なんてことを繰り返してきましたが。
迷惑をかけないよう、早めに退職の旨を申し出ないとと、退職の半年以上前に、上司に伝えました。
そこからも、本当に辛かった。
私の退職が発表になる前に、お世話になった人たちに、自分の口から伝えて、これまでのお礼も言いたいのに、「退職」ということばを口に出すことさえ辛く怖く、悲しくしんどく、言い出せない。
今日こそは、と思うのに、どうしても切り出せない。
惜しまれても、驚かれても辛い気がして、その相手の反応に、こちらがダメージを受けてしまういそうで、本当に無理でした。
来年度の話が会議で出ても、「その頃、私はここの人間ではないんだな」と思うことが悲しい。
お別れにみんなが書いてくれた寄せ書きも、辛すぎて、まともに見れませんでした。
DREAMS COME TRUEの「涙とたたかってる」という歌に、
たった一言が まだ凶器になる
胸撃ち抜かれて 動けないでいる
という歌詞がありますが、まさにそんな感じでした。
これは失恋の歌で、失恋相手に対する歌ですが、「大切なものを失った」という点では通じるものがあります。
そして、何かしらを失って、悲しみに打ちひしがれているあなたとも、きっと。
私の辛さは、職場を辞めてからも、ずいぶんと長く続きました。
前の職場に続く、通勤していた道を通るのが辛い。
前の職場の人と連絡を取るのは、もちろん辛い。
私のいない職場の話を聞くのも、私の知らない新人さんの話を聞くのも無理でした。
またご飯に行こうと言われても、とてもじゃないけど無理でした。
だからコロナがちょうど1番恐れられていた時で、会食がダメになって、私にはとてもちょうどよかったんです。
「実は、今の職場より前の職場の方が、こんなところは良かった」といった話を人にするのも、もしその相手が、「えー!なんで辞めたんー!もったいないー!」なんていう反応をしたら。
その反応に「やっぱり……」と傷ついてしまいそうで、話せませんでした。
テレビやSNSで、まったく関係ない人の、転職関係の話を聞くのもしんどかった。
転職してやっぱり失敗だったという人の話を聞くのも辛いし、転職せず思いとどまってよかったとか、長年続けててよかったという話も辛くて。
辞めると言ってから、実際に辞めるまでの辛い期間に流行っていた曲も、聞くと、その時の心境を思い出して、切なくなる。
ちょっとでも笑って気分転換をしようと、料理をしながらポッドキャストで聞いていた、サンドウィッチマンさんの「東北魂」というラジオも、その時の必死にちょっとでも笑おうとしていた心境を思い出して辛いので、聞かなくなりました。
サンドウィッチマンさんに罪はないし、今でも好きですよ。笑
テレビでは結構見てます。
そして、前の職場の写真も、辛くて見られない。
まあそれは当然としても、驚くべきことに(笑)、職場とは関係のない、たとえば甥っ子と撮った写真でさえ、すべて見るのが辛かったんです。
スマホに入った写真の日付を見て、「あー、この頃の私は、まだあそこの一員だったんだなあ……この頃の私は、こんな未来を知らずに、幸せそうに笑ってるな……」とか、「この頃はちょうど迷ってた頃だな。この時に思いとどまっていれば……」などと考えて、切なくなってしまって。
そして朝起きるたび、「ああ、夢ではないのか……私は本当にあそこを辞めてしまったんだ……これは現実なのか……なんてことを私はしてしまったんだ……!」と不安で足元がおぼつかない気持ちになりました。
「戻りたい。すべて夢であったら……!」と何度願っても、けっして戻れず。
カウンセリングもたくさん受けましたし、自分の心の動きに耳を澄ましながら、浮いたり沈んだりを繰り返しながら、少しずつ進んできたのですが、やはりどうしても、何をやっても、絶望や混乱、悲しみ、後悔、さみしさに襲われる期間は、避けられませんでした。
少し話は変わりますが、病気の治療をされていた、ゆかさまのだんなさんのことは、以前に書いたことがあるのですが、
3月に亡くなられました。
もう彼女も公表していることなので、書かせてもらいますね。
だんなさんが亡くなられてからの、彼女のブログを読んでいると、嘘が1つもないというか、剥き出しの心という感じがして、身を切られるような思いがしていました。
同じにすると本当に申し訳ないレベルですが、私も大事な職場を失った(まあ自分から辞めたんですけどね笑)という、喪失体験をしたという点では、ゆかさまと通じるところがあるかもしれない。
そのせいか、私はまだ、誰を看取ったことも、一緒に住んでいたことのある人を亡くしたこともないのですが、ゆかさまの痛みがとてもリアルに感じられる気がしていました。
だからゆかさまが、行けないところがあるとか、話すのが辛いという気持ちが、とてもよくわかる気がします。
ましてや、1番身近なパートナーの存在に関わることだから、そんな、1ヶ月や2ヶ月で、どうこうなるものではなくて当然だと思います。
彼女も今、自分の心を守りながら、心の声を聞きなら、一生懸命、日々を暮らしているのではないかと思います。
このブログでは、辛い状況から少しでも早く抜け出せるように、ものごとの捉え方を変える心理学的なヒントをお伝えしています。
だけど、時に、人生には、それさえも手につかないような、ただただ圧倒的に悲しむ時間がやってくることがあります。
もちろん、その悲しみから、少しでも早く抜け出したいからこそ、心理学を学んだり、何かしようと、このブログを読んでくださっている方もいらっしゃると思うのですが、それでも、圧倒的にショックや悲しみが強い時は、それさえもできないことがある。
し、しなくていい。
ただ、閉じこもって、うずくまって、じっとしていてもいい。
自分を刺激する情報をすべて遮断して、丸まっているだけでいい。
そんな時期もあっていいんです。
すべての理屈を捨て去って、ただ、自分の、「辛い」、「悲しい」、「何も見たくないし言われたくもない」という声を、1番に優先していいんです。
私も、そんな時期を経ての、今だと思っています。
自分の感覚を何より信じて。
自分の感覚の上に、何も置かないで。
あなたが辛いなら辛い。
したくないならしたくない。
それでいい。
それも癒しの道の上です。
その悲しみは、愛の裏返しだったとふと思える日は来る。
そして、悲しみの中に入っていけるのは、強さなんです。
それにしても、この歌に出てくる男めっちゃうざい。
美和ちゃん、こんなやつは切ってよし! ←いや、ただの歌詞だってば。笑
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「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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