決断の時、最後にチェックすること。
ひとしきり雨は降りたいだけ降ったのかなという大阪です。
'それなりに'うまくいっている→を→'おもいっきり'しあわせに
こんにちは、カウンセラーいなこです。
まだ曇天が続きますが、どうしようもない湿気は少しおさまったのかな。
さて、
カウンセラーになりたいと思う自分の気持ちを信じていいと思えたと、先日の記事に大々的に(笑)書いたのですが、それから心が落ち着いています。
現状は何も変わっていないんです。
うまくいく保証もないし。
転職したてのしがない一医療人であることには変わりなし(笑)。
ただ、底知れない不安がスーッと薄らぎました。
「私の選択はまちがっていなかった」と思えたことが大きいのだと思います。
だけどこの、
「まちがっていなかった」
というのは、
カウンセラーになることが、私に合っているとか、向いているとかいう意味では、ないんです。
私がずっと心配で自信がなかったのは、
前職場を辞めてしたいことをしてみようという、その選択をしたとき、
「自分の気持ちに正直だったのか?」
ということだったんです。
「自分軸だったのか?」とも言い換えられます。
選択をした時、完全に自分に正直だったと思えたら、
その後、実際にやってみて、
やはり私にはカウンセラーは向いていない、
そんなに甘くはなかった、
前の職場の方が合っていた、
失敗だったと思っても、後悔は大きくないと思うんです。
だけど、
今の職場では認められていないから、もっと認められたいとか、
もっとすごくなリたいとか、
「今、ここ」以外のところにいいものがあるとか、
そういう、何か他のもののせいにして、今を否定して、「よそにもっといいものがあるはず」という幻想で、ここまで来てしまったんじゃないかということが、心配でした。
本当の理由はそれなのに、「したいことがある」というもっともらしい理由をつけて、前の職場を辞めてしまったんじゃないかと。
もちろん、何の不満も疑問もなくければ、転職するとか、違う道を考えるなんてしないでしょうし、そこから現状を変えようとスタートすること自体は問題ないと思います。
「もうこんなのやってられない!こんなところにはいられない、とにかく辞めてやる!」っていうのが正直な気持ちで、それを認めているなら、それでいいと思うんですよね。
でも私は、本当の気持ちはそうなのに、「したいことを……」という、体裁がよく、夢見がちな理由でカムフラージュしていたんじゃないかということが気になっていたんです。
まあそういう要素がゼロとは言わないけれど(笑)、でもやっぱり私は、カウンセリングをするということに興味があるんだ、それは本当だということに、自信を持てました。
だから、その選択をした時点での自分の気持ちに嘘はなかったという意味で、
「まちがってなかった」
と思ったんです。
なので、やってみて、「やっぱりカウンセラーは無理だ」となる可能性はあると思います。
だけど、それはまた別の話。
選択した時点で、自分の気持ちに嘘はなかったなら、それは仕方ないことだと思えます。
やりたいと思ってやってみて、それで初めてわかったことなのだから。
不思議なもので、そう思ったら、前の職場にいたとき、疑問に思っていたことや、嫌だったことを、具体的に思い出しました。
もちろん総じていい職場で、私には相性がよくて、大事な場所だったのですが、
「この仕事を心底好きで、楽しそうにやっている同僚がうらやましいな」とか
「努力と義務感でがんばろうとしても、そういう人にはかなわないよな」とか、
「こんなことを思いながら、あと20年も続けるのは、人生がもったいなすぎるな」とか、
「職場のメンバーも、昔から一緒にやってきた人がかなり減って、私自身、昔ほど絆は感じられないな」とか、
「私ほどには、みんなは職場に思い入れないんだな」とか。(そう、私は総じて距離が近くなりがちだし、思いが重いんです・笑)
組織としても、総じて好きだったのですが、やっぱり中にいるときは、「それは残念な考え方だなあ」と思うこともありましたし(大きな組織になるほど、すべて賛同できるということはもちろん少ないとは思いますが)、
いくら管理職を捨てるのがもったいないといっても、ここの中で偉くなっても、ここの中だけで通じるだけのことだよな、それだけにとらわれて、ずっとここにいるのもな、とも思っていました。
そして、今回、辞めてから初めて前職場の人たちに連絡を取って、中には、仕事を越えてつながる人もいるけれど、同時に、やっぱり職場の同僚は職場の同僚で、原則は、あくまでも、「同じ職場」という共通点でつながっている人たちなんだなあとも感じました。
だから、その人たちとつながっておくためだけに、興味の持てなくなったことを、定年までずーっとしていくのも、それはそれで恐怖だと思いました、私は。
前の職場のことや、前の職場にいた自分のことは、過ぎ去ったことで失ったものだから、美化されている部分はあるだろうとは思っていましたが、今が不安すぎて、思っている以上に美化されていました(笑)。
何とか仕切り直せばあのままがんばれたのでは?と何度も考えました。
一縷の望みをつないで、あのままあそこにいたら……という夢想で遊んでました(笑)。
でも、どのみち続けるのは無理だった。限界だったんです。
この選択がまちがっていなかったというのは、このことを認めることができたということでもあります。
こうして、
「思いきって新しい道を行くという選択が、まちがっていなかった」
という前提に立つと、これまでうじうじ考えて後悔していたことが、嘘のようにひっくり返っていったんですね。
今までの時間何やってん。笑
「私はまちがったかもしれない」という思いが、ものすごくエネルギーを奪っていたんだと思います。
「これでよかったんだ」と思えるだけで、現状は何も変わっていないのに、今、こんなに落ち着いている。
物理的な条件以上に、「心」というものが人の幸せ度に貢献するというのはほんとにそうだなあと感じています。
これにまつわることは、もう少し詳しく書きたいのですが、なんだか頭が回らないので、今日はこのくらいにしておきます。
何かの決断に迷っている方に、私が最後のチェックポイントをご助言できるなら、
その選択は、自分に正直かどうか?
これに尽きます。
誰に嘘をついてもいいけど、自分に嘘をつくと、ずっと引きずります。
でもこの嘘かどうかの見分け方も、難しいよねー。
それがわからなくて苦労したよ。
これについてももう少し詳しく書きたいけど、また今度に。
おやすみなさい。
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