人生がリレーなら。過去の決断を後悔しているあなたへ。
おいしい親子丼を食べたくて、三つ葉を買いました。
薬味系は全般的に好きなのですが、1人だと使い切れないので、あまり買わないんですよね。
三つ葉は初めて買いました。
ちょっとのことだけど、料理は薬味があるだけで、すごく味に深みが出ます。←プロってるわけではない。ただの個人の好み。
1回の親子丼だけではやっぱり使い切れなかったけれど(笑)、お味噌汁にも入れまくったら、新鮮でおいしい。
いつもネギ派なので。
買ってよかった。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
過去の自分の決断に、後悔していることはありますか?
「どうしてあんなことしてしまったんだろう」とぐるぐる考えてしまうこと。
あ、なんで「ヤタ」なのか質問するの忘れた。 ←そこ?
「甘い夢をみて転職してしまったんじゃないかと思ってしまう」とヤタさんに言うと、
「『今の私』が、『転職を決断した時点の私』を責め続けているということだよね?」
と言われました。
そう言われてぼんやりイメージしていたのですが、
自分の人生が、リレーで、
「過去の私」が「今の私」にバトンを渡し、
「今の私」が「未来の私」にバトンを渡していくというように、
過去・現在・未来の私を、それぞれ別人格の人間だと考えると、
過去を後悔し続けるということは、
今の私にバトンを渡した前走者に、
「何であそこでこけるかなー!」
「靴脱げるとかありえへん!」
「あんたのせいで周回遅れ!!!」
とえんえん責め続けるようなものだなと思いました。
それはあまりに酷。
その、こけたか、靴が脱げたかした、前の走者も、チームが勝てるよう、一生懸命走っていたはずです。
それでも、こけちゃうこともあるよね。
思いがけず、靴が脱げちゃうこともある。←
でも、そのチームメイトも、勝ちたいと、チームを勝たせたいと、一生懸命走っていたはずです。
そして、
自分のせいでチームが周回遅れになったと、
誰より自分を責めて申し訳なく思っているはず。
そんな状況だったとして。
私はそのチームメイトを、いつまでも責め続けるかな。
もちろんその大会に懸けていたなら、すごく残念な気持ちはあるだろうけれど、
それならなおさら、その彼女も自分と同じ気持ちだとわかるはず。
この上なく無念で、悲しくて、申し訳ないと思っているということが、
痛いくらいにわかるはず。
もしもそんな状態で、私がバトンを受け取ったなら、
「よっしゃよっしゃ、オッケーオッケー!
私が挽回したるから!」
くらいの気持ちで、
姉御肌ぶって、もっと燃えて走るはず。
そして、その通り挽回できたらもちろん喜ぶし、
もしもそのままビリでおわったとしても、
一緒に泣いて、
でもいつかは一緒に笑うはず。
負けたとしても、
私たちはそれぞれ、ベストを尽くした。
その結果こうなったということは、とにかくこれがベストな結果なんだと、
納得するはず。
しくじったのが、自分以外の誰かなら、どんな結果になったとしても、
長い目で、前向きな意味を私は見い出すはずと思ったんです。
転職を決めた、2年近く前の私。
あのときの私は、
私の人生の走者の1人として、一生懸命走っていたはず。
チームに報いたいと思っていたはず。
自分のベストを尽くしていたはず。
そんな彼女に、
「この身の程知らずめ!」
「夢なんて見るな!」
「お前のせいだ!」
は、あまりにも酷。
必死で走った過去の私からバトンをもらって、
「まかせて!」
と言ってあげなきゃ。
たとえ周回遅れだったとしても。
それを、私が取り返してあげる!くらいの気概を持って。
周回遅れでも、ビリに終わっても、長い目で見れば、何か前向きな意味があるはずと。
必死で走った、彼女の気持ちを汲んで。
がんばれ私。
過去の私。
今の私。
未来の私。
過去の決断を、後悔しているあなたへ。
あなたの前走者だった、あの時点のあなたは、どんなふうに走っていましたか?
どんなことを考えて
どんな気持ちで
どんな顔をして
走っていましたか?
今のあなたは、
どんなことを考えて
どんな気持ちで
どんな顔をして
どんなことばをかけて
前走者のあなたから、バトンを受け取ってあげたいですか?
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