'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに

「それなりに恵まれている方だと思うし、それなりにうまくやってきた。・・・あれ、’それなり’って何だろう?」悪くない人生のはずなのに、心から幸せと言いきれない、このままで終わりたくないと思ってしまう。そんなあなたに’おもいっきり’のしあわせを。 @カウンセラーいなこ

サヨナラさえ上手に言えない私で生きていく。

サヨナラさえ上手に言えない私で生きていく。

 

‘それなりに’うまくいっている→を→‘おもいっきり’しあわせに

こんにちは、カウンセラーいなこです。

 

 

ちょっと前に、ブログにほんのチラッッとだけ、キョンキョンの歌になんとかかんとか……と書いたのですが、それがきっかけで久しぶりに聞きたくなって、今更ながらにダウンロードして聞いています。

「あなたに会えてよかった」

一人サブリミナル。

ちょうど30年前の曲でした!

これ、小林武史さんも作詞・作曲に関わっているんですね。

小林武史さんと言えば、ミスチルとかマイラバ(世代〜・笑)とかのプロデューサーでもある人。

「あなたに会えてよかった」もミスチルマイラバも好きということは、結局私は小林武史が好きということなんですね。

同様に、Perfumeもきゃりーも結構好きということは、結局私は中田ヤスタカが好きということなんですね。

自分の好みに一貫性があることに、なんとなくよろこび(笑)。

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さて、不遜にも、年賀状プレゼント企画なるものを行いましたが、今どきは年賀状なんて端から送らない方も多いですよね。

連絡のツールも増えているし、もう辞めますという友人もいます。

 

私もだいぶ縮小方向ですが、前の職場では、私が入ったときには部署全員の連絡網があり、住所なども全部載っていたので(今の時代だったらありえないですよね、もう廃止になってます。)、その名残で、昔なじみのメンバーとは、年賀状を送り合う慣習がありました。

 

その職場を去年退職した私は、今年はどうしようかと。

 

個人的に仲良くしている人には継続して出すけれど、問題は上司たち。

 

 

ここで、また私の意味不明の自意識が過剰に動きだします。

 

辞めたのにまだ年賀状を送り続けるなんて、未練がましいと思われるかな?

何が?

 

いつまでも連絡とろうとするなんて、迷惑かな?

何が?

 

この葛藤、意味わからない人にはほんとにわからないと思います(笑)。

 

 

上司って言ったって、ずっと一緒にやってきて、バカなことも言い合ってきた仲。

だけどやっぱり一応「目上の人」ということで、自分の中では少し遠くなって、友達とは違う気遣いをしている自分がいます。

 

仲間としてやってきたのに、同じ管理職として一緒に組織を作ってきたのに、「脱落した」、「裏切った」、そんな風に思われているんじゃないかという恐れもどこかにあり。

 

そんなこと気にしているのは私だけ、むしろ私のことなんて忘れているだろう。

頭ではそんな風に思いながらも、送るか送るまいか、モヤモヤしていました。

 

そこで、上司との距離感が私と同じくらいで、私より先に辞めた同僚に聞いてみました。

 

彼女からの答えは、

「私は、辞めて1年目は出したかな?今は、トップと、仲良かった〇〇さんとかには出してるかな。

別に未練がましいとか思わんのちゃう?

お世話になったから出す、でいいんじゃない?」

と返ってきました。

 

そうだよね(笑)。

 

そっか、客観的に見て、これはおかしなことではないんだと確認して、出すことにした私。

この葛藤、意味わからない人にはほんとにわからないと思います(笑)。

 

 

「新しいこと(←カウンセリング)も始めて、楽しくやっていまーす♪」

とか言えたらいいんだけど、ここでミエ張ったって仕方ないよな。

素直な気持ちを書こう。

 

「新しいこともぼちぼちしながら、今の職場でとりあえず頑張ってます。

でもやっぱり帰属意識はなかなか芽生えないですねー。」

そんなメッセージをベースに、それぞれに書きました。

 

返ってきたメッセージを見て、やっぱり変わらないな(まだ離れて1年も経ってないし・笑)、あったかいな、と確認した私。

 

1人1人にいろいろとお世話になって、思い出もあって、だから本来なら、辞めると決めたときももっとちゃんと思いを話してそれぞれに丁寧に報告したかったんだけど、その話をあらためてすることさえ、どうしてもしんどくて、悲しくて、できなかった私。

 

10年以上勤めて、最後がこれかっていう、すごく不義理をしたという罪悪感もあり。

 

「しんどい」とか「悲しい」とか言っている場合じゃなく、社会人として普通に非礼じゃないかと頭ではわかっているのに、それでも感情は苦しくて、行動をコントロールできなかった。

ほんとうに、「四十にして惑わず」どころか、「四十になっても常識なし」のどうしようもない人間です。

 

それでも、「サヨナラさえ上手に言えな」い私で、生きていくしかないんだなと、思いました。

 

 

この葛藤、意味わからない人にはほんとにわからないと思います(笑)。

どうせまた、知らぬは本人ばかりなりの、お恥ずかしい心理を今日も晒しているだけなのでしょう(笑)。