誰も何も責めないで。もっとやさしくしてほしい。
日が短くなってきたのを感じますね。
涼しくなってほしいけど、夏の終わりは、やっぱりちょっとさみしい。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
前回、ヤタさんのカウンセリング前に、「ビジョンをブログに書く」という宿題が、なかなか気が進まず、ギリギリに慌てて載せました。
この付け焼刃感満載のビジョン(←こんなビジョンの描き方、絶対まちがってるよね?笑)の記事に、まあがんばってみたらという励ましのお声なのか、はてなスターをたくさんいただきありがとうございます(笑)。
もうあの記事はなかったことにして、早く後ろに追いやるためにも新しい記事をどんどん書きたいのですが(おい)、ちょっと元気がなくなっています。
これまで計4回、ヤタさんのカウンセリングを受けてきて、そのたびに少しずつ、転職した今を肯定して、新しいカウンセラーという選択に肚をくくり、ほんとにちょっとずつ、3歩進んで2歩下がる感じではありますが、進んでいる感じがしていました。
だけどここ1、2週、なんだかイライラしたり、過去を振り返って、「やっぱりこの選択はまちがいだった、もうとにかく前の職場に戻って何もかもなかったことにしたい!」という思いに支配されていました。
何回言うねん!ですよね(^^;;
ほんとに、過去ばかり振り返って今から目を逸らすダメな人間の見本として笑ってください(^^;;
そのきっかけとなる原因はいくつかあるのですが、1つは、今の職場の業務上の締め付けがきつくなったこと。
あーそれ効果あるかなあ、手間が増えるだけでは?それを押し付ける雰囲気もしんどいな……というところから、ここであといつまで働かないといけないんだろう?と、気が重ーくなっていました。
で、「ちょっとずつ進んできていたのに、大リバウンドしました」とヤタさんにカウンセリングで話したんですね。
また過去にぐるぐる戻りたくなっていると。
宿題のビジョンも、なかなか書けなかったと。
するとそこでふとヤタさんに何かが降りてきたみたいで、
「あれ?いなこちゃん、家族関係はどうだったっけ?」
と聞かれました。
私の人生が「それなり」になっているのは、もちろん親の影響も大きいと思うし、だから今までさんざんこのブログでも振り返ってきたので詳しくは割愛しますが、
父親はさみしい貧しい育ちで、子どもの頃いろいろあきらめてきただろうから、父親に、もっと可能性は無限にあるんだということを見せてあげたくて、違う世界を見せてあげたくてがんばってきたところがある
母親が微妙な顔をするのを見るのが辛くて、母親がよろこびそうなものごとを選択してきた節がある
ということを話しました。
どうも同じところでぐるぐるしちゃうのは、今回の転職は見せかけの問題で、別に本質的な問題があるのかもと思ったから、家族のことを改めて聞いたとヤタさん。
私も、親のエピソードはもちろん自分の生き方に影響しているとは思いながらも、さんざん自分で振り返ってきたし、そろそろ過去の振り返りばかりでなく、具体的に今できることを取り組まなきゃいけないフェーズなんだろうと思い、ヤタさんの、転職と新たなライフワークに対するカウンセリングでのアプローチに疑問はなかったのですが、ヤタさんの見立てでは、同じところでグルグルしてしまうのは、まだその、親を手放せていないことがどうやら絡んでいるからではないかということなのです。
「父親は、寂しく貧しい育ちで、ほんとはもっと可能性があるのに、あきらめてきたかわいそうな子どもだった(ように私には見えた)。」
この状況、私が今やろうとしていること(今までもやってきたこと)と同じなんです。
したいことがあっても、そうそう簡単にはいかないだろうとあきらめる。
まったく同じ。
そうじゃないっていうことを、父親に見せてあげたくてがんばっていたはずなのに。
でもまあここまでは自分でも気づいていました。
状況的に一緒になってるやん。と軽くつっこむ程度の感じで。
でもこれは、状況的にたまたま同じではなく、望んでやっているらしいんです。
もちろん、自覚なく、無意識に。
「やりたいことなんて、そうそうやれないよね、
そう簡単にはいかないよね、
辛いよね、悲しいよね、
わかるよ、お父さん。」
というように、悲しさ、辛さで、大好きなお父さんと繋がろうとしているのではないか?
お父さんを置いて幸せになってはいけないと思っているのではないか?
だからビジョンが描けない。
いや、こういう、「親を置いて幸せになってはいけない」という心理で、幸せを選択できないという分析は、よくあるパタンではあるのですが……
まさか私がそれ?
だって、意識の上では、
父親に可能性は無限と見せてあげたいと思っているし、
私が幸せになったら、父も母もよろこぶとわかっているつもりなのに?
……いや、でも、単純に、「幸せになりたい」ではなく、
「親のために」幸せでいなくては、、と「親のために」が先に来ているように感じるときもあるかも……
とにかく、私は、お父さんのこともお母さんのことも大好きで、子どもの愛し方(しんどさでつながるとか、相手の望みそうなことをしてよろこばせるとか)をしているんだね、ということなんだそうです。
自分が最高に幸せになることで、親をよろこばせるという、大人の愛し方にシフトしていこうと。
「え?未だに私は親のことで引っかかっていたわけ?
この中年のおばちゃんが、まだ子どおとして、おとうさんおかあさんだいすき〜」
ということで、こんなにも長期にわたって人生を犠牲にし続けてきたわけ?
どこまで幼いんやろう、私はとまあ、カウンセリング前も、もやもやイライラしていて、カウンセリング後の今も、自分が情けなく思えて、少々ズーンときています。
もういったいいつになったら私はすっきりできるのか、私は何がしたいのか、どうやって生きていったらいいのか、わからなくなってきました。
おいおい。
いや、こういう時こそ、
そうしてまで親を愛そうとした自分の頑張りを認めるとか、
愛ゆえのことだったんだとしてきたことの価値を認めるとか、
少しずつでも変われてことに目を向けるとか、
そういうことが大事だとはわかっているんです。
だけど人には言うのに、自分のこととなると、やっぱり責めたくなってしまいます。
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも何してるん!?
みんなどんどん変わっていってるのに!!!
私は一体いつまでこうなん!?
……とにかく私は自分を責めたいみたいです(^^;;
そして責めている自分をまた責めるという。
なのに出てくる気持ちは、
もう誰も何も責めないでほしい!
自分を責めていることも責めないで!
変われないことも責めないで!
しんどいよね、仕方ないよねって言ってほしい!
もっとやさしくしてほしい!
責めないで!
お父さんのこともお母さんのことも責めないで!
悪い人ではないから!
何も何も責めないで!
仕方ないって言って!
もっとやさしくして!!!
そんなことなんです。
それは、それだけ、自分が自分のことを責めているということなんですよね。
その後、カウンセラー仲間にもいろいろと聞いてもらって、本当に丁寧にやさしくたくさん思うところを聞かせてくれて、ちょっとずつ見えてきたことがあるのですが、自分でもまだまとまっていなくて、ストーリーにもなっていないのですが、また思いついたことからぼちぼち書いていきますね。
なんか、暗くてすみません(^^;;
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