【ご相談】自分と繋がるには?ー成功も失敗もなく自分にただ経験させてやるー
‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
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【ご相談】自分と繋がれない
わたしは、他人から自由なひとだと見られがちですが、不自由さをずっと抱えていました。
最近、過去に思っていた「死にたい」という気持ちを思い出し、安心して解放してやることができると「生きたい」気持ちが沸き上がってきました。
そうすると、何も状況は変わっていないのに、不思議と不自由さが解消されました。
心って不思議です。
今は、どうしても自分と繋がれていない感じがしています。
少し苦しいです。
自分が好きなことを選択して頑張っているはずなのに、本当の自分ではないと感じたりします。
表現が難しいのですが、「本当の自分を生きていない感じ」、ひいては「本当の自分はもしやおらず、何か別のもののために私は生かされているのか?」と思ったりもします。
最近、仕事で自分ばかりが背負うこともなくなり、色々手放せたことも影響しているかもしれません。
やっと自分に目を向け始めたからかもしれません。
いい歳をして(アラフォーです)、「自分と繋がれない」悩みを持つなんて恥ずかしいのですが、何かアドバイスをいただけないでしょうか?
どうぞよろしくお願いします。
みかんさん
【いなこからの回答】
みかんさん、こんにちは。
いなこと申します。
このたびはココロノマルシェにご相談をお寄せくださりありがとうございます(^^)
「死にたい」という気持ちを解放したら、「生きたい」気持ちが沸き上がってきたんですね。
「死にたい」という気持ちは、
「今のままの自分では行き詰まっているけれど、本当は生きたい」
という気持ちの表れだと思います。
だから、「死にたい」は、再誕生なんです。
生まれ変わり時。
窮屈な今の殻を脱皮しないと苦しいところまで来ているということなんです。
だけど、みかんさんは、そんな自分の心の叫びを、「死にたいなんて思ってはダメ」と、モラルや常識等の観点から、抑えていたのかもしれません。
今の自分で行き詰まっているときは、自分の中のタブーを侵すといいと言われています。
みかんさんの場合は、「死にたい」という気持ちをそのまま認めて解放することだったのかもしれません。
それをそのまま認めて解放してやれたから、自由を感じられるようになったのかもしれませんね。
ということでまさに再誕生!
おめでとうございます(^^)
そんなふうに、みかんさんには、"常識"や"モラル"で、自分の本音を抑えてしまう傾向はないでしょうか?
「いい歳をして」、「恥ずかしい」という記述からも、
「この歳なら普通はこうあるべき」
という世間一般の常識のようなものが常に頭にあるように感じました。
いやあ、言っちゃいますよね〜、私も「いい年して」、「恥ずかしい」とかしょっちゅう言っちゃいます。
前回のブログにも書いてた。笑
もう1つ気になったのが、
>また、他人から自由なひとだと見られがちですが、不自由さをずっと抱えていました
というところです。
他人からは自由な人だと見られているんですね。
でも、自分では、不自由さを抱えている。
これは、他人から見た自分と、自分の感じている自分に乖離があるということです。
もしかしたら、他人から見られる自分を気にして、装おうとされているところがあるのかなと思いました。
「私はこうしたい」という自分の気持ちよりも、
「私はこうあらねば」
「私は他人からこう見られないといけない」
ということを優先してきた節はないでしょうか。
以上いずれも、「こうあるべき」という思考が強いことから起こることです。
みかんさんは、とてもいい子、いい人で生きてこられたのかもしれません。
素直でやさしく、柔軟性のある子。
そういう子どもは、教育にピッタリはまります。
大人たちの教える、
「こうしなきゃいけないよ」
「こういうときはこうすべきだよ」を、
「ふむふむ、なるほど、そうなのか。」と、
すんなり受け入れます。
だけどあらゆる事象はケースバイケース。
例外もあるし、個人差もある。
だから本来は、1つの「べき」に収まるものではないんですよね、何事も。
でも、まじめな人、やさしい人は、教えられた「べき」を従順に守り続けます。
自分を、他人が作った小さな「べき」の枠にはめてしまうんですね。
これまた器用だから、いけるとこまでいけちゃうんです。
ほんとの自分は、そんな枠に収まるものではないのに。
あるいは、頭の上に、これまでに身につけた「べき」が乗っかっていて、いつも自分を見張って抑えている感じかもしれません。
それが、
本当の自分を生きていない感じ
自分と繋がれない
という感覚となって表れます。
でも、その違和感に気づけたことが大きな一歩!
いい歳をしてとおっしゃいますが、だいたいアラフォーくらいで、本当の意味で自分の内面に目が向く方が多いように思います。
10代20代は、友達関係や恋愛、進学就職など、外側に刺激的なことが多くてそちらに忙しいです。
だから自分の内面に目が向きにくいんですね。
20代でこういうご相談をくださる方を見ると、すごいな、早いな、おませさんだな(違)と思う。
そういう外側の刺激が落ち着いて、自分の人生をふと振り返ったとき、
「はて、だんだんコースが絞られてきてるけど、私の人生これでよかったのかな?」
という疑問を持ち始めるのが、アラフォー辺りだと思います。
で、みかんさんは、自分の好きなことを選択して頑張っておられるとのことですが、それでOK!
いろいろ手放せたとのことですし、とても順調だと思います(^^)
ただ、これまで長い間、世間の常識や、モラル、他人の目などを鑑みて、自分の行動を抑えてきたのなら、好きなことを選択してやっているつもりでも、すぐにはうまくいかないこともあって当然です。
「好きなこと」という事象1つとっても、「こうあるべき」という何重もの枠にはまっていることがあります。
たとえば、
好きであるからにはずっと好きであるべき
(別に飽きても変わってもいいし、次の瞬間嫌になってもいい)
好きと言うからには大好きであるべき
(まあまあ好き、何となく好きもあり)
など。
また、「こういうのが好きというのがオシャレっぽくていいな」とやっぱりそれが人からどう見えるかをついくせで、いつの間にか気にしてしまっていることもあります。
「これならお金かけずに楽しめるかも」と、可能そうな範囲で好きなことを選んでいることもあります。
1つ枠を外しても、別の枠は外れていなくって、やっぱり枠の中だったりするってことです。
ということで、
とにかくいろいろやってみて感じる。
これを繰り返すことをお勧めします。
「べき」(思考)は一旦横に置いておいて、ただ感じる(感情、感覚)ことを取り戻す練習ですね。
好きと思ってやってみて、なんか違えばそれもよし。
失敗も成功もありません。
ただいろんなことを自分に経験させてやる。
経験すること自体が目的です。
そうしていろいろやって感じていく中で、好きなことをより自分に正直に選べるようになっていきます。
徐々に自分を生きている感覚で、幸せを感じやすくなっていきます。
枠を一度に全取っ払いすることは難しくて当たり前。
枠がすぐに取っ払えないことも、自分に経験させてやってください。
本来人は、常に揺らぎなから変化している柔らかな有機物。
「べき」という硬い枠にきっちりはまりきるものではありません。
気ままに、いろいろやってみてくださいね。
矛盾上等!
ずっと応援しています(^▽^)
ご相談ありがとうございました!!!
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▽いなこの雰囲気はこんな感じです。
「やわらかい関西弁が聞き心地よい」とのありがたいお声をいただいています(‘∀‘)
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